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第14話 深まる謎
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窮奇の突風事件が解決して翌日。
江戸の人たちはあの竜巻を季節外れの台風とか勢いの激しい春一番だった、みたいな感じで不思議がりながらも納得していった。
真相をしる私たちからするとそんなのんきな問題でもないのだけど、不安になるよりはましってね。
でも、気になるのは、玄武様の時と言い、白虎様の時と言い、あの奇妙な木像の事だ。誰がなんの目的であんなものを置いていったのか……しかもあれを放っておくと江戸に大変な事が起きるって天狗様も言っていたし。
「これ、ぶつくさ言ってないで勉強しろ、勉強を」
なんて真面目に考えていると、天井裏から天狗様の嫌味が……。
「う、うるさいなぁ、私は本気で悩んでるんだぞ!」
どんな大きな事件の後も私たちのやる事は変わらない。
朝起きて、お母様やおじ様に挨拶をしてご飯を食べて、そしてお勉強。三味線とかお茶とかそういった作法の勉強もあるから本当に大変。
なんでも私たちの嫁入り修行なんだとか。いずれ私たちも大きくなるとどこかの大名様の下の嫁ぐ(結婚する)ことになる。その時に恥ずかしい思いをしないようにって事らしいんだけどさ……でも、結婚なんてもっともっと先の事だよねぇ……あ、でも確か戦国の頃は私たちみたいな年齢でも結婚してたんだっけ?
うぅん、それはそれで嫌だなぁ……。
「何を悩むって言うだよ。玄武の時に言っただろ。四神相応が乱れると江戸が滅びる。そうなりゃ戦の世が戻ってくるってな」
そういえば、そんなこと言ってたわね。
うぅん、戦かぁ……嫌だなあ。
「それじゃ何ですか、誰かがこの平和な時代を認めてないって事ですか?」
「そーなるな」
「何のためにです? 今更そんなことしたって意味はないと思うんですけど」
「それこそ俺様が知るわけがないだろ。世の中が荒れて喜ぶ奴なんざ妖怪の中でもそうそういねぇよ。住処がなくなるし、生きていくのがきつくなる」
へぇ、そうだんだ。
なんとなく妖怪って人様に迷惑をかけるのが好きだからそういう世界だと居心地がいいのかと思っていたけど。
「じゃあ一体誰が……」
ふとその時、ふすまをトントンと叩く音が聞こえた。
誰だろうと思って、ふすまを開けるのだけど、廊下には誰もいない。遠くの方では大人たちの声は聞こえるのだけど。
「うーん、おかしいなぁ」
首を傾げてると、またトントンと音がする。
「あれぇ、お姉ちゃん、窓の方からだよぉ?」
同じように勉強していたお竹は廊下とは正反対の、小さな窓の方を指さした。
うぅむ? よく見ると、障子の影にうっすらと影があるよ。影は三つ、小さい。
「ネズミかしら……」
そろぉりと窓を薄く開けながら確認すると、細長いネズミに似た動物と目があった。
「あ、ども」
「ど、どうも……」
しかも丁寧にお辞儀してくれるので、私もつい釣られて頭を下げる……ってっちょっとまて!
なに、これ、なんなの!
「ね、ネズミが喋ったぁ!」
「ネズミではごぜぇません! あっしらは、イタチにございます!」
い、イタチぃ?
三匹のイタチって……まさか!
「あなたたち、かまいたちね!」
私はとっさに筆を刀のように構えた。
小刀はたんすに隠してあるか、今は手元にはないのです。
お竹もうちわを手にして、私の後ろに隠れる。
「おぅ、落ち着け。こいつらからは敵意はない」
一人落ち着いている天狗様は面倒くさそうにあくびをしていた。
「そうでございます。あっしらはお礼を言いに来たんでぇ」
「このたび、あっしら三兄弟を助けていただき感謝感激ってなもんです」
「あのままじゃあっしらも死んでしまうところでしたからねぇ」
三匹のかまいたちはお互いに同じような仕草をして、同じ声で順番に話す。
それにしても、助けたってなんだろ? 私たち、かまいたちなんて助けてないというかどっちかといえば倒した方になるんじゃないかな?
でも、不思議と目の前のかまいたちからは窮奇のようなまがまがしい気配はなかった。
「えぇと、助けたってどういうことよ」
「へぇ、あっしらは、恥ずかしながら窮奇なんていう化け物になってこの江戸にただいなご迷惑を……ましては白虎様にたてつくなんざぁ……」
「ですが、誓って、あっしらが望んでやったことじゃねぇんです」
「あっしらは操られていたんですよ」
操られていた?
それは聞捨てならないわね。
「どういう事?」
「説明が難しいのですが……気が付いたらあっしらは窮奇になっていたって事です」
「それより前に、誰かに会ったような記憶はあるんですがねぇ……」
「それがさっぱり思い出せんのです」
私は思わずずるっとこけそうになる。
一番重要な所じゃないそれ!
なんか、役に立たなさそうね……というか信じていいのかしら。
「まぁ、待てお松。こいつらの話、あながちウソじゃないと思うぜ」
「でも覚えてないって言ってますよ?」
「お前も見ただろ。窮奇の木像を。あれは呪いの道具だ。あれを使ってかまいたちを化け物に変える……不可能じゃない。だが、俺もちと気になる事がある。他の妖怪どもはどこに消えた?」
他の妖怪?
そういえば、天狗様やかまいたち、それこそ玄武様や白虎様なんかがこの江戸にはいるけど、それ以外の妖怪って見たことないなぁ。
逆に見えすぎるのも嫌だけど、気にはなるわね。
彼らがいるって事は、当然他の妖怪もいるって事だし、それがまったく見当たらないってのは確かにおかしいかも。
「そいつは簡単でさぁ、天狗様もうすうすは感じているのではないですか?」
「この江戸は怖いんですよ。あっしらのような弱い妖怪には居心地がわるぅございます」
「なんだか、いるだけで力を抜き取られるような、食われちまいそうな……」
江戸から妖怪が逃げ出している?
うーん、でも妖怪って悪さやいたずらをするわけだし、それはそれで構わないような気もするけど。
「ま、確かに妙に重苦しい時があるってのは思ったが、そりゃ仕方ねぇだろ? 誰がやったかは知らんがこの江戸は四神の結界がある。今でこそ乱れているが、本来なら妖怪もまともに力を発揮できないからな」
「そりゃそうなんですが、天海《てんかい》様の張り巡らせた結界はここまできついものじゃなかったんでさぁ」
「天海って、南光坊天海《なんこうぼうてんかい》様の事?」
もう亡くなってしまったけど、天海様は徳川様に仕えていたお坊さんの事で、初代の徳川家康様から今の家光様をずっと支えていた方。
お坊さんとしても偉い人で、江戸の町づくりにも色々と貢献なさったみたい。それにすごい長生きで百歳を超えていたとか。
「へぇ、天海様が四神相応の結界をねぇ……」
「天海様はそりゃもうすごいお人で……あ、いや、今はそれよりもですぜ。その天海様のほどこした結界にほころびがあるのはご存知で?」
ほころびねぇ。
確かに雹が降ってきたり、風で色んなものが切り裂かれたりしたけど、やっぱりそれが原因なのかしら?
「それが、玄武、ひいては白虎の事件だろう? 俺様も、この四神結界は素晴らしいものだと思っているが……」
天狗様は常々、この結界が消えると江戸が滅ぶって言ってるものね。
それを考えると天海様って一体何者なんだ。そんな凄まじい結界を張り巡らせるなんて。
そのおかげで私たちが安心して暮らせているのだろうけどさ。
「しかし、お前ら何も覚えてないのだろう? 俺様としては玄武と白虎の事件は同じ奴の仕業だとにらんでるが?」
「へい、面目次第も……ですが、一つ確かに覚えている事はあるんです」
「あっしらはもともと江戸から出ていこうと思っていたんですよ。住みづらくなった江戸から離れて、どこか遠く、安全な土地でひっそりと暮らそうと思いましてね……」
「その時なんですわ。髪の長い女……ありゃ人間じゃないですが、そいつに出会ったことだけははっきりと覚えていますぜ」
妖怪の女の人?
うーん、私あんまり妖怪に詳しいわけじゃないけど、女性の妖怪っていうとろくろ首とかになるわね。
でも、あの妖怪ってそんなたいそうな事が出来る妖怪だったかしら?
首が伸びるだけだし……。
「髪の長いってだけじゃよくわかんないよ。もっと他になにか思い出せないんですか?」
「えぇとですねぇ……あの時の事は本当思い出そうとしても難しいのですけどねぇ……おい、なにかあるか?」
「あの女に着いていったのは覚えてますぜ?」
「確か……安全な場所を案内するとか……だったか?」
かまいたちたちは三人で顔をつきあわせてうんうんと唸っている。
うーむ、つまりかまいたちは、その女の妖怪に騙されたってことなんだろうか。
だとしても、なんでかまいたちを騙して、あんな恐ろしい化け物にしたんだろう。江戸を滅ぼしたいなんて大それたことをしていったいどうしようっていうのかしら。
「とにかく、あっしらはもうこの江戸から離れます」
「北国にでもいきましょうかねぇ」
「風の強い場所にいきましょうかねぇ……」
かまいたちは三匹そろって、また窓の方にのぼってお辞儀をしてくれる。
「それでは、あっしらはこれで……なんのお礼もできませんでしたが、みなみな様のご無事を祈っておりやす」
「できればこの江戸から離れた方がよいと思いますが、それができぬのであれば、十分にお気を付けください」
「それでは、さようなら、さようなら」
そして、かまいたちはすぅーっと風にとけるように、姿を消していなくなっていった。
「ばいばーい」
お竹は窓から顔を出して手を振っている。
「ねぇ、天狗様」
私はそれよりも気になることができてしまった。
「なんだ?」
「かまいたちの言ってることが本当だとしたらさ、まだ事件は起きるってことだよね? 玄武様に、白虎様、四神相応って結界があるなら、あと残りは二つ……」
「あぁ、確実に起きるぜ。ったく、ややこしいことになっちまったなぁ……」
「先回りして、なんとか防ぐ方法ってないんですか?」
「無理だな。そもそも次はどの方角が狙われるかもわからん。どういう種類の呪いをぶつけてくるのかも……ただ、今までの流れで残る敵の名前は想像できるぜ?」
「そうなんですか?」
「あぁ、ちょいと筆と紙をかせ」
天狗様はすらすらと文字を書き始める。
なんだか難しい漢字ばかりが並んでるなぁ……。
えぇと「饕餮」? うん読めない!
続いて「窮奇」、これは天狗様に教えてもらったからわかる。きゅうきって読むのよね。
そして「檮杌」、「渾沌」? えぇい全然読めない! なんだこの難しい漢字は!
「なんですかこの見てるだけで頭が痛くなりそうな漢字。きゅうき以外読めないですよ」
「ちゃんと説明してやるから待ってろ。おい、お竹、お前も一応は聞いておけ」
「はぁい」
天狗様はお竹を手招きすると、かるく咳払いをして、まずは「饕餮」の文字を指差した。
「こいつは玄武のところにあった木像で、名を饕餮《とうてつ》と読む。窮奇の方も一応確認だが、きゅうきと読む。白虎の時の木像だ。んで、残る二つは、檮杌《とうこつ》に渾沌《こんとん》だ」
「うえぇ、なんだか名前を聞くだけでも嫌な感じですね」
「その通り、こいつらは四神とはまた別に四凶と呼ばれる悪神でな。わざわいをもたらすといわれている」
「神様なのに悪いんですか?」
「そりゃ神にもそういう連中はいるだろうよ。重要なのはそこじゃなくて、残る檮杌と渾沌をどうするかだ。幸いなのはどれも本物じゃなく、それを模した木像であり呪いであったことだ。仮にこいつらが本物だったら、俺様たちは今頃お陀仏ってやつだ」
ただでさえ厄介だったのに、あれで本物じゃないって言われると気が重たくなってくるなぁ。
しかもそれがあと二体もいるかもしれないって……あぁもう、いったいどこの誰だか知らないけど、よけいことしてくれるわねぇ!
「とにかく用心しろよ。何がおきても不思議じゃねぇからな」
「うん、江戸をめちゃくちゃにされちゃかなわないものね!」
江戸の、ひいては日の本の平和に為にも、なんとかしなくちゃいけないからね!
「あの、一ついいですかぁ?」
と、やる気を見せていた私たちに水を差すようにお竹のなんとも間の抜けた質問が上がってくる。
「これだけ大騒ぎが起きているのに、お坊様も陰陽師様も誰も何もしてくれないんですか?」
江戸の人たちはあの竜巻を季節外れの台風とか勢いの激しい春一番だった、みたいな感じで不思議がりながらも納得していった。
真相をしる私たちからするとそんなのんきな問題でもないのだけど、不安になるよりはましってね。
でも、気になるのは、玄武様の時と言い、白虎様の時と言い、あの奇妙な木像の事だ。誰がなんの目的であんなものを置いていったのか……しかもあれを放っておくと江戸に大変な事が起きるって天狗様も言っていたし。
「これ、ぶつくさ言ってないで勉強しろ、勉強を」
なんて真面目に考えていると、天井裏から天狗様の嫌味が……。
「う、うるさいなぁ、私は本気で悩んでるんだぞ!」
どんな大きな事件の後も私たちのやる事は変わらない。
朝起きて、お母様やおじ様に挨拶をしてご飯を食べて、そしてお勉強。三味線とかお茶とかそういった作法の勉強もあるから本当に大変。
なんでも私たちの嫁入り修行なんだとか。いずれ私たちも大きくなるとどこかの大名様の下の嫁ぐ(結婚する)ことになる。その時に恥ずかしい思いをしないようにって事らしいんだけどさ……でも、結婚なんてもっともっと先の事だよねぇ……あ、でも確か戦国の頃は私たちみたいな年齢でも結婚してたんだっけ?
うぅん、それはそれで嫌だなぁ……。
「何を悩むって言うだよ。玄武の時に言っただろ。四神相応が乱れると江戸が滅びる。そうなりゃ戦の世が戻ってくるってな」
そういえば、そんなこと言ってたわね。
うぅん、戦かぁ……嫌だなあ。
「それじゃ何ですか、誰かがこの平和な時代を認めてないって事ですか?」
「そーなるな」
「何のためにです? 今更そんなことしたって意味はないと思うんですけど」
「それこそ俺様が知るわけがないだろ。世の中が荒れて喜ぶ奴なんざ妖怪の中でもそうそういねぇよ。住処がなくなるし、生きていくのがきつくなる」
へぇ、そうだんだ。
なんとなく妖怪って人様に迷惑をかけるのが好きだからそういう世界だと居心地がいいのかと思っていたけど。
「じゃあ一体誰が……」
ふとその時、ふすまをトントンと叩く音が聞こえた。
誰だろうと思って、ふすまを開けるのだけど、廊下には誰もいない。遠くの方では大人たちの声は聞こえるのだけど。
「うーん、おかしいなぁ」
首を傾げてると、またトントンと音がする。
「あれぇ、お姉ちゃん、窓の方からだよぉ?」
同じように勉強していたお竹は廊下とは正反対の、小さな窓の方を指さした。
うぅむ? よく見ると、障子の影にうっすらと影があるよ。影は三つ、小さい。
「ネズミかしら……」
そろぉりと窓を薄く開けながら確認すると、細長いネズミに似た動物と目があった。
「あ、ども」
「ど、どうも……」
しかも丁寧にお辞儀してくれるので、私もつい釣られて頭を下げる……ってっちょっとまて!
なに、これ、なんなの!
「ね、ネズミが喋ったぁ!」
「ネズミではごぜぇません! あっしらは、イタチにございます!」
い、イタチぃ?
三匹のイタチって……まさか!
「あなたたち、かまいたちね!」
私はとっさに筆を刀のように構えた。
小刀はたんすに隠してあるか、今は手元にはないのです。
お竹もうちわを手にして、私の後ろに隠れる。
「おぅ、落ち着け。こいつらからは敵意はない」
一人落ち着いている天狗様は面倒くさそうにあくびをしていた。
「そうでございます。あっしらはお礼を言いに来たんでぇ」
「このたび、あっしら三兄弟を助けていただき感謝感激ってなもんです」
「あのままじゃあっしらも死んでしまうところでしたからねぇ」
三匹のかまいたちはお互いに同じような仕草をして、同じ声で順番に話す。
それにしても、助けたってなんだろ? 私たち、かまいたちなんて助けてないというかどっちかといえば倒した方になるんじゃないかな?
でも、不思議と目の前のかまいたちからは窮奇のようなまがまがしい気配はなかった。
「えぇと、助けたってどういうことよ」
「へぇ、あっしらは、恥ずかしながら窮奇なんていう化け物になってこの江戸にただいなご迷惑を……ましては白虎様にたてつくなんざぁ……」
「ですが、誓って、あっしらが望んでやったことじゃねぇんです」
「あっしらは操られていたんですよ」
操られていた?
それは聞捨てならないわね。
「どういう事?」
「説明が難しいのですが……気が付いたらあっしらは窮奇になっていたって事です」
「それより前に、誰かに会ったような記憶はあるんですがねぇ……」
「それがさっぱり思い出せんのです」
私は思わずずるっとこけそうになる。
一番重要な所じゃないそれ!
なんか、役に立たなさそうね……というか信じていいのかしら。
「まぁ、待てお松。こいつらの話、あながちウソじゃないと思うぜ」
「でも覚えてないって言ってますよ?」
「お前も見ただろ。窮奇の木像を。あれは呪いの道具だ。あれを使ってかまいたちを化け物に変える……不可能じゃない。だが、俺もちと気になる事がある。他の妖怪どもはどこに消えた?」
他の妖怪?
そういえば、天狗様やかまいたち、それこそ玄武様や白虎様なんかがこの江戸にはいるけど、それ以外の妖怪って見たことないなぁ。
逆に見えすぎるのも嫌だけど、気にはなるわね。
彼らがいるって事は、当然他の妖怪もいるって事だし、それがまったく見当たらないってのは確かにおかしいかも。
「そいつは簡単でさぁ、天狗様もうすうすは感じているのではないですか?」
「この江戸は怖いんですよ。あっしらのような弱い妖怪には居心地がわるぅございます」
「なんだか、いるだけで力を抜き取られるような、食われちまいそうな……」
江戸から妖怪が逃げ出している?
うーん、でも妖怪って悪さやいたずらをするわけだし、それはそれで構わないような気もするけど。
「ま、確かに妙に重苦しい時があるってのは思ったが、そりゃ仕方ねぇだろ? 誰がやったかは知らんがこの江戸は四神の結界がある。今でこそ乱れているが、本来なら妖怪もまともに力を発揮できないからな」
「そりゃそうなんですが、天海《てんかい》様の張り巡らせた結界はここまできついものじゃなかったんでさぁ」
「天海って、南光坊天海《なんこうぼうてんかい》様の事?」
もう亡くなってしまったけど、天海様は徳川様に仕えていたお坊さんの事で、初代の徳川家康様から今の家光様をずっと支えていた方。
お坊さんとしても偉い人で、江戸の町づくりにも色々と貢献なさったみたい。それにすごい長生きで百歳を超えていたとか。
「へぇ、天海様が四神相応の結界をねぇ……」
「天海様はそりゃもうすごいお人で……あ、いや、今はそれよりもですぜ。その天海様のほどこした結界にほころびがあるのはご存知で?」
ほころびねぇ。
確かに雹が降ってきたり、風で色んなものが切り裂かれたりしたけど、やっぱりそれが原因なのかしら?
「それが、玄武、ひいては白虎の事件だろう? 俺様も、この四神結界は素晴らしいものだと思っているが……」
天狗様は常々、この結界が消えると江戸が滅ぶって言ってるものね。
それを考えると天海様って一体何者なんだ。そんな凄まじい結界を張り巡らせるなんて。
そのおかげで私たちが安心して暮らせているのだろうけどさ。
「しかし、お前ら何も覚えてないのだろう? 俺様としては玄武と白虎の事件は同じ奴の仕業だとにらんでるが?」
「へい、面目次第も……ですが、一つ確かに覚えている事はあるんです」
「あっしらはもともと江戸から出ていこうと思っていたんですよ。住みづらくなった江戸から離れて、どこか遠く、安全な土地でひっそりと暮らそうと思いましてね……」
「その時なんですわ。髪の長い女……ありゃ人間じゃないですが、そいつに出会ったことだけははっきりと覚えていますぜ」
妖怪の女の人?
うーん、私あんまり妖怪に詳しいわけじゃないけど、女性の妖怪っていうとろくろ首とかになるわね。
でも、あの妖怪ってそんなたいそうな事が出来る妖怪だったかしら?
首が伸びるだけだし……。
「髪の長いってだけじゃよくわかんないよ。もっと他になにか思い出せないんですか?」
「えぇとですねぇ……あの時の事は本当思い出そうとしても難しいのですけどねぇ……おい、なにかあるか?」
「あの女に着いていったのは覚えてますぜ?」
「確か……安全な場所を案内するとか……だったか?」
かまいたちたちは三人で顔をつきあわせてうんうんと唸っている。
うーむ、つまりかまいたちは、その女の妖怪に騙されたってことなんだろうか。
だとしても、なんでかまいたちを騙して、あんな恐ろしい化け物にしたんだろう。江戸を滅ぼしたいなんて大それたことをしていったいどうしようっていうのかしら。
「とにかく、あっしらはもうこの江戸から離れます」
「北国にでもいきましょうかねぇ」
「風の強い場所にいきましょうかねぇ……」
かまいたちは三匹そろって、また窓の方にのぼってお辞儀をしてくれる。
「それでは、あっしらはこれで……なんのお礼もできませんでしたが、みなみな様のご無事を祈っておりやす」
「できればこの江戸から離れた方がよいと思いますが、それができぬのであれば、十分にお気を付けください」
「それでは、さようなら、さようなら」
そして、かまいたちはすぅーっと風にとけるように、姿を消していなくなっていった。
「ばいばーい」
お竹は窓から顔を出して手を振っている。
「ねぇ、天狗様」
私はそれよりも気になることができてしまった。
「なんだ?」
「かまいたちの言ってることが本当だとしたらさ、まだ事件は起きるってことだよね? 玄武様に、白虎様、四神相応って結界があるなら、あと残りは二つ……」
「あぁ、確実に起きるぜ。ったく、ややこしいことになっちまったなぁ……」
「先回りして、なんとか防ぐ方法ってないんですか?」
「無理だな。そもそも次はどの方角が狙われるかもわからん。どういう種類の呪いをぶつけてくるのかも……ただ、今までの流れで残る敵の名前は想像できるぜ?」
「そうなんですか?」
「あぁ、ちょいと筆と紙をかせ」
天狗様はすらすらと文字を書き始める。
なんだか難しい漢字ばかりが並んでるなぁ……。
えぇと「饕餮」? うん読めない!
続いて「窮奇」、これは天狗様に教えてもらったからわかる。きゅうきって読むのよね。
そして「檮杌」、「渾沌」? えぇい全然読めない! なんだこの難しい漢字は!
「なんですかこの見てるだけで頭が痛くなりそうな漢字。きゅうき以外読めないですよ」
「ちゃんと説明してやるから待ってろ。おい、お竹、お前も一応は聞いておけ」
「はぁい」
天狗様はお竹を手招きすると、かるく咳払いをして、まずは「饕餮」の文字を指差した。
「こいつは玄武のところにあった木像で、名を饕餮《とうてつ》と読む。窮奇の方も一応確認だが、きゅうきと読む。白虎の時の木像だ。んで、残る二つは、檮杌《とうこつ》に渾沌《こんとん》だ」
「うえぇ、なんだか名前を聞くだけでも嫌な感じですね」
「その通り、こいつらは四神とはまた別に四凶と呼ばれる悪神でな。わざわいをもたらすといわれている」
「神様なのに悪いんですか?」
「そりゃ神にもそういう連中はいるだろうよ。重要なのはそこじゃなくて、残る檮杌と渾沌をどうするかだ。幸いなのはどれも本物じゃなく、それを模した木像であり呪いであったことだ。仮にこいつらが本物だったら、俺様たちは今頃お陀仏ってやつだ」
ただでさえ厄介だったのに、あれで本物じゃないって言われると気が重たくなってくるなぁ。
しかもそれがあと二体もいるかもしれないって……あぁもう、いったいどこの誰だか知らないけど、よけいことしてくれるわねぇ!
「とにかく用心しろよ。何がおきても不思議じゃねぇからな」
「うん、江戸をめちゃくちゃにされちゃかなわないものね!」
江戸の、ひいては日の本の平和に為にも、なんとかしなくちゃいけないからね!
「あの、一ついいですかぁ?」
と、やる気を見せていた私たちに水を差すようにお竹のなんとも間の抜けた質問が上がってくる。
「これだけ大騒ぎが起きているのに、お坊様も陰陽師様も誰も何もしてくれないんですか?」
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