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裏切り者同士
クエスチョンと口パク
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どれだけの間、気絶していた?
「うっ…………」
鋼一郎が意識を取り戻したのは、自分が身を潜めていた廃工場だ。
こびりついた鉄臭いにおいの正体が、ボタボタと滴る自分の鼻血だと気づくまでにそう時間はかからなかった。きっと顔を殴られたのだろう。その反動で工場の壁際にまで、飛ばされたらしい。
放棄されたままになっている魚肉か何かを加工する機材にもたれながら、立ち上がる。
白江は?
あの梨乃とかいう九尾は?
最悪なのは二人を逃がしてしまうことだ。
取り落としたグロックを拾い上げながらに、機材の裏へと身を隠す。そして、息を殺したのなら、物陰から倉庫全体を見渡した。
二人は倉庫に留まっていた。だが、何故だか白江の髪がべっとりと「黒」で濡れていた。
はじめは彼女が頭から黒いペンキを被ったのだろうと認識した。しかし、それが赤黒い血であるということに改めて気づくのにそう時間はかからない。
「なっ……何やってんだよ、アイツら」
彼女が妖怪だとしても、おびただしい量の出血に変わりはなかった。
額を割られたであろう彼女の白い肌を血液が伝ってゆく。
「なぁ、いい加減喋る気にはなってくれないかな。……アタシだって同じ妖怪は殺したくないだよ」
両の拳から血を滴らせながらに、梨乃は吐き捨てる。
それでも白江は、鋼一郎に突き詰められた時と同様に、何も語ろうとしなかった。
「もう、この際だ! アンタが三柱の玉をどこに隠したか教えるだけでもいい。それでアンタの裏切りの件も水に流してやる!」
「ほう……あの件を本当に水に流してくれるのか? なら、そうだな……ずっと昔にワシがお前さんの尻尾を布団代わりにした挙句、涎を垂らしたことなんかも許して」
「こんな状況でふざけんなよ! 分かってんのか! ──アンタが持ち去ったあの玉があれば、アタシたち妖怪は、もうこれ以上殺されずに済むんだ。皆が自由になられるんだぞ!」
「だとしても、言えぬものは言えぬのじゃ」
「そうかよ。……ならッ!」
鈍い打撃音が工場内に響く。梨乃が白江を殴りつけたのだ。コンクリートがむき出しになった床へ、彼女の血痕が飛び散る。
「なぁ、白江! アンタは本当に何を企んでるのさッ! アタシを、いや妖怪(アタシ)たちを裏切ってまで何をしたいッ!」
白江は何も答えない。
痛みを堪え、弱々しい呼吸を繰り返す。
(いまなら……)
鋼一郎は梨乃の背後の物陰へと回り込み、静かにグロックを構えた。
殴り飛ばされた鋼一郎は、いまなら完全に梨乃の意識の外にいるはずだ。それに彼女の意識のほとんどは目の前で鎖に縛られた白江へと注がれている。
両者がどんな関係かはわからない。それでも今は、これ以上ない不意打ちのチャンスだ。
白聖鋼の致死性があれば、いくら九尾であろうと殺すことが出来る。
チャンスは一発。慎重に狙いを絞ろう、と瞳を細める。
だが梨乃の背後に回るということは、それまで梨乃と向き合っていた白江の正面に立つということでもある。
顔を上げた白江と完全に目が合ってしまった。
しまった……! そう思うと同時に心臓が大きく跳ね上がる。彼女が梨乃に自分のことを伝えてしまえば、それですべてが台無しだ。
『────』
白江は小さく口を開いた。声を発さず、唇の動きだけで何かを伝えようとしている。小さく口元をすぼめ、横、縦の順で唇を動かす。
『う・つ・な』
彼女は鋼一郎をまっすぐと見つめ、さらに口を動かす。これは何の見間違えでもない。
『た・す・け・て・く・れ』
──ふざけるなッ! 思わず、そう怒鳴りかけそうになった口を鋼一郎は何とか閉ざす。
(……俺が……祓刃隊員が妖怪を助けるわけがねぇだろ)
白江もまた妖怪なのだ。それが鋼一郎にとっての絶対的な線引きであり、自分の無罪が証明された後ならば、彼女がどうなろうとも知ったことではない。
いまは梨乃が立っている位置についさっきまで立っていたのだって、他の誰でもない鋼一郎自身だ。必要であれば、自分だって同じように白江へ拳を振り下ろしたであろう。
白江はそのことを本当に理解しているのか? だとしたら、なぜこの状況で助けてもらえると思うのか?
もはや、疑問さえ通り越して呆れが湧いてきた。
「はぁ……やっぱり、バカみたい殴るだけじゃダメね。なら、アタシも聞き方を変えることにする」
梨乃がおもむろに白江の顔へと、指を添える。
「氷を作る妖術に関して、雪女の右に出る妖怪なんていない。けど、アンタみたいに一芸に特化した妖怪は、ほかの術がどうしようもなく苦手なんだ。妖怪同士、妖気が身体を巡るのは同じでも、その波長や性質には一族ごとに差異がある故にね」
「……なんじゃ、今更? ……そんなことくらい、ワシだって知っておるわ」
「まぁ、聞けって。アンタは他の妖怪が出来て当たり前の、妖気による自他の治療がとことん下手だ。出来ても痛みを和らげる程度のその場しのぎ。なら、目ん玉の一つでも潰してやれば、少しは素直になると思ってね──」
梨乃の鋭い爪が、白江の真っ黒な瞳に食い込もうとする瞬間。
鋼一郎もまた、走り出していた。手にしたグロックを梨乃の後頭部に目掛け、投げつける。
「おまえこそ、油断してるんじゃねーよ! 九尾ッ!」
「いまは取り込み中なんだけど」
九本あるうちの尻尾一本で、放り投げたグロックは器用に弾かれる。恐ろしく勘が良いらしい。
「うぉぉぉぉぉッ!」
走り出しりながらに、鋼一郎は後悔に駆られていた。
どうして俺はアイツを助けようと走っている?
自分にとって妖怪とは何かを白江に問われ、「殺すべき敵」であると、その意志を再確認したばかりなのに。「妖怪を助けるわけがない」と、そう思っていたのに。それでも身体は、まるで弾丸のようにまっすぐと走り出す。
これはきっと、一時的な気の迷いなのだろう。
白江の容姿が限りなく人に近いせいで。或いは彼女と行動を共にする時間が長かったせいで。そのせいで、抱かなくてもいい情を抱いてしまった程度のことだ。
ホテルで無人機の前に飛び出したときのように、はっきりと言葉にできる理由なんて見つからない。走っているただ中でさえ、自問自答を繰り返してしまった。
それでも足は緩めない。
「人間の癖にアタシに殴られても立ち上がるなんて……アンタ、相当に頑丈だね」
白江に向かって走っているのだ。その前には当然、梨乃が阻み立つ。
「──来い、ムラクモッ!」
遠隔操縦でムラクモのエンジンを呼び起こす。簡易的な修繕を施されたムラクモは損傷した右足を引きずりながらも、起き上がった。
「九尾を捕えろッ!」
ムラクモは犬飼に向けて、その剛腕を伸ばした。
だが、彼女も指と指の間をスルりと抜けて、避わしてみせる。
「ハッ、それで十分だよ九尾、お前がそこを退いてくれればなァ!」
「チッ……ミスったな」
梨乃が直線状から離れた。その隙に白江へと駆け寄り、鎖を解く。
「ざまぁねぇな、雪女」
「お前さん……それが助けた少女へ投げかける第一声か……?」
薄い笑みを浮かべた彼女へ、鋼一郎は冷淡な言葉を投げ返す。
「黙ってろよ、妖怪。九尾の邪魔が入ったせいで、お前には聞くべきことを聞けてないんだ。全部を話し終えるまで、楽に死ねると思うなよ」
「うっ…………」
鋼一郎が意識を取り戻したのは、自分が身を潜めていた廃工場だ。
こびりついた鉄臭いにおいの正体が、ボタボタと滴る自分の鼻血だと気づくまでにそう時間はかからなかった。きっと顔を殴られたのだろう。その反動で工場の壁際にまで、飛ばされたらしい。
放棄されたままになっている魚肉か何かを加工する機材にもたれながら、立ち上がる。
白江は?
あの梨乃とかいう九尾は?
最悪なのは二人を逃がしてしまうことだ。
取り落としたグロックを拾い上げながらに、機材の裏へと身を隠す。そして、息を殺したのなら、物陰から倉庫全体を見渡した。
二人は倉庫に留まっていた。だが、何故だか白江の髪がべっとりと「黒」で濡れていた。
はじめは彼女が頭から黒いペンキを被ったのだろうと認識した。しかし、それが赤黒い血であるということに改めて気づくのにそう時間はかからない。
「なっ……何やってんだよ、アイツら」
彼女が妖怪だとしても、おびただしい量の出血に変わりはなかった。
額を割られたであろう彼女の白い肌を血液が伝ってゆく。
「なぁ、いい加減喋る気にはなってくれないかな。……アタシだって同じ妖怪は殺したくないだよ」
両の拳から血を滴らせながらに、梨乃は吐き捨てる。
それでも白江は、鋼一郎に突き詰められた時と同様に、何も語ろうとしなかった。
「もう、この際だ! アンタが三柱の玉をどこに隠したか教えるだけでもいい。それでアンタの裏切りの件も水に流してやる!」
「ほう……あの件を本当に水に流してくれるのか? なら、そうだな……ずっと昔にワシがお前さんの尻尾を布団代わりにした挙句、涎を垂らしたことなんかも許して」
「こんな状況でふざけんなよ! 分かってんのか! ──アンタが持ち去ったあの玉があれば、アタシたち妖怪は、もうこれ以上殺されずに済むんだ。皆が自由になられるんだぞ!」
「だとしても、言えぬものは言えぬのじゃ」
「そうかよ。……ならッ!」
鈍い打撃音が工場内に響く。梨乃が白江を殴りつけたのだ。コンクリートがむき出しになった床へ、彼女の血痕が飛び散る。
「なぁ、白江! アンタは本当に何を企んでるのさッ! アタシを、いや妖怪(アタシ)たちを裏切ってまで何をしたいッ!」
白江は何も答えない。
痛みを堪え、弱々しい呼吸を繰り返す。
(いまなら……)
鋼一郎は梨乃の背後の物陰へと回り込み、静かにグロックを構えた。
殴り飛ばされた鋼一郎は、いまなら完全に梨乃の意識の外にいるはずだ。それに彼女の意識のほとんどは目の前で鎖に縛られた白江へと注がれている。
両者がどんな関係かはわからない。それでも今は、これ以上ない不意打ちのチャンスだ。
白聖鋼の致死性があれば、いくら九尾であろうと殺すことが出来る。
チャンスは一発。慎重に狙いを絞ろう、と瞳を細める。
だが梨乃の背後に回るということは、それまで梨乃と向き合っていた白江の正面に立つということでもある。
顔を上げた白江と完全に目が合ってしまった。
しまった……! そう思うと同時に心臓が大きく跳ね上がる。彼女が梨乃に自分のことを伝えてしまえば、それですべてが台無しだ。
『────』
白江は小さく口を開いた。声を発さず、唇の動きだけで何かを伝えようとしている。小さく口元をすぼめ、横、縦の順で唇を動かす。
『う・つ・な』
彼女は鋼一郎をまっすぐと見つめ、さらに口を動かす。これは何の見間違えでもない。
『た・す・け・て・く・れ』
──ふざけるなッ! 思わず、そう怒鳴りかけそうになった口を鋼一郎は何とか閉ざす。
(……俺が……祓刃隊員が妖怪を助けるわけがねぇだろ)
白江もまた妖怪なのだ。それが鋼一郎にとっての絶対的な線引きであり、自分の無罪が証明された後ならば、彼女がどうなろうとも知ったことではない。
いまは梨乃が立っている位置についさっきまで立っていたのだって、他の誰でもない鋼一郎自身だ。必要であれば、自分だって同じように白江へ拳を振り下ろしたであろう。
白江はそのことを本当に理解しているのか? だとしたら、なぜこの状況で助けてもらえると思うのか?
もはや、疑問さえ通り越して呆れが湧いてきた。
「はぁ……やっぱり、バカみたい殴るだけじゃダメね。なら、アタシも聞き方を変えることにする」
梨乃がおもむろに白江の顔へと、指を添える。
「氷を作る妖術に関して、雪女の右に出る妖怪なんていない。けど、アンタみたいに一芸に特化した妖怪は、ほかの術がどうしようもなく苦手なんだ。妖怪同士、妖気が身体を巡るのは同じでも、その波長や性質には一族ごとに差異がある故にね」
「……なんじゃ、今更? ……そんなことくらい、ワシだって知っておるわ」
「まぁ、聞けって。アンタは他の妖怪が出来て当たり前の、妖気による自他の治療がとことん下手だ。出来ても痛みを和らげる程度のその場しのぎ。なら、目ん玉の一つでも潰してやれば、少しは素直になると思ってね──」
梨乃の鋭い爪が、白江の真っ黒な瞳に食い込もうとする瞬間。
鋼一郎もまた、走り出していた。手にしたグロックを梨乃の後頭部に目掛け、投げつける。
「おまえこそ、油断してるんじゃねーよ! 九尾ッ!」
「いまは取り込み中なんだけど」
九本あるうちの尻尾一本で、放り投げたグロックは器用に弾かれる。恐ろしく勘が良いらしい。
「うぉぉぉぉぉッ!」
走り出しりながらに、鋼一郎は後悔に駆られていた。
どうして俺はアイツを助けようと走っている?
自分にとって妖怪とは何かを白江に問われ、「殺すべき敵」であると、その意志を再確認したばかりなのに。「妖怪を助けるわけがない」と、そう思っていたのに。それでも身体は、まるで弾丸のようにまっすぐと走り出す。
これはきっと、一時的な気の迷いなのだろう。
白江の容姿が限りなく人に近いせいで。或いは彼女と行動を共にする時間が長かったせいで。そのせいで、抱かなくてもいい情を抱いてしまった程度のことだ。
ホテルで無人機の前に飛び出したときのように、はっきりと言葉にできる理由なんて見つからない。走っているただ中でさえ、自問自答を繰り返してしまった。
それでも足は緩めない。
「人間の癖にアタシに殴られても立ち上がるなんて……アンタ、相当に頑丈だね」
白江に向かって走っているのだ。その前には当然、梨乃が阻み立つ。
「──来い、ムラクモッ!」
遠隔操縦でムラクモのエンジンを呼び起こす。簡易的な修繕を施されたムラクモは損傷した右足を引きずりながらも、起き上がった。
「九尾を捕えろッ!」
ムラクモは犬飼に向けて、その剛腕を伸ばした。
だが、彼女も指と指の間をスルりと抜けて、避わしてみせる。
「ハッ、それで十分だよ九尾、お前がそこを退いてくれればなァ!」
「チッ……ミスったな」
梨乃が直線状から離れた。その隙に白江へと駆け寄り、鎖を解く。
「ざまぁねぇな、雪女」
「お前さん……それが助けた少女へ投げかける第一声か……?」
薄い笑みを浮かべた彼女へ、鋼一郎は冷淡な言葉を投げ返す。
「黙ってろよ、妖怪。九尾の邪魔が入ったせいで、お前には聞くべきことを聞けてないんだ。全部を話し終えるまで、楽に死ねると思うなよ」
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