水鏡~すいきょう~

坂井美月

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第一章 プロローグ

始まり~遥~

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────あれはいつだったか...

突然、普段は全く連絡して来ない冬夜から
『話がある。今夜時間あるか?』
と、LINEが入って来た。
恋愛事では無いと頭で言い聞かせても、初めて2人で会う事にドキドキしていた。
冬夜が時々、フラリと立ち寄る店に入ると、カウンターで早速、逆ナンされている冬夜が目に飛び込んで来た。
「だから、待ち合わせなんだ」
「え~、嘘~。じゃあ、待ってるから。その後なら良い?」
「悪い、今はそういう気分じゃないから」
髪の毛をふわふわ揺らしながら、柔らかい素材のヒラヒラした服を着た女性が冬夜の腕を引っ張って甘えている。
それを見た瞬間、遙は吐き気をもよおしてトイレに駆け込んだ。
ダメだ......。
まだあの女の面影を見ると、吐き気がしてしまう。
「遙ちゃん、遙ちゃん」
幼い頃、あの女が自分の髪の毛を梳いては
「女の子はね、みんなお姫様なの。素敵な王子様が迎えに来てくれるその日まで、可愛くしていなくちゃね」
って言いながら、大きなリボンを髪の毛に結んでくれた。
いつも可愛らしいフリフリの服を着させられ、自分が絵本の中のお姫様だと思っていた幼い頃。
もう、二度とは戻らない幸せだった日々。
それを簡単に壊したあの女が、未だに許せない。

洗面所で口を濯ぎ、鏡に映る自分の顔を見る。年齢を重ねる程、あの女に似てくる容姿に吐き気がする。

「遙ちゃん、ごめんなさい。ママ、あなたのママにはなれなかった。でも、遙ちゃんは女の子だから分かってくれるわよね?ママはね、母親である事よりも女で居たいの」

知らない若い男の腕に縋り付き、鞄1つで家を出たあの女...。
あの日、あの女と同じ女性である事を捨てた。
長かった髪の毛をハサミで短く切り、あの女が買ってくれた服を髪の毛と一緒に全て燃やした。
7歳のあの日以来、女性らしい服装を着なくなった。
そう、学校の制服でさえ、スカートを履くことを拒否した。
顔を洗いタオルで顔を拭くと、自分が映る鏡に水を掛ける。
「こんな顔...」
吐き捨てるように呟き、トイレのドアを開けた。
すると、ふわりと鼻に冬夜のコロンの香りがして、視線を向けると女子トイレのドアの横に冬夜が立っている。
「大丈夫か?」
心配そうにポツリと言われ、遙は
「お前、いつから?」
と、驚いて訊ねた。
「お前が駆け込んでから...」
そう言いながら、店の外へと歩き出す。
「?」
(呼び出したのに、何故店を出る?)
遥が疑問の視線を投げても、冬夜は振り向きもせずに歩いている。
「あそこだと、余計な邪魔が入るからな…。何も無いけど...まぁ、良いか」
ブツブツ言いながら、冬夜は相変わらず遙の少し前を歩いている。
冬夜はいつも、近からず遠からずの距離で歩く。遥と並んで歩くのは、大概仕事の話の時だけ。
多分、遙の気持ちを薄々気付いていて、期待を持たせない為の距離なのだろう。
(近くて遠い...まさに、今の関係だな)
遙が小さく自嘲気味に笑うと、二階建ての古いアパートに着いた。
『103』と書かれた札のドアに、冬夜が鍵を差し込む。
「コーヒーしか無ぇけど...」
ポツリと言われ、ドアの向こうに消えて行った。
(え?此処って…冬夜のアパート?)
遙は早鐘のように鳴り響く心臓を押さえ
(落ち着け…深い意味は無い。そう、意味は無い。意味は無い)
呪文のように心の中で呟いていると、再びドアが開いて
「何してんの?さっさと入れば?」
と、冬夜が顔を出す。
季節は冬だった。
でも、緊張して寒さも何も感じ無い。
「お邪魔します」
小さな声で呟いて中に入ると、小さな玄関からすぐリビングになっていて、奥に和室が二間ある部屋だった。
リビングの隣にドアが2つあるから、恐らくトイレと浴室という所だろうか。
部屋の中はガランとしていて、物が少ない。
リビングにテーブルは無く、奥の和室にテーブルとテレビが置いてある。
「あっちの部屋に行ってて」
やかんでお湯を沸かしながら、その火でタバコに火を着けて冬夜が呟いた。
遙が緊張しながら奥に行くと、襖で仕切られた部屋が丸見えだった。
いかにも万年床という感じの布団と、カーテンレールに掛かった洗濯物。
下着が無造作に干されているのが目に入り、遙は奥の部屋に背中を向けて座る。
(どうしよう。見ちゃいけないものを...)
アワアワしている遙に
「どうした?」
と、当の本人はのほほんと遙にコーヒーを差し出した。
「悪ぃ。そういえば、ミルクと砂糖無いわ」
ガシガシ頭をかきながら、冬夜が遙の前に座る。
冬夜の声より、自分の心臓の音がうるさい。聞こえる筈は無いのに、自分の心臓の音が冬夜に聞こえるんじゃないかって心配になる。
そんな時
「お前さ」
ふいに冬夜が話し始めた。
遙が顔を上げると、冬夜の漆黒の瞳と目が合う。
ただでさえうるさい心臓が、もっと早く鳴り響く。
顔が熱くなって、暑いんだか寒いんだか分からない
「何?」
やっと絞り出した声で、口の中がカラカラな事に気付く。
慌てて冬夜の入れてくれたコーヒーを飲もうと、カップに手を伸ばす。
湯気が立つコーヒーを冷まして、やっと口にした瞬間
「幸太の事、どう思ってるんだ?」
と、突然切り出される。
「えっ?」
驚いて冬夜を見ると
「あいつ、お前が好きだろう?
弟とか言って無いで付き合ってあげたら?」
そう言われてしまう。
それも、一番言われたくない相手から。
「冬夜には関係ない事でしょう?
どうしてそんな事を言うの?」
思わず言葉を荒らげて叫ぶと
「あいつ、仕事出来るのにいつも自信無さそうな顔をしててさ。お前、もう少しあいつを認めてやれよ。可哀想だろう」
冬夜が遙の気持ちを全く知らないかのように、冷静に言ってきた。
その瞬間、グラリと視界が揺れてぽたぽたと涙が落ちる。
初めて飲んだ冬夜が入れてくれたコーヒーの味が、普段の何百倍も苦く感じた。
涙を流す遙の顔を見て、冬夜はいつもの表情で
「あ...悪い…」
とだけ呟き、ハンカチを差し出して来た。
遙は差し出された冬夜の手を叩き
「幸太が可哀想なら、私は何?」
叫んだ遙に、冬夜は冷めた眼差しのまま
「俺、お前とは友達以上になるつもり無いから」
そう答えた。
遙は目眩が起こりそうになる自分を奮い立たせ、必死に立ち上がる。
(分かってた、分かってたけど...。
こんなのって酷い!)
後から後から溢れ出す涙を、遙は必死に手で拭いながら止めようとする。
でも、涙腺が壊れてしまったんじゃないかと思う程、涙が止まらない。
フラフラしながら必死に玄関に辿り着き、靴をはいて立ち上がった瞬間、身体のバランスを崩して倒れそうになった。
その時、冬夜の腕が伸びて来て遙の身体を抱き留めた。
「大丈夫か?」
かけられた声は優しくて、さっき無慈悲に自分を振った人間のものとは思えない程に温かい。
初めて埋めた冬夜の胸は逞しくて、規則正しい心臓の音が聞こえる。
自分だけドキドキしていて、冬夜の規則正しい心音に絶望感が増すだけだった。
遙は冬夜の背中に腕を回して
「もう2度とこんな事言わない。明日からは友達に戻るから...、もう少しだけこのままで居させて」
必死に呟いた遙に、冬夜は大きな溜息を付くと
「分かった」
とだけ答えた。
少ししてゆっくりと冬夜から離れた頃には、涙も枯れ果てていた。
遙の顔を見て、冬夜は「プッ」と吹き出すと
「折角の美人が台無しだなぁ~」
そう言いながら、涙を大きな手で拭う。
これが冬夜に触れられる最後のチャンスだと分かっていたから、遙はその手に自分の手を当ててそっとキスをした。

 出会いは中学生の頃だった。
冬夜に出会ってから、誰も目に入らなかった。
好きで好きで大好きで...。
でも、決して手の届かない人。
ゆっくり遙が冬夜を見上げ
「ごめんね、ありがとう」
また込み上がって来る涙を我慢しながら、必死に笑顔を作った。
その時、何故か誰よりも冬夜が傷付いた顔で自分を見つめていた。
そして悲しそうに揺れた瞳が近付いて来て、ゆっくりと触れたか触れないか分からないようなキスをされる。
「えっ?」
驚いて見上げた遙に、悲しそう冬夜は微笑むと
「ごめん」
とだけ呟く。その声はどこか悲し気で…、どこか切ない声だった。
まるで振られた自分より、深く傷ついているかのような冬夜の声に、遥は自分の想いが決して冬夜には届かないのだと実感したのを思い出す。
翌日、冬夜はいつも通りに出勤して来た。
ただあれ以来、遙と2人きりにならないようにしているようだった。

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