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過保護な医術師ときつねの子
1.
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◇
二階の部屋の窓を開くと、いつものように潮気をはらんだ朝の風がユーリの亜麻色の髪を撫でた。
手の指で作った円の中を覗き込み、眼下の街並みを見下ろし、そしてその先の海面をたどっていく。
遠く対岸に観える白いお城の屋根から幾つも並んで突き出すのは、ペンの先っぽみたいに尖った塔だ。その先端は少し白んだ朝の空よりも濃くて、海の深い所よりは薄い青色をしている。
「ユリウスはどの塔にいるのかな?」
片目を瞑って口を尖らせながらユーリが言うと、「どの塔にもいない」と背中の方から声がした。
「ユーリ、そこに座るのは危ないからやめろと言ったはずだぞ。王族はあんな細っこい塔の上にはいないだろ。あと、人前では王太子殿下を呼び捨てにするなよ?」
くどくどと言い連ねながら、カイルがユーリの背中を引き寄せた。窓台に腰掛けて外に足を投げ出していたユーリの体は背中だけがカイルの胸に落ちていく。
消毒液と少し苦い薬草を煎じた芳ばしい香り。カイルの匂いだ。ユーリは急に引き寄せられたことに驚いたふりで、鼻からすんと息を吸い込んだ。
「ほら、ユーリ! 自分でちゃんと立って、そこから降りろ!」
「やだ、抱っこ」
ユーリが「んっ」と手を突き出すと、カイルは「子供かよ」とため息をつきながら、それはそれは面倒そうにユーリの体を抱え上げた。
ユーリは立って並べば見上げるはずのカイル頭にしがみつき、高い位置で結い上げられたブルネットの癖毛に鼻を擦り付けた。
カイルの髪は結び目から先がゆらゆらと揺れていて、それを見たユーリが「小馬の尻尾みたいだ」と言うと、「お揃いだな」とカイルがユーリのふわふわの尻尾をぎゅっと握った。
「キャンッ!」
ユーリは女の子みたいな悲鳴をあげて、背中をそらせ、カイルの腕から滑り落ちた。
ユーリは狐の獣人だ。だから人の姿に加えて三角耳にと尻尾がある。この国では獣人が珍しいからなのか、カイルはよくこうやってユーリの三角耳や尻尾をいじってくる。
「急にさわらないでよ!」
とユーリが眉を寄せて訴えたら、カイルは髪と同じ色の瞳を揺らして笑った。
通った鼻筋と白い肌、少し垂れ目で落ち着いた声音をしているカイルは「知的な美丈夫」だなんて評されることもあるけれど、昔からこうして子供のような手口でユーリを揶揄ってくるのだ。
「さあさあ、ふざけている場合じゃないな。ユーリ、俺はちょっとばかし出かけなきゃならないから、その間にみんなと一緒に診療所の掃除を」
「僕も行く」
「こら、人の話は最後まで話を聞きなさい」
今度カイルは短いため息をつきながら、ユーリの三角耳の先っぽを、指でつんと摘んだ。
「ヒャウッ!」
と、ユーリはまた女の子みたいな悲鳴をあげて、ぐっと肩を窄めて耳を抑えた。
「お前は掃除を手伝いなさい。早くしないと、診療時間に間に合わなくなる」
そう言いながら、カイルは脇の机に馬皮の硬質な鞄を置くと、ぱかりとその口を開いて中に緩衝材やら、布切れやらを詰め込んでいる。その仕草をユーリは何度も見たことがある。だから、カイルがどこに行こうとしているのか、ユーリにはすぐにわかった。
「シェズのお店でしょ? 僕が行くよ! 掃除はカイルがしたらいい」
ユーリが鞄の持ち手を掴んでそういうと、カイルは「だぁめ」とユーリの手を払った。
「しっぽ! 耳!」
カイルは腰に片手を置いて、もう一方の手の人差し指で、言葉の通りにユーリのふわふわの尻尾と三角の耳を順に指差した。
まるで魔法をかけられたみたいに、ユーリは尻尾と耳と背中とが勝手にピンと伸びてしまった。
「おまえはすぐ出しっぱなしにするだろ」
「しないよ! しない! ほら見て見て!」
ユーリはそう言って髪の毛を両手でくしゃくしゃかき混ぜ、お尻をパパッと払って見せた。すると三角耳とふわふわ尻尾はしゅるりと消えて、ユーリはただの人間のように観えるのだ。
「くしゃみでもしたらすぐに飛び出すくせに」
「大丈夫だってば」
くんっと鞄の持ち手を引き寄せて、ユーリは部屋から飛び出した。
「あ、こらっ!」
と背後でカイルの声がする。
追いかけてくるのがわかったので、ユーリは駆け足で階段を降りた。
二階はユーリとカイルが暮らす居住スペース、一階が助手や患者も出入りする診療所になっている。
カイル・ラバールは齢二十八歳という若さで、このササルの街でも有名な医術師なのだ。カイルの祖父であるオユ・ラバールによって創設されたこの高台の診療所を、今はカイルが取り仕切っている。
二階の部屋の窓を開くと、いつものように潮気をはらんだ朝の風がユーリの亜麻色の髪を撫でた。
手の指で作った円の中を覗き込み、眼下の街並みを見下ろし、そしてその先の海面をたどっていく。
遠く対岸に観える白いお城の屋根から幾つも並んで突き出すのは、ペンの先っぽみたいに尖った塔だ。その先端は少し白んだ朝の空よりも濃くて、海の深い所よりは薄い青色をしている。
「ユリウスはどの塔にいるのかな?」
片目を瞑って口を尖らせながらユーリが言うと、「どの塔にもいない」と背中の方から声がした。
「ユーリ、そこに座るのは危ないからやめろと言ったはずだぞ。王族はあんな細っこい塔の上にはいないだろ。あと、人前では王太子殿下を呼び捨てにするなよ?」
くどくどと言い連ねながら、カイルがユーリの背中を引き寄せた。窓台に腰掛けて外に足を投げ出していたユーリの体は背中だけがカイルの胸に落ちていく。
消毒液と少し苦い薬草を煎じた芳ばしい香り。カイルの匂いだ。ユーリは急に引き寄せられたことに驚いたふりで、鼻からすんと息を吸い込んだ。
「ほら、ユーリ! 自分でちゃんと立って、そこから降りろ!」
「やだ、抱っこ」
ユーリが「んっ」と手を突き出すと、カイルは「子供かよ」とため息をつきながら、それはそれは面倒そうにユーリの体を抱え上げた。
ユーリは立って並べば見上げるはずのカイル頭にしがみつき、高い位置で結い上げられたブルネットの癖毛に鼻を擦り付けた。
カイルの髪は結び目から先がゆらゆらと揺れていて、それを見たユーリが「小馬の尻尾みたいだ」と言うと、「お揃いだな」とカイルがユーリのふわふわの尻尾をぎゅっと握った。
「キャンッ!」
ユーリは女の子みたいな悲鳴をあげて、背中をそらせ、カイルの腕から滑り落ちた。
ユーリは狐の獣人だ。だから人の姿に加えて三角耳にと尻尾がある。この国では獣人が珍しいからなのか、カイルはよくこうやってユーリの三角耳や尻尾をいじってくる。
「急にさわらないでよ!」
とユーリが眉を寄せて訴えたら、カイルは髪と同じ色の瞳を揺らして笑った。
通った鼻筋と白い肌、少し垂れ目で落ち着いた声音をしているカイルは「知的な美丈夫」だなんて評されることもあるけれど、昔からこうして子供のような手口でユーリを揶揄ってくるのだ。
「さあさあ、ふざけている場合じゃないな。ユーリ、俺はちょっとばかし出かけなきゃならないから、その間にみんなと一緒に診療所の掃除を」
「僕も行く」
「こら、人の話は最後まで話を聞きなさい」
今度カイルは短いため息をつきながら、ユーリの三角耳の先っぽを、指でつんと摘んだ。
「ヒャウッ!」
と、ユーリはまた女の子みたいな悲鳴をあげて、ぐっと肩を窄めて耳を抑えた。
「お前は掃除を手伝いなさい。早くしないと、診療時間に間に合わなくなる」
そう言いながら、カイルは脇の机に馬皮の硬質な鞄を置くと、ぱかりとその口を開いて中に緩衝材やら、布切れやらを詰め込んでいる。その仕草をユーリは何度も見たことがある。だから、カイルがどこに行こうとしているのか、ユーリにはすぐにわかった。
「シェズのお店でしょ? 僕が行くよ! 掃除はカイルがしたらいい」
ユーリが鞄の持ち手を掴んでそういうと、カイルは「だぁめ」とユーリの手を払った。
「しっぽ! 耳!」
カイルは腰に片手を置いて、もう一方の手の人差し指で、言葉の通りにユーリのふわふわの尻尾と三角の耳を順に指差した。
まるで魔法をかけられたみたいに、ユーリは尻尾と耳と背中とが勝手にピンと伸びてしまった。
「おまえはすぐ出しっぱなしにするだろ」
「しないよ! しない! ほら見て見て!」
ユーリはそう言って髪の毛を両手でくしゃくしゃかき混ぜ、お尻をパパッと払って見せた。すると三角耳とふわふわ尻尾はしゅるりと消えて、ユーリはただの人間のように観えるのだ。
「くしゃみでもしたらすぐに飛び出すくせに」
「大丈夫だってば」
くんっと鞄の持ち手を引き寄せて、ユーリは部屋から飛び出した。
「あ、こらっ!」
と背後でカイルの声がする。
追いかけてくるのがわかったので、ユーリは駆け足で階段を降りた。
二階はユーリとカイルが暮らす居住スペース、一階が助手や患者も出入りする診療所になっている。
カイル・ラバールは齢二十八歳という若さで、このササルの街でも有名な医術師なのだ。カイルの祖父であるオユ・ラバールによって創設されたこの高台の診療所を、今はカイルが取り仕切っている。
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