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第二部(スピンオフ)【レオンくんのしっぽ】

28.見知らぬID

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 ◇




 ハトちゃんの店を訪れたのは久しぶりだ。
 前回は年末どころか十一月くらいだったんじゃないだろうか。
 そこから、年が明けてさらに数週間が経っている。
 まあ、時期によっては毎週末通っている時もあったけど、仕事が忙しくてこのくらいの期間が空いたことは今までにもあった。
 味気ないステンレスの扉を開けると、相変わらず真冬だというのにピチピチのTシャツ姿のハトちゃんがいた。

「あらぁー❤︎慎さん、久しぶりじゃなーい!」

 店内を見渡すと、まだ早い時間だからなのか俺以外の客がいない。だから、ハトちゃんの声量も気遣いなく大きかった。

「お仕事忙しかったのー?」
「うん、まあ、そんなとこ。ビールもらえる?」

 隅々まで店を見渡したが、やはり今は俺しかいない。ハトちゃんは腰をクネクネさせながら、サーバーから薄張りのグラスに綺麗な泡を乗せたビールを注いだ。

「あの、さ。ハトちゃん」

 俺は少々躊躇いながら、開店したばかりの店舗のカウンターの中でグラスを拭いたり何やら準備を進めるハトちゃんに聞いた。

「あの子、来てない?」
「んー? あの子ー? だれのこと?」

 カウンター下の冷蔵庫に、ボトルをしまいながらハトちゃんが顔を上げた。

「去年この店にきてた、ハーフっぽい子いたじゃん? マコが気に入ってた」

 そう聞くと、ハトちゃんはすぐに思い当たったようだ。

「あー! あの、慎さんがお持ち帰りしたイケメンネコちゃんね❤︎」

 ネコちゃんじゃなくてライオンだったんだけどね。と言うと、いろいろ聞かれそうなので、俺はとりあえず曖昧な笑顔で頷いた。

「そうそう、その彼、最近ここ来てる?」
「うーん、来てないわねぇ? ていうか、アレから一回も来てないわよ?」

 ハトちゃんの言葉に俺は「そうか」と呟き、ビールに口をつけた。
 喉越しを味わうどころか舐めるような仕草の俺に、ハトちゃんはいつもと違う様子を感じ取ったようだ。

「なぁに? 何かあったの? 慎さんが一回寝た子気にかけるなんて珍しいじゃない」
「……うん」

 俺が家から追い出してから、もちろんレオンとは会っていない。
 もう会わないつもりだった。深入りしないと決めていた。
 だけど、会いたい理由ができてしまった。
 この前、悠人と悠人の奥さんに会った。早期発見で事なきを得たと言っていた彼女の様子を確認したら、なんとしっぽが無くなっていたのだ。
 見えていたと言う事態は俺にとっては初めてのことだった。
 それはつまり、俺のこの能力が死を防ぐことのできるギフトだということなのだ。
 必ず誰でも都合よく病気が見つかる確証はない。だから、本当はもうレオンのことは忘れようと思ったのだ。
 だけど、今朝コーヒーを淹れようとした時にアッサムの茶葉が目に入り、俺は居ても立っても居られなくなってしまった。

「ハトちゃん、頼みがあるんだけど」
「あら❤︎なぁーにー?」

 俺とレオンの間に色恋の何かがあったと勘繰ったハトちゃんは、ニヤニヤと頬に手を当て立ち上がった。

「もし彼が来たら、伝えて欲しいことがあって」
「やっだぁー❤︎ なぁによぉー❤︎」

 伝えて欲しいこと。
 病院に行って検査してくれ?
 それでレオンは病院に行くかな。
 行ったとして、その結果を俺が知ることはできるのだろうか。

「……あー、やっぱり、いいや」
「んっふっ❤︎愛の告白は自分でした方がいいものね❤︎」

 ハトちゃんは何だか楽しんでいる様子だ。

「そんなんじゃないよ」

 と俺はまた少し苦い笑いを返す。
 ハトちゃんは、もしレオンが店に来たら、俺が探していたことは伝えてくれると約束した。

 ◇

 ソファに座り、スマホをテーブルに乗せて、俺は腕を組んだ。
 スマホの横には黄色いくしゃくしゃの付箋を置いている。
 これが何かというと、クローゼットの小物入れの中から発見した、誰のものか定かではないSNSのIDだ。
 レオンとはハトちゃんの店で初めて会って、二度目は彼が俺のマンションの前で待ち伏せしていた。俺は彼の家も知らないし、店にも顔を出していないとすると、もはやこのIDがレオンのものであるということに賭けるしかないのだ。

「よしっ」

 と俺は誰もいない自宅で声に出した。
 スマホを手に取り、メモを覗き込みながらIDを打ち込んでいく。

『こんばんは。以前連絡先のメモをいただいた、伊勢谷慎です』

 これがレオンのものでなかった場合、万が一仕事関係だということも考慮して文面はそれだけを送り、後は相手の返信を待つことにした。
 しかし三十分経っても既読が付かず、俺はただ座って待つことに耐えかねて、とりあえず風呂に入るかとその場を離れた。
 戻ってきて画面を見てもまだ変化はなかった。
 
「既読もつかないってどういうことだよ」

 俺は誰にいうでもなく呟いて、落ち着かない気持ちを吐き出した。
 ソファにあぐらを書いてスマホを見つめ、眉間に皺を寄せて口を尖らせていると、唐突に送ったメッセージに既読マークが現れた。
 瞬間小さな息を吐き、膝を折って座り直す。画面を見つめていると、すぐに相手からのメッセージが表示された。

『し』

 ーーん?

 一文字だけが送られてきて首を傾げたが、すぐにもう一度メッセージが来る。

『慎さん 思い出したの⁉︎』

 その文面で確信した。これはやっぱレオンのIDだったのだ。

『レオンくんだよね?』
『そ』

 また一文字だけが返ってきて、すぐにもう一度メッセージが来る。

『そうだよ!』

 多分画面の向こうで慌ててメッセージを打っているのだなと想像して、俺の口元は無意識に緩んでいた。

『ごめん、思い出したとかじゃない』

 そう送ると暫く間があいてから、項垂れたような猫のスタンプが送られてきた。

『レオンくん、ちょっと会いたいんだけど』

 それに対するレオンの返信は早かった。

『俺も!』

 という文字の後に、今度は目を輝かせた猫のスタンプだ。
 シリアスな気分だったのに、こんな風にスタンプなんか送られてくると、気持ちが緩む。まるでこのやりとりが、単にレオンを遊びに誘っているだけのように錯覚してしまいそうだ。
 俺はそんな自分を戒めるためにも、シンプルな文章を選んだ。
 できるだけ早い方がいいからと、明日の夜、レオンの仕事終わりに時間を合わせて会うことになった。
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