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第二部(スピンオフ)【レオンくんのしっぽ】

27.知らせ

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 ◇




 スマホのアラームが鳴って、サイドテーブルに手を伸ばす。
 毛布に顔を埋めたまま、指先に当たったその画面を適当にタップすると音は止まった。
 俺は無意識に、隣のシーツに手を伸ばした。しかし、誰もいないその場所に温度はない。
 
 ーーなんか、最近これ癖だな……

 まだ少し眠い頭にそんな言葉を浮かべながら体を起こす。
 カーテンの外は、日が登ったばかりの冬の朝だ。
 のそのそとベッドから這い出して、仕事へ行くための身支度を始める。
 サーバーにドリッパーを乗せてフィルターをセットする。会社のコーヒーメーカーの味はイマイチで、俺は最近朝多めに淹れて、一杯分を真空タンブラーに入れて持ち運んでいる。
 シンク上の棚を開けて、コーヒー豆に手を伸ばす。休みの日は気分が乗ればミルで引いたりもするけど、出勤する日は店で挽いてもらったものを使う。それが入ったケースに手を伸ばすと、その隣の紅茶の箱に指が当たった。
 そのパッケージを見るたびに彼のことが頭に浮かんでしまうのは、あの日少し言い過ぎたかもしれないと俺が後悔しているからだ。
 あの日以来、レオンはうちに来ることもなく、俺自身少し気まずくてハトちゃんの店にも行っていない。
 たぶん、このままもう二度と会うことはないだろう。  
 数年後、「そういえばあの子どうしてるかな」と思い出してしまいそうだが、あのしっぽの結末を近くで直接知るよりは、随分気持ちは楽だろう。
 コーヒーを淹れて、トーストと昨日の残りのマリネを食べる。その後で洗面台で歯を磨き、クローゼットで着替えを済ませた。
 ジャケットを翻すと、うっかりクローゼットの棚に入れてあった小物入れに当たってしまう。軽い音を立てて床に落ちたそれは、蓋が開いて中身を吐き出していた。
 すっかり枚数の減った知人からの年賀状だったり、何となく捨てられない手紙の束だ。俺は箱の中に戻そうとそれを拾い上げた。

「なんだこれ?」

 最近覚えのないことが多くて、たまにヒヤリとする。もう少しこの症状が続いたら、一度病院で診てもらった方がいいだろうか。
 俺が手にしたのは黄色い付箋。多分誰かのSNSのIDらしきものが書かれていて、くしゃくしゃに握りしめられている形跡がある。
 もしかしたら、数ヶ月前に珍しくハトちゃんの店で飲み過ぎた時に誰かから貰ってそのまま忘れているのかもしれない。
 もう一つ、手紙を拾い上げてしまい込む、するとその下からまたメモ用紙が出てきた。小学生みたいな字だ。

『とめてくれてありがとう! しごといきます! またね!』

 書いた本人の署名などなく、誰からのメッセージかもわからない。家にあげたことのある身内は親兄弟で全員成人済みのいい大人だ。

 ――もしかして、これもあの数ヶ月前に酔っ払った時のものか?

 そこで浮かぶのは、あのほんの少し辿々しい言葉を話す、綺麗な顔の青年だ。
 まさかレオンが言う通り、彼は本当にうちに来たことがあったのだろうか。

「いや、でも」

  俺は無意識に言葉にしながら首を横に振っていた。
 レオンの言い方は一度ではなく何度もうちに来ていたような口ぶりだった。やっぱり彼の妄想か虚言だろう。
 俺は二つのメモを箱に戻し、クローゼットの扉を閉めた。

 ◇


 知らせが来たのは、俺が少し遅めの昼食を終えた後だ。非常階段に追いやられた喫煙所で、コートを羽織って身を縮めながら、電子タバコをふかしている時だった。
 最初はメッセージだ。
『今大丈夫?』ときたメッセージに『どうした?』と返信すると、数秒後に着信が来た。ディスプレイには井岡悠人の名前が表示されている。

「悠人? どうした?」

 俺は通話ボタンを押してそう尋ねながら、頭の中では悠人の奥さんのことが浮かんでいた。何か進展があったのだろうか。

「慎、実は……嫁に癌が見つかって」

 その言葉に、俺の心臓は跳ね上がり、ただでさえ凍える体から血の気が引いた。
 悠人に掛ける言葉が見つからなくて、俺は電話口でゴクリと唾を飲み込んだ。
 俺の様子を察したのか、悠人がそのまま言葉を続ける。

「慎、ありがとう」
「……ありが、とう?」

 癌という言葉から連想されるのは、全てにおいてネガティブなもので、俺はまさかお礼を言われるとは思ってもいなかった。

「治療するなら、妊娠、継続できないかもしれないって言われて」
「う、うん……」

 悠人の説明に、俺は恐る恐る相槌を返して次の言葉を待った。

「でも、気がついたのが早かったから、精密検査の時に切除した部分で、病巣が取り切れたって」
「そ、それって……結果的には大丈夫だったってこと……?」

 俺は大きく息を吸い込んだ。冷たい空気が鼻腔を抜けて、胸の奥に落ちてくる。

「ああ、本当にありがとう。慎が検査を勧めてくれたから、早く気づけたんだ」
「悠人」

 俺は悠人の言葉に被せてその名を呼んだ。

「あの、ちょっと変なこと言うけど。一分、いや一瞬でいいから今日奥さんと一緒に会えないかな?」
「えっ? 今日?……まあ、聞いてみるけど」

 俺の申し出を、悠人は不思議に思っているようだ。

「お祝い、渡したくってさ」
「あ、あー! なるほど、そんな、気遣わなくてもいいのに」
「いや、使うって! どうしてもすぐ直接渡したい気分なんだ、頼むよ」
「うん、わかった。アイツも慎に感謝してたし、会いたがると思うよ」

 また後ほど連絡をするように約束して、俺は終話ボタンを押した。
 そのまま慌てて、検索バーに打ち込んだのは、「懐妊祝い おすすめ」の文字だった。

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