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第二部(スピンオフ)【レオンくんのしっぽ】

26.ミルクティー

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 俺はあまり紅茶は飲まない。
 だけど、どういうわけかある日気が向いて、ちょっと高いティーパックを買ったのだ。
 案の定、習慣的には飲まないせいで、それはまだ半分ほど残っている。
 俺は熱いお湯で紅茶を淹れて、ソファに座らせたレオンの前にカップを置いた。レオンはそれを握ってくんくん匂いを嗅いでから、いつまでたってもフーフー息を吹きかけてるから、見かねて途中で冷たい牛乳を少し入れてやるとそれでやっと口をつけた。
 ダイニングの椅子に腰を下ろして、ついでに淹れた自分のカップに口をつけると、どういうわけか懐かしいような気持ちになる。

「それで? お友達は何号室なの」

 少し意地悪く俺がきくと、レオンはコチラまで音が聞こえてきそうなほどわかりやすい仕草でミルクティーを飲み込んだ。

「……忘れちゃった」
「じゃあ、インターホン鳴らせないよね? どうして留守だってわかったの?」

 レオンは胸に顎がつきそうなほどに俯いている。ちょっと意地悪しすぎたか。

「レオンくん」

 俺は立ち上がってゆっくりと、ソファに移動した。
 レオンの隣に腰を下ろすとその表情を覗き込む。俺を見つめ返したレオンの琥珀の瞳は不安げに揺れていた。

「どうして俺の住所知ってたの? 勝手に荷物みた?」

 あまり責める口調にならないように、俺は出来るだけ言葉尻を和らげた。
 正直言って相手によっては付き纏われるのは迷惑だが、好みの男にそこまでされるのは悪い気はしない。
 だけど気になるのは、なんで会ったばかりのレオンがここまで俺に執着を見せるのかってところだ。

「荷物、見てないよ。家、知ってた」

 レオンは少し言葉を選ぶように間を置いてからそう答えた。俺はレオンのことがわかりたくて質問したのに、答えを聞いてますますわからなくなってしまった。

「どういうこと? 知ってたって……どうして」
「来たことあるから」

 言葉を交わすたびに、謎が深まっていく。俺は眉間に皺を寄せて口を尖らせた。うっかり無意識に手に取って口に運んだのは、レオンのミルクティーだった。

「来たことあるって、俺にはそんな記憶ないよ? いつの話?」

 ここに越してきたのだって、三年前くらいの話だ。そんな最近のこと忘れるわけがない。俺は血縁者以外この家に上げたことがない。

「慎さん、この紅茶、慎さんが俺に買ってくれたんだ」

 レオンはさっき俺がうっかり口をつけたマグカップの淵を指でなぞった。

「何言ってんの、これは俺がたまたま気が向いて買っただけだよ」

 確か二ヶ月前とかそのくらいのことだ。いつも酒のツマミを買いに行く成城岩井で、何となく買ってやるかと気が向いて、お茶のコーナーに足を向けた。
 ミルクティーにするならこの種類がいいとスマホで調べて、俺はアッサムの茶葉を買ったのだ。

 ーー買ってやる?って変な表現か。

「使ってるシャンプー、俺とお揃いだよ? 慎さんが匂いが好きって言ったから、俺があげたの」

 そう言って、レオンはゆっくり俺の髪に鼻を寄せた。
 確かにレオンから香るのは、俺が最近使うようになっシャンプーと同じ香りだ。

「あとね、慎さん」
「えっ」

 レオンは徐に立ち上がり、勝手知ったる足取りで寝室の引き戸を開けた。
 俺は驚いて立ち上がり後を追うと、レオンは寝室のクローゼットを開けている。

「この服、慎さんにはおっきいでしょ?」

 レオンが引っ張り出したのは、この前見つけていつ買ったっけと首を傾げたパーカーだった。他にもサイズを間違えて買ったまま押し込んでいたらしいスウェットもある。

「これ、俺用に慎さんが用意してくれてたんだよ」

 俺はレオンを前にして、息を吐いた。
 レオンの主張のどれにも覚えがなかった。そしてついにレオンが何者なのか、俺は頭で整理し結論づけた。

 ーーやっぱり、俺のストーカーだ!

 俺はリビングに戻り、コンセント付近を確かめた。少し前にテレビで見た盗聴器バスターの特集で、見覚えのない電源タップにアルファベットのシールがついていたら盗聴器だ、と言っていた。

「何してるの」

 あちこちうろうろ確かめる俺にレオンが尋ねる。

「いや、だっておかしいでしょ。なんで、レオンくん、そんなうちのこと把握してるの」
「だから、何度も来てたからだよ」

 レオンはあくまでもそれで貫くつもりのようだ。
 俺は必死に家中のコンセントを確認したが、それらしいものは見当たらない。

「レオンくん、いい加減にして。今なら大事にはしないであげるから、どこに仕掛けたのか教えて」
「な、なにを?」
「盗聴器だよ!」

 俺が言葉にすると、レオンはまるで顔を平手打ちされたかのようにはっと目を見開いた。その後で悲し気に眉が下がっていく。

「そんな、そんなこと……しないよ……」
「そんなわけない、だったらなんでいろいろ知ってるの」
「だから、それは何度も来たから……」
「いい加減にしろっ!」

 俺は記憶にないくらい久しぶりに低めの大声を出した。
 ピシャリと空気が固まって、レオンが驚いたように立ち尽くしている。

「もういい、帰ってくれ。自らストーカー家にあげるとか、俺が愚かすぎる」

 そう言ってレオンの肩を押すと、俺より体格のいいはずのレオンの体がフラフラと揺れ動いた。
 だけど、そこから動く気配がなくて、俺はついにレオンの腕を掴んでひいた。そのまま玄関まで引っ張って外に追い出すつもりだった。
 だけど廊下の途中で、その手を逆に引き寄せられる。苛立ちながら振り返ると、レオンが俺の体を抱き寄せた。まるで縋り付くみたいに、肩に顔を埋めている。

「慎さん、ほんとに……本当に、俺のこと忘れちゃったの?」

 ストーカーに抱き付かれるなど、ゾッとする体験のはずなのに、俺は何故か涙交じりのレオンの声に胸が苦しくなっていた。
 いくら顔が好みだからって、俺もどうかしているなと、レオンの肩を両手で掴んで押しのける。

「君、どうかしてるよ。こんなやり方、間違ってる」

 本当にどこかで俺を見かけて好きになってくれたのだとしたら、もっと正攻法来てほしかった。そしたら、ちゃんと関係を築けていたかもしれない。
 そこまで考えて、俺はレオンのしっぽに目を落としま。

 ーーいや、正攻法で来られても、ないか……

「とにかく帰って。もうマンションの前で待つような真似しないでくれよ」

 俺はレオンの手を引いて玄関に連れて行った。
 靴を履くように背中を押すと、レオンはおずおずとスニーカーに爪先を入れている。
 そこで思い出して、俺はダイニングに戻り椅子にかけていたレオンの上着を引っ掴んだ。せめてもの情けで、それをレオンの肩にかけてやり、玄関の外へとその背中を押し出した。
 最後にレオンが振り返り、悲し気な瞳を俺に向ける。

「慎さん、俺、好きだよ、慎さんのこと、大好き」

 そんな好みの顔で言われたせいで、俺の心臓がストーカーにときめくという誤作動を起こしてしまった。けれど頭は冷静だ。

「俺は、君のことは、好きにならない」

 その言葉が終わると同時に、玄関の戸がピシャリと閉まった。
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