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第一部【牧瀬くんは猫なので】

29.ダメじゃ、ない

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 遠くまで走っていってしまったかと思ったケイだったけど、店の階段を上がったすぐ脇の植え込みの前に座り込んで俯いていた。
 僕が歩み寄って顔を覗き込むと、ケイは眉を下げて泣き出しそうな顔をしている。

「牧瀬くん、ごめん、俺から誘ったのにおいていったりして」

 その通りだと思ったが、僕は落ち込んでいる様子のケイに気を遣ってただ静かに頷いてあげた。

「実は、今日牧瀬くんにさ、俺のセフレのふりしてもらおうと思ったんだ。慎さんの前で」
「うん?」

 僕が首を傾げるとケイはフッと眉を下げたまま笑った。
 ケイが少し歩こうか、と言うので、僕らは雑多な夜の裏路地を二人で並んでノロノロと歩き始めた。少し進んでから、ケイが口を開いた。

「俺ね、半年くらい前に慎さんと、そういう関係になったことがあって」
「そういう?」
「あー、セックスしたってこと」
「なるほど」

 ケイは仕切り直すように一度咳払いをした。

「でもさ、慎さん、さっき話にも出てたけど、その吉良くんって人と一緒でさ。重たいの好きじゃないっていうか、俺が慎さんのこと好きになちゃったの気がついたみたいでさ。そこから、ちょっと距離置かれるようになって……」

 そこで言葉を切ったケイの顔を、僕は隣で盗み見た。ケイは苦いものでも食べたみたいに口をキュッと結んでいる。

「軽いと思われたかったの?」

 僕が尋ねると、「まあ、そう言うことだね」とケイが頷いた。
 吉良くんと慎さんが似ているだなんて言われていたけど、僕とケイも似ている。というかそっくりだ。
 二人して好きな人と仲良くなりたくて、軽いふりをしようとしている。
 僕は急にケイとの距離が縮まったような気分になった。

「でも失敗だよね。あれ絶対気づいてワザとやってた。俺のこと遠ざけようとしてた」

 そう言った後、ケイは急にその場に立ち止まってしゃがみこんだ。両手で顔を覆って鼻を啜っている。
 僕はその脇にしゃがんで、ケイの背中をさすってやった。

「本当は、ダメもとで一回告白してやろうかとも思ったんだけどさ。でも、それってもはや自分のためだよね。自分がスッキリしたいからって言うか、きっと慎さん断るのとかすごい苦手なんだろうなー。優しいから、断る方が傷ついたみたいな顔すんだぜきっと」

 ケイのくぐもった声が、指の隙間から漏れ聞こえる。僕はいくつかを聞き取ることができなかったけど、だいたいの意味を理解した。
 ケイは慎のために、自分の気持ちを伝えずに諦めようとしているのだ。

「はー……なんか、スッキリしたいわ。牧瀬くんカラオケ行かない?」

 ケイは顔をあげ、大きく息を吐いてから気持ちを切り替えるかのようにそう言った。ケイの鼻と目元がかすかに赤い。

「カラオケ、好きじゃない、オサシミないでしょ?」
「あるところもあるよ?」
「ウッソ!」
「ほんと、いく?」
「いく!」

 僕がそう答えると、ケイは「いいね!」と笑って、僕の肩に腕を回した。そしてスマートフォンで、「カラオケ オサシミ」と打って検索している。

「ね、牧瀬くんはさ、吉良くんにいつか告白しないの?」
「うん?」
「好きって、打ち明けないの?」
「え? もう知ってるよ、吉良くん」
「え?」
「ん?」
「だって、秘密にしてくれって言わなかった?」
「……あっ!」

 そこで僕は、ケイとの食い違いに気がついた。
 ケイが知っていると言った僕の秘密は、猫だってことじゃなかったんだ。
 ケイは僕が吉良くんのことが好きだって、みんなに秘密にしていると思ったらしい。そう考えると、色々辻褄があってきた。
 ケイは多分、猫じゃない!

「ケイ、僕が三毛猫だって、あれ、嘘だから!」
「へ? 何言ってんの、面白いな。わかってるって」

 ケイはそう言って僕の腕を引いて立ち上がった。ぐいと体を寄せて、僕にスマホの画面を見せてくる。あの時みたいに腰を抱かれたけど、もうケイに対する不快感はなかった。

「ここどう? カラオケってかカラオケ付き居酒屋だな! 個室もある」

 ケイの手元を覗き込むと、居酒屋の座席の様子を映し出した写真の横に、美味しそうなオサシミの写真が載っている。
 僕はごくりと唾を飲んだ。

「いいね! いこ!」

 僕が大きく頷いた直後、背後から急に声がした。

「どこ行くの?」

 その声に聞き覚えがあった僕は勢いよく振り返った。

「吉良くん!」

 思った通り、声の主は吉良くんだった。
 吉良くんはなぜか少し息を荒くして額にうっすら汗をかいている。Tシャツの襟元を引っ張りながら、パタパタと仰ぐような仕草をしていた。

「牧瀬、そいつとどこ行くの?」
「個室、カラオケもあるって!」

 僕が吉良くんの質問に答えると、ケイが隣で焦ったように僕をみた。「いや、その言い方だと……」とケイが小さく言った気がしたけど、僕はもう吉良くんに夢中だった。
 吉良くんは息を整えて、唾を飲み込むと、近づいて僕の手を引いた。

「吉良くんもいく?」
「アホか」

 なんで、アホと言われたんだ?
 僕は通訳を求めるようにケイの顔をみた。ケイはどこか気まずそうに笑っている。

「えっと、あの……あんたが吉良くん?」
「……そうだけど」

 ケイの問いに、吉良くんはさらに僕の体を引き寄せてぶっきらぼうに答えた。

「あー、なる、ほど、ね……」

 そう言ってケイは少し何かを考える仕草をした後、僕の耳元にそっと顔を寄せてきた。

「牧瀬くん、これ多分大丈夫だよ」
「うん?」

 僕が首を傾げたのとほぼ同時に、吉良くんの手が引き離すように僕とケイの間に入る。
 ケイは両手を上げて後ずさった。

「わかったわかった。俺は帰るよ、二人でよろしくやってくれ」

 ケイはワザと悪態をつくように言った後、僕に向かっておどけたような顔をした。

「ケイ、カラオケいいの?」
「また今度な」

 そう言って、ケイは手を振るとさっさと向きを変えて繁華街の雑踏に消えていった。

「また今度じゃねぇからな」

 吉良くんが背後から僕の顎に手を当てて、ぐいと顔を持ち上げた。上向くと吉良くんの顔があって、後頭部と背中に体温が当たる。
 吉良くんが近くて、僕は嬉しかった。

「吉良くん、なんでここにいるの?」
「レオンから連絡きたんだよ。お前が怪しいやつと出かけようとしてるって」
「む?」

 確かレオンにも念のため莉央や河本と出かけると、秋山に伝えたのと同じ内容を伝えたはずだ。
 さては、レオン……僕の携帯を勝手にみたんだ! 
 また合コンに行くとでも思ったんだろうか。最新のスマホの顔認証機能でも、猫の顔までは見分けがつかなかったらしい。
 でも、結果的に僕の目の前に吉良くんが現れたので、レオンが勝手にスマホを見たことは水に流してやろうと思う。むしろナイスアシストだ。

「ケイ、怪しくなかったよ、友達になった」
「は? でも今ホテル連れてかれそうになってただろ?」
「うん?」
「カラオケのある個室って、ホテルだろうが」
「カラオケ付き居酒屋なら、オサシミあるって」

 僕がそう答えると、吉良くんが珍しく顔を赤らめて息を吐いた。

「あーもー、なんだよ……」

 吉良くんはそう言いながら、恥ずかしそうに俯いて片手で目元を押さえている。

「吉良くん……?」

 僕は吉良くんの方に向き直り、その顔を覗き込んだ。すると、吉良くんはぐいと僕の腕を引いて抱き寄せると、背中に腕を回してきた。
 ぎゅうと力を入れられて、僕の鼻先が吉良くんの胸元に沈んでく。僕はどさくさにまぎれて、吉良くんのシャツの匂いをくんくん嗅いだ。

「吉良くん汗臭いね」
「悪かったな、走ったんだよ」
「ん、いい匂い」
「くっそ……」

 またもっと強く、吉良くんが僕を抱きしめた。圧迫感が気持ちよくて、僕はぐりぐりと吉良くんの胸元に額を擦り付ける。

「よし! わかった!」

 吉良くんが急に大きく息を吸った後、ぐいと僕の肩を掴んで体を離して、真っ直ぐに僕の顔を見下ろした。
 一体吉良くんは何がわかったのか、僕にはわからなかった。

「もう、なんか、色々回りくどいこと考えるのやめたわ」
「うん?」
「牧瀬、行くぞ」
「どこ?」
「個室」
「カラオケ? オサシミないとダメだよ?」
「違う、ホテル」
「……えっ⁈」

 人間の言うホテルの意味がいくつかあるのを僕は知っている。
 ほとんどは旅行の時や仕事の時にただ寝泊まりするホテルのこと。だけど吉良くんが言ったホテルは多分もう一つの意味の方だ。
 吉良くんは僕の手を握って引くと、早足で迷いなく道を進んだ。僕は引っ張られるままに吉良くんの後に続いている。
 どうしよう!
 僕はまだ軽くなれていない。
 この前みたいな雰囲気になっても、やっぱ無理と言われてしまうかもしれない。
 僕は吉良くんを引き留めるように、吉良くんの手をぐっと引いた。
 その仕草に気づいた吉良くんは、一度足を止めて振り返った。

「吉良くんダメ!」
「……なんで?」

 ちょっとショックを受けたような顔で、吉良くんが聞き返してくる。

「ま、まだ、捨てれてない」
「は? 何を?」

 周りには少し人通りがある。僕らをチラチラ振り返る人がいた。
 僕は一歩吉良くんに歩み寄り、その耳に口を寄せた。

「まだ、処女捨てれてなくて……」
「ぐっ……」

 吉良くんが変な息を吐いた。

「お前がわけわかんないこと考えてその答えに行き着いたんだろうことは大体予想がつくけども……」
「うん?」
「マジでアホだなお前。いいから行くぞ」
「ダメだって」
「あのな!」

 吉良くんは少し声を荒げたけど、その後ですぐに後悔したように唾を飲んだ。そして、僕の体をぐっと引き寄せて、今度は落ち着いた声音で言った。

「俺、すげぇお前とやりたいんだけど、それでもダメ?」

 吉良くんは少しだけ眉を下げ、懇願するように僕を見ている。そんなことされたら、僕は頷くことしかできなくなる。

「……ダメじゃ、ない」

 気がついたら、僕はそう口に出していた。
 吉良くん、その顔はずるいよ……


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