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第一部【牧瀬くんは猫なので】

24.アブナイ人

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 ◇





 僕は大学の講義棟の間にある中庭のベンチに座っていた。
 ここは時間帯によっては人気が少なく、静かな場所だ。今は莉央と河本を待っている。僕は二人を待っている間、おにぎりを齧ろうと、口を大きく開けたところだった。

「お兄さん、この間大丈夫だった?」

 そんな僕に声をかけてきたのは、あの夜、自販機の横から僕を連れて行こうとしたケイだった。短い金髪。今は服で隠れているけど、腕の皮膚には絵が描かれているはずだ。
 ケイの顔をはっきりと覚えていたわけではないけど、背格好と声であの夜の記憶が僕の脳裏に呼び起こされた。
 僕はそのままおにぎりにかぶりつき、口いっぱいに米を含んだままコクコクと頷いた。
 あの夜は気が付かなかったけど、ケイは素朴で清潔感のある顔をしていた。目鼻立ちは控えめだけど、品が良いと言う言葉が合う。軽薄な金髪を除けば、初対面で彼の容姿に悪印象を持つ人はいないだろう。
 だけど、僕はあの日の夜にあった出来事をレオンや秋山に伝えたときに、「そいつは危ないやつだ!」と散々言われ、すっかりケイに不信感を抱いてしまっていた。
 だから、ケイには二度と会いたくないし、会うこともないと思っていた。それなのに突然目の前にそのケイが現れたせいで、僕は驚いて、なかなか喉を通っていかない米を無理矢理お茶で流し込んだ。

「よかった、俺のこと覚えてんだ? 俺、ケイね。お兄さん牧瀬くんでしょ? 女の子たちが噂してた、かっこいいって」

 ケイは僕の隣に腰を下ろした。そして右手を差し出しているが、僕はその手を取らなかった。

「アブナイ人って、言われた」

 僕がそう言うと、ケイは一瞬眉毛を持ち上げ、その後でゲラゲラと声を上げて笑い出した。

「牧瀬くんめちゃくちゃストレートに言うね。逆に嫌な気しないわ」

 何がおかしかったのか、僕にはさっぱりわからない。

「ごめんごめん、この前は魔が刺したって言うかさ、そんな感じ。だから許して? 俺普通に牧瀬くんと友達になりたい」
「友達?」
「うん。ほんとはさ、あの時同じ大学って気がついてて、そんで仲良くなりたいなって思ったんだけど、ちょっとやり方間違えちゃって」

 そう言って、ケイはその控えめな顔立ちに、柔和な笑顔を浮かべている。
 確かに彼はちょっと強引だったけど、マタタビ状態の僕に手を貸してくれて、休ませようとしてくれていた。帰りたかったから迷惑に感じたけど、ケイにしてみたら親切のつもりだったのかも知れない。
 僕はおにぎりの二口目を頬張った。

「いいよ」

 もぐもぐしながらそう答えると、ケイは「ホント?」と光が差したように明るい表情になった。

「じゃあさ、連絡先おしえて?」

 急にケイの手が僕の膝の上に乗った。
 僕は驚いてその手を凝視してしまった。そのまま無意識におにぎりの最後の一口を頬張った僕は、促されるままポケットを探り、スマホのIDの画面をケイに示した。
 ケイは「ありがとう」といいながら、慣れた手つきでスマホに僕の連絡先を登録している。その間も何故かどかされない膝の上の手に、僕は強い違和感を覚えていた。

「ケイ、手、どけて?」
「ん? なんで?」

 一応膝からは退けられた。
 だけど、今度はその手が僕の手を握り、体を引き寄せた。
 ケイの顔が僕の目の前まで近づき、口元を僕の耳に寄せたケイはふっと息を吐くように笑っている。

「俺さ、牧瀬くんの秘密、知っちゃった」

 ケイのその言葉で僕の肩はびくりと大きく跳ね上がった。
 体を引いてケイから距離を取ったけど、ケイは僕の手を離さないまま、その顔に柔和な笑顔を浮かべている。どことなく春日を思い出させるケイのその表情に、僕は背中の毛が逆立つような居心地の悪さを感じた。

「ひみ……つ……?」

 聞き返してみたものの、聞き返すまでもなくあのことだ。
 僕は彼の視界から消えた後で猫に姿を変えたと思ってけど、そうでは無かったらしい。あの時、きっと見られていたんだ。

「牧瀬くん真っ青だけど、大丈夫?」

 大丈夫?と聞きながら、ケイは心配するよりも僕の反応に満足しているようだった。
 僕はその間あらゆる考えを巡らせた。

 ――ルールそのいち! 人間の前で猫にならない、猫だとバレてはいけません!

 これを破るとどうなるか。
 春日に記憶を整理される。それはいい、なんなら今からすぐに家に帰って春日に縋りつきたいくらいだ。ケイの記憶を消して欲しい。
 だけど問題はもう一つ。

『もしルールを破ったら僕が全部記憶を消すよ。もっと悪さをしたら、君たちは二度と人間にはなれなくなる』

 春日の声が頭の中でリピートしている。
 あんなに注意されたのに、お酒を飲んでマタタビになって、門限を破って猫バレした僕の所業は、果たして春日の言うところの『悪さ』に該当するのだろうか?
 その答えはおそらく春日にしかわからないだろう。それとなく確認しようにも、あの切り傷みたいな細い目で見透かされ、何もかも暴かれてしまいそうだ。
 もし『悪さ』だと判断されて仕舞えば、僕はもう二度と人間になれないし、吉良くんの恋人にもなれないのだ。

「言わないで!」

 僕はケイの腕のあたりの衣服を掴み、縋るように体を寄せた。
 もしケイが吉良くんに僕が猫だとバラしたら、吉良くんの記憶も消されてしまうかもしれない。それで僕が人になれなくなったら、吉良くんの中で僕はどこにも居なかったことになってしまう。

「絶対、言わないで、吉良くんに!」

 僕の様子に、ケイは最初少し驚いたように瞬きしていたが、すぐにその口元にニヤニヤとした笑みを浮かべた。

「いいよ、言わない。そのかわりさ、今週末俺に付き合ってくんない?」
「つきあう?」
「そ、一緒にお出かけ」
「門限ある」
「何時?」
「……夜七時」
「本当は?」
「……十二時」
「すげぇ嘘つくじゃん」

 ケイはまたゲラゲラ笑うと僕の肩を叩いた。

「ま、とにかく、付き合ってくれたら黙っててあげるから、よろしく頼むよ」

 ケイはそう言って立ち上がると、後で連絡するとでも言いたげに、手に持ったスマホをひらひら振りながら、向こうのほうへと行ってしまった。
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