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第一部【牧瀬くんは猫なので】

15.※いちゃじゃない!①

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「吉良く……ん?」

 僕は最初、吉良くんがもっと二人で話したくて呼んでくれたのかと思った。だけど吉良くんの表情は、さっき見せてくれた笑顔とは違って、硬く口元を結んでいる。
 吉良くんが何も言わずに黙って僕をみているので、僕は不安になってしまう。「どうしたの?」と恐る恐る僕が尋ねると、吉良くんはため息をついて、今度は僕の手を引いた。
 連れてこられたのは廊下の奥にあった、洗面スペースだ。牧瀬家よりも広くて豪華な作りに驚いたけど、その奥にお風呂が見えた瞬間僕はぞっとして背筋を伸ばした。

 ――僕、洗われる⁈

 背後で吉良くんが扉を閉めた音がして、僕は振り返った。逃げ出そうにも、扉の前に吉良くんが立ちはだかっている。リビングからは離れているので、助けを呼ぶには大声を出さなければ多分みんなには聞こえない。

「吉良くん、お水はイヤだ!」
「は?」

 僕は震える声で吉良くんに訴えた。
 みんなの酒臭いのが移ったのかもしれない。だけど、洗われるなんて絶対嫌だ!
 僕はシャワーを浴びる時は自分のタイミングで息を止めてさっさと済ませることにしているんだ。
 眉根を寄せてこちらを見下ろす吉良くんの腕に僕は縋り付いた。背後にあるバスルームをチラリと振り返ると、やっぱり僕は恐怖で体が小さく震えてしまう。

「おまえ、さっき何してた?」

 縋り付いた僕の手を解き、触るなとでも言うように、吉良くんは僕の体を押し戻した。

「なに……って? お、オサケは飲んでない! 臭くないでしょ⁈」
「そう言うことじゃねぇよ」

 吉良くんの静かだけど低い声に、僕は驚いてぴたりと動きを止めた。

「従兄弟といちゃついてたよな? 気づいてないとでも思った?」
「……ん? いちゃ……?」
「毛布の中でなんかごそごそしてただろ? キスしてるの見えたっつの」

 吉良くんはそう言って呆れたようにため息をついた。
 僕は吉良くんが何を言っているのか理解するまで少し時間がかかってしまった。
 でも、わかった。確かにさっき寝ぼけたレオンに舐めたり噛みつかれたりした。あれは猫だったら当たり前のことだけど、人間同士は普通はしない。それは事前講義で習っていたはずだったのに!
 マタタビ状態のレオンのせいで、吉良くんに誤解されてしまったみたいだ。

「チガウよ! いちゃじゃない!」
「は? 誰が見たってそう思うって」

 吉良くんは向こうの部屋に皆んながいるのを気にしているのか、大きな声は出さなかった。だけどその表情は秋山みたいにギュッと硬くなっていて、すごく怒っているみたい。
 僕は吉良くんが大好きだけど、怒っている吉良くんはとても怖い。

「吉良くん……ごめんなさい」

 気がついたら僕は謝っていた。
 それは吉良くんの言葉を認めることになるってことには、言ってしまってから気がついた。
 でも、もう遅かった。
 吉良くんは僕の言葉を聞いた途端、呆れたとでも言うようにため息をついて、腰に手を当て視線を僕から逸らしてしまった。吉良くんのその仕草は、何か考えていると言うよりも、苛立ちを抑えているように見える。

「俺、言ったよな? 他のやつとそういうことされるの無理って」

 言ってた。
 吉良くんの言葉は全部覚えている。
 僕は首を振って、吉良くんに必死に違うと訴えた。だけど吉良くんは僕のことを見てくれない。

「てことだから、終わりな」
「……お、オワリ?」
「そう、終わり。俺、お前無理だわ」

 どっちかが「無理」と思ったらすぐ終わり。
 吉良くんは確かにそう言っていた。

「イヤだ! 吉良くん!」

 僕は吉良くんの両腕の衣服をギュッと握りしめて詰め寄った。
 すぐ終わり、と約束したけど、僕はどうしても嫌だった。

「大きい声だすな、みんなに聞こえんだろ」
「ごめん……」
「とにかく、そういう約束だっただろ? この話もう終わりな」

 吉良くんはそう言って僕の手を解くと、そのまま向きを変えて洗面所の扉に手をかけた。出て行こうとしているとわかって、僕は吉良くんの背中に飛びついて、今度は腰に手を回した。

「吉良くん! イヤだ! お願い!」
「くそっ、こら、はなせっ」
「イヤだ!」

 ――にゃー! カブリッ!

「……っいってぇ!」

 必死に押し殺したような吉良くんの声を聞いて、僕は我に返って青ざめた。
 噛んでしまった。
 大好きな吉良くんの腕に、ガブリと噛みついてしまった。
 血の味はしない。だけど皮膚に食い込んだ感覚があった。
 僕が噛みついた場所を吉良くんは手で押さえている。

「ご、ごめっ……」

 僕は下唇が震えて、うまく言葉が喋れなかった。
 やってしまった。
 何か危害を加えられそうになって、身を守る時以外は、人間に噛みついたり引っ掻いたりしてはいけないとキツく言われていたのに。吉良くんに行って欲しくなくて、咄嗟に噛んでしまったのだ。
 気がついたら、僕は何故かバスルームに飛び込んでいた。

「おい、待て!」

 吉良くんは逃げる僕を追って手を伸ばした。腰を掴まれて動きを止められてしまう。

 ――怒られる! ごめんなさい!

 僕は完全にパニックだった。吉良くんの腕から逃れようと手を伸ばしたら、それがシャワーのハンドルに触れてしまったようだ。突起に手があたり、それがキュッと半回転すると、吉良くんと僕の頭にシャワーヘッドから水が降り注いだ。

「くそっ、なにしてんだよ、もう!」

 吉良くんはそう言って、ノズルに手を伸ばして水を止めた。僕は吉良くんに抱えられたまま恐怖で硬直していた。浴びた水が髪から首を伝い、着ていた衣服もびしょ濡れだ。

「ほんと意味わかんねぇなお前」

 吉良くんは舌打ちすると、バスルームから僕を抱えて連れ出し、僕のびしょびしょの頭にタオルを被せた。

「吉良くん、ごめんなさい」
「あー、もういいよ。ごめんとかいらない。とにかく終わりってだけだから」

 僕の噛み跡を見て、吉良くんは「いてぇな」と毒付いている。
 自分もタオルを片手に持ってまた洗面室を出て行こうとする吉良くんの腕に、僕は膝をついてしつこく縋りついた。

「おまえ、いい加減にしろ!」

 吉良くんが声を荒げて僕の手を振り払った。その反動で吉良くんの手が僕の頬を弾いてしまう。僕は思わず頬をおさえた。
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