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第一部【牧瀬くんは猫なので】

12.デートみたいだ!②

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 僕が待ち合わせ場所の正門に着くと、すでに吉良くんが待っていた。僕が駆け寄ると、吉良くんはスマホから顔を上げ、僕に笑顔を向けてくれる。それだけで、僕は嬉しくて胸がいっぱいになった。

「お前、この前楽しかった? ボルダリング」

 駅に向かって並んで歩きながら、吉良くんがそんな風に尋ねてきた。
 僕が「うん」と答えると吉良くんは駅前の商業施設の中にあるスポーツ用品店に連れてきてくれた。
 吉良くんは「ちょうど靴が欲しかった」なんて言ったけど、自分のじゃなくて僕の靴を探すつもりみたいだ。
 猫の姿なら靴なんて必要ないけど、人間の場合は壁を登るだけで専用のシューズが必要になる。この前はジムでレンタルしたけど、続けるなら手頃なやつを買ってみたらどうかと、吉良くんが勧めてくれた。
 
「ネットでも買えるけど、こういうのはちゃんと履いてみた方がいいからな、これとかどう?」

 吉良くんがディスプレイされていた一つを手に取り僕に見せた。黒ベースで白インクが散りばめられたクールなデザインだ。

「かっこいい!」
「よし、履いてみろ」

 近くの椅子に促され、僕はそこに腰を下ろした。
 吉良くんが選んでくれたシューズに足を入れると、サイズ感はちょうどいい。だけど靴紐を結ぶタイプで、僕はなかなかそれが苦手だった。なんとか結んでみたけど、吉良くんは僕の下手くそな結び目をみて笑っている。

「どんだけ箱入りなんだよお前」

 そう言いながら、吉良くんは僕の正面に跪いて靴紐に手を伸ばした。大きいけど綺麗な吉良くんの手が、しゅるしゅると僕の靴紐を結んでいく。
 吉良くんのつむじがすぐ近くにあって、僕は吉良くんの手元とつむじを交互に見ていた。そうしたら吉良くんが「どう?」顔と顔を上げた。吉良くんの顔がすぐ目の前にあって、僕はついつい見惚れてしまう。

「かっこいい……」

 僕が呆然として言うと、また吉良くんに笑われた。

「俺じゃなくて靴を観ろよ」
「ごめん……」

 吉良くんはまた僕の足元に目を落として靴紐を解いた。

「これはダメだな、紐のないタイプにしよう」

 吉良くんが選んでくれたのは、黒にブルーのラインが入った靴紐を結ばなくても捌けるタイプのものだった。
 最初はそんなに高いやつを買わない方がいいと言われたから、多分お手頃価格ってやつなんだと思うけど、僕にはよくわからない。だけど牧瀬家から渡されている「お小遣い」で、お金は十分事足りた。

 店を出て、僕は吉良くんが選んでくれたシューズの入った袋をぶら下げ上機嫌で歩いていた。

「今度レオン、連れてくる」

 レオンもこの前のボルダリングが楽しかったと言っていたし、もともと人間の服やら靴やらを揃えるのが好きなようだ。だからきっと連れてきたら喜ぶはずだ。

「レオンってこの前一緒に来た従兄弟?」
「うん、そう」

 僕が答えると、吉良くんは少しの間黙っていて、何かを考えているようなそぶりがあった。
 
「お前ってさ、わりと小さい妹とかいる?」

 ちょうど信号で足が止まったところで、そんな風に吉良くんに尋ねられた。
 僕はなぜそんなことを聞かれたのかわからなかった。
 ちなみに妹はいる。僕は猫なので人間よりも兄妹が多い。
 だけど多分吉良くんは、人間の姿の妹のことを言っているのだろう。人間になれるのは三毛猫の中でも雄だけだ。だからこの場合はノーと答えるのが正しい。
 僕が首を横に振ると、吉良くんは「そうか」とだけ言って後はそのことについて何も言わなかった。

「吉良くんは? 妹、いる?」

 信号が変わり、横断歩道を渡り切ったあたりで、僕は吉良くんに尋ねた。

「妹はいないけど、弟がいる」

 吉良くんに弟。これは興味深い。

「似てる?」
「……いや、似てない。つか、まだこんな小さい」

 こんな、と言うところで吉良くんは腰の下よりももっと低い位置に手をかざして見せた。幼い弟だと言いたいらしい。
 少し歩いたところで、吉良くんは僕をコーヒーショップに連れてきてくれた。
 カウンターの前でメニューを見上げて焦っている僕に、吉良くんはこの前みたいに「冷たいの?」「甘いの?」と確かめるように尋ねてきて、もたついていた僕の代わりに飲み物を買ってくれた。
 僕は席について買ってもらった冷たいココアに口をつけた。
 吉良くんのカップにはブラックのコーヒーが注がれている。僕の目の前に座ってコーヒーに口をつける吉良くんはまるで絵に描いたみたいだ。周りの女の子たちがチラチラとこちらを気にしている様子なのは多分吉良くんがかっこいいからに違いない。
 僕は得意になって、フフンと鼻を鳴らした。

「何笑ってんだよ」
「ワラッテナイ」
「うそつけ」

 吉良くんはカップを置くと手を伸ばして、この前みたいに僕の頬を軽く摘んだ。痛くはないけど、どちらかといえば顎を撫でてほしいなと僕は思った。

「うそ、カップルなのかなぁ?」
「え、デートってこと?」
「仲良し、眼福」

 少し離れたところから、そんな女の子たちの会話が耳に入った。
 僕と吉良くんのことを言っているような気がした。
 たしかにそうだ。僕も彼女たちの意見に同意する。2人で一緒に出掛けてカフェでコーヒー(とココア)を飲むなんて、まるで……

「吉良くん、これ、デートみたいだ!」

 僕が言うと、吉良くんはコーヒーに口をつけながら眉を上げた。そして、カップを置いて「俺はそのつもりでいたけど」と言うと口元だけで笑った。
 吉良くんのその一言で、ただでさえさっきから落ち着きのなかった僕の胸元は一気にざわついてしまう。

「デート、はじめて」

 僕がデートの意味を知っているのは、事前講義で教わったからだ。好意を認め合った2人が一緒に出かけること。
 僕と吉良くんはさっきからデートをしていたらしい。すごい!

「まじ?」

 初めてだと言った僕に、吉良くんは信じられないとでも言うような様子だった。
 そんなに驚くということは、きっと吉良くん自身はデートをするのが初めてではないのだろう。
 僕は別の誰かと二人きりでコーヒーを飲む吉良くんを想像した。鳩尾みぞおちのあたりが少しだけチリチリする。

「うん、まじ、はじめて」

 僕は吉良くんの言葉に頷いた。

「お前って、今までそう言う付き合いしかしてこなかったの?」
「ん? そういう……?」

 僕が聞き返すと、吉良くんは周りの様子を伺うように視線を動かして、その後で僕に手招きするような動きをした。
 僕は少しテーブルに身を乗り出して、吉良くんの方に耳を向ける。吉良くんも体を傾け僕の耳に口元を寄せた。

「だから、セックスとかそう言うことしかしない関係ばっかりだったのかってこと」
「セッ……!」
「しっ!」

 驚いて思わず背筋を正して大きな声をあげそうになった僕に、吉良くんはすかさず口元に人差し指を立てて見せた。

「したことないよ……吉良くんとしか」

 僕は体を低くして、声をおさえて吉良くんの耳元でそう答えた。

「えっ、まじ⁈」

 今度は吉良くんが驚いたのか、肩を揺らして大きな声を出した。その声は思わず出てしまったようで、吉良くんは直後に周りの様子を気にして、また声をおさえるように少しだけ背中を丸めていた。

「冗談だよな?」
「ホント」
「まじで、経験ないの?」
「うん、ないよ、吉良くんとしか、セックスしたことない」
「いや、あれは……セックスじゃないけどな?」
「………………えっ?」
「え?」
「あれ、チガウの?」
「ちげーだろ。お前何歳だよ、正気か?」

 吉良くんは珍しい生き物でも観察するみたいに僕の顔を覗き込んできた。

「なに、おまえんち宗教厳しいとか?」
「ん?」

 もうよくわからなくて、僕は首を傾げるしかなかった。

「え、つか、それでネコじゃないってどういうことだ?」
「んん?」

 僕はまたよくわからなくて首を傾げた。
 吉良くんはしばらく眉根を寄せて僕の顔を見たまま2、3回コーヒーに口をつけた。

「いいや、なんか、追々どうにかできそうな気がしてきたわ」
「おいおい?」
「うん、そう。おいおい……つーか、たぶんわりとすぐ?」

 そう言って、テーブルに頬杖をついてニヤリと笑った吉良くんは、今度は一瞬だけ掬うように僕の顎を撫でた。
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