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三章

ポルターガイスト③

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 俺はその場で凍り付いていた。
「今、のは……」
「言霊です」
 さよが答えた。
「言霊……⁉ 今のが?」
 俺は驚いて彼女を見る。
 先日、俺は図書室で彼女に言霊を掛けられた―――が、
「言霊って、人間以外にも掛けられるのか……?」
「はい、対象が人である必要はありません」
 さらりと言って、さよが手を差し伸べてくる。
 まだ色々と訊きたいことはあったが、俺はひとまずその手を握った。彼女の手は温かかった。震える足を左手で押さえながら、俺はゆっくりと立ち上がる。
 いつの間にか俺たちを覆っていたあのドーム状の結界は跡形もなく消滅しており、激しさを増した雨粒が俺の頭を叩いていた。
「大丈夫ですか。少し刺激が強すぎましたか……?」
 さよが少し心配そうに、俺の顔を覗き込んでくる。
「いや……平気だ」
 俺はかぶりを振る。だが半分以上は強がりだった。
「助かった……のか……?」
 それを誤魔化すように俺は辺りを見渡した。
 アスファルトの地面には、粉々になったコンクリート片が無数に散乱している。しかし俺たちの周囲だけは何事もなかったように、綺麗な地面が顔を覗かせていた。
「はい。もう大丈夫だと思います」
 落ち着いた声で彼女が言う。
「そう……か……」
 放心したような声が出た。
 現実味が湧かなかった。何が起こったのか、まだ完全には理解できそうになかった。
 ポルターガイストに襲われ彼女に護られた。
 事実としてはそれだけなのだが、その事実を受け入れるには、今の俺の心の余裕は狭すぎるようだった。
「そういえば、犯人は―――」
 ふとその事に思い至り、俺は再び首を巡らす。
 しかし、
「先ほどまでの呪力が感じられません。恐らく逃げたのでしょう」
 と、さよが静かに答えた。
「………そうか」
 俺は肩を落とす。
 犯人を捕まえられるチャンスだと思ったのだが、どうやらそう甘くはないらしい。
 はあと嘆息する。
 と、その時、
 ―――ん?
 首筋辺りに、ピリッとひりつくような視線を感じた。
 ばっと俺は振り返る。気配のした方向に目を凝らす。だが……誰もいない。
 一瞬だが、誰かの鋭い視線を感じたような気がしたのだ。
 俺の目は、細い路地の入口へと向けられていた。
 睨みつけるようにして、俺はしばらくその路地の入口に視線を向け続けていたが……いくら待っても誰かが現れてくるような様子はなかった。
 気のせいか……と思い視線を戻そうとする。
 が、その時、
 キラッと光る物体が目の端に映りこんできた。何かがその路地の入口に落ちているようだった。
 何だ……?
 散乱した残骸を避けながらそこまで辿り着くと、俺はその物体を拾い上げる。
 それはキーホルダだった。二つの鈴の下に可愛らしい熊のマスコットがぶら下がっている小さなキーホルダ。鈴の一方が小さく凹んでいる。
 しかしそれを認めて俺は軽く目を瞠った。
 そのキーホルダには見覚えがあった。
 彼女の―――みらいの物だ。彼女がいつもスクールバッグに付けていた物だ。何年か前に友達だか誰かから貰ったと言っていたのを覚えている。市販の物らしいが、彼女のそれは二つある鈴の内の一つが微妙に凹んでいる。そのため他の物と間違えることはない。
 そんな物が何故こんな場所に落ちているのか―――?
 ……つい先刻、ここを通った時にはこんなキーホルダは落ちていなかったはずだ。つまりこのキーホルダは、俺たちがあの超常現象に見舞われていた最中に落とされたということになる。
 まさか、あいつもさっきの現象に巻き込まれたのか?
 そう思って路地の中を見る。だがそこには誰もいない。灰色のポリバケツが一つ、無造作に置かれているだけだ。
 胸の内に、何とも言えない黒い靄が鬱積していく。キーホルダを握り締め、先ほど感じたあの鋭い視線は何だったのかと俺は考える。あれは一体―――
「どうかしましたか?」
 すると突然、後ろから声を掛けられた。気が付くと、さよが俺のすぐ背後に立っていた。
「あっ、いや、何でもない」
 俺は慌ててそのキーホルダをズボンのポケットの中に押し込む。
 何故か咄嗟に隠してしまった。どうしてかはわからない。しかし、彼女にこれを見られてはいけないような気がしたのだ。
 なるべく動揺を表に出さないように努めて、俺は振り返る。
 しかし隠しきれていなかったのか、振り向いた俺の顔を見て、彼女は怪訝そうに眉を寄せた。
「何かありましたか?」
「いや、何も……」
「本当ですか?」
 顔を覗き込んでくる。
「本当だって。ちょっと落とし物を拾っただけだよ」
 俺は目を背ける。
「……落とし物とは?」
「……つまんない物だよ」
「見せてもらえますか」
「……だめだ」
 ポケットの上から、ギュッとそのキーホルダを握りしめる。
「何故ですか?」
「………」
「何か見せられない理由でもあるのですか?」
「……別に……」
「顔色が悪いですよ?」
「………そんなことない」
 ぶっきらぼうな返事をする。
「何か、一連の事件に関わることなのですか」
 しかしそう問われた時、俺の片頬が反射的にピクリと動いてしまった。
 その一瞬を、さよは見逃さない。
「関係あることなんですね。詳しく話してください」
 ぐいと、彼女が身体を寄せてきた。
「ねえよ。何にも」
 俺は後ずさる。
「そこには何が入っているのですか? 落とし物とは一体何なのですか?」
 さよがキーホルダの入った、俺のポケットを指さして言った。
 責めるような大きな双眸が目の前にある。
 これ以上は隠しきれないか……。
 そう悟った俺は、ため息一つと共に観念した。
「キーホルダだよ」
 それだけ答えた。
「キーホルダ、ですか……」
 さよがおとがいに手を当てる。
「それは誰の物ですか?」
 その問いに、俺は一瞬答えに窮する。
 だが、
「……みらいのだよ」
 と答えた。隠しても仕方がないと思った。
「みらい、とは……?」
「俺の幼馴染だ。俺たちと同じ高校に通ってる」
「そうですか。幼馴染さんの物ですか……」
「ああ、そうだよ」
「……しかし、先ほどここを通った際には、キーホルダなんて落ちていなかったですよね?」
「さあな。気付かなかっただけじゃないか」
「そうだとしても、そのキーホルダはみらいさんの物で間違いないんですよね? だとすると彼女は、少なくとも一度はこの場所に来たことがあるということです」
「………だったら何なんだよ」
 黒い靄が濃くなる。不吉な予感が押し寄せてくる。
「彼女の家はこの近くなのですか……?」
「……いや……」
「彼女はよくここを通るのですか?」
「……いや」
 どんどん追い詰められていく。
 そして、
「もしかすると、先ほどのポルターガイストは、みらいさんの仕業なのかもしれませんね」
 一息に、俺の胸の内に堆積する靄を形にした。
「……………は?」
 震えた声が漏れた。
「お前、何言ってんだよ……」
 ギロリと下から彼女を睨みつける。
 遠くで雷が鳴っている。ゴロゴロと低い音が俺の身体を芯から震わせてくる。大粒の雨が肩を叩き始め、俺たちの制服を瞬く間に濡らしていく。
 しかしさよは、そんなことには構わずに、
「幼馴染ということは家もあなたのご近所なのでしょう。そんな彼女が何の用もなく、遠く離れたこんな場所にまで来るとは思えません」
「それは………」
「何か心当たりはありませんか……?」
「……あるわけねえだろ」
「本当ですか?」
「当たり前だ」
「……そうですか……」
 彼女がゆっくりと視線を落とした。
 しかしすぐに顔を上げて、
「では訊き方を変えましょう」
 真っ直ぐに俺の目を見てきた。
「近頃みらいさんのことで、何か気になるようなことはありませんでしたか?」
「……どういう意味だよ」
「放火されたこの家は、殺されたあなたの同級生のものでした」
「……だから何だよ」
「同級生ともなれば友情の拗れなどで、怨みの一つや二つは生まれるものでしょう」
「お前まさか―――」
 最悪の可能性が頭をよぎる。
「みらいがこの家を放火したって言いたいのか?」
「それだけではありません」
 澄ました表情で彼女は続ける。
「亡くなった二人の件についても、彼女が関わっているかもしれません」
「ふざけるな! 急に何言ってんだよ⁉」
 俺は思わず声を荒げた。
「あいつがそんなことできるわけねえだろ! それに放火事件と死んだ二人の件との間に関係があるかは、まだわからないじゃないか」
 俺がそう言うと、一瞬の間の後、彼女の小さな口元に冷たい笑みが灯った。
「そのことについては、既に解決しています」
「…………? どういうことだ?」
「放火事件と生徒の謎の不審死、これら二つの件は間違いなく繋がっています」
「……なんで言い切れるんだよ? 一件目の火事は、亡くなった俺のクラスメイトとは何の関係もないだろ?」
「いいえあります」
 きっぱりとさよが言った。
「一件目に放火された家は、先週亡くなった彼女の家だったんですよ」
「待てよ。それはおかしい」
 そんな彼女に対抗するように、俺もさよの発言にはっきりと異を唱えた。
 俺は今日の朝に教室で聞いた男子生徒の話を思い返す。彼の話が本当ならば、亡くなった彼女の苗字と、一件目に放火された家の持ち主の名前は一致しないはずだ。
 だがそのことを彼女に言うと、さよは静かに首を横に振った。
「彼女のことについて少し調べてみました。すると少し興味深いことがわかったんです」
「…………?」
「事情はわかりませんが、亡くなった彼女は母方の祖父と二人暮らしをしていたようです」
「えっ、それって……」
「つまりは旧姓です。家主の名前と彼女の苗字が一致しないのは当然のことです」
「そんな……」
「普通に考えるなら、これら二つの事件は同一犯によるものです。あなたの言った通り、彼女たち二人の死にも呪いが関係しているのかもしれません」
「馬鹿な……」
「ですが、これが最も可能性の高い事実です」
「…………」
「その上で、あなたにもう一度訊ねます」
 さよの眼が、再び俺を捕らえる。
「近頃みらいさんのことで、何か気になるようなことはありませんでしたか?」
「……その上でって、どういう意味だよ」
「先ほども言った通りです。……わかりませんか?」
「―――ッ」
 みらいの笑顔が浮かぶ。
「……あいつが、二人を殺したって言いたいのか―――?」
 恐る恐る言葉にした。
「……二つの事件が繋がっており、なおかつ先ほどの現象がみらいさんによるものだとするなら、そう考えるのが普通ではありませんか?」
「お前―――」
「動機はわかりませんが、彼女は二人を殺害し、家を燃やした。しかし事件のことを調べる私たちのことを邪魔に思ってこの場でまとめて始末してしまおうとした。そう考えれば―――」 
 彼女がそこまで言った時、
 プツンと音を立てて、俺の中で何かが切れた。
「いい加減にしろよっ‼」
 気付いた時には、俺は彼女の胸ぐらを掴み上げていた。さよの踵が地面から浮き上がる。
「言いたい放題言いやがって! 呪いで放火⁉ 殺人⁉ 馬鹿らしいんだよっ‼ あいつがそんなことできるわけねえだろ! 誰も彼もがお前みたいな常人離れした能力を使えると思うなよっ!」
 怒鳴り散らした。これでもか、というくらいに。
 だがそれだけでは収まらない。堰を切ったように、俺の口からは汚い言葉が溢れ続ける。
「大体何なんだよ! いっつもいっつもわけわかんねーこと言いやがって! そんなに俺の困惑顔を拝みたいかよ!」
「………」
「俺だけならまだいいよ。自分からこの事件に首突っ込んでるみたいなもんだからな。でもな、あいつは―――みらいは、この事件とは何の関係もないだろ! 会ったこともないくせに、あいつのことよく知りもしないくせに、適当なことばっか言ってんじゃねえよっ!」
「………」
 しかし彼女は何も答えない。
 感情の宿らない瞳だけが俺に向けられている。そのことが今の俺を更に苛立たせた。
「聞いてんのかよ! 死んだみたいな面しやがってっ‼」
 だがそう言った途端に俺ははっとした。
 今までピクリとも表情を変化させなかった彼女の顔から一瞬で血の気が引いたのだ。
 弾かれたように俺は彼女から手を離す。
 何か取り返しのつかないことをしてしまった。そう直感していた。絶望にも似た感覚に俺は襲われる。
 離された反動でさよはよろめき、濡れた地面に腰を打ち付けた。
「ご、ごめん」
 俺は慌てて、彼女に手を差し出す。
 ………だが彼女は、俯いたまま動かない。電池が切れたロボットみたいに彼女は深く項垂れ、大粒の雨に打たれていた。
 ぬるい風が吹く。さよの髪が揺れリボンが揺れ、そこからいくつもの雫が滴り落ちた。
 ……しばらくして、彼女はようやく俺の手を取った。
「ごめん。今のは、言い過ぎた……」
 俺はもう一度、謝罪する。
 彼女がゆっくりと立ち上がる。しかし、
「別に、大丈夫です」
 そこにいたのはいつも通りの彼女だった。端正な顔つきで、感情を表に出さず、相手に思考を読み取らせない、いつもの彼女だ。
 先ほどまでの彼女は、もうどこにもいない。
「いや、でも……」
 俺が更に何か言おうとすると、
「……私の方こそ、すみませんでした」
 と、彼女が小さな声で言ってきた。
「えっ……」
「よく知りもしない人のことを疑ってしまい、申し訳ありませんでした」
 さよが小さく頭を下げる。
「ああ……いや」
「先ほど述べたことは、あくまで可能性の一つです。呪力で放火や殺人ができる人間など、そうそういませんので、安心して下さい」
 変わらずの無表情で坦々とした口調。そこからは、先ほどのような弱々しい彼女の姿は想像もできない。見間違いだったのかとさえ思ってしまう。
「家に着いたら、みらいさんに確認してみてください」
「確認って……」
「最近キーホルダをなくさなかったか、それとなく訊いてみてくださいという意味です」
「あ、ああ……」
「それでもしみらいさんのキーホルダがなくなっていなければ、彼女の容疑は晴れることになります」
「そう……だな」
 ぎこちなく頷く。そしてそのまま沈黙する。
 彼女もそれっきり言葉を発しなかった。
 凍った沈黙が張り付く。
 だがやがて、分厚い雲の向こうの太陽が沈み、雨脚がさらに強まってきたところで、
「帰りましょうか」
 さよが呟くように言った。
「……そうだな」
 首肯する。
 道路脇の錆びた街灯が、チカチカと不気味な明滅を繰り返していた。
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