夏の日の記憶

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1999年6月23日 金曜日

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 「芝さーん。お薬の時間ですよ」
「はーい」
 そう言って頼子はいつもの通り投薬を受ける準備に入った。いつも通り看護婦から点滴を受ける。しかし今日は違った。普段ならどんな患者にも優しく、明るく接するのだが…今日はなぜか顔つきが違う。何か隠し事をしている。頼子は直感でそう思った。それに、なんだか今日は針を刺すときに痛みがいつもより増していた。薬の種類も…名前が違った。点滴には「N」(仮薬)と書かれている。聞いたことない名前の薬ね。医師せんせいは新しい薬を使うとか聞いていないけど…。
「あの…看護婦さん」頼子は思い切って聞いてみた。「何か私、嫌なこと言いました?それとも…何か悩みでも…悩みとかあれば私、聞きますよ」
「な…何でもありません」看護婦は険しい顔つきのまま答えた。「失礼します。また、来ますので…」
 そう言って看護婦はそそくさと部屋を後にした。まるで、頼子から逃げ去るように。まあ、誰にだってこういうことはあるよね。頼子はそう思い静かに薬を受けた。

 投薬を受けてから丁度三十分後―頼子の全身から汗が出てきた。おかしい。今日はそんなに暑くないはずだ。しかし、この程度で看護婦を呼ぶのもあれなので頼子は仕方なくそのまま点滴を受けていた。そのうちおさまるだろう。真面目だがどこか楽観的なところがある頼子はそう思った。
 ところが、投薬を続けてからさらに一時間が経過したころ、今度は呼吸が苦しくなった。天井がぐるぐると回る。熱も出てきた。さすがにこれはおかしい。頼子は震える手を必死で伸ばし、頑張ってナースコールを押した。コール反応を受けた看護婦はすぐさま頼子の病室へ飛んで行った。苦しそうなそぶりを見せる頼子を見て目を見開き、そして絶望した。看護婦は他の応援を頼み急いで支度にとりかかった。頼子の視界はそこでフェードアウトしていったのだった…。

 連絡を受けた芝は仕事を放り出して急いで病院へと急いだ。三人の息子も学校を早退して芝と共に母親のいる病院へと向かった。
 頼子を担当した看護婦によると、今は集中治療室で処置を受けているとのことだった。突然のことだったので非常に驚いていると看護婦は語った。
「頼子に…合わせてくれませんか?」
 無気力な声で芝は担当医師に言った。医師は唇を噛んだ。
「申し訳ありませんが…」医師は言った。「今は無理です…」
「どうしてですか?」
「実は…その…非常に言いにくいのですが…。少しトラブルがありまして」
「トラブルとは?」
医師はさらに唇を噛んだ。「…申し訳ありません。お答えできません」
「何故です?何かあったんでしょう。答えてください」
「申し訳ありません」
 そう言い残して医師は逃げるようにその場から離れてしまった。
「何なんだよ…」
 医師の背中を見つめたまま芝は吐き捨てた。それにしても…今日はやけに集中治療室前に見舞客と言っていいのかはわからんが人が多くいる。中には嗚咽を漏らし、泣き崩れる人もいる。そんな光景を芝と三人の息子は見ていた。医師の説明のないまま今ある状況を把握できていない四人であった。「お父さん…」隆が芝を読んだ。「お母さん、大丈夫だよね?」
「心配するな」芝は答えた。「ここの病院の医師せんせいはみんな優秀だからきっと大丈夫だ」
「そうだよね…。そうじゃないと僕もお父さんもお母さんも隆たちも安心できないもの」
「そうだよ」芝はそう言って口元だけで笑みを浮かべた。
「でもね…お父さん。僕、聞いちゃったんだ。隣の人がお医者さんたちを攻めているのを。この病院にいるがん患者全員に新薬を投薬したらこうなったって…」
 それを聞いた芝の顔から血の気と活気が一気になくなってしまった。
「嘘だ…」芝は茫然とした。「頼子は…頼子にはそんなこと…」
 しばらくしてから医師がこちらにやってきて土下座をしてきた。
「申し訳ありませんでした!」医師は言った。「厚生省と、ある製薬会社から連絡が来てこの病院のがん患者に薬を使用しろと……」
 芝が医師の胸倉をつかんだその時―看護婦が青い顔をしながら叫んだ。
「先生!芝さんの様態が…」
 その時、芝の目から完全に光が消えたのは言うまでもない。
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