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Day‘s Eye 咲き誇るデイジー

悪い夢【三人称視点】

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 テオが泣きそうな顔をして訴えているにも関わらず、デイジーはそれを無視してすっと歩き始めた。
 行かせてなるものかとテオが再度手を掴むと、やはりデイジーはそれを振りほどこうと抵抗する。だがこのまま行かせるわけにはいくまい。テオはデイジーの身体を抱き込んで暴れるのを抑え込む。

「離して!」
「デイジー! お前一体どうしちまったんだ!」
「彼が呼んでるの。私は行かなきゃいけないの…シモン様、シモン様!!」

 うわ言のようにシモン・サンタクルスの名を呼ぶデイジーは異様だった。今の彼女はまるで酩酊状態。恋というよりも酒に酔っているかのように浮かれていた。周りにいた人間は変わってしまった彼女を異様な目で眺めていた。

「…シモン様? あなた達、接点なんてなかったのにいきなりどうしたの? アステリア」

 デイジーの実母マルガレーテが問いかけると、「恋するのに理由なんていりません、母上」と瞳を輝かせたデイジーは言い返した。
 確かにそうではあるが、2回顔を合わせただけであり、その時デイジーに何も変わったことはなかったはずなのだ。そのため周りの人々は余計に困惑する。恋をしたにしても時間差がありすぎて違和感を拭えないのだ。

「…アステリア様は、サンタクルス様のことを怖がっている印象でしたわ」

 そう口にしたのは兄嫁のクラウディアだ。デイジーと、かの男シモン・サンタクルスの初対面の場に居合わせた彼女には、今のデイジーの発言は納得できなかった。
 怖がって後ずさる彼女の表情をクラウディアは忘れていなかった。それにクラウディアにはデイジーがそんな移り気な性格であるとは思えなかったのだ。これでも彼女は貴族の娘として社交を渡り歩いてきた。その御蔭で人の本質を見抜く力はあると自負していた。

「アステリア、仮にそうだとしても看過できない。シモンのもとに行かせるわけにはいかないよ…捕縛せよ」

 そう言って問答無用で彼女へ捕縛術を掛けたのは兄のディーデリヒだった。今の彼女を野放しにしていたら魔法を使ってでも飛んでいきそうな気配がしたので先回りして拘束したのだ。術を掛けられた彼女の身体からがくりと力が抜け、テオが抱き抱えこむ形で支えた。
 呪文を唱えられないように口縛りの呪いを施されたデイジーはむぐむぐと呻き声をあげるだけだった。

 その場にいた者たちは動揺した。彼女の急な心変わり発言にどうしたものかと皆々が混乱していた。

「……待ち給え」

 そこへフレッカー卿が口を挟む。

「みんな落ち着いて。…デイジー君は恋に溺れて我をなくす性格ではない。私が知っている彼女は理性的で合理的な人だった」

 学生時代から高等魔術師、高給取りへの道へ一直線だった彼女だ。いろんな誘惑や堕落への道もあったにも関わらずまっすぐ突き進んで到達した彼女である。デイジー・マックという生徒を教師として見守ってきたフレッカーはデイジーがそんな衝動的で軽薄な女性だとは思っていなかった。

「そんな彼女が、急に突拍子もない事を言うわけがない。流石に様子がおかしい」

 ……それとは別に、彼には気になることがあったのだ。夫に抱き抱えられたデイジーが魔法から逃れるために藻掻こうとしている姿をちらりと一瞥したフレッカーは眉間に寄せた。

「…私が見た彼の名前がシモンで合っていればの話だが…披露宴のガーデンパーティで蝶人が怪しい動きをしているのを見た」
「卿、それは」

 フレッカーの発言に即反応したのはディーデリヒだった。シモン・サンタクルスはディーデリヒの学友だ。結婚を祝ってくれるとわざわざやってきた彼が、自分の妹を誑し込む真似をするとは考えたくなかったのだ。
 フレッカーはフッと視線をお子様用の椅子に座った双子の仔狼に向けた。

「この子達が吠えて威嚇する声に気づいて私が振り返ったその時、蝶人がデイジー君の顔の前で手を広げていた。…何をしていたかは定かじゃないがな」

 うぅんと唸ったフレッカーは腕を組んで頭を捻っていた。なんせエスメラルダには虫人がほどほどにしかいない。知り合いもいない。習性もよくわからない。フレッカーの専門でもないため、彼にはそこまでしか言えなかった。

「あの…」

 そこに小さく声をあげるメイドがいた。
 彼女は以前デイジー付きのメイドとして働いていた女性だった。

「発言をお許し頂けますか?」

 ゲストを迎えた主人たちの前で使用人が発言するのはあまり褒められたことではない。だが彼女も流石にこの状況を見て見ぬ振り出来なかったようだ。

「フレッカー様がご覧になっていた光景は私も目にしました。……アステリア様に近づいてきた蝶人の動きが不気味で、私も妙に気になっておりました」

 見事な羽根を持つ彼は会場で目立っていた。給仕の仕事をしていた彼女もついつい目で追ってしまっていたのだという。
 すると彼は迷わずデイジーのもとに近づき、何かを話していたそうだ。デイジーが警戒して離れようとしたら、その怪しげな行動をしていたのだという。

「私が声をかける前に坊ちゃま方が警戒して吠えられていました。それに気づいたご夫君様がその蝶人をアステリア様から引き離していらっしゃいました」

 発言を終えると、メイドはぺこりと一礼して下がった。
 フレッカーに続きメイドも怪しい現場を目撃していたということでますますわからなくなる。

「──魅了術?」

 辺境伯ゲオルクが呟く。
 魔術師の魅了術は禁忌だ。使ったら死罪扱いだ。

「虫人には魔力は発現しないはずですが」

 マルガレーテの発言にゲオルクはうーんと唸る。
 そうだ、獣人もそうだが虫人にも魔力は宿らない。じゃあ結局なんなんだとなる。

「……蝶人の心を操る妖術じゃ」

 幸か不幸か。この中には虫人に詳しい人間がいた。

「蝶の種族の中には気に入った異性を引き寄せる鱗粉を操るものもいるのです。それこそ魅了術のような効果を発揮するくらいの妖術です」
「クラウディア」

 ディーデリヒの妻となったクラウディアは大学校で虫人の研究をしていたのだ。虫人の生態に昔から興味を持っており、詳しく学ぶために大学校に入学した彼女は他よりも虫人の生態に詳しかった。

「サンタクルス様がアステリア様を気に入ったとは知っていましたが、まさかこんな手段に出るとは! あの方は人の心をなんだと思っているのです!」

 彼はディーデリヒの学友なだけで、クラウディアはサンタクルスのことをあまり知らなかったが、こんな真似をしてくるひとだとは思っておらず、デイジーの心を無視したやり方、その卑劣さに怒りすら覚えた。

「とにかく、鱗粉の効果が抜けるまではアステリア様を軟禁しておくべきです。効果はあるかはわかりませんが、気付け薬を飲ませてみましょう」

 クラウディアの提案でデイジーに魔封じの首輪をつけ、脱走防止の手枷足枷を付けて部屋に軟禁すると、気付け薬を飲ませた。魔法が使えない状態なので捕縛術と口縛りの呪いを解いてやったのだが、彼女の口から飛び出してきたのはサンタクルスの名前だった。

「シモン様、シモン様が待っているのに…」
「きゅんきゅん」
「くぅぅん」

 傍で双子がお母さんを慕って鼻を鳴らしている声も届かないのか、デイジーの瞳は虚空を見上げるのみ。

「デイジー…しっかりしろよ…」

 多大なショックを与えられたテオが弱々しい声で呼びかける声にも反応しない。いくら操られているとはいえ、最愛の妻から吐き捨てられた離縁宣言に加えて、別の男の名前を呼ぶ彼女の姿を見せられているテオは打ちのめされていた。


 お母さんの様子がおかしい。いつもなら優しく撫でてくれるのにと次男のギルはピスピスと悲しそうに鼻を鳴らした。
 彼らには狼の血が流れている。赤子の半獣人の彼らにも備わっていた優れた五感は危険を察知していた。怪しい蝶男から発せられるおかしな匂い、嫌な空気を感じ取って警戒したはいいけど結局はお母さんを守れなかった。
 お母さん恋しさにキュンキュン泣いていると、後ろから手が伸びてきて掬われるようにギルは抱き上げられた。
 デイジーに似てるけど少し違う匂いを持った伯父のディーデリヒがギルを抱き上げたのだ。
 
「…すまない。君たちのお母さんは必ず治す。…約束するよ」

 そう謝罪してギルの毛並みを撫でると、そっとベッドの上に乗せた。ベッドの上では横になったデイジーがうわ言をつぶやいている。その姿はまるで精神を病んだ病人のように痛ましいものに見えてディーデリヒは心苦しくなった。

「…アステリア、待っていろ。必ず元通りにしてやるからな」

 彼は友だと親しんだ男の裏切りに深く傷つきながらも、妹がようやく手に入れた幸せを邪魔させてたまるかと熱り立った。
 自分の手で、友だった男へ鉄槌を下す覚悟を決めたのである。
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