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外伝・女神の娘・アレキサンドラ
或る伯爵令嬢の選択【三人称視点】
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その少女はシュバルツ王国の伯爵家出身だった。
彼女の人生は生まれたときからすでに決まっていた。親の言うとおりに毎日を過ごし、魔法魔術学校を卒業した後は、親が決めた相手と政略結婚して、子どもを生み、嫁ぎ先に従う。そんな人生を送ることが決まっていた。
曲がりなりにも貴族の令嬢。
権利を与えられているのだからそれが義務であると自覚していた。
少女が8歳のとき、屋敷に一人の男の子がやってきた。父親がどこぞの女に産ませたという腹違いの弟だ。その顔立ちは父にそっくりで、ごまかしようがなかった。それを目にした母親はとうとう精神が参ってしまい、その子の姿を自分の前に出さないでくれと言って部屋に閉じこもり気味になった。
そして世話係に任命された使用人は雑な世話しかせず、男の子はいつも居心地悪そうに身を縮めていた。父親は見て見ぬ振りをして、ただ飼い殺すだけの毎日。仮にも伯爵の血が流れている子どもなのに、使用人が何様のつもりだと少女は不快に思った。
だけどそうなったのは理由があった。不貞の子どもというだけではなく、腹違いの弟は魔なしだったのだ。
貴族の祖先はみな優秀な魔術師だった。そのため、彼らは魔力こそ全てと考えていた。魔なしとして生まれた子どもは差別の対象で、家庭によっては養子に出されることもしばしば。
使用人たちは複数の理由からその少年の世話をしたがらなかったのだ。
それを知った少女は芽生えた姉としての義務感からか、自分が弟の世話をすると言った。同情とかそんなものはない。父親の身勝手で生まれた弟を、今度は自分たちが虐げるような真似など情けなさすぎると思ったから彼の面倒を見たのだ。
貴族令嬢として生きてきた少女は今まで世話をされっぱなしで自分のことは自分でできなかった。だけど弟の登場で自分のことは自分ですることを覚えた。姉として見本になるために。
弟の世話に、母のご機嫌取り。
まだまだ幼い少女には重い仕事だったが、彼女は気を張ってなんとか頑張った。彼らを無視できるほど少女は非情にはなれなかったのだ。
実父の不貞の数々に涙する実母の後ろ姿を目にしてきたというのに、両親を同じくする兄までも悪い癖を出し始めた。年が離れた兄は全寮制の魔法魔術学校在学中に数多もの女性と浮名を流した。その噂を聞かされ続けた少女はどんどん男という存在に失望し始めていた。
そんな彼女に婚約者ができた。少女が12歳のときだった。相手は5つ年の離れた同じ伯爵家出身の子息。
彼は紳士的で優しい人だった。
少女は思った。彼は自分の身内の男のようなクズではないのかもと。頻繁にうちに来ては贈り物をくれ、お茶をして楽しい話をしてくれた。満開の花に囲まれた場所で、うやうやしく手の甲にキスをされたときは心ときめいた。
この人なら私は幸せになれるかもしれないと、少女は徐々に婚約者に心開き始めた。
だけど違ったのだ。
少し外出している間に婚約者が遊びに来ていて、今は談話室で待っていると執事に聞かされた彼女は急いで彼のもとに向かった。走ってはいけませんと注意するメイド長の横を通り抜け、談話室の扉を開いた。
その先では、とんでもない光景が広がっていた。彼は屋敷のメイドといかがわしい行為をしていたのである。
──男性が遊ぶものだと言うのは嫌でも理解していた。
だけどそれが自分の屋敷で、自分の使用人とそういう行為をされるというのは、完全に舐められていた。
失望したのだ。
バカにされたと屈辱を覚えたのだ。
弁解しようとする婚約者の言葉は「君を傷つけたくなかったから」とかなんとか言い訳じみた言葉ばかりであった。父や兄からは「浮気くらい寛容に受け止めろ」と窘められ、少女は拳を握ることで爆発するのを堪えた。
それが噂となって広がるのは時間の問題。少女は今度こそ完全に心を閉ざした。
なぜ自分がこのような惨めな思いをしなくてはならないのか。義務だ義務だと自分に言い聞かせていたが、とうとう我慢の限界を迎えてしまったのだ。
『レナード、大切な話があります』
男に失望していたが、彼女は今まで世話をしてきた弟だけはまだ希望があると信じていた。父や兄のような男にはならぬよう、彼女なりに接し方を気をつけてきた。
また、弟のレナードも姉の苦悩を察していたので素直に姉の話を聞き入れた。彼にとっては姉は特別な存在。彼女の力になれるのならと彼女の願いを快く聞き入れた。
彼女は弟と信頼できる使用人の手を借りて屋敷を出た。馬車に乗って大神殿へ向かい、その手で扉を叩いたのだ。
もう心は決まっていた。
少女は俗世を切り捨て、女神の下僕となると。男に振り回されて生きるのはゴメンであると、神殿入りの道を選んだのだ。
はじめは貴族令嬢だからすぐに音を上げるだろうと周りの目も偏見に満ちていたが、少女が真面目にお勤めを果たしている姿を目にしていくうちに信頼されるようになった。
彼女は神官たちにも気に入られ、それに伴って重責を担うことも少なくなかった。敬虔な態度だけでなく、彼女は貴族令嬢としての教育を受けていたため、表に出しても恥ずかしくない立ち振舞いをするのを評価されていたのだ。
当時の大巫女が老衰で亡くなったときも喪の儀式で大役を果たしたのも彼女であった。
そんな彼女が大巫女選出の儀にて次世代の大巫女として選ばれるのは当然のことであった。娘の泊付けのために儀式に出た貴族たちの不満はあったが、神殿の関係者は満場一致で両手広げて喜んでいたくらいである。
女神フローラ直々に選ばれた彼女は齢16歳にしてシュバルツ王国大神殿の最高神職者となった。
大巫女となれば、そこそこの権力とお金を手にできた。
そこで彼女がまずしたことは、神殿近くに家を構えて実家の母親と母親の乳母であったばあやを呼び寄せること。
そして、異母弟レナードの進学の手助けをすることだった。
もともと政略結婚だった少女の両親。夫に裏切られ続けていた母親は世間体を気にして今まで我慢していた。離縁というのはどちらが悪かろうと、印象が悪いものだった。だからどんな仕打ちを受けようとこれまで耐えてきたのだ。
しかし今回の大巫女選出の儀式以降、少女の母親は大巫女の実母、すなわち大巫女を産み出した聖母という目で見られるようになったので、母親は思い切って離縁を選んだ。
それに関して父親が文句をつけてきたが、大巫女の権限をフル活用して封じた。今や生家よりも親よりも権力を持った彼女に恐れるものはなかった。
少女の弟はてっきり在籍中の中等学校卒業後に大学校へ進むのかと思ったのだが、彼は騎士学校への進学を望んだ。いずれは神殿騎士となって、姉の手足になるのだと彼は決意のこもった視線で姉に宣言した。
無理をしているのではないか? 私に気を遣っているのでは? と少女は弟を心配したが、弟は弟なりの信念を持ってこの先の道を決めたのだという。少女は弟の希望通りに騎士学校への進学の手伝いと生活のすべてを面倒見ると約束した。
彼女は貴族令嬢という身分を捨てて、自分で居場所を作った。
女神を敬愛し従う、俗世から離れた清貧の世界で生きることが自分の喜びであり使命であると。
少女は自分が生まれてきた意味をようやく実感できたのだ。
彼女の人生は生まれたときからすでに決まっていた。親の言うとおりに毎日を過ごし、魔法魔術学校を卒業した後は、親が決めた相手と政略結婚して、子どもを生み、嫁ぎ先に従う。そんな人生を送ることが決まっていた。
曲がりなりにも貴族の令嬢。
権利を与えられているのだからそれが義務であると自覚していた。
少女が8歳のとき、屋敷に一人の男の子がやってきた。父親がどこぞの女に産ませたという腹違いの弟だ。その顔立ちは父にそっくりで、ごまかしようがなかった。それを目にした母親はとうとう精神が参ってしまい、その子の姿を自分の前に出さないでくれと言って部屋に閉じこもり気味になった。
そして世話係に任命された使用人は雑な世話しかせず、男の子はいつも居心地悪そうに身を縮めていた。父親は見て見ぬ振りをして、ただ飼い殺すだけの毎日。仮にも伯爵の血が流れている子どもなのに、使用人が何様のつもりだと少女は不快に思った。
だけどそうなったのは理由があった。不貞の子どもというだけではなく、腹違いの弟は魔なしだったのだ。
貴族の祖先はみな優秀な魔術師だった。そのため、彼らは魔力こそ全てと考えていた。魔なしとして生まれた子どもは差別の対象で、家庭によっては養子に出されることもしばしば。
使用人たちは複数の理由からその少年の世話をしたがらなかったのだ。
それを知った少女は芽生えた姉としての義務感からか、自分が弟の世話をすると言った。同情とかそんなものはない。父親の身勝手で生まれた弟を、今度は自分たちが虐げるような真似など情けなさすぎると思ったから彼の面倒を見たのだ。
貴族令嬢として生きてきた少女は今まで世話をされっぱなしで自分のことは自分でできなかった。だけど弟の登場で自分のことは自分ですることを覚えた。姉として見本になるために。
弟の世話に、母のご機嫌取り。
まだまだ幼い少女には重い仕事だったが、彼女は気を張ってなんとか頑張った。彼らを無視できるほど少女は非情にはなれなかったのだ。
実父の不貞の数々に涙する実母の後ろ姿を目にしてきたというのに、両親を同じくする兄までも悪い癖を出し始めた。年が離れた兄は全寮制の魔法魔術学校在学中に数多もの女性と浮名を流した。その噂を聞かされ続けた少女はどんどん男という存在に失望し始めていた。
そんな彼女に婚約者ができた。少女が12歳のときだった。相手は5つ年の離れた同じ伯爵家出身の子息。
彼は紳士的で優しい人だった。
少女は思った。彼は自分の身内の男のようなクズではないのかもと。頻繁にうちに来ては贈り物をくれ、お茶をして楽しい話をしてくれた。満開の花に囲まれた場所で、うやうやしく手の甲にキスをされたときは心ときめいた。
この人なら私は幸せになれるかもしれないと、少女は徐々に婚約者に心開き始めた。
だけど違ったのだ。
少し外出している間に婚約者が遊びに来ていて、今は談話室で待っていると執事に聞かされた彼女は急いで彼のもとに向かった。走ってはいけませんと注意するメイド長の横を通り抜け、談話室の扉を開いた。
その先では、とんでもない光景が広がっていた。彼は屋敷のメイドといかがわしい行為をしていたのである。
──男性が遊ぶものだと言うのは嫌でも理解していた。
だけどそれが自分の屋敷で、自分の使用人とそういう行為をされるというのは、完全に舐められていた。
失望したのだ。
バカにされたと屈辱を覚えたのだ。
弁解しようとする婚約者の言葉は「君を傷つけたくなかったから」とかなんとか言い訳じみた言葉ばかりであった。父や兄からは「浮気くらい寛容に受け止めろ」と窘められ、少女は拳を握ることで爆発するのを堪えた。
それが噂となって広がるのは時間の問題。少女は今度こそ完全に心を閉ざした。
なぜ自分がこのような惨めな思いをしなくてはならないのか。義務だ義務だと自分に言い聞かせていたが、とうとう我慢の限界を迎えてしまったのだ。
『レナード、大切な話があります』
男に失望していたが、彼女は今まで世話をしてきた弟だけはまだ希望があると信じていた。父や兄のような男にはならぬよう、彼女なりに接し方を気をつけてきた。
また、弟のレナードも姉の苦悩を察していたので素直に姉の話を聞き入れた。彼にとっては姉は特別な存在。彼女の力になれるのならと彼女の願いを快く聞き入れた。
彼女は弟と信頼できる使用人の手を借りて屋敷を出た。馬車に乗って大神殿へ向かい、その手で扉を叩いたのだ。
もう心は決まっていた。
少女は俗世を切り捨て、女神の下僕となると。男に振り回されて生きるのはゴメンであると、神殿入りの道を選んだのだ。
はじめは貴族令嬢だからすぐに音を上げるだろうと周りの目も偏見に満ちていたが、少女が真面目にお勤めを果たしている姿を目にしていくうちに信頼されるようになった。
彼女は神官たちにも気に入られ、それに伴って重責を担うことも少なくなかった。敬虔な態度だけでなく、彼女は貴族令嬢としての教育を受けていたため、表に出しても恥ずかしくない立ち振舞いをするのを評価されていたのだ。
当時の大巫女が老衰で亡くなったときも喪の儀式で大役を果たしたのも彼女であった。
そんな彼女が大巫女選出の儀にて次世代の大巫女として選ばれるのは当然のことであった。娘の泊付けのために儀式に出た貴族たちの不満はあったが、神殿の関係者は満場一致で両手広げて喜んでいたくらいである。
女神フローラ直々に選ばれた彼女は齢16歳にしてシュバルツ王国大神殿の最高神職者となった。
大巫女となれば、そこそこの権力とお金を手にできた。
そこで彼女がまずしたことは、神殿近くに家を構えて実家の母親と母親の乳母であったばあやを呼び寄せること。
そして、異母弟レナードの進学の手助けをすることだった。
もともと政略結婚だった少女の両親。夫に裏切られ続けていた母親は世間体を気にして今まで我慢していた。離縁というのはどちらが悪かろうと、印象が悪いものだった。だからどんな仕打ちを受けようとこれまで耐えてきたのだ。
しかし今回の大巫女選出の儀式以降、少女の母親は大巫女の実母、すなわち大巫女を産み出した聖母という目で見られるようになったので、母親は思い切って離縁を選んだ。
それに関して父親が文句をつけてきたが、大巫女の権限をフル活用して封じた。今や生家よりも親よりも権力を持った彼女に恐れるものはなかった。
少女の弟はてっきり在籍中の中等学校卒業後に大学校へ進むのかと思ったのだが、彼は騎士学校への進学を望んだ。いずれは神殿騎士となって、姉の手足になるのだと彼は決意のこもった視線で姉に宣言した。
無理をしているのではないか? 私に気を遣っているのでは? と少女は弟を心配したが、弟は弟なりの信念を持ってこの先の道を決めたのだという。少女は弟の希望通りに騎士学校への進学の手伝いと生活のすべてを面倒見ると約束した。
彼女は貴族令嬢という身分を捨てて、自分で居場所を作った。
女神を敬愛し従う、俗世から離れた清貧の世界で生きることが自分の喜びであり使命であると。
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