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外伝・変わり者のガリ勉キング

放逐された嫡男【三人称視点】

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 その男はいつも一番だった。
 その優秀さに人目置かれ、指導した家庭教師もお世辞抜きでべた褒めした。勉強も、武術も、魔法も、政治にも興味津々で積極的に学ぶ姿勢を向けた。学校でもそれは同様で彼は独走していた。それなのに嫌味な部分はなく、密かに彼に憧れる者もいたくらいだ。
 幼い頃から父親について学んできた。優秀な嫡男として将来を期待されていた。彼が侯爵家を継ぐものだと皆がそう思っていた。

 彼には2つ下の婚約者がいた。親が決めた未来の結婚相手だ。
 そして弟もいた。同じく2つ下で、兄の優秀さと比べられて不貞腐れていた弟だ。

 年頃になると、弟と婚約者が惹かれ合うようになった。好きな女性は兄の婚約者であると苦悩する弟、自分には婚約者がいるのだと戒めながら恋心に揺れる婚約者。
 彼らは一線を超えなかった。ただ、見つめ合うだけ。触れもしない、恋文を渡しあうこともしない。パーティに参加する時もダンスに誘うわけでもない。ただ、男の隣で婚約者として立つ彼女の姿を、離れた場所から弟が苦しそうに見つめるだけ。
 ──兄である男は彼らの想いを知った。そして考えた。
 婚約者のことを好ましく思ってはいるが、それは妹のような感覚だった。もともと親が決めた婚約者だ。燃え上がるような恋情は抱いていなかった。弟と婚約者、ふたりを傷つけてまで結婚したいとは思えなかったのだ。
 いろいろ考えた結果、彼は婚約者と徐々に距離を置くようになった。2人が余計に苦しむことのないように。

 そのうち男は大学校に入学し、校舎近くのアパートメントに下宿するようになった。貴族専用の寮があるにも関わらず彼は戒律に縛られない自由な暮らしを望んだ。彼は大学校で学問に没頭した。魔法魔術学校では習えない分野を貪るように学んだ。家に帰る回数も減って、家族とも連絡を取らないようになった。

 しばらくすると家に弟がやってきた。彼は思いつめたような表情で男を睨みつけていた。

『婚約者を放置するなんて兄上は冷たすぎる! メリンダと兄上が不仲だと社交界で囁かれているんだぞ!』

 自分が婚約者と親しくしたら弟は苦しむ。婚約者も同様だ。だから距離をおいたのだが、それを良しとしない周りが好き勝手に噂するようになり、婚約者のメリンダが苦境に立たされるようになったのだという。
 男は唸った。じゃあどうしたらいいのか。
 そしてひらめいた。

『──お前はメリンダを好きなのだろう?』

 兄の率直な問いかけにぎくりとする弟。
 男は悪い笑みを浮かべた。
 正直にいうと男は侯爵家には執着していなかった。最初に生まれたから、貴族だから嫡男としての教育を受けてきただけ。今となっては自分の好きな学問への道を閉ざす邪魔な存在なだけ。
 そして弟とその想い人の恋路を妨害するだけの煩わしい地位。

『跡継ぎの座をお前に譲ろう』
『……は?』

 弟は呆けた顔をしていた。
 兄は天才、弟は凡人とはよく言ったものだ。弟はこの兄と成長してきたが、兄のことを未だによくわかっていなかった。

『お前が家を継ぐんだ。そうすればお前はメリンダと結婚できる。私は学問への道を歩める』

 男の言葉に弟は口を大きく開けて呆然としていた。何を馬鹿なことを、と言いたくても言えないくらいの衝撃だったのだろう。
 だがそうと決めた男は早かった。
『家を継がない。教師になる。家は弟に任せる』
 そう両親に宣言したのだ。当然のことながら猛反対を受けた。メリンダの両親からも罵倒を受けたが、男は曲げなかった。
 それを弟とメリンダが泣きそうな顔で見ていたが、男は彼らに発言を許さなかった。自分が悪者になって家を出るだけなら傷は浅いからと言って。

 弟には婚約者の名前に傷つかぬよう、男が家を捨てたという体で、今後一切関わりを持たぬよう指示した。その真実を知っているふたりは渋っていたが、最終的に頷いた。

 学問に生きるべく、跡継ぎの座と婚約者を捨てた、身勝手な侯爵家の嫡男。
 この事は社交界を揺るがす一大スキャンダルになった。その醜聞を早く流すためか、両家は結婚式を急いだ。花婿が入れ替わるだけだったので、そう準備の手間は掛からなかった。

 弟と元婚約者は結婚した。
 男は結婚式を遠目で見守った。誰にもバレないようにこっそりと物陰に隠れてふたりを眺めていた。醜聞からの結婚だったが、この三文芝居の発案者である男が悪い噂すべて背負って出ていったので、残されたふたりは周りからほんの少しの同情と盛大な祝福をされた。
 幸せそうに笑う2人。そんな彼らを見ているだけで、男は満足だった。
 弟のそばで笑う彼女はとても幸福そうだ、と男は笑う。メリンダのことは夫婦になればきっと愛せた。しかし彼女は弟の前でのほうが幸せそうに笑うから、それを叶えてあげたくなったのだ。

 ──堂々とふたりの結婚を祝えない立場になってしまったのが痛いが。
 
 結局、親から勘当される形で放逐された彼は痛みを隠しながら自由への道を歩き始めた。行く先々で後ろ指をさされたが、それが自分自身が選んだ道。決して後悔はしなかった。
 大好きな学問を究めるために彼は教師になった。自分が青春を過ごした魔法魔術学校の教師となり、これからの日々に希望に胸を膨らませた。
 そんな時期だった。

【ハルベリオンがシュバルツに侵攻。フォルクヴァルツ領では甚大な被害を受けている】

 突然飛び込んできた情報は人々をどよめかせた。
 すぐさま援軍として中級魔術師以上に招集がかかり、もれなく彼も応援に飛んだ。隣国に救いを求めるということはフォルクヴァルツの外にも蛮族が飛び込んできているのだろう。国内の魔術師だけじゃ手に負えないのだろう。…そう思っていたのだが、現場はそれ以上だった。

 広がるのは地獄だった。
 何度かフォルクヴァルツに足を運んだ機会があったが、その時の豊かさが一瞬にして奪われ、血塗れの土地に成り代わっていた。
 生存者を探そうとあちこちを回っていると、フォルクヴァルツの領民らしき姉妹が、敵兵の手から必死に逃げる姿を見つけたので、男は間に入って庇った。敵から放たれる武器を魔法で防御し、拘束していく。敵兵が魔術師ではなかったので、捕まえるのは容易だった。
 ──なるべく無駄な血は流さず敵兵を生け捕りにしろとの命令だ。男は国からの命令どおりに残党捕獲作戦を粛々と遂行する。しかし思ったよりも敵の数が多く、効率が悪かったので味方と別れて手分けして行動していた。

 あちこちに人々の遺体が転がっていた。ゴミのように放置された人々。
 それを見た彼は自分の事のように苦しくなった。貴族たるもの感情を表に出すなと教育されてきた男も感情を表に出さずにはいられなかった。学問に生き、争いとは無縁の平和主義なはずの彼の中に、憤怒と言う感情が芽生えた瞬間だった。


 豊かな地をここまで荒らしたのだ。相手方にも魔術師が居るのだろうと予想していると遭遇してしまった。
 薄汚れたマントを着用した魔術師は、こちらの存在に気づくなりすぐさま攻撃呪文を唱えてきた。

『チッ援軍か…我に従う火の元素たちよ──…』

 しまったと思った男はすぐさま結界呪文を唱えたが、一歩遅かった。相手が放った攻撃で側にあった瓦礫が爆破され、彼の左目の眼球を目掛けて鋭いかけらが飛び込んできた。

『ぐぅっ……!』

 耐え難い激痛に目を押さえて唸るが今は痛がる時間もない。目の前の魔術師はこの地獄を作り上げた蛮族。うかうかしていたら自分も殺されてしまう。だらだらと左の頬を涙が流れているようだったが、もしかしたら血液かもしれない。何も見えない……どっちにしろ左目は駄目になってしまったようだ。

 男は目の前の魔術師と交戦を繰り広げた。
 相手は戦い慣れている。攻撃に隙がない、ためらいもない。息を吐く暇もない。生まれてこの方、安全に守られて恵まれた生活をしていた男は初めて生命の危機を感じ取った。こんなに血塗れ土濡れになって必死に戦ったことなんてあっただろうか。夢中で攻撃を放って放って……味方が援護に来てくれたときには魔力枯渇状態だった。

 彼はそのまま医療部隊に運ばれて治療を受けた。治癒魔法を掛けてもらった左目の負傷はなんとかよくなったが、視力が弱くなってしまった。視力までは回復できないと言われてガッカリしたが、眼鏡をかければ生活に支障はないと言われて男はホッとした。

 その診断を受けた翌日、頼んでもないのに入院先の療養施設に有名な眼医者と腕のいい眼鏡職人が押しかけてきた。
 実家の誰かが気を回して手配したのだろうなと男は思った。どっちにしても眼鏡は必要だったのでそのまま診察と眼鏡の処方をしてもらった。

 出来上がった片眼鏡をつけて新聞に目を通すと、シュバルツ国内の情勢についていろんな記事が載っていた。被害状況や、捕縛した敵兵について、死傷者、行方不明者のことなど……

『……赤子』

 男の目を引いたのは一面の記事だ。
 一面には、フォルクヴァルツ辺境伯の次子が行方不明だと言う内容の記事が載っていた。月齢数ヶ月の赤子がこつ然と姿を消した。
 特徴は黒髪に紫色の瞳の女の乳児。
 懸賞金をかけて大捜索されたが、打ち切りとなり、赤子は行方不明のまま結局見つからないまま打ち切りとなった。

 そして戦の爪痕を残したまま、無常にも時は流れて行ったのである。
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