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Day‘s Eye デイジーの花が開くとき

私にとってのいい男

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 ズイッと両腕を伸ばしてきたかと思えば、あいつは真顔でこう言ってきた。

「約束だ。匂いを嗅がせろ」

 改めて口で言われると恥ずかしいやら何やら……私は素直にテオの胸に飛び込めずにいた。
 普通の恋人同士はこんな頻繁に匂いを嗅がせたりしないはずだ。獣人ですらないと思う。──前々から思っていたが、こいつは変態じゃなかろうか。

 私がまごついているのに焦れたのか、テオは自分から抱きついてきた。
 私よりも体温の高い身体は平熱に戻っている。体調もようやく戻って心音も正常だ。数日間媚薬の副作用に苦しんだ彼は快気祝いと言わんばかりに私の匂いを求めてきた。
 テオは私の首元に顔を埋めるとスーハースーハーと吸いはじめた。その時はひたすら恥ずかしくて、私はただただ耐えるのみである。いい匂いがする、好きな匂いだと言われたら何も言えない。

 ……おとなしく人の匂いを嗅いでいたのかと思えば、テオが何やらもぞもぞしはじめた。私の胸を服の上からまさぐっていたので、その手を叩き落とした。

「いてっ」
「こらっ触るのまでは許してない!」

 叱りつけると、テオは獣耳をへにょんとさせて不満そうにしていた。ダメなものはダメだ。結婚するまでは駄目だと私もおばさんも口酸っぱく言っているだろうが。
 こういうのは躾が大事なんだ。男を尻に敷くように…こう、犬の躾のように飴ムチを…。

「…キスならいいか?」
「いつも聞かないでキスしてくるくせに」

 何を改めて確認するのか。オデコを突き合わせてお互いの目を見つめ合おうと、どちらともなく目を閉じて唇を近づけた。
 最初はチュッと軽くついばんできた。そして続けざまに贈られたキスは、衝動に任せてされた乱暴なキスとは違う、とても優しいものだった。
 私とテオはしばらくキスを繰り返した。

 言葉なんていらない。
 お互いの気持ちをキスに籠めて贈るから。
 テオの真剣な気持ちはものすごく伝わってきたから、私はその気持ちを受け止めるだけなのだ。


■□■

 
「これが頼まれていた関節痛の薬です。きれいな布に塗って、患部に貼り付けてください」

 頼まれていた関節痛の薬をご長寿婆様のお宅にお届けにあがると、彼女はちらりと私の斜め上を見上げていた。その視線には呆れが含まれており、胡乱なものになっていた。

「…テオ、お前さんね、嫁入り前の娘に手を出すのは駄目だ。いくら恋人同士でもな。傷つくのはデイジーなんだ」

 彼女が見ていたのは私の配達についてきたテオである。婆様は先日のテオ暴走事件について苦言を呈していた。

「けじめだ。そういうのは嫁にもらってからだよ」

 言い聞かせるように窘める婆様に対し、テオはモヤモヤした表情を浮かべていた。不満であるという態度を隠しもしない。

「だってよぉ婆様」
「お前は運命に抗ってみせただろう。後もうちょっとだ。辛抱おし」

 テオはこれでもいろいろ我慢しているらしいが、気を抜けばすぐに暴走しそうな勢いだ。なので私もそういう行動に出たら今度は捕縛術を使って抑え込むと宣言している。それはテオの両親もテオ自身も了承の上である。
 女側が純潔を失うとその後の人生に影を差すことになる。恋人同士の私達の睦み合いはせいぜいキスが限界なのだ。

「それで、あちらさんはどうなんだい?」

 婆様の問いにテオは表情を暗くした。

 運命の番に拒絶されたレイラさんは最終手段としてテオに媚薬を盛って既成事実を作ろうとした。
 しかしその媚薬でテオは地獄を見た。吐き出させてあの症状だったので、何もしなかったらもっと長く苦しんでいたかもしれない。恐らく質の悪い、体に害のある成分の入った媚薬を仕込まれていたのであろうと医者も言っていた。

 流石にこれにはテオの両親も激怒した。なんといっても、テオは三日三晩副作用に苦しんでいたのだ。
 おばさんなんか徹夜で看病してあげていたくらいだ。私が交代するから休んでくれと言っても、心配で眠れないと言ってずっとテオの側に付いていた。おじさんもちょいちょいテオの様子を見に来て心配そうにテオを見守っていた。ふたりとも気が気じゃなかったであろう。

 テオの両親は、息子が運命の番を受け入れないことに申し訳ないと先方に頭を下げていた立場だが、これとそれとは別だ。テオはタルコット夫妻の大切な一人息子なのだ。ここで黙って許してあげるほど彼らもお人好しではなかった。
 抗議も兼ねてレイラさんの両親に縁切りの手紙を叩きつけたのだという。

「…『金輪際、お宅の娘を関わらせないでくれ!』って親父があっちに手紙を送ったって」
「…あっちの娘も災難だったが、手段がまずかったね」

 どっちにしろ誰かが傷ついたことだ。お前もひどい目にあったんだからお互い様だよ、と婆様は慰めるようにテオの腕をポンポンと叩いていた。

 レイラさんを狂わせる原因となったのは私の存在だ。それは申し訳ないとは思うが、テオを傷つけるような行動に走ったことに関しては目をつぶれない。
 また傷つけようとするなら、私がテオを守ってみせる。


□■□


「…地味な色だ」

 突然、見ず知らずの男に色合いをバカにされた。
 私は目を眇めて相手を見上げる。…人間ではないな。人族に比べて耳が少し大きめだ。おそらく猿系の獣人であろう。
 それにこの村の住民ではない。…どっちにせよ、友好的な態度ではないので、私は相手を警戒した。

「貧相な身体に小賢しそうな顔つき……こんな女のどこがいいんだか」

 失礼な。人間の成人女性の中では背は高い方だし、凹凸はしっかりとあると自負している。それと、獣人に比べたら筋肉に乏しいので細く見えるだけだ。
 小賢しそう、というのは…昔からそんな悪口をよく投げかけられていたので、別に間違ってはいない。
 ……レイラさんの知り合いかな。だけど彼女とは種族が違う。見た感じでは恋人でもなさそうだ。

「どこの誰だから知らないけど、あなたこの件関係ないよね」

 挨拶もなく貶されたので、私も負けじと反撃に出る。

「俺はブルーノだ。レイラの幼馴染で」
「恋人でもなくただの幼馴染でしょ。無関係じゃない」
「…!」

 ブルーノと名乗った男はぐむっと口ごもっていた。
 恐らくレイラさんに好意を抱いており、今回のことを聞いて私に直接文句を言いに来たんだろうな。
 それならいっそ『横恋慕してます。気に入らないので僕が文句言いに来ました』って言ってくれたらいいのに。

「お、お前は人間の分際で獣人の運命の番を引き裂こうとしてるんだぞ、わからないようだが運命は絶対だ!」
「テオにも感情ってものがあるの。それを無視して無理やり既成事実を作ろうとしたレイラさんの行動は褒められたことではない」

 運命だと言うならそれこそ、汚い手段を使うべきじゃない。なのに彼女はやってしまった。
 恐らく運命とやらに心引きずられて凶行に及んだのだろうが、運命という理由があれば何をしてもいいのか?
 私は到底許容できない。

 確かに私は人間だ。獣人の感覚は全くわからない。だけどテオが抗っているのは近くで見ているからよく分かる。テオは私に向けて一生懸命に愛情表現をしてくれる。
 だから私は彼を信じ、彼の想いを尊重すると決めた。

「テオを傷つけるなら私もただじゃ置かない。……丸腰相手に魔法をぶつけるのはあまり好ましくないけど、身を守るために反撃には出るよ」

 私は目の前の男を睥睨した。
 私は獣人に力では勝てないが、対抗する術はあるのだ。もしもテオになにかするつもりなら、私はその力を惜しみなく発揮するつもりだと脅しでわざと魔力を放出してみせる。
 相手は私から放たれた魔力を感じ取ったのかビクッとして後ずさっていた。
 お互い警戒したまま睨み合う。

「……レイラはあんな男のどこがいいんだ…同じ狼獣人なだけ、見た目がいいだけじゃないか」

 負け惜しみのように吐き出されたそれに私は目を細める。
 確かに、以前は私もそう思っていた。テオのことを顔だけはいいいじめっ子だと思っていた。そんな奴を何故か好きになった自分が不思議ではあるが、今ではあいつのいいところをいくつだって言える。

「レイラはあの男と出会ってからおかしくなった。あんな恐ろしいことを企てるような娘じゃなかったのに…なにもかもあの男のせいだ…!」

 …それは運命の番への執着のせいだろうね。今回の件は私も当事者だけど、獣人の執着の強さだけは理解できないので、なんと言えばいいのかはわからないが……
 だけど、全てテオが悪いわけじゃないし、テオは別に見た目だけの男じゃないぞ。

「あんたにテオの何が分かるの、テオの何を知ってるの?」

 私が言い返すと、ブルーノはこちらを睨みつけてきた。

「あんたさ、命かなぐり捨てて好きな女を守ったことある?」

 私の問いに相手は怪訝な顔をしていた。
 見た目だけ、なんて勝手に判断しないでほしい。

「テオは何度も私を守ろうとして死にかけたのよ。…テオは充分いい男だよ。私にとっては、かもしれないけど」

 彼らはテオのことを何も知らない。上辺だけを見て、運命だからって執着しているだけに過ぎないのだ。
 何が正解なのかもうわからない。
 だけど今こうなってしまった状況では運命の番という問題じゃなくなった。レイラさんが盛ったのが毒だったら? 媚薬の副作用でテオが死んだらどうするつもりだった?
 運命の番だからといって、好き勝手に相手を動かそうとするのは間違っていると思うのだ。

「説教のつもりか、この悪女」
「…悪女ねぇ」

 私はテオを悪く言われるのが我慢ならなかったので反論しただけなのだが、それで悪女呼ばわりとは。

「そもそもお前の存在がレイラの表情を曇らせている…! それが問題なんだ…!」

 ムキッとブルーノの肩の筋肉が動いた風に見えた。
 あ、まずいかもと思ったときには遅い。私に向かって拳が振り上げられそうになっていた。
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