上 下
130 / 209
Day‘s Eye デイジーの花が開くとき

自分に出来ること出来ないこと

しおりを挟む
 神殿周りには清らかな空気が流れている。それは大巫女の存在で空気が清められているのだろうか。
 結界とか魔法の元素とは少し違う独特なこの空気、私は嫌いじゃない。この混じりけのない空気の中に悪意を持った異物が入り込むとすぐに分かりそうだが、実際のところはどうなのだろう。神殿前では神殿巫女と神殿騎士がお出迎えしてくれた。

「大巫女様は首を長くしてお待ちでございます」

 何ヶ月ぶりの再会だろうか。
 私はドキドキしながら開かれた神殿の扉の先へ進んだ。


 神殿の奥深く、女神と交信するための水殿に彼女はいた。供物を捧げてお祈りをしていたようだ。

「大巫女様、アステリア様がお見えになりました」

 神殿巫女の言葉に反応した彼女はピクリと肩を揺らして振り返った。彼女の碧の瞳が私を映すとその瞳はキラリと輝く。
 大巫女の神職服の裾を踏まぬように彼女は駆け出して、そして両腕を広げると私に抱きついてきた。

 私は驚いて反応が遅れてしまった。
 サンドラ様はいつも大巫女としての自覚をお持ちで、できる限り私的な感情を表に出さぬように心がけている印象だったのだが、再会してすぐに抱きつかれるとは思わなかった。

「…心配しました。あなたが女神様の予言を受け取って飛び去った時から何ヶ月も……」

 お元気そうで良かった。と言ってゆっくり離れた彼女は私を見上げて瞳をうるませていた。そのお顔を見ていると罪悪感で心がチクチク傷んだ。

「…不義理を働いてしまい、申し訳ありません」

 私が非礼を詫びると、サンドラ様は首を横に振っていた。

「あなたが無事ならそれで。…スッキリした表情をしていますね、迷いは消えましたか?」

 迷い。
 そうだ、私は以前貴族として生きることに苦悩していた。それを受け入れようとしても、村娘として育ってきた自分が否定されているようで飲み込めずに悩んでいたのを彼女に吐露していたのだ。

「…私は貴族籍を抜け、今はただの高等魔術師として育った村で過ごしております。…貴族様のように贅沢は出来ませんが、とても満ち足りた日々を送っています」

 共にこの国を支えようと言ってくれた彼女を裏切るような選択だが、私は後悔していない。
 今のままの私が一番自分らしくて好きなのだ。
 サンドラ様は私の言葉を聞いて静かに微笑んでいた。

「それがあなたの決めた選択なら、それでよいのです」

 縁談の他にも国直属の魔術師になる話や、爵位を与えるという話も頂いたがそのどれもお断りしてきた。私が欲しいのはそんなものではないのだ。きっと私の選択を愚かだと思う人はいるだろうが、私は決めたんだ。自分が進みたい道を選んだのだ。

「エスメラルダ・シュバルツ両国の国民を守るために命懸けで戦ってくださってありがとうございます…」

 彼女は私の手を握って、恭しくその額にくっつけていた。大巫女様に頭を下げさせるなんてとてもじゃないがありえない。

「サンドラ様、お顔を上げてください」
「私は大巫女として国に奉仕してまいりました。私が祈れば国を守れるのだと信じてきましたが……此度の戦で自分の無力さを痛感いたしました」

 自分の無力さを嘆くしかできなかった、と彼女は呟いていた。
 大巫女である彼女は祈り、女神と交信でき、聖水を作り出す奇跡の力を扱えるが、敵と戦うことには向いていない。ここで祈って待つしか出来ないのだ。

「…ハルベリオンの現状を女神様が見せてくださいました」

 私はその言葉にハッとする。
 見せられたのか、あの地獄を。

「…私は自分の力を過信していました。デイジー様は命をかけて戦いに行っているのに、私はここで厳重に守られているだけで何も出来なかった…それが悔しかった」

 人にも獣人にも向き不向きがあると思う。
 テオも私が戦いに行き、傷ついたことを悔いて自分の無力さを嘆いていたけど、獣人である彼にしか出来ないことは山ほどあるのだ。
 それは目の前のサンドラ様も同じ。私には出来ないことを彼女はやってのけてしまう。これは比較することじゃないのだ。

「…人にはそれぞれ異なった使命が与えられるものです。気に病むことはありません」

 サンドラ様は顔を上げて、涙を滲ませたその瞳に私の顔を映した。

「私は私の使命を全うしました。ただそれだけのこと、あなたにはあなたにしか出来ないことをするだけです」

 私にだって出来ないことは山ほどある。努力したって叶えられないことがたくさんあると知っている。
 それなら自分のできることをできる範囲でやるしかないのだ。

 サンドラ様は少し冷静になったようで自分の目元を指先で拭っていた。

「…デイジー様は変わりましたね」
「色々と感情の変化がありまして。結局私は野に咲く花のようにのびのび生きるのが向いているんだなと自覚しただけです」

 あの戦で死ぬかもしれないと思ったときに私は様々なことを思い出し、考えがガラリと変わったのだ。

「…立ち話ではなんですね、ぜひお話をもっと聞かせてくださいな。私はお茶の準備をお願いしてまいりますね」

 そう言ってサンドラ様に談話室に案内された。
 お茶とお菓子を持ってくるという彼女を待って先に席についた私は、談話室の窓の端にあるカーテンがゆらりと動いたことに気がついた。
 風もないのに何故…と思ってそちらを凝視していると、そこから思わぬ人物が現れた。

「……あなたは」
「ごきげんよう、アステリア嬢」

 その人物はいつかのパーティでしつこくつきまとってサンドラ様を怒らせていた男だ。…サンドラ様の実兄であり、女性にだらしないという噂の……名前は知らないけど貴族の男。確か伯爵位の子息である。

「なぜそこに…」

 神殿は別に男子禁制ではない。
 が、純潔を保つ必要のある大巫女様を守るために、男性が外部から入場する際には必ず、女神に忠誠を誓っている神官や神殿騎士が大巫女の側につく決まりだ。
 だがここには監視の目が…ない。

「見習い巫女をたらしこめば簡単に入れたのだよ」

 ……おいおい。
 どうなってるんだこの神殿。いくら大巫女様の兄だとしても、女神のしもべとなれば家との縁は断ち切られたも同然。自由に出入りできるそんな権限はないはずだぞ。

 私は後ずさって身構える。
 この男は初対面から嫌な感じはしていたのだ。なんと言うか、女を性欲処理相手としか見ていない感じがして嫌な感じがする。
 テオも私を性的な目で見ているのは分かるが、その根っこにある感情がまるっきし異なる。テオは間違いなく私を大切に想ってくれているが、目の前の男は違う。

「庶民に戻ったんだろう」

 そう言って相手は一歩前に進んできた。私はジリッと後ずさる。

「馬鹿な女だ。泥臭い生活に逆戻りするとは。噂に聞くと恋人のいる村に戻ったんだろう?」

 なにそれ社交界で噂になってるの? 村社会ばりに噂が流れるの早いな。どこから流れているのやら。
 そもそも私が庶民に戻ったから何だというのだ。シュバルツの貴族として生まれたのだとしても、エスメラルダで育ち、エスメラルダのお陰で私は魔術師になれた。無関係の人間からその選択を責められる謂われはないのだぞ。
 目の前の男はサンドラ様によく似て繊細な美しい顔立ちをしている。元が女顔なのだろう。ナヨナヨした根っからの貴族子息って感じである。たくましい美丈夫なテオとは正反対なタイプだ。

 妹のサンドラ様に似ているはずなのだがその表情は全く違う。──彼女が絶対にしないような侮蔑の表情は身に覚えがある。
 私を見下しているのだ。
 捨て子だと、下賤な娘だと見下していた人たちと同じ顔をしている。

「しかも獣人。貴き血を受け継ぐフォルクヴァルツの娘が聞いて呆れる。薄汚い獣の混じり物との間に子をなすつもりか?」
「…あなたには関係のないことだ」

 私がどこの誰の子どもを産もうと目の前の男には一切関係ない。さり気なく差別発言しやがって…薄汚いのはどちらだこの尻軽男め。
 私が相手を睨みつけていると、そこから相手が消えた。

「…!」

 転送術で目の前に移動してきた相手。私はそれに身構える間もなく、思いっきり突き飛ばされ、絨毯の床に倒れ込んだ。

「ぐっ…!?」

 背中を強打して咳き込んでしまう。
 すぐに身を起こそうとしたが、ズルズル長いドレスの裾を踏みつけられ動けない。
 鼻につくのは気取った香水の香り。不快だ。…臭い。貴族は高確率で香水を使っているが、私はその人工的な臭いが苦手なのだ。何故こんなに臭いのか。もうちょっと加減してつけたら? いい匂い通り越して臭いんだよ! テオなら間違いなく臭さにもんどり打って倒れてると思うな。

 なぜこんなに臭いのか──それは相手は倒れ込んだ私を囲うように乗り上げていたからだ。至近距離から碧の瞳が見下ろしている。

「誘いを不意にして私をコケにしたんだ。それなりの代価は支払ってもらわねば」

 好きでもない男に押し倒されたみたいになった私は、悪寒に襲われて背筋がゾゾゾッと震えていたのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

記憶喪失になったら、義兄に溺愛されました。

せいめ
恋愛
 婚約者の不貞現場を見た私は、ショックを受けて前世の記憶を思い出す。  そうだ!私は日本のアラサー社畜だった。  前世の記憶が戻って思うのは、こんな婚約者要らないよね!浮気症は治らないだろうし、家族ともそこまで仲良くないから、こんな家にいる必要もないよね。  そうだ!家を出よう。  しかし、二階から逃げようとした私は失敗し、バルコニーから落ちてしまう。  目覚めた私は、今世の記憶がない!あれ?何を悩んでいたんだっけ?何かしようとしていた?  豪華な部屋に沢山のメイド達。そして、カッコいいお兄様。    金持ちの家に生まれて、美少女だなんてラッキー!ふふっ!今世では楽しい人生を送るぞー!  しかし。…婚約者がいたの?しかも、全く愛されてなくて、相手にもされてなかったの?  えっ?私が記憶喪失になった理由?お兄様教えてー!  ご都合主義です。内容も緩いです。  誤字脱字お許しください。  義兄の話が多いです。  閑話も多いです。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

【本編・改稿版】来世でも一緒に

霜月
恋愛
「お父様にはお母様がいて、後継には弟がいる。後は私が素敵な殿方をゲットすれば万事おっけー! 親孝行にもなる!!」 そう豪語し、その為に血の滲むような努力をしてきたとあるご令嬢が、無愛想で女嫌いと噂される王弟・大公に溺愛される話。 ◆8月20日〜、改稿版の再掲を開始します。ストーリーに大きな変化はありませんが、全体的に加筆・修正をしています。 ◆あくまで中世ヨーロッパ『風』であり、フィクションであることを踏まえた上でお読みください。 ◆R15設定は保険です。 本編に本番シーンは出て来ませんが、ちょいエロぐらいは書けている…はず。 ※R18なお話は、本編終了後に番外編として上げていきますので、よろしくお願いします。 【お礼と謝罪】 色々とありまして、どうしても一からやり直したくなりました。相変わらずダメダメ作家で申し訳ありません。 見捨てないでいてくださる皆様の存在が本当に励みです。 本当にすみません。そして、本当にありがとうございます。 これからまた頑張っていきますので、どうかよろしくお願い致します。 m(_ _)m 霜月

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

処理中です...