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Day‘s Eye 魔術師になったデイジー
降りかかってきた罠
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粗末な檻に入れられた女性たちはハルベリオン城の城門を通過し、その中へと消えていった。門が閉ざされるのを私は黙って見ていた。
今の状況が状況だったので、ここで派手に暴れては作戦が失敗に終わる。そのため、絶望している彼女たちを救出できなかった。それが悔しい。
「まず兵士に扮装している私達が城門を開けさせて、門番らを拘束する。合図した後に諸君らも突入するように」
本来であれば転送術で一気に潜入が望ましいが、この国の城周りに張られている結界は何重にも掛けられていた。そこを破っている間にどこかへ逃げられる可能性もある。その機会を与えたくないのだ。
そのため侵入するなら、正面突破、勢いよく特攻がいいだろうという話に落ち着いた。
先陣は年嵩のベテラン魔術師達が担ってくれるという。彼らは17年前のシュバルツ侵攻の惨状を見てきた世代。今回のことでは年寄りが肉壁となって前線で戦うと言わんばかりにめちゃくちゃ乗り気なのだ。
ハルベリオン城の周りをエスメラルダ、シュバルツ両国から遠征してきた部隊が取り囲む。私は城壁から覗くハルベリオン国国旗を睨みつけ、息を吐き出す。戦になるということで、少なからずとも参加に乗り気ではない人もいたはずなのに、この国に入ってからいろんな惨状を見たせいか皆表情が硬かった。
……報復作戦という名の戦がはじまる。
兵士の衣装を身に着けた突入班は勇んで、固く閉ざされた城門を叩いていた。私達は死角からそれを注視する。彼らと城門の内側にいる門番が何やらそれらしいやり取りをした後、開門されて中へと入っていく。……それから数分後に動きがあった。
音の鳴らない花火が空高く打ち上げられた。
──突入の合図である。
振り返る暇はない、私は使命を果たすのだ。城門に向かって一直線に駆けていく。
この中にハルベリオンを支配する王がいる。噂に聞くとハルベリオン王はドラゴンの妙薬を欲しているとのこと。長寿を願っているか、難病にかかっているか、死に瀕しているかのどれかであろう。
城門を踏み越えると、数名のハルベリオン兵士が魔法で捕縛されていた。ハルベリオン王らに侵入を気づかれるのも時間の問題だ。猶予はない。
町で好き勝手暴れていた敵兵を捕まえて脅して、書かせた城内図を思い出す。
城内への侵入経路は大まかに3箇所。正面と裏口と中庭……人の出入りが少ない方は……
私は裏庭方面に回ってから侵入を試みようとした。後ろをルルとマーシアさんの他に同じ部隊の魔術師達が着いてくる。個人行動は厳禁。必ず誰かと移動し、助け合いするようにと部隊長にも言われている。
ひとりじゃ手強い相手でも2人ならなんとかなるかもしれない。3人なら更に力強い。
私は今まで自惚れていた。私は誰かに力を貸してもらわなければ弱い人間だ。ひとりだけで強がらずに仲間の力を素直に借りる気でいた。
走りながら周りの気配を探る。順調に進入はできたが、結界を張っている人間は既に異変に気づいているかもしれない。人気がなくても決して油断はできない。
──それにしても外から見ても内から見ても殺風景な城だ。不毛の大地に木を植えてもすぐに枯れてしまうのでここには植物はないし、魚を愛でるための池もない。城に美しい装飾があるわけでもなく、美しい芸術品が飾られているわけでもない。
……私が今まで見てきたエスメラルダとシュバルツの城と比べると、まるでここは数百年放置された廃墟だ。
奪い、殺すしか能のない国王の棲まう城。どんな人間なんだろう。
「え」
背後でマーシアさんの間抜けな声が聞こえた。
なんだ? と思ったときにはもう遅い。私の足はすかっと宙をかいていた。
「え?」
──違う。
地面がないのだ。
そのまま私はひとり、黒い落とし穴みたいなところへと落下する。
影の中に吸い込まれていく私は手を差し伸べようとする仲間の姿を最後に、奈落の底に吸い込まれてしまった。
「アステリア!」
どこからかディーデリヒさんの声が聞こえた気がしたが、今それどころではなかった。
■□■
「ぁいてっ!」
ドテッとお尻から着地したのはこれまた趣味の悪いお部屋である。…城の中の一室?
しまった、罠だ。どこに落とされたんだろう。なぜ私だけが罠に…?
突然ひとりになった私は考えた。落とし穴…アリジゴクの呪いの落とし穴バージョンか。どこかへ転送される仕組みになっている魔術であろう。
「ようこそ、ハルベリオン城へ」
お尻をさすりながら辺りを見渡すと、そこにはひとりの男が立っていた。その男はこちらを睨みながら口元を歪めていた。ボロボロの汚れきったみすぼらしいマントをしているので一応魔術師なのであろう。
あきらかに敵だ。すぐさま防御魔法を唱えようとしたが、ここでは元素の気配が感じ取れないことに気がつく。魔法が、使えない?
なんだろう、この部屋……空気が他の場所と違う…?
「──ここでは魔法が使えないように操作している」
ご丁寧に相手側から教えられた。なるほど、空間限定で魔封じの呪いを掛けているのか。
目の前にいる男はフェアラートではない。声は若い男のように聞こえるが、やせ細って頬がコケており、髪の毛が見るも無残な状態になっているため年齢不詳な男であった。
「……誰?」
「忘れたとは言わせないぞ、デイジー・マック…」
そんな事言われても、ハルベリオン敵兵に知り合いはおりませんし…
「カミル・マクファーレンという名に覚えは?」
「……?」
なんか聞いたことがあるような。ないような…?
私は疑問を表情に出さずに考え込んでいた。私の反応が芳しくなかったからか、相手はカッと目を見開く。そして私へ向けて余すことなく憎悪を吐き出してきた。
「忘れたとは言わせないぞ! お前のせいで魔法魔術学校を退校処分になった後、家から勘当を申し渡された僕は放逐された。…貴族である僕をだぞ…? いつか僕を見捨てたすべての者達へ復讐を果たすためにハルベリオンに寝返ったのだ…!」
…あー、思い出した。
魔法魔術学校で見せしめのように嫌がらせした挙げ句に、戦闘大会で反則して私を殺しかけたあの貴族子息か。退校処分になったのは知っていたが、家からも勘当されたのか……
余罪があったから退学になったって聞いてるよ。自分が色々やらかしたから親に見放されたのでは……人のせいにしないでほしい。
「まさかここで諸悪の根源であるお前と再会することになるとは…」
「嫌な運のめぐり合わせですね」
ほんと。これからって時に何故あんたの顔を見なきゃならんのだ。ていうか髪の毛どうしたの。ところどころ抜けて不自然なハゲ方してますけど…
私が言葉を発すると、気分を害した様子でギッと睨みつけてくる、元貴族子息。……放逐された後、普通に平民として生きるという道はなかったのだろうか。ハルベリオンに寝返るほどのことなのだろうか。大体自分が悪いのに…
まだこの作戦が遂行できたわけじゃないが、ハルベリオンに手を貸しているあんたはもう二度とエスメラルダに受け入れてもらえないぞ。
間違いなく裁判にかけられる。祖国を裏切ったのだ。有罪になるのは確定だ。
しかし諭してやる気は毛頭ないので何も言わない。
私が動じることなく、冷静に見えたのか、元貴族子息は舌打ちをしていた。
「随分余裕だな。これからどんな目に合うかも知らずに」
にやりといやらしく笑う相手をみて私は嫌な予感がしていた。
何故かこの部屋には寝台があった。そして先程から香ってくるこの匂いには覚えがある。この匂いはミアが誘拐された時、救出した際に香ったあの違法薬物の匂いである。
「光栄に思うがいい。はじめは尊い御方がお相手してくださる。…その後は下賜するけどな」
耳を疑った。
まるで私に娼婦の真似ごとをしろと言っているようで…
「意識のないままではつまらない。だからお前の身体の自由は奪わないでやった。…どこまで気丈に振る舞えるかな」
私はダメ元で魔法を使ってみたが、確かに無効化の術が張られているようである。
これでは魔法どころか、眷属も呼べない。
他に逃げ道は…逃げるしか助かる方法はない。私は辺りを見渡した。
──ドスッ
「グッ…!?」
脱出経路を探していて気がそれていた。お腹に強烈な痛みを感じた私は、一気に体中の力が抜けた。
「あの時のお返しだ」
奴は私のお腹を力いっぱい殴ってきた。私はお腹を抱えると、膝をついて呻いた。……あの時のお返し…って。男女の力の差わかってないだろうこいつ…! 倍返しになってるじゃないか!
「ざまぁみろ。男どもの慰み者になるがいい!」
元貴族子息はそう言ってこちらを侮蔑の眼差しで見下すと、部屋を出ていった。外ではガチャガチャと鍵のかかる音が聞こえた。私を閉じ込めて置くつもりらしい。
私は痛むお腹を擦りながら呼吸を整え、ゆっくり立ち上がると、扉を開けようとするも、しっかり鍵がかかっている。
そして外につながる窓は鉄格子がはめられており、まるで牢屋のようであった。
とりあえず先程から香炉から煙を出している匂いのきつい違法薬物には傍にあった水差しで煙を消して、シーツを掛けて匂いを遮っておく。
…先程の言葉、貴族子息は本気で言ったのだろうか。
尊い身分と言うと、ハルベリオン王? 私は知らない男に抱かれなくてはならないのか、娼婦のように…いや、賃金が発生しないなら娼婦以下である。
ここへ突入する前に見かけた、目の死んだ性奴隷たちを思い出した。あの時は他人事でいられたけど、いざ自分がとなるとゾッとする。
──もしも身体を穢されたら、皆はどんな反応をするのだろう。
貴族令嬢としては失格だ。私もあの人みたいに放逐されるかもしれない。
村の家族は? あいつは……どんな顔するだろう。…伴侶に一途な獣人だもの。穢されたと知られたら、嫌悪されちゃうかもな。
いやだな、すごく嫌だな。皆が私を見る目が変わってしまうんだろうな…そんなの、耐えられないかも。
何よりも穢された自分の姿を見られたくない。
ふと、出発前に夫人から渡された毒薬の存在を思い出した。
魔法が使えない。脱出が厳しいこの状況。
仲間たちが探してくれていたとしても、すぐには見つけられないだろう。この部屋は奥まった位置にあって、警備が厳しい場所かもしれないもの。
辱めを与えられる前に…いっそ。
胸元のペンダントのロケットを開くと薬包が入っている。致死量の毒。これを飲めば、生きて辱めを受けることはない。知らない男に抱かれるくらいなら死んだほうがマシだ。
薬包を開けて、それを口に流し入れようとした。
──こてん
その時、何かが落ちる音が聞こえた。
音の元に視線を向けると、尖った白い歯が床の上に転がっている。
「…あ、革紐がちぎれたんだ…」
ペンダントにしていたテオの乳歯。その紐が千切れて床に落ちたのだ。
私はそれをじっと見つめた。
…これを私に渡した時から、あいつは私に好意を抱いていたのだろうか。あいつ、魔除けだって言っていた。この歯が男避けになるって言っていたな…。
なんでこんなときにあいつの顔が思い浮かんでくるんだろう。
あいつの手を振り払ったのは私なのに。
まるでテオの歯が「死ぬな」って訴えてきたようで、私は毒薬を口に含む気をなくしてしまった。
涙が滲んできて、急に死ぬのが怖くなったのだ。ここに来るまでは死ぬのは怖くないと思っていたくせに。今は死ぬのが怖い。
…生きたまま、テオに会いたくて仕方ないのだ。
私は鼻をすすり、目元を袖で拭った。薬をペンダントロケットの中に戻すと、テオの乳歯のペンダントを拾い上げた。千切れた紐を結び直して首につけ直すと、体についたホコリを叩き落とす。
大丈夫。殴られたお腹は痛むけど、体は動く。
魔法は使えないけど、大丈夫だ。
武器なりそうなものはないかと辺りを見渡し……目に留まったのは椅子だ。椅子を引き寄せると、背もたれをしっかり掴んでドアの死角に立つ。
……入り込んだのを殴ろう。
殴ってボコボコにして脱走してやる。
最後まであがいてやろう。恥を忍んで死ぬのはその後でもできる。
私は深呼吸して、その時を今か今かと待ち構えていたのである。
今の状況が状況だったので、ここで派手に暴れては作戦が失敗に終わる。そのため、絶望している彼女たちを救出できなかった。それが悔しい。
「まず兵士に扮装している私達が城門を開けさせて、門番らを拘束する。合図した後に諸君らも突入するように」
本来であれば転送術で一気に潜入が望ましいが、この国の城周りに張られている結界は何重にも掛けられていた。そこを破っている間にどこかへ逃げられる可能性もある。その機会を与えたくないのだ。
そのため侵入するなら、正面突破、勢いよく特攻がいいだろうという話に落ち着いた。
先陣は年嵩のベテラン魔術師達が担ってくれるという。彼らは17年前のシュバルツ侵攻の惨状を見てきた世代。今回のことでは年寄りが肉壁となって前線で戦うと言わんばかりにめちゃくちゃ乗り気なのだ。
ハルベリオン城の周りをエスメラルダ、シュバルツ両国から遠征してきた部隊が取り囲む。私は城壁から覗くハルベリオン国国旗を睨みつけ、息を吐き出す。戦になるということで、少なからずとも参加に乗り気ではない人もいたはずなのに、この国に入ってからいろんな惨状を見たせいか皆表情が硬かった。
……報復作戦という名の戦がはじまる。
兵士の衣装を身に着けた突入班は勇んで、固く閉ざされた城門を叩いていた。私達は死角からそれを注視する。彼らと城門の内側にいる門番が何やらそれらしいやり取りをした後、開門されて中へと入っていく。……それから数分後に動きがあった。
音の鳴らない花火が空高く打ち上げられた。
──突入の合図である。
振り返る暇はない、私は使命を果たすのだ。城門に向かって一直線に駆けていく。
この中にハルベリオンを支配する王がいる。噂に聞くとハルベリオン王はドラゴンの妙薬を欲しているとのこと。長寿を願っているか、難病にかかっているか、死に瀕しているかのどれかであろう。
城門を踏み越えると、数名のハルベリオン兵士が魔法で捕縛されていた。ハルベリオン王らに侵入を気づかれるのも時間の問題だ。猶予はない。
町で好き勝手暴れていた敵兵を捕まえて脅して、書かせた城内図を思い出す。
城内への侵入経路は大まかに3箇所。正面と裏口と中庭……人の出入りが少ない方は……
私は裏庭方面に回ってから侵入を試みようとした。後ろをルルとマーシアさんの他に同じ部隊の魔術師達が着いてくる。個人行動は厳禁。必ず誰かと移動し、助け合いするようにと部隊長にも言われている。
ひとりじゃ手強い相手でも2人ならなんとかなるかもしれない。3人なら更に力強い。
私は今まで自惚れていた。私は誰かに力を貸してもらわなければ弱い人間だ。ひとりだけで強がらずに仲間の力を素直に借りる気でいた。
走りながら周りの気配を探る。順調に進入はできたが、結界を張っている人間は既に異変に気づいているかもしれない。人気がなくても決して油断はできない。
──それにしても外から見ても内から見ても殺風景な城だ。不毛の大地に木を植えてもすぐに枯れてしまうのでここには植物はないし、魚を愛でるための池もない。城に美しい装飾があるわけでもなく、美しい芸術品が飾られているわけでもない。
……私が今まで見てきたエスメラルダとシュバルツの城と比べると、まるでここは数百年放置された廃墟だ。
奪い、殺すしか能のない国王の棲まう城。どんな人間なんだろう。
「え」
背後でマーシアさんの間抜けな声が聞こえた。
なんだ? と思ったときにはもう遅い。私の足はすかっと宙をかいていた。
「え?」
──違う。
地面がないのだ。
そのまま私はひとり、黒い落とし穴みたいなところへと落下する。
影の中に吸い込まれていく私は手を差し伸べようとする仲間の姿を最後に、奈落の底に吸い込まれてしまった。
「アステリア!」
どこからかディーデリヒさんの声が聞こえた気がしたが、今それどころではなかった。
■□■
「ぁいてっ!」
ドテッとお尻から着地したのはこれまた趣味の悪いお部屋である。…城の中の一室?
しまった、罠だ。どこに落とされたんだろう。なぜ私だけが罠に…?
突然ひとりになった私は考えた。落とし穴…アリジゴクの呪いの落とし穴バージョンか。どこかへ転送される仕組みになっている魔術であろう。
「ようこそ、ハルベリオン城へ」
お尻をさすりながら辺りを見渡すと、そこにはひとりの男が立っていた。その男はこちらを睨みながら口元を歪めていた。ボロボロの汚れきったみすぼらしいマントをしているので一応魔術師なのであろう。
あきらかに敵だ。すぐさま防御魔法を唱えようとしたが、ここでは元素の気配が感じ取れないことに気がつく。魔法が、使えない?
なんだろう、この部屋……空気が他の場所と違う…?
「──ここでは魔法が使えないように操作している」
ご丁寧に相手側から教えられた。なるほど、空間限定で魔封じの呪いを掛けているのか。
目の前にいる男はフェアラートではない。声は若い男のように聞こえるが、やせ細って頬がコケており、髪の毛が見るも無残な状態になっているため年齢不詳な男であった。
「……誰?」
「忘れたとは言わせないぞ、デイジー・マック…」
そんな事言われても、ハルベリオン敵兵に知り合いはおりませんし…
「カミル・マクファーレンという名に覚えは?」
「……?」
なんか聞いたことがあるような。ないような…?
私は疑問を表情に出さずに考え込んでいた。私の反応が芳しくなかったからか、相手はカッと目を見開く。そして私へ向けて余すことなく憎悪を吐き出してきた。
「忘れたとは言わせないぞ! お前のせいで魔法魔術学校を退校処分になった後、家から勘当を申し渡された僕は放逐された。…貴族である僕をだぞ…? いつか僕を見捨てたすべての者達へ復讐を果たすためにハルベリオンに寝返ったのだ…!」
…あー、思い出した。
魔法魔術学校で見せしめのように嫌がらせした挙げ句に、戦闘大会で反則して私を殺しかけたあの貴族子息か。退校処分になったのは知っていたが、家からも勘当されたのか……
余罪があったから退学になったって聞いてるよ。自分が色々やらかしたから親に見放されたのでは……人のせいにしないでほしい。
「まさかここで諸悪の根源であるお前と再会することになるとは…」
「嫌な運のめぐり合わせですね」
ほんと。これからって時に何故あんたの顔を見なきゃならんのだ。ていうか髪の毛どうしたの。ところどころ抜けて不自然なハゲ方してますけど…
私が言葉を発すると、気分を害した様子でギッと睨みつけてくる、元貴族子息。……放逐された後、普通に平民として生きるという道はなかったのだろうか。ハルベリオンに寝返るほどのことなのだろうか。大体自分が悪いのに…
まだこの作戦が遂行できたわけじゃないが、ハルベリオンに手を貸しているあんたはもう二度とエスメラルダに受け入れてもらえないぞ。
間違いなく裁判にかけられる。祖国を裏切ったのだ。有罪になるのは確定だ。
しかし諭してやる気は毛頭ないので何も言わない。
私が動じることなく、冷静に見えたのか、元貴族子息は舌打ちをしていた。
「随分余裕だな。これからどんな目に合うかも知らずに」
にやりといやらしく笑う相手をみて私は嫌な予感がしていた。
何故かこの部屋には寝台があった。そして先程から香ってくるこの匂いには覚えがある。この匂いはミアが誘拐された時、救出した際に香ったあの違法薬物の匂いである。
「光栄に思うがいい。はじめは尊い御方がお相手してくださる。…その後は下賜するけどな」
耳を疑った。
まるで私に娼婦の真似ごとをしろと言っているようで…
「意識のないままではつまらない。だからお前の身体の自由は奪わないでやった。…どこまで気丈に振る舞えるかな」
私はダメ元で魔法を使ってみたが、確かに無効化の術が張られているようである。
これでは魔法どころか、眷属も呼べない。
他に逃げ道は…逃げるしか助かる方法はない。私は辺りを見渡した。
──ドスッ
「グッ…!?」
脱出経路を探していて気がそれていた。お腹に強烈な痛みを感じた私は、一気に体中の力が抜けた。
「あの時のお返しだ」
奴は私のお腹を力いっぱい殴ってきた。私はお腹を抱えると、膝をついて呻いた。……あの時のお返し…って。男女の力の差わかってないだろうこいつ…! 倍返しになってるじゃないか!
「ざまぁみろ。男どもの慰み者になるがいい!」
元貴族子息はそう言ってこちらを侮蔑の眼差しで見下すと、部屋を出ていった。外ではガチャガチャと鍵のかかる音が聞こえた。私を閉じ込めて置くつもりらしい。
私は痛むお腹を擦りながら呼吸を整え、ゆっくり立ち上がると、扉を開けようとするも、しっかり鍵がかかっている。
そして外につながる窓は鉄格子がはめられており、まるで牢屋のようであった。
とりあえず先程から香炉から煙を出している匂いのきつい違法薬物には傍にあった水差しで煙を消して、シーツを掛けて匂いを遮っておく。
…先程の言葉、貴族子息は本気で言ったのだろうか。
尊い身分と言うと、ハルベリオン王? 私は知らない男に抱かれなくてはならないのか、娼婦のように…いや、賃金が発生しないなら娼婦以下である。
ここへ突入する前に見かけた、目の死んだ性奴隷たちを思い出した。あの時は他人事でいられたけど、いざ自分がとなるとゾッとする。
──もしも身体を穢されたら、皆はどんな反応をするのだろう。
貴族令嬢としては失格だ。私もあの人みたいに放逐されるかもしれない。
村の家族は? あいつは……どんな顔するだろう。…伴侶に一途な獣人だもの。穢されたと知られたら、嫌悪されちゃうかもな。
いやだな、すごく嫌だな。皆が私を見る目が変わってしまうんだろうな…そんなの、耐えられないかも。
何よりも穢された自分の姿を見られたくない。
ふと、出発前に夫人から渡された毒薬の存在を思い出した。
魔法が使えない。脱出が厳しいこの状況。
仲間たちが探してくれていたとしても、すぐには見つけられないだろう。この部屋は奥まった位置にあって、警備が厳しい場所かもしれないもの。
辱めを与えられる前に…いっそ。
胸元のペンダントのロケットを開くと薬包が入っている。致死量の毒。これを飲めば、生きて辱めを受けることはない。知らない男に抱かれるくらいなら死んだほうがマシだ。
薬包を開けて、それを口に流し入れようとした。
──こてん
その時、何かが落ちる音が聞こえた。
音の元に視線を向けると、尖った白い歯が床の上に転がっている。
「…あ、革紐がちぎれたんだ…」
ペンダントにしていたテオの乳歯。その紐が千切れて床に落ちたのだ。
私はそれをじっと見つめた。
…これを私に渡した時から、あいつは私に好意を抱いていたのだろうか。あいつ、魔除けだって言っていた。この歯が男避けになるって言っていたな…。
なんでこんなときにあいつの顔が思い浮かんでくるんだろう。
あいつの手を振り払ったのは私なのに。
まるでテオの歯が「死ぬな」って訴えてきたようで、私は毒薬を口に含む気をなくしてしまった。
涙が滲んできて、急に死ぬのが怖くなったのだ。ここに来るまでは死ぬのは怖くないと思っていたくせに。今は死ぬのが怖い。
…生きたまま、テオに会いたくて仕方ないのだ。
私は鼻をすすり、目元を袖で拭った。薬をペンダントロケットの中に戻すと、テオの乳歯のペンダントを拾い上げた。千切れた紐を結び直して首につけ直すと、体についたホコリを叩き落とす。
大丈夫。殴られたお腹は痛むけど、体は動く。
魔法は使えないけど、大丈夫だ。
武器なりそうなものはないかと辺りを見渡し……目に留まったのは椅子だ。椅子を引き寄せると、背もたれをしっかり掴んでドアの死角に立つ。
……入り込んだのを殴ろう。
殴ってボコボコにして脱走してやる。
最後まであがいてやろう。恥を忍んで死ぬのはその後でもできる。
私は深呼吸して、その時を今か今かと待ち構えていたのである。
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だが彼女は、シャルルの次の言葉にさらなる衝撃を受けることになる。
「そして私の婚約は、新たにこのコリンヌと結ぶことになる!」
正式な場でもなく、おそらく父王の承諾さえも得ていないであろう段階で、独断で勝手なことを言い出すシャルル。それも大概だが、本当に男爵家の、下位貴族の娘に王子妃が務まると思っているのか。
これでもブランディーヌは彼の婚約者として10年費やしてきた。その彼の信頼を得られなかったのならば甘んじて婚約破棄も受け入れよう。
だがしかし、シャルルの王子としての立場は守らねばならない。男爵家の娘が立派に務めを果たせるならばいいが、もしも果たせなければ、回り回って婚約者の地位を守れなかったブランディーヌの責任さえも問われかねないのだ。
だから彼女はコリンヌに問うた。
「貴女、王子妃となる覚悟はお有りなのよね?
では、一度お試しで受けてみられますか?“王子妃教育”を」
そしてコリンヌは、なぜそう問われたのか、その真意を思い知ることになる⸺!
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