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Day‘s Eye 魔術師になったデイジー

大巫女と私

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 目をつぶり、静かな笑みを浮かべる女神像。女神はこの世界を作った御方。生きとし生けるものは女神の子どもであり、彼女はみんなの母なのだ。
 彼女は慈愛に満ちているが、時に厳しく人を裁いてしまう。悲劇が起きようと一歩下がった位置から眺めておいでである。彼女は神。必要以上に世界へ干渉しない。

 出産・結婚・葬儀などの特別なことがあったときに神殿に報告参りにいくが、それ以外では神殿に足を踏み入れることはない。
 こんな近くで女神の彫像を眺める機会は滅多に無い。私は女神像を見上げてぼんやりしていた。

 ──以前、女神の裁きを受けるためにここに来た際に、ここの大巫女である同い年の少女に言われたのだ。『あなたはラウル殿下の妃になられる御方だ』と。
 王太子の妃を女神に決めてもらうときに、女神は私の名を呼んだのだという。
 私の生き死にをわかっていながら、私の両親にそれを伝えることはしなかった。そういうところが神らしいところだ。必要以上に人に手を貸さない。干渉しない。
 慈愛深いはずなのに、残酷でもある気まぐれな女神様。
 …女神様はどこまで見抜いていたのだろう。私の運命を天から眺めておいでだったのだろうか。
 私がこの国の王妃になることを望んでいるという女神フローラ。私がそれを望んでいないと知ったら、それを許してくださるだろうか。

「アステリア・デイジー・フォルクヴァルツ様」

 静かなその声はまるで空気のきれいな森の中で聞く、穏やかな風の音に似ていた。私は振り返って、その人物に向けてさっと礼をとった。
 大巫女の衣装を身にまとった美しい少女が裾を引きずりながらこちらへ歩いてきた。ステンドグラスに差し込む光が、金色の髪に反射してきらきら眩しい。

「おまたせして申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です」

 この大巫女様は女神選出の儀で数多くの候補者の中から女神直々に選ばれた、元見習い巫女だったのだという。
 生まれは伯爵家の令嬢だったそうだが、13のときに突然出奔して神殿の扉を叩いたとかなんとか……今はお母さんとその乳母であったばあやさんを呼び寄せて神殿近くに構えた屋敷で住まわせているとかな……。
 この人も色々と複雑な事情をお持ちのようである。

 今日は女神の裁きの時のお礼も兼ねて、前もって大巫女様にお会いする約束をしていた。
 女神の裁きという儀式は大巫女の体に女神を憑依させて行うもので、大巫女様に負担を与えてしまうものなのだ。せめてご挨拶だけでもと思って私はお供え物と寄付金を持って参上した次第である。

「まぁ、美味しそうなお野菜ですね」
「あぁ同居者が…持って行けと言うもんで」

 果物盛り合わせの中に無理やり押し込められたトマトやらズッキーニやらホースラディッシュ……ドラゴン手づから育てたものだ。女神様も喜ぶんじゃないかなと思ったけど、やっぱり野菜のほうが目立ってバランス悪いかな。
 しかし大巫女様の目を楽しませる事は出来たようである。彼女はふふ、と小さく笑って、供物を同行していた神官たちに運ぶようにお願いしていた。

 彼女に誘導されるようにして、祈りの間に連れて行かれる。その場に一歩踏み入れると空気がガラリと変わる。私は少しばかり気を張って前へと進み歩いた。
 水場前の祭壇に供え物を置くと、私は膝をついてお祈りをした。女神様とは大巫女が交信しない限り言葉をかわすことはないので一方的にお祈りをするだけに留める。

「…こちらの生活には慣れましたか?」

 横から声を掛けられ、大巫女様の碧の瞳を見返すと、なんだか心の奥深くを見透かされているような気分になった。
 私は口を開こうとして、閉じた。
 村を去ってからあれから何ヶ月も経過した。フォルクヴァルツにもこの国にも馴染んで来たと思う。まだ貴族令嬢としての役目は果たせていないけど、そのうち公の場に出ていくことになるだろうし……

 私の思い描いていた未来とは全く違う方向にことは進んでいるけど、慣れるには慣れた。

「…はい……」

 私の笑顔が不器用だったのか、大巫女様は目を丸くしておられた。
 ──駄目だな、貴族なら表情を取り繕うのが上手じゃなきゃ駄目なのに。私は愛想がないから、表情を作るのは苦手なんだ。

 私を静かな目で見上げていた大巫女様は側にいたお側付きの巫女に視線で何かを指示していた。静かに神殿巫女がどこかへ下がっていくのを見送ると、彼女はニッコリと優しい笑顔を浮かべる。

「あちらにお茶を用意してますので、良かったら」

 彼女に気を遣わせてしまったのかもしれない。大巫女様なのに申し訳ない…

 神殿内は清貧が主流だ。貴族のような豪華さは全くない。だけどそれが私が村で暮らしていた頃を思い出させて、じわりと目の奥が熱くなった。
 シンプルな茶器に注がれたのはハーブティだ。

「身体があたたまりますよ」

 私は頷いてそれを静かに口に含む。
 ハーブティは村でもよく飲んでいた。うちみたいな田舎は紅茶よりも、ハーブティのほうが安く手に入るのだ。それに身体にもよく子どもも飲めるってことで、みんな飲んでいた。恐らく町のお店でも紅茶よりも、豊富な数のハーブティを取り揃えていたはずである。
 こくんと飲み込むと、もう戻れない故郷を思い出して涙がじわりと滲んだ。

「…おいしいです」

 もっと気の利いたことを言えたら良かったけど、私は元来おしゃべりが下手なのだ。鼻をすすって静かにハーブティを飲み込む。
 大巫女様は私を静かに見ていた。何かを聞くわけでもなく……

「……アステリア様はお聞き及びでしょうか。私の出自が貴族であることを」

 大巫女さまの問いかけに私は飲むのをやめて、彼女の顔を見返した。

「…その辺に流れている噂と変わりません。私は家を嫌って出ていったのです。貴族として受けた恩恵を義務という形で返すこともなく、逃げてきた臆病者です」

 急に懺悔みたいなことを言われたので、私はティーカップをソーサーに戻してオロオロしていた。
 ど、どうしたんだ急に。私に懺悔しても許しは得られないぞ。

「それに比べてあなたは立派。大変な災禍に遭われながらも、若くして高等魔術師となってこの国に戻ってこられたのですもの……逃げてきた私とは大違いです」

 私は私のために高等魔術師になっただけで貴族が云々はあまり関係ないけど……正直あまり恩恵受けてませんし。

「そんなことないでしょう。女神様に選ばれた大巫女であるあなたは特別な人なんですから」

 女神に選ばれたと言うだけで価値があるのに何をそんな卑下するのか。…それ言ったら結婚相手に選ばれている私も同じこと言えるんだろうけど、私の場合「興味がないから困っている」だからな…

「……女神様に妃候補として選ばれた私も正直困っています。今になって貴族でした、貴族の義務として王太子と結婚しろと言われても迷惑なんです」

 今まで放置していたのに何を今更っていうのが本音だ。
 探し出せなかったのは事情もあるだろうが、私としてはそんなの関係ない。
 私は長いこと捨て子扱いを受けて育ったのだ。百歩譲って貴族として生きる人生を歩むとしても、よく知らない男の元へ、しかも王妃になれと言われても正直迷惑である。

「私には育ててくれた家族がいて、恩に報いたくて庶民ながらに努力して高等魔術師にまで上り詰めました。それはこの国のためではありません。自分のためです」

 捨て子として養子として育った私には魔術師として成り上がることが一番の道だった。そして得た地位を私は誇りに思っている。

「数回しか会っていない王太子の婚約とかどうでもいい。私は結婚に夢見るほど可愛げのある女じゃないですから」

 上に潰されそうになりながらも私は努力して上り詰めたのだ。今の自分が上流階級に置かれているという真実は置いておいて、自分は上流階級に対して敵対心すら抱いている。
 よって、そんなおとぎ話みたいなことを言われて喜ぶほど私は素直な性格をしていないのだ。私には高給取りという野望は持っているが、それは貴族として悠々自適に生きて贅沢な暮らしをして得ることではない。
 自分が努力して得た知識や技能を使って労働して、それから得る収入が欲しいのだ。

 まぁこんな事、色々説明したとしても上流階級に生きる人達には理解できないだろうな。育った土壌が違うのだもの。

 だけど目の前の大巫女様は真剣な眼差しを向けていた。笑うことも、困った顔もすることなく、真剣に私の本音を聞いてくれていた。
 そして小さく息を吐き出すと、頷いた。

「女神様があなたを選んだ理由は私にもわかります……あなたの意に沿わないことであれば女神様もきっと理解を示してくださることでしょう」

 彼女の言葉に嘘はないと感じた。
 私の意志を尊重して、導きの言葉を与えてくれたようにも思える。

「ですが、あなたの存在がこの国に必要なのは確かです。形は違えど共に国を護りましょう。微力ですが、私もお勤めを頑張ります」

 席を立った大巫女様は私の横に立ち、私の手をギュッと掴んだ。
 小さな手だ。
 だけどその手は元貴族令嬢とは思えないくらい、働く人の手になっていた。目には見えないけれど、この人も努力しているんだろうな……なんだか親近感を覚えた。


「──楽しそうだね」

 ここは人払いをされていたはずだ。
 私と大巫女様はビクリと肩を揺らしてその声がした方へ視線を向けた。

「…まぁ、殿下」
「ごきげんよう、アレキサンドラ……それと、アステリア嬢」

 その男は勝手知ったるとばかりにズカズカ部屋に入ってきたと思えば、私の手を掴んでいる大巫女様の手を掴み、その手の甲に口付けを落としていた。
 大巫女様は驚いて固まっていた。

 パーティで一度言葉を交わしたことがあるが……やっぱりこの男。
 シュバルツ王国王太子、ラウル・シュバルツはちらりと私に視線を流すと、こちらを観察するような目で見てきた。

「綺麗どころが集まってお茶をしていると聞きつけたんだ。私もお邪魔させてもらってもいいかな?」

 嫌だって言っても、どうせ居座るんでしょ。
 やっぱり、この王太子は曲者だ。
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