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Day's Eye 森に捨てられたデイジー

魔術師の卵

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 ──ストン、と小さく音を立てて着地したのは絨毯張りの床。あたりを見渡すと鹿の剥製だったり、悪趣味なツボだったり…統一性のない部屋が広がっていた。
 ……たどり…つけたのか? 座標をミアに指定したけど…ミアの姿が見えない。人の気配はするけども人の姿が見えない…。
 私の目の前にはカーテン付きの寝台があった。これまた悪趣味な紫色の寝台。レースのカーテンをシャッと開けたがそこには誰もいない。
 …変な匂いがする。お香みたいな……

「…ミア?」

 名前を呼んでみるが、返事はない。ここにはいないのかな。早いところここから脱走したいんだけど。もしかして座標ミスで別の部屋に飛んだのかな。
 私は踵を返して部屋の扉に手をかけた。

「…デイジー…?」

 下から聞こえてきた声。私が視線を向けると……いた。ずりずりと床を這いずってきたのはミアだ。ベッド下に隠れていたらしい。

「…もう、手出された…?」

 恐る恐る問いかけると、ミアは首を横に振った。純潔は汚されてないそうだ。間に合って良かった。ミアは嫌悪感を露わにしながら、腕で身体を隠している。

「……すごい格好だね」
「ここのメイドに無理やり着せられたの…」

 現状無事ではあるが、ミアはどこの娼婦なんだって格好をしていた。スケスケの桃色のワンピースに申し訳程度に局部を隠した下着がバッチリ見える。スタイルのいい猫獣人ミアの魅力を押し出した衣装……目的がゲスいけど。
 うわぁ、あのおっさんマジか、うわぁ。
 やっぱり転送術で来て正解だった。じゃなきゃミアは……

 ガチャガチャッ
「!」

 扉のドアノブを回す音に私はギクリとした。ミアも顔を真っ青にして固まっている。

 ──ドンッドンッ
「コラッ猫娘! いつまで抵抗するつもりだ! 開けないか!」

 その声にミアは耳を塞いで縮こまる。もしかしたらドアに鍵をかけて籠城し続けていたのであろうか。
 怖かっただろう。人間よりも身体能力に長けているとは言っても、ミアは猫獣人、そして女の子だ。それを押さえつけて乱暴する手段はいくつだってある。同じ人間として恥ずかしい、ミアに申し訳ない。
 私はミアに手を伸ばした。

「いい? 今から転送術を使うから絶対に私から離れないで…私を信じて」

 ミアは涙の溜まった瞳でぼんやりしていたが、すぐに頷くと私の間合いに入った。
 一刻も早くこの場を立ち去ったほうがいい。追っ手が来るかもしれないけど、その時はその時だ。いつまでもここに居てもいいことはない。

 ──ガチャリ
 合鍵で扉の鍵が開かれた音が聞こえた。すると恐怖に震えたミアが「ヒッ」と引きつった声を上げた。

「時空を司る元素たちよ、我らを転送したまえ」

 私は目をつぶって村を想像した。見慣れた村の……なぜだろう、頭に浮かんだのがテオの顔。村を去る前最後に見たのがあいつの憎たらしい顔だからであろうか。

 浮遊感に怯えたミアが私の首を締めるくらいに抱きついてきた。苦しいけど仕方ない。大丈夫、無傷で村まで送り届けるから。
 その場から消える直前、ドアを開けたあのおっさんと目がぱっちり合った。
 私を見るなり、顔を真っ赤にしてなにかを叫んでいたけど、何言ってるかちょっとわかんない。


■□■


 地面に足をついた時、クラリとめまいがした。
 あぁ、これが人を伴っての転送術の弊害か。血液が鉛に変わったみたいに体が重い。なんとか2つ足で立てるけど、下手したらへたり込みそうだ。

「デイジー! ミア!」

 村に無事戻れたようだ。目の前には先程ぶりのテオの姿。どうだ、見たか。私だってやれば出来るんだぞと言ってやろうと思ったのだが、それは叶わなかった。

「──テオッ!」

 何故かって、際どい衣装姿のミアが泣きながらテオに抱きついたからである。

「お、おい…」
「怖かった…もう駄目かと思った…!」

 泣きじゃくるミアに、テオは目を白黒して動揺していたが、ミアのひどい格好に気づいたのだろう。「臭うかも知んねぇけどこれ着ておけ」と自分の服を脱いで彼女に着せていた。
 ミアは少し驚いた顔をしていたが、幸せそうな笑みを浮かべていた。先程まで怯えて震えていたが、テオのもとに戻れたのが余程嬉しいのだろうなって見ているだけでわかった。
 なんだかモヤッとする。

 助けたの私なんですけどね。



 単独でミア救出に出向いた私は、村の大人から色々話を聞かれていた。事態が事態なので、明日町の警らに被害報告に行くために私も同行することになってしまった。
 被害者のミアはといえば、親に抱きついて泣きじゃくっているので落ち着くのを待ってから話を聞くみたいだ。

 …ぶっちゃけ私は今すぐにベッドへ向かいたいのだが、ひどい倦怠感を隠して我慢していた。
 あー…だるい。こんなにだるいとは思わなかったよ。一人だったら全然余裕なんだけどなぁ。魔力なしを運ぶ代償みたいなもんなのだろうか。

 空はすっかり暗くなり、空のてっぺんでは月が輝いている。そういえば獣人って月の満ち欠けに影響受けやすいんだよな。まんまるお月さまの今日、村人が血気盛んになったのはつまりそういうことか。いや、もともとの気性もあるんだろうけども。

 ダカッダカッダカッ、ズザァッ……!
 私がぼんやり空を見上げていると、どこからか馬の走ってくる音が聞こえてきた。こんな夜に村に来客か?
 
 ──ヒヒィィィン!
「猫娘はどこだぁぁ!」

 馬が嘶く声と重なり合って聞こえてきたその汚い声に怯えたのはミアである。ビビッと尻尾の毛を膨らませ、目を見開いて固まっている。私はため息を吐いた。こんな夜に追っ手が来るとは思わなかった。
 仕方ないなぁ。
 私は座っていた椅子から立ち上がって招かれざる客の元へと向かおうとしたのだが、腕を掴んで阻止する者がいた。テオである。

「…なに、離して」
「あぶねぇから行くな」

 何やら心配してくださったようである。だが、あれは私への恨みもあると思うので、私がお相手して差し上げるのが筋だと思うのだ。

「私を誰だと思っているの? 魔術師の卵なんだよ?」

 あんまり見くびるでないよ。
 バッと手を振り払うと、私はスタスタと歩いていく。「待てって!」とテオが後ろから追いかけてくる気配がしたが、今はお相手してあげる余裕がない。ダルくて妙にイライラするんだわ。

「何の用だ!」
「うちの村の娘に手出しさせねぇぞ!」

 すっかり暗くなった村を照らすのはあちこちに配置された松明の炎の灯だ。今日ばかりは村全体が警戒態勢になっていた。武器を持って戦闘態勢の村人らは侵入者に敵意むき出しにして睨みつけていた。

 ダメダメ、何のために私が救出に向かったと思ってるんだ。暴力は駄目だ。
 私は間に入って村人を背にした。喧嘩や暴動を防止するためである。松明に照らされた私の顔を見るなり、おっさんがハッとした顔をしていた

「小娘っよくも邪魔をしたな!」
「おじさん、拉致は立派な犯罪なんだけど? ミアにまず頭下げたらどうなの」

 でないと村人から袋叩きにされちゃうよ、私は別にそれでも構わないけど。という言葉を言外に押し込めておく。
 それが出来ないなら、もう止めない。

「生意気なっ…! 獣人ごときがこの私に逆らうというのか! 下等生物がっ…」

 ──バシャバシャバシャ
 わざとじゃないの。私の怒りに反応した元素たちが少しばかり暴走しただけなの。
 頭上から水をぶっかけられてずぶ濡れになったおっさんは呆然としていた。未だにこういう人間っているよね……よくも獣人の前でそんな事言えるな。
 私はあえて中立になってあげようとしたけど、心まではごまかせなかった。

「約80年前に制定された、エスメラルダ王国・獣人差別禁止法前文ではこう書かれている。”これまでの歴史の中で我々人間が獣人に対して行ってきた残虐で非道な行為を反省するとともに、同じ過ちを二度と繰り返さないことをここに誓う”」

 私はこういう輩が心底嫌いだ。同じ世界に生きた、たまたま種族の異なる意思疎通が出来る相手を何の権利があって見下すのか。下等生物はどちらなんだ…! 同じ人間として恥ずかしい!
 そんな言葉、村の人達に聞かせたくはない。同じ人間、同胞としてけじめを付けてあげよう。
 クイッと指を動かす仕草をすると、シュルシュル…とどこからか植物のツタが生えてきた。私が土と草の元素を操ったのだ。ここは私の育った土地。なので呪文で命じなくとも私の意思を汲んでくれた。

「ぐぅっ!? お、お前、なにをするっ…!」

 おっさんの腕に足に腰に肩に蔦が絡まり、動きを拘束すると、おっさんが苦しそうに声を漏らしていた。

「同法第2章の1条、獣人を拉致監禁、もしくは人身売買・奴隷扱いなど不当な扱いをしたものは、どのような立場の者も厳罰に処される」

 私は手の上に水の玉を作ってそれを浮かせたまま、おっさんの前へとじりじりと近づく。

「これを破り、獣人を迫害する者は鞭打ちの刑、もしくは1年以上3年未満の苦役を命ずる」

 ポーンとボールを投げるようにおっさんの頭の上に水の玉を投げると、バシャーンと水が弾ける。

「今は苦役の罰が多いみたいだけどね。おじさんも法律に一度目を通しておくべきだよ」

 ごめんなさい、もうしませんと反省すればいいのに、イキがって調子に乗るのが悪いんだよ?

「こ、この小娘っそんな馬鹿な話っ! 私はあの猫娘を可愛がってやろうとしただけであって迫害ではっ」

 何を言っているんだ。そんなことミアが頼むわけないだろうが。
 自分が女性だと仮定して、相手してほしいと思うか考えてみたほうがいい。おっさんがナルシストなら話は別だが、おっさんの容姿は一般受けしないぞ。こんなこと言ったらカエルに失礼だけど、ガマガエルみたいだもん。

「私は淫乱な猫獣人の相手をしてやったんだ!」
「我に従う雷の元素たちよ、いかずちの鉄槌をくだせ」

 空に向かって手を伸ばすと私は呪文を唱えた。おっさんの鼻先にぴしゃーんと雷を落としておいてやる。
 ぷすぷすと立ち上る煙。少しばかり地面が焦げたが、人的被害はないから大目に見て欲しい。おっさんの言い訳にすらならない自分勝手な弁解を聞くのすら我慢ならなかったのだ。

「脳天に落とされたいのか。これ以上その小汚い口を開くんじゃない」

 静かに脅しながら睨み上げると、おっさんが引きつった顔を浮かべていた。しょわしょわー…とどこからか水が溢れ出す音が聞こえるが、私ではない。おっさんが失禁したのだろう。
 ……もういいだろう、後のことは村人に任せてしまおうと思って私は踵を返した。

「わ、私はやんごとなき身分のお方と親しいんだぞ! どうなっても知らないからな、お前みたいな村娘、簡単に」
「言えば? どうぞご自由に」

 ちらりと後ろを見て睨みつけると、ビクッと怯えるおっさん。かかってこいよ、返り討ちにしてやるわ。
 
「苦役は犯罪者たちの行く場所。ねぇ知ってる? ああいう場所で立場が一番弱いのは、女子供に乱暴した人間なんですって。…楽しみだね」

 ニッコリと笑ってあげると、おっさんはぐむぅと歯噛みした様子であった。

「このっ魔女!」
「まだ魔術師の卵でーす」

 負け惜しみも結構。悪口にすらなってないけどね。
 私が村長の前に歩いていくと、村人が道を開けてくれた。みんな固まってこちらを凝視している。ちょっと怖がらせてしまったかも。

「あの人あのままにしておくので、死なない程度に煮るなり焼くなりどうぞ」
「あ、あぁ…」

 村長の頼りにならない返事を聞いた私はうなずく。
 よし、私は寝る。もう限界だ。このままここにいたら無様にぶっ倒れる未来しか浮かばない。村人の前でそんな格好悪い姿を見せたくない。これは私の矜持である。格好良く去りたいのだ。

「デイジー、ありがとう。お礼を言うのが遅れてしまった」
「ウチの娘を助けてくれて本当にありがとう!」

 私の行く先を塞ぐようにしてミアの両親にお礼を言われるが、私は淡々と返すしか出来ない。

「別に、私にできることはこの程度だから」

 私はそっけなく返した。愛想悪いのは見逃して。もう限界なの。
 何も言わずに横を通り過ぎたのだが、なにやら村のご老人らは揃ってバツの悪そうな顔をしていた。…私は何も言ってないのに。

 目の前がグラングランしていた。冷や汗流れるし、全身寒気するし、意識保ってるのも限界。もう無理もう無理。誰も、誰も止めてくれるな…!
 なんとか家にたどり着き、部屋まで頑張ったのだが、ぶつっと意識が途絶えて私はそのままベッドに倒れ込む。布団をかけずに、寝間着に着替えずにそのまま気絶した。

 その後私は3日間目覚めなかった。
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