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普通科の彼女と特進科の彼。

内緒話は人の耳の届かない場所でしましょう。

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【悠木夏生は女を弄ぶ最低男】
【二股女】
【ブス】

 昇降口前の掲示板に貼られたポスターに書かれた落書きを見た生徒たちが群がってさわさわと噂をしている。
 こういうのって実際の選挙ポスターにしたら逮捕されるよね、学校ではどうなるんだろうか。

「あ…」

 誰かが声を漏らす。ささぁっと波が引くように人が避けていき、大きなスペースが生まれる。
 そこにいたのは特進科3人組だ。彼らは怪訝な顔をしていたが、周りの視線が軽蔑と疑惑に満ちているものだったのに気づいたのだろう。騒ぎの中心となっている掲示物に視線を向けていた。

「…なんだよこれ!」

 怒りの声をあげたのは唯一ポスターに落書きをされなかった眼鏡である。彼は友人たちの選挙ポスターに書かれた誹謗中傷の言葉に険しい表情を浮かべていた。
 被害者の2人はといえば、ポスターを呆然と見上げて固まっている。

 そんな彼らを見て生徒たちはヒソヒソ陰口を叩く。
 どこどこで女と一緒のところ見た、とか、噂聞いた、とか、いつも3人一緒にいる。怪しい、とか……

 仮に、そうだとしても私らにはなんの関係のないことなのだが。…ホントみんな噂話好きだよね。
 まぁ、以前は私もその噂を信じて色眼鏡で彼らを見ていたんだけどさ。他人のことは所詮他人のこと。そんな針のむしろみたいにしなくてもいいのにな、とは思う。

「こんなの!」

 眼鏡がポスターを剥がそうとしていたので、私は前に出ていく。

「柑橘類の皮でこすったら、それ落ちると思うよ」
「え…?」
「あげる」

 昨日バイト先のおばちゃんからもらった早生みかんだ。私のおやつにしようと思っていたけど、こんなときだ。譲ってやろう。

「あ、うん」
「落とすのに根気いるだろうけど頑張って」

 落書きを落とす作業は自分たちで頑張ってくれ。
 私は眼鏡の手の上に早生みかんを3個ほど乗せると、悠木君に手を振ってあげた。悠木君はなにか言いたそうに口を開いていたが、ぐっと口を閉ざして沈黙を守っていた。

 こんなときに変な慰めされたら余計に傷をえぐるかもしれないので、私は無駄なことを言わずにそのまま昇降口に向かった。
 ……顔がいいと得だと思ったけど、妬まれる可能性もあるんだな……よく嫌がらせしようと思えるな。そのエネルギーをもっと他の場所で使えばいいのにな。



 その日の帰り際にちらりとポスターを見ると、落書きはきれいに落ちていた。良かった良かった。
 ポスター横に選挙管理委員会からの警告文も載せられていたので、次にやる人はかなりリスクを背負って落書きすることになる。根本的な解決には至ってないけど、圧力にはなったのだろうか。


◆◇◆


「……だよ」
「でもさ…」

 薄暗い室内で昼寝をしていた私はボソボソした声で目を覚ました。

「情報引き抜くのは流石にやりすぎじゃない?」
「大丈夫でしょ」

 ……情報を引き抜く?
 夢うつつだった私はぼーっとしながらその会話を聞く。
 ……まさか学校のデータベースに無断アクセスして情報漏えいを図っているのだろうか…事件の匂いがするな。
 だが私は名探偵ではない。そしてしゃしゃり出るヒロインでもない。ただお昼寝用場所であるソファに横たわって、ぼーっと気配を殺している純情可憐な女子高生である。「話は聞かせてもらったぞ!」とかそんな正義感ぶったことはしない。

「バレたらどうすんの、タダじゃ済まないよ」
「大丈夫よ、あの悠木夏生は近隣の女どもに目をつけられているのに加えて、雑誌にも出てるし、スカウトもされてる。もうすでに個人情報だだ漏れでしょ。問題ない」

 うぅん、また悠木君関連か…。
 私は仕方なく身を起こして、近くにおいてあったカバンを静かに漁った。手にあたったそれを取り出すと、電源をつけて録音のために動画モードに設定する。

「だけど、あいつマンション住まいなんだよね…一番いいのは戸建ての前で女達に騒いでもらう方法だったけど…仕方ないわ」

 なるほどねぇ、そうして悠木君の噂を真実に見せようとしているわけねぇ。
 女をけしかけてつきまとわせるとか、普通にストーカー案件なんだが……廊下にいる人、この高校の生徒なんだよね? うちの高校大丈夫?

「決定的瞬間を撮影してそれを学校SNSに拡散する。そしたらあいつも言い逃れできない。あんたも選挙で有利になる。そうでしょ?」
「…まぁ、それは、ねぇ」
「噂が出回れば意気消沈して辞退するんじゃない?」

 静かに扉に近づいて閉ざされた社会科準備室のドアを音を建てずに軽く開ける。隙間にスマホのカメラを覗き込ませて、決定的瞬間を録画する。
 画面越しに奴さんの顔が見えた。先日、ファーストフード店で不穏なお話をしていた2年生女子たちである。名前は知らないけど、顔は覚えていた。
 2人とも悪い顔をしている。そんなに生徒会役員になりたいのであろうか。私には理解できない。

「でもさ育田……なんで悠木夏生だけ狙ってんの? 他にも1年は…」

 片割れの問いかけに、もう片方は先程までの悪代官笑いからすっと真顔に変わった。その変貌ぶりに相方はギクリと肩を揺らしていた。

「……まさか全員私にやれっていうの? 汚い仕事は私にすべて任せて、自分は身軽なまま希望を叶えようとか考えてるわけ?」
「いや、そんなわけじゃ」
「じゃああんたも自分でやりなよ。あの桐生って女は適当に男を仕掛けたらいいし…眼鏡は目立たないから放置しておけばいいでしょ」

 私は気配を殺し、その密談を黙々と録画していた。
 ……恐ろしい女である…しかし疑問が残る。なぜ、悠木君を集中的に攻撃しているのだろうか。友人のためと言うより、私情を挟んでいるようにも見える……

「…気に入らないのよ、ちょっと顔がいいからって…!」

 ……同性を妬むのならわかるけど、異性である悠木君をそこまで憎むのはなぜなのだ?

 ──キーンコーンカーンコーン……

「あ、予鈴…」
「とにかく、あんたも続投したいなら、行動しなきゃだめだよ。私任せにしないで」
「わかったよ…」

 ばたばた…と小走りで駆けていく彼女たちを見送った私は録音終了ボタンを押して、クラウド内にデータを保存した。
 ……なるほど。変な噂、SNSに広がる悠木君のスキャンダル写真はさっきの人の仕業ってわけか。……じゃあ、女を堕胎させたってのも? いや、今の会話の中には出てこなかったからそれはわからない。

 私は普段学校SNSは利用しないのだが、この事があったので今回ちらっと覗いた。
 ……そこでは悠木君はなかなかひどいことを書かれていた。もはや創作の域に入っているような噂が好き勝手に書き連ねてあって……もしかしたら悠木君はそれを目にしてしまっているかもしれない。
 噂を真に受けるバカばかりとは思わないけど、声の大きな馬鹿者によって彼は傷ついているかもしれない。

 ……うぅん、他人事なんだけどなぁ。
 所属科もクラスも違う人のことなんだけど、色々聞いてしまうとどうにも気になる。別に彼とは友達ってわけじゃないんだけどねぇ…
 自分のことで大忙しなのに勘弁してほしいよ、全く。


◆◇◆


 普通科クラスに週2回訪れる7時間目の日。私はHRを迎えるなりすぐさま学校を飛び出した。
 昇降口に向かうとその日は帰宅時間のかぶった生徒で人がごった返していた。生徒会役選直前ということで普段は夕課外のある特進科も7時間目で終わりなのだという。
 自転車置き場に向かって、今日のバイト先に向かおうとせかせか動き回っていた私は、正門に群がる生徒たちを見て眉をひそめた。
 ちょっと、こんなところで立ち止まられると道通れないんですけど。

 全くもう何なんだ…と群れの中心を覗き込むととある人物を見つけてしまい、「あー」と私は無意識に声を漏らしていた。

「S女子の蒲井って言います。登下校中によくすれ違ってて、悠木さんのこといいなと思ってて…」
「あたし、中学のとき同じクラスだったんだけど覚えてる?」
「あの、これ作ってきたんでもらってください!」

 いろんな制服を身に着けた他校の女子学生に囲まれた悠木君が遠い目をして囲まれていたのである。
 おい悠木君、男にとって夢のような状況なのになぜ君はそんな疲れた目をしているのか。

「おい! お前らなんだ! 散れ!」

 閉じ込められた姫を救出するかのように、悠木君の友達である眼鏡が女子の群れを散らそうと大声を張り上げる。

「なによあんた!」
「触らないでよ、変態!」 
「邪魔しないでよ!」

 ただ友人を助けるために注意しただけなのに、眼鏡は女の子たちに暴言を吐かれてる。かわいそうに。
 仕方ないなぁ。

 私はその場に自転車を停めると、校舎に向かって駆け出した。こういうときは融通の効かなそうな大人を頼ったほうがいい。
 例えば……

「なんだ君たちは! 近隣の方のご迷惑になるだろう!」
「学校名と名前を言いなさい!」

 私は職員室に飛び込んで生活指導の先生と体育担当の先生を呼んできた。口うるさく、堅苦しい彼らは生徒たちにも苦手がられているが、こういうときにはとにかく心強い。
 予想通り、他校の女子生徒たちは嫌な予感を察知して一斉に走って逃げていった。一人くらい捕まればよかったけど、正門にうちの学生が群がっていたせいで逃げられてしまっていた。惜しかったね。

 はぁーまったく。あの共謀犯たちは色々とやらかしてくれるなぁ…流石に悠木君が可哀想である。

「悠木」

 騒ぎの中心となっていた悠木君に先生が声をかけていた。彼がのろのろと顔を上げると、先生は微妙な表情を浮かべて言った。

「お前、最近評判が悪いぞ……先生も信じたくないが、巷で流れてる噂が真実なら、お前の今後のことを話し合わなくてはいけない」

 それはまるで、疑ってますと言っているも同然であった。
 悠木君の目がどんどん絶望に染まっていく。

「ちょっ、先生、そんな言い方…!」

 カッとなった眼鏡が悠木君を庇おうと声を張り上げたので、そこに私がにゅっと割り込む。

「先生、今の発言は問題かと思います」

 精神的に不安定な悠木君よりも、頭が熱くなっている眼鏡よりも、第三者で冷静な私が物申したほうが話は早いはずである。

「まさか噂一つで生徒をお疑いになるんですか?」

 私の指摘に先生はむっと眉間にシワを寄せていた。

「証拠があるだろう…。悠木が不特定多数の女性と一緒にいる姿も写真で撮影されてる」

 先生は苦い表情で言った。だから庇えないと言いたいのだろうが、待ってほしい。今一度冷静になって考えるべきだ。

「生徒会役選目前になってそんな写真が出回るのって不自然だと思いませんか? 今までそういうのが出なかったのがおかしいくらいです。これだけのイケメン、誰も目をつけないなんてありえないでしょう。それにこの写真誰が撮影したんですか。狙ったような撮り方で悪意を感じますよね」

 悠木君はきっと入学当初からイケメンで評判だったろうし、高校入学前から女の子にモテモテで先程のように付きまとわれていたに違いない。
 だからそんなの今更だと思う。

「多分先生は、“女性に堕胎させた”という噂を問題視していらっしゃるんですよね?」

 私の指摘に先生はわかりやすく表情を変えた。

「…あのですね、先生。噂って簡単に大きくなっちゃうんですよ。悠木君という人を知らない人なら、面白半分で信じて、好き勝手に真実を捻じ曲げて触れ回る。そしてその誤った噂がいつの間にか真実かのように認識される」

 真実を確認していないのに、はじめから疑うような姿勢を取るのは教師としてどうなのだろうか。
 だいたい、妊娠したという女の存在が明らかになっていないじゃないか。そこからして怪しい。
 どの女が、いつ、どの病院で堕胎手術を受けたのか。その胎児は? それは本当に悠木君の子どもなのか?

「悠木君の素行について話し合うならば、証拠として相手がどこの女か、そして堕胎した胎児の遺体と悠木君に親子関係があるかDNA鑑定しなきゃですね。それが証明されたら、また改めて今後のことを話し合えばいいと思いますよ」

 私が目を細めてにっこり微笑むと、先生方はなぜか顔を青ざめさせて後退っていた。

「…私は間違ったことを言っていますでしょうか?」

 ずいっと顔を近づけるも、先生方は目を合わせてくれなかった。
 私は別に猟奇的な話をしているわけじゃないぞ。裁判の世界でも数々の証拠があって裁かれるものだ。写真や噂だけじゃちょっと弱すぎる。そうは思わないか?
 あえて中立的立場に則って語ったのだが、どうだろうか。
 先生方の反応を見てみるが、やっぱり私と目を合わせない。おい、反らすな。私の目を見ろ。

「いや…えぇと悠木……疑われるような行動は慎むように」
「…はい」

 一件落着とは行かないが、嫌な流れを少し変えられたようだ。私はホッと安心する。

「何事かと思ったけど、夏生を助けるために口挟んできたんだね、森宮さん。助かったよ」
「あぁ…うん」

 別に眼鏡にお礼を言われる筋合いはないけど……あれか。悠木君がショック状態だから代わりにお礼したのかな。

「あとみかんも助かったよ。おばあちゃんの知恵袋かよって思ったけど、落書き落ちたし」
「…みかん?」

 その単語に私はひっかかった。
 眼鏡の顔を見上げて、みかんを思い浮かべる。
 落書き、みかん…早生みかん……スーパーのおばちゃん。

「…バイト!!」

 あかん! 今日は品出しのバイトの日なのについつい首突っ込んで時間をロスしてしまった!!

「私バイト行かなきゃ! じゃあね!」
「えっあっうん、さよなら」

 眼鏡がぎょっとした顔をして私を見送る。元気なく突っ立ってる悠木君のことは眼鏡に任せたらいいだろう。

 私は止めてあった自転車にまたがると、立ちこぎで学校を飛び出したのであった。
 今日も私は稼ぐのだ!!
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