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番外編
シャルリエ騎士爵夫人の昔話・中編【?視点】
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このままだと周りの人間が肺病に感染するからと母の遺体は即日火葬された。
お葬式なんてものはできなかった。私には葬儀を挙げられるだけのお金がないから。
父が葬儀を開いてくれるわけがない。父にとって母は一時の慰み者ってだけで、特別な感情を抱いていたわけじゃない。むしろ屋敷で死んだことに迷惑だと文句を言っていた。
母の死から立ち直れずにいる私を父は無理やり学園に戻した。
良家の息子をひっかけて既成事実でも作って来いと捨て台詞を吐き捨てられたが、父の思い通りに動いてやる気はなかった。なぜ私がそんなことをしないといけないのか。私は父に育てられた記憶はないし、そんなことをしてやる義理もない。
強制的に学園に戻された私に待っていたのは説教と門限破りの罰則だった。
理由が身内の死去だとしても罰を与えなくてはならないと言われた。もちろん慰めの言葉なんかない。手間と面倒を掛けさせやがってという空気しか見つからなかった。だけど私はもういちいち傷つくつもりもなく、おとなしくそれらを受け入れた。
罰掃除を命じられた私は所定の場所を清掃することになった。掃除は母と暮らしていた時もしていたので苦ではなかったが、そんな私を見逃さない人たちがいた。
──バシャッ
『汚らしい掃除婦さん、地面が濡れていますわよ?』
雑巾を絞った水を頭上から掛けられた私はずぶぬれになった。文句を言われぬよう真面目に磨いた床がびしょ濡れになってしまった。──本当、暇人だなこの人たちは。
私は無言でバケツの水をひっかけてきた貴族令嬢を睨みつけた。
『なぁに? その目。生意気よ!』
私の反抗的な態度に腹を立てた貴族令嬢からバシッと頬を扇子で叩かれた。
令嬢の後ろで取り巻きがおかしそうに嘲笑している。
ジンジンと頬が熱く痛む。口の中が切れてしまったのか鉄の味が広がった。
『あのまま戻ってこなければよかったのに。平民は平民らしく市井で暮らしていればよかったものを』
その時点で私はぷつっと我慢の糸が切れてしまった。
私だってこんな学園に来たくなかった。貴族がなんだ。先祖から受け継いだだけの身分のくせに。それをなしにしたらひとりで掃除も何もできない役立たずのくせに。
贅沢はできなくても、お母さんと2人で穏やかに暮らしていきたかった。
それを壊したのはあの身勝手な父だ。貴族だからって偉そうに。
平民身分の母を見下すけど、平民に手を出す父こそ下等で卑俗な人間だ。
こんな糞みたいな世界。私からおさらばしてやる。
持っていた雑巾を令嬢の顔めがけてぶん投げると、びしょ濡れの床そのままにクルッと踵を返した。
後ろでぎゃんぎゃんわめく声が聞こえたがもうどうでもよかった。
今まで私が耐えてきたのは、母の存在があったから。でも今は違う。大切な母を亡くした私にとって、貴族の集まる学園で身を縮めて過ごす理由がなくなってしまったのだ。
ひとりぼっちになった今、私に失うものなど何もないのだ。言う通りにしてやるものか。
この学校から出て行ってやる。父から勘当されてもいい。
自分の身一つで生きていくんだ。仕事だって一軒一軒当たっていけばすぐに見つかるはずだから。
その覚悟を胸に抱きながら、水滴をぼたぼた垂らして歩いていると、婚約者らしき殿方と歩いているサザランド伯令嬢とばったりかち合った。
彼女はずぶぬれの私を見て少し目を見張ったかと思うと、目を細めた。
『──あなた、お母さまが亡くなったのですって?』
私はその問いに応えなかった。
もうこの学園にいる王侯貴族に従うようなふりをするのはうんざりだったからだ。無言で返すことでお前には関係ないと反抗するが、相手はそれに気づいていないようだった。
『かわいそうに』
母を亡くした私に向けた憐みの言葉。だけどその言葉には同情の色がこれっぽっちもなかった。
なんだろうこの人。私をどう見ているんだろう。思わず嫌悪の表情を浮かべてしまう。
思えばこの人には当初から違和感があった。
『キャロルは優しいね。──こんな下賤の娘にも優しい言葉をかけるなんて』
私がサザランド伯爵令嬢にしかめっ面をしていたのに気を悪くした、令嬢の婚約者が悪意を持って発した言葉はもう聞き飽きてしまった。いろんな人に言われてきたから、ただの挨拶定型文にしか聞こえない。
『ひとりの人として当然よ。この方は今までお母様と2人で力を合わせて生きてきたのだから……』
そんな言葉も上滑りしているようにしか聞こえない。
目の前にいる私を見ていない気がする。私を通して別の何かを見ている気がした。
私は辞去の挨拶もせずに彼らの真横を通過した。
それに「おい!」と令嬢の婚約者にとがめられたが、完全に無視してやる。
貴族なんぞに抱く敬意など一切ありませんので。
私はそのあとわざと地味な校則違反を繰り返し、不良態度を理由に退校処分を言い渡された。
その時はあまりの喜びに笑顔で「喜んで!」と返事してしまったものだから学園長に面食らった顔をされてしまった。
周りの人は私が耐えきれなくて退学したと思っているだろうが、そうじゃない。
こんな学園、一秒でもいる価値がないと私が見放したのだ。
当然、私には帰る場所が用意されていなかった。
待ち構えていた父には頬をはたかれて、役立たずと罵られた。
なので私も言いたいことをすべて吐き出してやったら、生意気だと更に殴られたので、父を蹴り返して罵倒して、ちょっとした騒動になったがとりあえず私は放逐処分となった。
この屋敷からおさらばだと出ていこうとしたが、それに待ったをかけたのが腹違いのお兄様であった。
『お前には隣国のシャルリエ騎士爵のもとへ嫁いでもらう』
私はお兄様の半ば強引な命令で、隣国の1代限りの騎士爵の後妻として嫁ぐことが決まった。
反発もできたけど、彼には母の危篤を知らせてくれたという恩がある。知らんぷりして、母の死を私に知らせず隠ぺいすることだって出来たのに、それをしなかったのは彼なりの兄としての思いやりだろうから。
後妻だし、いい扱いは受けないだろうなって思っていた。
相手は私より25歳も年上。元は平民だったが15年前にちょっとした武勲を挙げたことで騎士爵を賜ったのだという。
私にとって外国。ほぼ身一つで嫁いだ私を、シャルリエ騎士爵並びに使用人の方々は戸惑いの表情を浮かべながらも歓迎してくれた。
どうやら彼らも後妻を迎えることになるとは考えていなかったそうだ。
……お兄様が何を思ってシャルリエ家に私を嫁がせたのかはわからないが、あのまま国に置いていてもいいことはないと判断して離されただけなのだろうか。
私と夫になる騎士爵様は小さな教会で少人数に見守られる形の質素な結婚式を挙げた。
夫は大分年上の大人なので、燃えるような愛ではないけど穏やかな家族愛を育んだ。夜の時間だって大事に大事に抱いてくれた。
父親ほどの年の差がある旦那様だったけど、父親という存在に恵まれなかった私にとって理想の父親像であり、敬愛すべき夫になるのは時間の問題だった。
奥さんを早くに亡くした旦那様には娘さんがいたが、娘さんは私よりも年上ですでに嫁いでいる。年下の後妻なんて気分が悪いだろうに、私にすごく気を使ってくれる優しい人だ。
旦那様や使用人はもちろんのこと、義娘夫妻ともそこそこの関係を築けているし、万が一のことを考えて、夫の亡き後の処遇も今から段取りをつけてくれているので一安心。
ここに嫁げて良かったと今では安心している。
父の屋敷では考えられないほど快適な暮らしだった。旦那様は私を大切にしてくれるし、使用人たちは私を敬ってくれる。今の生活が夢なんじゃないかって不安になるが、そんな時は旦那様が甘やかしてくださるので、不安に思う日も徐々になくなっていった。
穏やかな結婚生活を送っていた私は、日課になっている新聞を読んで目を疑った。
私が幼少期に住んでいたサザランドが消えたという記事だった。
サザランド伯は国王の命令で裕福なエーゲシュトランド公国乗っ取りをたくらみ、生き残りのエーゲシュトランド公子によって復讐されたのだという。
娘の伯爵令嬢は生き延びたらしいが、父親の罪が表沙汰になり平民身分に堕ちることは確定していたらしい。しかしその前に元婚約者に連れ去られて以降、表に姿を現さなくなったそうだ。
第2王子に求婚を受けて、本来の婚約者とは婚約白紙になっていたそうだけど、これで元の形に戻ったのだろうか。……いや、爵位も後ろ盾もない彼女は伯爵位の元婚約者と結婚できないんじゃないだろうか。
まぁあの人がどうなっていようと私には関係ないけど。
今は同じ国に住んでいないから会うことは2度とないでしょうし。
お葬式なんてものはできなかった。私には葬儀を挙げられるだけのお金がないから。
父が葬儀を開いてくれるわけがない。父にとって母は一時の慰み者ってだけで、特別な感情を抱いていたわけじゃない。むしろ屋敷で死んだことに迷惑だと文句を言っていた。
母の死から立ち直れずにいる私を父は無理やり学園に戻した。
良家の息子をひっかけて既成事実でも作って来いと捨て台詞を吐き捨てられたが、父の思い通りに動いてやる気はなかった。なぜ私がそんなことをしないといけないのか。私は父に育てられた記憶はないし、そんなことをしてやる義理もない。
強制的に学園に戻された私に待っていたのは説教と門限破りの罰則だった。
理由が身内の死去だとしても罰を与えなくてはならないと言われた。もちろん慰めの言葉なんかない。手間と面倒を掛けさせやがってという空気しか見つからなかった。だけど私はもういちいち傷つくつもりもなく、おとなしくそれらを受け入れた。
罰掃除を命じられた私は所定の場所を清掃することになった。掃除は母と暮らしていた時もしていたので苦ではなかったが、そんな私を見逃さない人たちがいた。
──バシャッ
『汚らしい掃除婦さん、地面が濡れていますわよ?』
雑巾を絞った水を頭上から掛けられた私はずぶぬれになった。文句を言われぬよう真面目に磨いた床がびしょ濡れになってしまった。──本当、暇人だなこの人たちは。
私は無言でバケツの水をひっかけてきた貴族令嬢を睨みつけた。
『なぁに? その目。生意気よ!』
私の反抗的な態度に腹を立てた貴族令嬢からバシッと頬を扇子で叩かれた。
令嬢の後ろで取り巻きがおかしそうに嘲笑している。
ジンジンと頬が熱く痛む。口の中が切れてしまったのか鉄の味が広がった。
『あのまま戻ってこなければよかったのに。平民は平民らしく市井で暮らしていればよかったものを』
その時点で私はぷつっと我慢の糸が切れてしまった。
私だってこんな学園に来たくなかった。貴族がなんだ。先祖から受け継いだだけの身分のくせに。それをなしにしたらひとりで掃除も何もできない役立たずのくせに。
贅沢はできなくても、お母さんと2人で穏やかに暮らしていきたかった。
それを壊したのはあの身勝手な父だ。貴族だからって偉そうに。
平民身分の母を見下すけど、平民に手を出す父こそ下等で卑俗な人間だ。
こんな糞みたいな世界。私からおさらばしてやる。
持っていた雑巾を令嬢の顔めがけてぶん投げると、びしょ濡れの床そのままにクルッと踵を返した。
後ろでぎゃんぎゃんわめく声が聞こえたがもうどうでもよかった。
今まで私が耐えてきたのは、母の存在があったから。でも今は違う。大切な母を亡くした私にとって、貴族の集まる学園で身を縮めて過ごす理由がなくなってしまったのだ。
ひとりぼっちになった今、私に失うものなど何もないのだ。言う通りにしてやるものか。
この学校から出て行ってやる。父から勘当されてもいい。
自分の身一つで生きていくんだ。仕事だって一軒一軒当たっていけばすぐに見つかるはずだから。
その覚悟を胸に抱きながら、水滴をぼたぼた垂らして歩いていると、婚約者らしき殿方と歩いているサザランド伯令嬢とばったりかち合った。
彼女はずぶぬれの私を見て少し目を見張ったかと思うと、目を細めた。
『──あなた、お母さまが亡くなったのですって?』
私はその問いに応えなかった。
もうこの学園にいる王侯貴族に従うようなふりをするのはうんざりだったからだ。無言で返すことでお前には関係ないと反抗するが、相手はそれに気づいていないようだった。
『かわいそうに』
母を亡くした私に向けた憐みの言葉。だけどその言葉には同情の色がこれっぽっちもなかった。
なんだろうこの人。私をどう見ているんだろう。思わず嫌悪の表情を浮かべてしまう。
思えばこの人には当初から違和感があった。
『キャロルは優しいね。──こんな下賤の娘にも優しい言葉をかけるなんて』
私がサザランド伯爵令嬢にしかめっ面をしていたのに気を悪くした、令嬢の婚約者が悪意を持って発した言葉はもう聞き飽きてしまった。いろんな人に言われてきたから、ただの挨拶定型文にしか聞こえない。
『ひとりの人として当然よ。この方は今までお母様と2人で力を合わせて生きてきたのだから……』
そんな言葉も上滑りしているようにしか聞こえない。
目の前にいる私を見ていない気がする。私を通して別の何かを見ている気がした。
私は辞去の挨拶もせずに彼らの真横を通過した。
それに「おい!」と令嬢の婚約者にとがめられたが、完全に無視してやる。
貴族なんぞに抱く敬意など一切ありませんので。
私はそのあとわざと地味な校則違反を繰り返し、不良態度を理由に退校処分を言い渡された。
その時はあまりの喜びに笑顔で「喜んで!」と返事してしまったものだから学園長に面食らった顔をされてしまった。
周りの人は私が耐えきれなくて退学したと思っているだろうが、そうじゃない。
こんな学園、一秒でもいる価値がないと私が見放したのだ。
当然、私には帰る場所が用意されていなかった。
待ち構えていた父には頬をはたかれて、役立たずと罵られた。
なので私も言いたいことをすべて吐き出してやったら、生意気だと更に殴られたので、父を蹴り返して罵倒して、ちょっとした騒動になったがとりあえず私は放逐処分となった。
この屋敷からおさらばだと出ていこうとしたが、それに待ったをかけたのが腹違いのお兄様であった。
『お前には隣国のシャルリエ騎士爵のもとへ嫁いでもらう』
私はお兄様の半ば強引な命令で、隣国の1代限りの騎士爵の後妻として嫁ぐことが決まった。
反発もできたけど、彼には母の危篤を知らせてくれたという恩がある。知らんぷりして、母の死を私に知らせず隠ぺいすることだって出来たのに、それをしなかったのは彼なりの兄としての思いやりだろうから。
後妻だし、いい扱いは受けないだろうなって思っていた。
相手は私より25歳も年上。元は平民だったが15年前にちょっとした武勲を挙げたことで騎士爵を賜ったのだという。
私にとって外国。ほぼ身一つで嫁いだ私を、シャルリエ騎士爵並びに使用人の方々は戸惑いの表情を浮かべながらも歓迎してくれた。
どうやら彼らも後妻を迎えることになるとは考えていなかったそうだ。
……お兄様が何を思ってシャルリエ家に私を嫁がせたのかはわからないが、あのまま国に置いていてもいいことはないと判断して離されただけなのだろうか。
私と夫になる騎士爵様は小さな教会で少人数に見守られる形の質素な結婚式を挙げた。
夫は大分年上の大人なので、燃えるような愛ではないけど穏やかな家族愛を育んだ。夜の時間だって大事に大事に抱いてくれた。
父親ほどの年の差がある旦那様だったけど、父親という存在に恵まれなかった私にとって理想の父親像であり、敬愛すべき夫になるのは時間の問題だった。
奥さんを早くに亡くした旦那様には娘さんがいたが、娘さんは私よりも年上ですでに嫁いでいる。年下の後妻なんて気分が悪いだろうに、私にすごく気を使ってくれる優しい人だ。
旦那様や使用人はもちろんのこと、義娘夫妻ともそこそこの関係を築けているし、万が一のことを考えて、夫の亡き後の処遇も今から段取りをつけてくれているので一安心。
ここに嫁げて良かったと今では安心している。
父の屋敷では考えられないほど快適な暮らしだった。旦那様は私を大切にしてくれるし、使用人たちは私を敬ってくれる。今の生活が夢なんじゃないかって不安になるが、そんな時は旦那様が甘やかしてくださるので、不安に思う日も徐々になくなっていった。
穏やかな結婚生活を送っていた私は、日課になっている新聞を読んで目を疑った。
私が幼少期に住んでいたサザランドが消えたという記事だった。
サザランド伯は国王の命令で裕福なエーゲシュトランド公国乗っ取りをたくらみ、生き残りのエーゲシュトランド公子によって復讐されたのだという。
娘の伯爵令嬢は生き延びたらしいが、父親の罪が表沙汰になり平民身分に堕ちることは確定していたらしい。しかしその前に元婚約者に連れ去られて以降、表に姿を現さなくなったそうだ。
第2王子に求婚を受けて、本来の婚約者とは婚約白紙になっていたそうだけど、これで元の形に戻ったのだろうか。……いや、爵位も後ろ盾もない彼女は伯爵位の元婚約者と結婚できないんじゃないだろうか。
まぁあの人がどうなっていようと私には関係ないけど。
今は同じ国に住んでいないから会うことは2度とないでしょうし。
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