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公妃になるなんて無茶難題過ぎます。

先約済みですの。貴女には差し上げられませんわ。

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 ドレスを脱がせる経験などさほど無いヴィックは悪戦苦闘していた。私も一人で脱げと言われたら同じくもたつくであろう。少しずつ緩むドレスの編み上げ紐。私達の呼吸音と衣擦れの音が場を支配していた。
 お預け状態だな…なんか私が本当に小悪魔みたいじゃないか。ヴィックは器用そうだからあっさり脱がしてしまうだろうと思っていたけど、全然そんなことなく。…悪いことをしたと思う。

「──ヴィクトル様、リゼット様、お戻りでしたか」

 そこに影のように入り込んできたメイドの声にビクッとするヴィック。…今ものすごく珍しいものを見た気がするぞ。私もびっくりしたけど、ドレス脱がすのに躍起になっていた彼は集中しているようだったので尚更驚いたことであろう。
 異国の地でも監視の目が光るのか。使用人の気配がなかったのでもうとっくに寝ているのかと思っていた。いつものお仕着せ姿のハンナさんは姿勢よくベッド脇に立って私達を見下ろしていた。……変な場面をまた目撃されてしまったぞ…。

「……ハンナ、用があったら呼ぶから今は下がっておいてくれ」

 少しばかり機嫌が悪いヴィックがそう命じるも、ハンナさんは首を横に振った。何が何でも婚前交渉阻止するというメイド長の執念を感じる。ハンナさんはここでもメイド長の「ふたりきりにするな」の命令を遂行する方針らしい。

「私はこちらで待機をします。それでもよろしければ同衾なさってくださいませ」
「……」

 ヴィックは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。きつく命令したとしてもきっとハンナさんは居座るであろう。ハンナさんも意地悪がしたいわけじゃないとわかっているからかヴィックも渋々諦めたようだ。
 
「…本当、君は職務に忠実だな…ハンナ」
「恐れ入ります」

 ハンナさんは深々と頭を下げた。真面目な人だなぁと思っていたけど、ヴィックを動揺させるとはなかなか大物かもしれないな。
 ハンナさんがこの状態なので一緒の部屋で休むのも難しそうだ。仕方ないので私に割り当てられた部屋に戻ることにする。ヴィックが部屋まで送ろうとしてくれたけど、「お胸元が乱れておりますので」とハンナさんが止めていた。ここがエーゲシュトランド城なら良いけど、人様の敷地内だからね、乱れた服装でうろつくのはアレなんだろう。
 なのでヴィックのお見送りはドアの前までってことで、私はハンナさんを伴って用意された部屋に戻ることにした。

 ──コツコツ
 部屋へ戻る前に身だしなみを整えなくてはならない。脱がされた靴下を衝立の後ろで穿き直していると、扉を叩く小さな音が聞こえてきて私は顔を上げる。こんな時間に誰だろうか?

「何かあったのでしょうか。対応してまいります」

 パーティ開催中とは言え、訪問するには非常識な時間帯だ。もしかしたら急ぎの用事かもしれない。ハンナさんが応対して、扉のむこうの訪問者とやり取りしていた。小さく開けられた扉から話し声が聞こえるが、相手の声が小さくて全部は聞き取れない。
 ちょうど扉が見える場所に座っていたヴィックは訪問者の顔が見えたようで、怪訝な表情を浮かべていた。やってきたのは誰だろうと私がひょっこりと覗き込むと、そこにはこのお屋敷の持ち主、本日の主催である子爵の娘さんが立っていた。
 彼女はヴィックの姿を見てポッと頬を赤らめ、私の存在に気づくとぎょっとしていた。

「何か御用で?」
「あ……」

 ハンナさんも子爵令嬢の様子を不審に思ったのか用件を聞き出そうと再度問いかけたが、子爵令嬢は口元を抑えてその場から逃げるように小走りで去ってしまった。
 ……怪しさ満点である。

「え、なに今の」
「……」

 私が何事かとヴィックとハンナさんを見比べていると、ヴィックは無表情になっており、ハンナさんは何かを察したような表情を浮かべていた。

「…ヴィクトル様のしどけないお姿に衝撃を受けられたのでは? リゼット様も髪が乱れていらっしゃいますし」

 そう指摘を受けて自分たちの格好を思い出す。
 なるほどそういうことね。…いかがわしいことをしていたと誤解されたと…誤解ではないが、それは確かに気まずいな。
 私が今更になって恥ずかしくなっていると、ヴィックが私の手を引っ張ってきた。そのまま彼の膝にストンと座る形となる。私を膝抱っこしたヴィックはさっきの無表情ではなく、いつも私に向けてくる甘い笑顔を浮かべていた。

「私達は婚約してるんだから別に恥ずべき事ではないよ、リゼット」

 恥ずかしがるリゼットも可愛いね、と言ってヴィックはキスしてきた。甘々な雰囲気に逆戻りしたのは良いけど、そばにハンナさんがいるんだけどな… 

「ヴィクトル様はもう少し隠す努力をしましょう。未婚のお嬢様方には刺激が強すぎますよ」

 確かに箱入り娘だとそうなるよね。ヴィックの色気に圧倒されたのだろうな…。貴族男性って基本かっちり着込んでいるから胸元晒している姿は刺激的に映るのかも……
 ハンナさんは私達がいちゃつくことに慣れてしまったようで、平然とした態度でヴィックが脱ぎ去ったジャケット類を片付けていた。

「ハンナはメイド長に似てきたな」

 ヴィックの言葉にハンナさんはニッコリと笑って「光栄です」と言っていた。ハンナさんはメイドの道を極めたいのかな。目標はメイド長のようなキャリアメイドなのだろうか。


□■□


 何事もなく子爵家のゲストハウスで一泊して、簡単な朝食を頂いたあとは早々にお暇することにした。家主の子爵からぜひ我が家で滞在をと言われたが、ヴィックは国のことが気になるからとそれを辞した。
 ……なんかこの子爵、未だに娘さんとの縁組を狙ってくるっぽいから、ヴィックはそれから逃れようとしてんのかな。

 昨晩、寝る前に冷静になって考えたんだけど、子爵令嬢はヴィックに夜這いして既成事実を作ろうとしたんじゃないかなって。貴族令嬢を傷物にしたらそれだけじゃ済まない。いくら婚約者が居てもスラム出身の娘なのでなんとでもできると思われていたのかも。
 ……私がいたから夜這い(仮)失敗したみたいだけど。

 穏健派と言ってもそこは貴族。味方というわけでもない。自分に有利な方に動きたいのだろう。今もなにかと娘を推そうとしているが、ヴィックは仮面の笑顔でやんわりお断りしていた。

 港までの道は馬車で移動する。私は先に乗り込んで待っていてと言われたので先に乗って待機していたんだが、馬車の外ではお見送りに出てきた子爵一家に対して、今後もよろしくとかそういう形式的な挨拶を交わす彼の声が聞こえてきた。
 子爵家のしつこい引き止めもやんわりお断りしたヴィックは、早々に挨拶を済ませて馬車に乗り込もうとしていた。

「あ、あのっヴィクトル様!」

 それを阻止しようとしたのはあの子爵令嬢だ。
 泣き腫らしたうるうるの瞳で子爵令嬢はずっとヴィックを見つめて物いいたげにしていたが、ヴィックが何も言わないので焦れたらしい。どうも彼女から何か言いたいことがあるようである。

「また…来てくださいませね。今度は個人的に」

 なんと、個人的に遊びに来てねって…あの、私ここにいるんですが。婚約者の前で誘うのやめてもらっていいですかね。文句を言ってやりたいが、自分の生まれのせいで口出せないのが悔しい。
 ヴィックはこれになんと返すのだろうかと聞き耳を立てていると聞こえたのはこんな言葉であった。

「私たちの挙式にはぜひお越しください。招待状を送りますね」

 お泊りのお誘いはスルーして、私との結婚式に参列してねと声をかけていた。
 まさかのお断り文句だ。
 私がバレないように馬車の窓の端から外の様子を覗き込むと、子爵令嬢が目を見開いて固まっている様子が伺えた。わなわな震えて口を半開きにさせている彼女はショックで青ざめていた。
 ……ヴィックは乙女心をいとも容易くハートブレイクさせていた。
 好意をわかりやすく向けている相手に挙式の招待するとは……鬼である。いや、思わせぶりよりも余程いいけどね。ここで社交辞令言ったら誤解が生まれそうだし、私も嫌だし。

「おまたせリゼット。さぁ早くエーゲシュトランドに帰ろう」

 馬車に乗り込んだヴィックは素の笑顔に変わり、馬車の対面席ではなく、私の真横に座ってきた。私はじっとヴィックの顔を観察した。
 うん、子爵令嬢に心揺れた様子はなさそうだな。

「どうしたの? そんな可愛い顔して」

 何事もなかったかのように私に口づけを落とすヴィック。
 これはどういう反応すればいいのだろう。愛されていると自惚れておけばいいんだろうか。

「…もっとキスして」

 なんだかそんな気分だったのでおねだりすると、私はヴィックの首に抱きついて今度は自分からキスを仕掛けた。きれいな形をしたヴィックのサンゴ色の唇にチュッと吸いつき、薄く開いた唇を舌でなぞる。一旦唇を離すと、ヴィックの薄水色の瞳を熱く見つめた。
 彼は小さく笑うと、私の右頬をそっと手のひらで包んで撫でてきた。

「…嫉妬しちゃったの? 馬鹿だな、私にはリゼットだけなのに」
「だって嫌だったんだもん」

 私とヴィックは人目がないことをいいことに馬車の中でいちゃつき、まるでなにか変な病気に罹ったかのようにデコルテや首周辺に赤い痣を沢山つけられたのである。
 港に到着した時、別の馬車で移動していたハンナさんの目が妙に生暖かったが、彼女は何も言わないでいてくれたのであった。
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