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第37話

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「どういうこと?」
「それが、商会長によるとどこかの馬鹿が首都中のいちごを買い占めたらしくて……一粒も在庫がないんですよう!」
「何ですって!?」
「これってどこかの馬鹿じゃなくてあのクソ男の仕業に違いないです! 絶対にそうです!!」
 首都中のいちごを買い占められるほどの財力となると、貴族か裕福な富豪に限られる。だけど私の知る限り、いたずらにいちごを買い占めるような貴族も富豪もいないはずだからラナの言い分はあながち当たっている気がする。

 どうしてこんな嫌がらせをしてくるのか分からないけれど、フィリップ様は私を虐めることに余念がないようだ。
「いちごがないとエンゲージケーキは作れないわね。郊外の街へ行ったら手に入るかもしれないけど……それだと明日の午前中には間に合わない」
 エンゲージケーキが完成しないとお店を守ることはできない。
 脱力した私は側にあった椅子に腰を下ろす。完全に弱り切っていた。
 ラナもネル君も名案は浮かばないようで、もはや万事休すというように天井を仰ぐ。

 婚約パーティーに集まる面々はフィリップ様とカリナ様の親族、それから二人の親しい友人たちだ。要するに私に味方してくれる人はその場に誰もいないことは確定している。
 私をやり玉に挙げることで余興になるとでも考えているのだろうか。それなら非常に趣味が悪い。
 まわりくどい嫌がらせとは思ったけど、私の名声に傷を付けてパティスリーを潰しに掛かっていると考えれば、効率は悪いけれど手が込んでいるし確実だ。
 打つ手がない状況なのでいちごとは別の果物を使ったエンゲージケーキを用意するしかやりようがない。
 ――非難は受けるだろうけど、誠心誠意最後まで依頼された仕事はやりきらないと。じゃないと余計に非難囂々になるだろうから。
 気持ちを切り替えなくてはいけないのにフィリップ様の手のひらで踊らされている気がしてやりきれない気持ちになる。
 悔しくてぐっと奥歯を噛みしめていると、厨房に青年の声が響いた。


「葬式並みに重々しい雰囲気だが、ここはシュゼットの厨房であっているか?」
 唐突に現れたのはエードリヒ様だった。本日三回目の登場に私は目を白黒させる。
「エードリヒ様こそ、どうしてまたここに?」
「私のことより、暗い表情をしているシュゼットが心配だ。悩みがあるなら遠慮せず話して欲しい」
 眉尻を下げて気遣わしげに尋ねてくるエードリヒ様に促され、事情を説明した。
 話を進めていくうちにエードリヒ様の目が鋭くなっていったのは気のせいではないと思う。だって開口一番に「あのクソ野郎が」とフィリップ様を罵ったから。

 普段温厚で汚い言葉を一切口にしないエードリヒ様からそんな言葉が飛び出してきたので私は驚いて口を半開きにしてしまった。
 エードリヒ様は咳払いをしてから私の頭の上に手を置いてぽんぽんと叩いてきた。
「そういうことなら丁度良かった。実は母上から明日急に呼び出すことへのお詫びの品を預かっていたのに、さっきは渡すのを忘れていた。何度も訪問してすまないがこれを受け取って欲しい。今のシュゼットには役立つだろう」

 エードリヒ様の目配せを受けて、後ろで控えていた側近がやって来る。すると彼は手に持っている箱を私の目の前に差し出して蓋を開けた。中には大粒のいちごがぎっしりと敷き詰められている。
「い、いちごですよう!?」
 ラナが目を見開いて素っ頓狂な声を上げる。
 私も中身のいちごを見て目頭が熱くなった。もう手に入らないと思っていたいちごが目の前にある。私がエードリヒ様といちごを交互に見ているとエードリヒ様がまた私の頭をぽんぽんと叩いてきた。優しい手つきから伝わる温もりが弱った心にしみていく。

「いちごがなくともシュゼットのお菓子がどれも絶品だということは私が保証する。……だが、必要なものを渡すことができて良かった。これであの男をギャフンと言わせられるな」
「ありがとうございます。エードリヒ様にはどうお礼をすればいいか」
「礼ならまた私のためにクレープを焼いてくれ。……さて、私はやることを思い出したから早急に帰らせてもらう。離れていても、うまくいくことを心から祈っている」
 エードリヒ様は身を翻すと側近を連れて帰っていった。忙しい身なのに今日一日で三回もパティスリーに足を運んでくれている。明日を乗り切ることができた暁には絶対美味しいクレープを焼こうと心の中で誓った。


 二人を見送った後、改めて箱の中を確認する。大粒でルビーのように真っ赤ないちごは整然と並んでいて、どれも見るからに美味しそうだ。
「エードリヒ様のお陰で首の皮一枚で繋がりましたよう。これでなんとか乗り切れませんかね?」
 ラナは箱に顔を近づけて、いちごをためつすがめつしている。先程までの途方に暮れていた表情が一転して晴れやかになっていた。
「うーん、実を言うと大きなエンゲージケーキに対して量はまだ足りないの。どうにかしてカバーできないか、考えているところよ」

 思い悩んでいると、今まで黙っていたネル君が小さく手を挙げた。
「……いちごが足りないなら、ブルーベリーやラズベリーと一緒にジャムにしたものをさらにゼリー状にしてのせるというのはどうですか?」
 私がきょとんとした表情をするとネル君が人差し指を立てる。
「招待状にはいちごの形状が指定されてません。ミックスベリージャムにしてしまえばどうにかできるんじゃないかなって思ったんです」
 私はその言葉を聞いてハッとした。確かに彼の言うとおりだ。

 あの招待状にはどこにもいちごの形状について指定されていなかった。ただ『いちごがたっぷりのエンゲージケーキ』としか書かれていない。
 ネル君のアドバイスに一筋の光明が見えた。
「それだわ! ネル君の方法でやればうまくカバーできるはず」
「お嬢様。私、もう一度商会へいってブルーベリーとラズベリーを仕入れてきますね!」
 ラナはスカートを翻すと急いで商会へと駆けて行く。
 その間に少しでも作業を進めるため、私はこんがりと焼けたスポンジケーキをオーブンから取り出した。

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