竜の巣に落ちました

小蔦あおい

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61話

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 シンティオとサンおばさんが竜の国へ帰って、十日が過ぎた。
 町は司祭様の不正や商業組合の自治権返還の話題で持ちきりになっていて、私と元恋人の賭けである黄金のリンゴについては殆ど触れられなかった。
 話題の二つは取り調べ中で、領都から派遣された役人が頻繁に出入りしている。

 教会地下に集められていた麦束は、アンソニー様の指示のもと早急に焼却処分された。また生産地の村からも麦束を回収し、処分したという。
 市場に出回らないよう先手を打ってくれた上、村にも救済措置として税の減免措置がとられたというのだから良い領主様だと思う。

「私にも救済措置が欲しい……」
 店のカウンターに突っ伏している私は独りごちる。
 現在、私は生きた屍状態となっていた。

 薬の調合はことごとく失敗するし、鍋は竈の火にかけっぱなし。危うく小火を出すところだった。
 ミスを連発する私を見兼ねた服屋の友人に、暫く休めと道具を取り上げられたので、やむなくお店を休業することにした。
 身体は休まっても頭は休めていない。友人たちやニコラ、補佐さんが頻繁に訪ねてきてくれて楽しい時間を過ごしていても、脳内ではシンティオに拒絶された記憶が再生される。そして、何度再生されてもシンティオの真意が分からない。

 すまぬって何なの?
 あれは告白を聞くのが嫌だったすまぬなのか。それとも告白するのを察して私の気持ちには応えられないという意味でのすまぬなのか。
 婚約者がいるからどちらかというと後者の方が可能性として高い。
 せめて最後まで言わせて欲しかった。その後に拒絶してくれた方がスッキリする。

「というか、拒絶しておいてこの仕打ちはないと思う」
 頭を擡げ、カウンターに乗せている左手薬指を虚ろな瞳で見つめる。
 うっかりなシンティオは私の薬指に月長石の指輪を嵌めたまま帰ってしまった。

 指輪はぴったり嵌っていて抜きたくても抜けず、バターや石鹸で試してもダメだった。
 何て嫌がらせだよ。これじゃあ売約済み女と思われるし、運良く良い人と巡り合えても相手から贈られる指輪が嵌められない。

 ……結婚したければ、指諸共落とせと?
 いやいやいや。指輪とおさらばできたところで指もおさらばだと贈られた指輪が嵌められないじゃないか!
 どんな嫌がらせだよ。つまり永遠に独り身でいろということか。

 でもシンティオは私がたくさんの子供や孫に看取られてふかふかのベッドの上で安らかに死ぬことを知っているはずだ。
 知っていてわざとやっているなら鬼畜の所業である。

「シンティオの馬鹿!! ああん、もう誰でもいいから貰ってくれええ!!」
「……生憎、僕は年下がタイプなのでお断りします」
 頭を抱え、身を捩りながら叫んでいると不意にテノールの声がする。
 いつの間にか微苦笑を浮かべるニコラが店の入口に立っていた。

 自暴自棄になってつい心の声が漏れ出てしまった。
 誰でもいいって言ったけど、本当は誰でもいいってわけじゃない。
 生真面目に断られると、却って傷つくんですけど。

「ニ、ニコラ……」
 目が合うなり、彼は大股でこちらに近寄ってくる。やがて、小脇に抱えていた紙袋に手を突っ込むと素早く私の口の中へ何かを押し込んだ。
 これはまさか前やった口封じの報復か?

「少々痩せられたんじゃないですか? ほらほらちゃんとマフィンを召し上がってください。ただでさえ痩せてるんですから少しは栄養取らないと身体が持ちませんよ? ……二個目も突っ込みます?」
「も、もががぁっ!」
 逃れようと試みるも後頭部を押さえられ、口の中にさらに奥へマフィンを捩じ込められる。
 完全に報復の機会を与えてしまった。
 抵抗するために仕方なくマフィンを噛み締める。
 口の中に広がるマフィンは生地にラム酒がたっぷり染み込んでいて、練り込まれたレーズンが甘くて美味しかった。

 私が美味しさに感動して無言で貪り始めると、ニコラは私の後頭部から手を離す。そして今度は私の背後に回り、歩くように背中を押し始める。
「僕は静かな昼食を取りたくてここに来ました。商館は人が多くて落ち着かないので。ところでルナさんずっと外に出てないんじゃないですか? 引きこもりは身体に毒ですよ。たまには新鮮な空気でも吸ってきてください」
 言い切るが早いか、ニコラに店の外へと閉め出されてしまった。
 店のオーナーは私だよ! というツッコミはマフィンの最後の一切れと共に飲み込んだ。
 ニコラはニコラなりに心配してくれている。

「そうだね。たまには外の新鮮な空気も吸わなきゃね」
 確か、月長石は澱み過ぎると良くなかったはず。私の暗い空気を浴び続けた月長石は心なしか鈍く光っているような気がする。
「本当なら私と切り離すことが一番この石には良いんだけど……」
 月長石に向かって自嘲気味に呟く。
 清浄な空気を求めて白霧山を登ることにした。



 黄金色の畑に風が吹く度、まるでさざ波のように麦穂がうねっている。
 私は白霧山麓の拓けた場所から、町から少し離れた黄金地帯を茫洋とした目で眺めた。
 いくつか蟻のような黒い点が黄金の波の中にいる。
 農夫が麦を刈りとる計画でも練っているのだろう。
 季節は着々と移り変わっていっている。自分だけが取り残されたみたいだ。
 溜息を漏らさずにはいられない。

「進まなきゃ……」
 止めていた足を再び動かした。
 山の中に入ると、一層秋めいた空気を感じた。木々の葉で日射しが遮られ、頬を撫でる風がカラッとしていて心地が良い。

 それほど歩きにくくない緩やかな斜面を登っていると、辺りが白み始める。
 またか、と思った時には目の前が白で覆われてしまった。
 傍に立っていた大木すら見えず、身動きが取れない。

 今日は何も考えず身一つで来てしまったため、野宿するためのテントもなければ食料もない。
 途方に暮れていると、遠くの方で鳴き声が聞こえた。
 それは鳥のようにも聞こえるし、獣の赤子のようにも聞こえる不思議な鳴き声だった。
 自然と足が向いて声の方へと進んでいくと、真っ白な霧が徐々に薄れていく――
 漸く濃霧の中から脱出すると、見慣れない光景を目にした。


 頑丈ないくつもの鎖に縛られ、身動きの取れない幼い白き竜が助けを求めるように鳴いていた。
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