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52話
しおりを挟む鐘の音と共にステージ前を占拠している男たちの野太い歓声が湧き起こる。
彼らは元恋人の名前や商業組合の名前を連呼し、何人かは煽るように指笛を吹く。
それを皮切りに元恋人は商人特有の仰々しい挨拶をすると聴衆の前で美声を張り上げた。
「お集まりの皆さま、本日は我々の賭けを見届けにお越しくださりありがとうございます。ご存知でしょうが、私と隣の薬師・ルナは彼女の薬屋の権利を賭けております。内容はルナが伝説の『黄金のリンゴ』を採って来るれば店の権利は彼女のもの、なければ我々組合のものになります。くしくも彼女は私に眉唾物の『黄金のリンゴ』は存在すると強く断言しました。私は今の婚約者の前にルナと交際していましたが、別れた一つの原因に彼女の妄想癖があります。お集まりの皆様、その曇りなき眼で真実を見届け、どちらに店の所有権があるのか、どうか判断してください。そして賭けに勝利した暁には我々商業組合がささやかながらここにあるブドウ酒を無料で振る舞います」
元恋人は酒樽を大袈裟な身振りで指さして堂々と演説する。
惜しみない拍手と共に男たちの歓声が上がった。
あのお、どさくさに紛れて私の悪口を言わないでくれます? ここの組合の人たちは磨くべきトークスキルのベクトルが違うことに気づくべきだと思いますよ。
ただ、元恋人は商業組合長の息子というだけあって、演説の場数は踏んでいるから話の運びはとても自然だった。
もともと祝い酒を配る気で酒樽を準備しているのは分かっていたけれど、よく見るとその銘柄は高値で取引される、一般人ではなかなか手が出せない品物だった。
広場に集まっている聴衆の過半数は商業組合に属さない商人や、町の住人などの一般人だ。いみじくも彼は聴衆の心を掴んでいる。
さては元恋人、この前親の七光りって言ったことを相当根に持ってるな!
私は乾いた唇を舐めると口を開いた。
「確かに『黄金のリンゴ』は伝説上のものなので信じられないかもしれません。ですが一目見れば実在すると納得するでしょう。その輝きは金よりも神々しく、その果実は見慣れたリンゴよりも瑞々し……」
「じゃあそのリンゴを早く見せろ!」
「どうせ持ってないんだろうが」
「店取られたくなくて見栄張っただけだろ。いい加減、ないことを認めちまいな」
最初の罵声はステージ前の商業組合の男たちからだったが、徐々に後方の一般人からも聞こえ、苛烈を極める。
まあ、私が勝っても何かが貰えるわけではないから、応援したところでメリットはないし……この反応は仕方ない、けど。
私は俯くと横掛け鞄の肩紐を強く握り締めた。
「フッ、流石のおまえもこんなに大勢から罵声を浴びせられて何も反論できないか?」
じっと耐えるようにいつまでも縮こまっている私に、元恋人が私にしか聞こえない音量で話し掛けてくる。
やがて男の声を無視して静かに一歩前へと踏み出すと、私は祈るように手を組んで顔を上げた。
「親愛なる皆様……一つ皆様に聞いていただきたい話があります」
広場をゆっくりと見回し、聴衆に向かって穏やかな声で言った。
「私には薬草店を切り盛りしていた母がいました。父を早くに亡くした私にとって母はたった一人の家族。けれどその彼女も働き過ぎが祟って数年前に他界しました。私にとってあの店は母との思い出がつまった大事な場所、大事な店です。簡単に手放せません。それなのに突然商業組合長の息子の彼が店の所有権も営業権も我が物顔で奪おうとしているんです。これは私の妄想癖が問題なのではなくて、ひとえに彼の傲慢さが発端です。こんな横暴がまかり通っていいのでしょうか?」
少し感情的になってしまい、一度間を切る。
私は両手を差し伸べるようにして聴衆に問いかけた。
「私たちは考えなければいけない。私たちは判断しなくてはいけない。どちらが善でどちらが悪なのかを。彼が言ったようにその曇りなき眼で真実を確かめてください!」
そう叫んだ後、鞄から布に包まれた物体を頭上高く掲げる。そして開いている手で布を取り去れば、黄金に煌めくリンゴが姿を現した。
辺りはしんと静まり返った。まるで時が止まってしまったように誰も微動だにしない。
えーと、反応が全くないけどもしかして私、演説失敗した?
実は大勢の前での演説なんて生まれてこの方したことないから、ニコラが町を出るギリギリまで演説のイロハを教えてくれた。
それはもうどこぞの小舅のようにネチネチとみっちり扱きあ……懇切丁寧に教えてくれましたとも。
あんなに扱かれたのにこの様子だと失敗したかもしれない。
というか、二人が到着していない段階でリンゴ出すのはまずかったように思う。
いろんな不安に襲われていると誰かが叫んだ。
「凄い、ほんとに金ピカだ!」
その声によって、皆が弾かれたようにざわつき始めた。
「母親との大事な店を守るために黄金のリンゴを探そうとするなんて。いい娘さんじゃないか」
「確かに彼女の話を聞いていると息子の方に非がある気がする」
両者の言い分を聞いて皆の認識が変わり、様々な意見を言い始める。
すると広場に鈍い音と唸り声が響いた。それは酒樽を殴る元恋人で、恐ろしいほど笑顔だった。
「皆さん、騙されてはいけませんよ。彼女は国家公認の薬師です。その知識と伝をもってすれば普通のリンゴを金で覆って小細工することなんて可能です」
「いいえ、彼女が手にしているのは本物の『黄金のリンゴ』です。これは我が主アンソニー・マクシミリアン・ギリングズが保証しましょう」
淡々とした声が広場後方から響き渡る。
声の主に注目すれば、そこにはツバの広い黒の帽子を深く被り、上質な紺の衣に身を包んだ男が二人立っている。
うち一人が軽い足取りでステージ上にやって来た。そして私に向かって「遅くなってしまい申し訳ありません」と口にすると、黒の帽子を取り去る。
現れたのは杏色頭の少年――ニコラだった。
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