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6話
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あれから十日が過ぎた。シンティオの怪我は快方に向かい、傷跡もすっかりなくなった。
翼を折りたためるようになったことで数日ぶりに洞窟から出られたシンティオは、胸が大きく膨らむほどに新鮮な空気を吸うと、勢いよくそれを吐き出してから顔を上げた。
快晴の空には雄々しい大鷲が翼を広げて滑空している。太陽の眩しさに嬉しそうに目を細めると、やがてのろのろと二足歩行で歩き始めた。
辿り着いた場所は、崖から流れ落ちる滝下の大きな池。池の縁で歩みを止めると、そのまま盛大に大きな音を立てて頭からダイブした。
気持ちよさそうに水浴びを始めると、跳ね上げる水しぶきが太陽の光によってキラキラと美しく光る。
「ああ、終わった……。やっとこの生き地獄から解放される」
私はというと、げっぞりとした表情で洞窟の入り口でうつ伏せに倒れていた。頭を動かして水浴びをする竜を目の端で眺める。
この十日間、それはもう嫌というほどに竜の姿を間近で診たり、触ったりした。治療のためとはいえ、ひんやりとした鱗に触れる度に私の身体は強張り、全身に鳥肌が駆け巡っていた。
克服したかと問われれば疑問が残る。しかし、最初みたいにあの鱗を見て吐かなくなったことは私にとって大きな一歩だった。ここに死んだ母がいたならば偉いと褒めたに違いない。
シンティオは満足いくまで水浴びをすると、やがて池から上がってぶるぶると身体全身を震わせて水を取り除く。それから柔らかそうな草地に腰を下ろすと、尻尾を揺らしながら日向ぼっこを始めた。身体の黒ずんだ汚れは取れ、白い鱗は今までにないくらい眩い宝石のような光を放っている。
鱗が気味悪いのは確かだけど、あんなに輝けば流石に綺麗だな。ってあれ、私の頭おかしくなってきてる?
そんなことを考えていると腹の虫が大きくなって洞窟内に響き渡る。私が山入の際に持ってきていた食料はとうになくなっていた。本来ならば七日分の食料だったが竜に取られて四日ほどでなくなってしまった。それで分かったことは竜が人間と同じ食事を好むということ。
食料が尽きてからは洞窟外の野原に自生する食べられそうな山菜や木の実、キノコを採ってなんとかしのいだ。だが、流石に栄養は偏る。今は野菜よりもタンパク源の豊富な肉や魚が食べたい。
再び空腹を主張するように大きな音が腹から鳴る。
「ルナ、今何か得体のしれぬ怪物の鳴き声がしたぞ?! 大丈夫か? もしやあの穴から落ちてきたのか?! 我に任せよ、退治してくれる!!」
いつの間にか洞窟入り口まで戻ってきていたシンティオは私を庇うようにして仁王立ちするとじっと睨むようにして洞窟奥を見ている。
その鳴き声とやらは私の腹の虫で、しいて言うなら怪物はおまえだこのバカ竜。
それでもお腹の音を聞かれたのはこれでも一応乙女なので恥ずかしかった。私は顔を地面に埋めると少し沈黙を置いてから口を開いた。
「……今のは私のお腹の音。ちゃんとしたものを食べてないから身体が食べ物を欲してるの」
シンティオはなんだっと安堵すると私の隣に腰を下ろした。
「確かに。我ももう山菜やら木の実は飽きたし、何の腹の足しにもならんかったぞ。という訳で、やっと翼も良くなったのだ。リンゴが黄金色になる頃には飢え死にしているやもしれぬし一度、町に戻っていろいろ買い込んできてはどうだ?」
白くて柔らかい小麦のパンを買うのだぞ? という念押しがあったような気がしたけれど、私はその言葉よりも『町に戻る』という言葉に反応して身体を起こした。
「もしかして飛べるようになった?」
「そうだ、怪我が完治した今なら我は飛べる。あの空を飛ぶ大鷲よりもずっと気高く美しく飛べるぞ」
軽く自慢してくるが、竜の飛ぶ姿など今まで見たことがない。試しにトカゲが飛ぶ姿を想像してみたけれど勇ましいよりもおぞましいが先に来てしまい、想像するのを止めるように頭を横に振った。
早速、町に戻る準備を整え横掛け鞄を肩に掛けるとシンティオが私を優しく抱き上げた。乙女なら一度でも夢見るシチュエーション。所謂、お姫様抱っこだった。
何だろう、この最高の状況の中で最高に絵にならない状況は。これが人間の男女だったら、きっと素敵なんだろうなあ……。
私が引きつった笑みを向けると、シンティオは大丈夫だと判断したのかそのまま飛翔した。身体がふわりと浮く感覚は随分と不思議なものだった。水の中を揺蕩うような心地と似てはいるけれど、それとはまた違う爽快感。錆色の髪が大きく揺れ、耳元で鳴る風の唸りは自分が飛んでいるのだという気持ちを沸き立たせ、酷く興奮した。
やがて、私が落ちた穴のある場所近くの拓けたところにシンティオはゆっくりと下りた。ありがとう、と礼を言うと私もまた地面に足をつける。
「この穴の付近まで戻ってきてくれれば、我は其方を迎えに飛んでこよう」
「それは穴に向かって叫べばいいってこと?」
訊けばそうではない、とシンティオは言う。では一体どうするのか。
私が怪訝そうにしていると、突然視界が暗くなり、右の頬に生温かくぬるりとした気持ち悪いものが触れた。
内心パニックを起こしつつ、恐る恐る手を右の頬にあてて離せば掌と右の頬の間に透明の糸がだらり伸びて途切れる。掌を凝視したまま固まっていたが、心の中では勿論悲鳴を上げていた。
ヒィィ、気持ち悪いいい! な、何か変な甘い匂いするんだけど!?
私は右頬をシンティオに舐められたのだ。
「案ずるでない、マーキングというやつだ。我の体液をつけておけばすぐに其方を見つけられる」
目の前のドヤ顔に二、三発の拳をお見舞いしても私は神様に許されるだろうとこの時激しく思った。
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