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【四】
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レーゼマン伯爵と婚約破棄を交わした、その後一月と経たぬ早さで新たな縁談のお話が来たときは――正直、その唐突に驚いてしまいました。
いったいどなたがと首を傾げ、縁談を頂いた殿方の名を確認したところ――私の首は、ますます横に傾いてしまいました。
フロスト公爵。
顔を合わせたことが無いわけではありませんでしたが、しかし親しいほどの繋がりはないはずです。
交流会でも未だお話する機会もなく、なかなか縁の合わないお方の一人であったと記憶しています。一度、レーゼマン伯爵のお屋敷に招かれた彼に、挨拶をした程度でしょうか。
お断りする理由はありませんでしたが――奇妙だな、とは思いました。
顔合わせはすぐに叶いました。
フロスト公爵は、短い髪の良く似合う、精悍なお顔をお持ちのお方でした。
「フロスト・エヴァンスです。今日はお時間を頂き、感謝致します」
「ウィスタリアです。今日は光栄な機会を頂き、深く感謝を致します」
挨拶を終えて――そして、雨の日の沈黙のような、場に似つかわしくない静けさが続きました。
私はフロスト公爵の出かたを待っていたのですが、公爵は私のことをじっと見つめて、何かを口にしようとした後――言葉を引っ込め、力を込めた瞳を俯かせ……そしてまた、私をじっと真っ直ぐに見つめてきました。
奇妙な彼の様子に、私は内心で小首を傾げながら、私のほうから口を開いたほうがいいものかと逡巡していましたが――。
程なくして、沈黙は破られました。
突然に、フロスト公爵は、毅然とした声で言ったのです。
「私と結婚してほしい」
本当に唐突な、告白の言葉を。
私は目をまん丸にしましたが――しかしその告白に一番驚いていたのは、誰あろう、その言葉を口にした、フロスト公爵自身でした。
自然に出た言葉の意外に、虚を突かれた、というような表情を浮かべていました。
脈絡のない、唐突な告白。
普通であれば、ただ戸惑いを浮かべるしかなかった場面ですが――しかし私は、混乱しながらも、なぜかその言葉をとても嬉しく思いました。
何故でしょう……?
とはいえ、このままでは話が続かないので、私は努めて平静の微笑みを作り、一旦話を戻すために閑話を挟みました。
「まずは、お話をしましょう。私も今日この日を光栄に思い、楽しみにしてきました。是非、沢山お話をしたく思います」
息を入れる隙のような歓談の誘いに、フロスト公爵はこれ幸いと、我に返ったような冷静の様子を見せましたが――。
しかし、その冷静をもって僅かに逡巡した後――今度は覚悟を決めた表情で、続く言葉を私に送ったのです。
「貴方の瞳の青に、咲き誇る紫陽花の如きの美しい強さを見た。私はレーゼマン卿のように貴方の強さから逃げることはない。――貴方を愛します、私との婚約を考えてほしい」
真っ直ぐに私の瞳を見つめて、口にされた言葉。
――それは、誰にも言われたことのない告白でした。
決意と愛情。
私は今になって、彼の、先程の唐突な告白を嬉しく思ったのかを理解しました。
彼は明らかに、浮足立っていたのです。
私に、対して。
それがなんだか――嬉しかったのです。
何故、私のことをこんなに想ってくれるのかは分かりません。
しかし、私は今、素直に嬉しい。
簡単だと思われるかもしれないけれど――彼が口にした、私を表す言葉が。そして続た、――きっと私がいっとうに欲しかった、その覚悟が。
私は再び浮かべた驚きの表情を和らげると、口に手をやり、クスリと小さく、微笑みました。
「そんなこと、初めて言われました。正直に嬉しいです」
――その欲しかった言葉が偽物かもしれない、なんてことは、大した重要ではありませんでした。
それを見極めたいと、そう思ったのです。
ただ、願うのならば――。
「私が紫陽花だというのなら――」
願うのなら……。
「私は雨の日でも、貴方の心を照らすことができますね。――望むのならそのときは、濡れて枯れる配慮を思って傘をかざすのではなく――私は貴方に、私に向ける変わらぬ微笑みを願いたい」
私という私が、私のまま――この瞳で見つめようと決めた貴方を好きになる努力を、させてください。
「――誓います」
自身の強さに疑問を持ちました。
それを否定することはなくとも、“自身”の先に想像した孤独に、少し寂しさを覚えたこともありました。
「私は貴方を思い続けます」
だから嬉しかった。
それを大切にしてくれると言ってくれた、貴方の告白が。――そしてそれ以上に、私のそれを大切に思ってくれた人がいた――その事実が。
今まで生きてきた、何よりも。
「大切にする――貴方の心を、気品を、全てを」
――だから見極めたい。
「嬉しい。大切にしてくれるというのなら――私も、貴方の心に寄り添い続けましょう」
訪れた機会の、その先を。
――運命だなんて言いません。
これはまだ始まってもいない、一つの事情でしかないのだから。
未だ見定まらぬ一つの事情。この瞳で、私がこれから見つめるべき未確の未来なのですから。
ただ、一つ。
そのとき私が、まるで少女のような、心の底からの明け透けな笑顔を浮かべていたことは――紛れもない、確かでした。
いったいどなたがと首を傾げ、縁談を頂いた殿方の名を確認したところ――私の首は、ますます横に傾いてしまいました。
フロスト公爵。
顔を合わせたことが無いわけではありませんでしたが、しかし親しいほどの繋がりはないはずです。
交流会でも未だお話する機会もなく、なかなか縁の合わないお方の一人であったと記憶しています。一度、レーゼマン伯爵のお屋敷に招かれた彼に、挨拶をした程度でしょうか。
お断りする理由はありませんでしたが――奇妙だな、とは思いました。
顔合わせはすぐに叶いました。
フロスト公爵は、短い髪の良く似合う、精悍なお顔をお持ちのお方でした。
「フロスト・エヴァンスです。今日はお時間を頂き、感謝致します」
「ウィスタリアです。今日は光栄な機会を頂き、深く感謝を致します」
挨拶を終えて――そして、雨の日の沈黙のような、場に似つかわしくない静けさが続きました。
私はフロスト公爵の出かたを待っていたのですが、公爵は私のことをじっと見つめて、何かを口にしようとした後――言葉を引っ込め、力を込めた瞳を俯かせ……そしてまた、私をじっと真っ直ぐに見つめてきました。
奇妙な彼の様子に、私は内心で小首を傾げながら、私のほうから口を開いたほうがいいものかと逡巡していましたが――。
程なくして、沈黙は破られました。
突然に、フロスト公爵は、毅然とした声で言ったのです。
「私と結婚してほしい」
本当に唐突な、告白の言葉を。
私は目をまん丸にしましたが――しかしその告白に一番驚いていたのは、誰あろう、その言葉を口にした、フロスト公爵自身でした。
自然に出た言葉の意外に、虚を突かれた、というような表情を浮かべていました。
脈絡のない、唐突な告白。
普通であれば、ただ戸惑いを浮かべるしかなかった場面ですが――しかし私は、混乱しながらも、なぜかその言葉をとても嬉しく思いました。
何故でしょう……?
とはいえ、このままでは話が続かないので、私は努めて平静の微笑みを作り、一旦話を戻すために閑話を挟みました。
「まずは、お話をしましょう。私も今日この日を光栄に思い、楽しみにしてきました。是非、沢山お話をしたく思います」
息を入れる隙のような歓談の誘いに、フロスト公爵はこれ幸いと、我に返ったような冷静の様子を見せましたが――。
しかし、その冷静をもって僅かに逡巡した後――今度は覚悟を決めた表情で、続く言葉を私に送ったのです。
「貴方の瞳の青に、咲き誇る紫陽花の如きの美しい強さを見た。私はレーゼマン卿のように貴方の強さから逃げることはない。――貴方を愛します、私との婚約を考えてほしい」
真っ直ぐに私の瞳を見つめて、口にされた言葉。
――それは、誰にも言われたことのない告白でした。
決意と愛情。
私は今になって、彼の、先程の唐突な告白を嬉しく思ったのかを理解しました。
彼は明らかに、浮足立っていたのです。
私に、対して。
それがなんだか――嬉しかったのです。
何故、私のことをこんなに想ってくれるのかは分かりません。
しかし、私は今、素直に嬉しい。
簡単だと思われるかもしれないけれど――彼が口にした、私を表す言葉が。そして続た、――きっと私がいっとうに欲しかった、その覚悟が。
私は再び浮かべた驚きの表情を和らげると、口に手をやり、クスリと小さく、微笑みました。
「そんなこと、初めて言われました。正直に嬉しいです」
――その欲しかった言葉が偽物かもしれない、なんてことは、大した重要ではありませんでした。
それを見極めたいと、そう思ったのです。
ただ、願うのならば――。
「私が紫陽花だというのなら――」
願うのなら……。
「私は雨の日でも、貴方の心を照らすことができますね。――望むのならそのときは、濡れて枯れる配慮を思って傘をかざすのではなく――私は貴方に、私に向ける変わらぬ微笑みを願いたい」
私という私が、私のまま――この瞳で見つめようと決めた貴方を好きになる努力を、させてください。
「――誓います」
自身の強さに疑問を持ちました。
それを否定することはなくとも、“自身”の先に想像した孤独に、少し寂しさを覚えたこともありました。
「私は貴方を思い続けます」
だから嬉しかった。
それを大切にしてくれると言ってくれた、貴方の告白が。――そしてそれ以上に、私のそれを大切に思ってくれた人がいた――その事実が。
今まで生きてきた、何よりも。
「大切にする――貴方の心を、気品を、全てを」
――だから見極めたい。
「嬉しい。大切にしてくれるというのなら――私も、貴方の心に寄り添い続けましょう」
訪れた機会の、その先を。
――運命だなんて言いません。
これはまだ始まってもいない、一つの事情でしかないのだから。
未だ見定まらぬ一つの事情。この瞳で、私がこれから見つめるべき未確の未来なのですから。
ただ、一つ。
そのとき私が、まるで少女のような、心の底からの明け透けな笑顔を浮かべていたことは――紛れもない、確かでした。
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