上 下
4 / 5

【四】

しおりを挟む
 レーゼマン伯爵と婚約破棄を交わした、その後一月ひとつきと経たぬ早さで新たな縁談のお話が来たときは――正直、その唐突に驚いてしまいました。

 いったいどなたがと首を傾げ、縁談を頂いた殿方の名を確認したところ――私の首は、ますます横に傾いてしまいました。

 フロスト公爵。
 顔を合わせたことが無いわけではありませんでしたが、しかし親しいほどの繋がりはないはずです。
 交流会でも未だお話する機会もなく、なかなか縁の合わないお方の一人であったと記憶しています。一度、レーゼマン伯爵のお屋敷に招かれた彼に、挨拶をした程度でしょうか。

 お断りする理由はありませんでしたが――奇妙だな、とは思いました。

 顔合わせはすぐに叶いました。
 フロスト公爵は、短い髪の良く似合う、精悍なお顔をお持ちのお方でした。

「フロスト・エヴァンスです。今日はお時間を頂き、感謝致します」
「ウィスタリアです。今日は光栄な機会を頂き、深く感謝を致します」

 挨拶を終えて――そして、雨の日の沈黙のような、場に似つかわしくない静けさが続きました。

 私はフロスト公爵の出かたを待っていたのですが、公爵は私のことをじっと見つめて、何かを口にしようとした後――言葉を引っ込め、力を込めた瞳を俯かせ……そしてまた、私をじっと真っ直ぐに見つめてきました。

 奇妙な彼の様子に、私は内心で小首を傾げながら、私のほうから口を開いたほうがいいものかと逡巡していましたが――。

 程なくして、沈黙は破られました。
 突然に、フロスト公爵は、毅然とした声で言ったのです。

「私と結婚してほしい」

 本当に唐突な、告白の言葉を。

 私は目をまん丸にしましたが――しかしその告白に一番驚いていたのは、誰あろう、その言葉を口にした、フロスト公爵自身でした。
 自然に出た言葉の意外に、虚を突かれた、というような表情を浮かべていました。

 脈絡のない、唐突な告白。
 普通であれば、ただ戸惑いを浮かべるしかなかった場面ですが――しかし私は、混乱しながらも、なぜかその言葉をとても嬉しく思いました。
 何故でしょう……?

 とはいえ、このままでは話が続かないので、私は努めて平静の微笑みを作り、一旦話を戻すために閑話を挟みました。

「まずは、お話をしましょう。私も今日この日を光栄に思い、楽しみにしてきました。是非、沢山お話をしたく思います」

 息を入れる隙のような歓談の誘いに、フロスト公爵はこれ幸いと、我に返ったような冷静の様子を見せましたが――。
 しかし、その冷静をもって僅かに逡巡した後――今度は覚悟を決めた表情で、続く言葉を私に送ったのです。

「貴方の瞳の青に、咲き誇る紫陽花の如きの美しい強さを見た。私はレーゼマン卿のように貴方の強さから逃げることはない。――貴方を愛します、私との婚約を考えてほしい」

 真っ直ぐに私の瞳を見つめて、口にされた言葉。
 ――それは、誰にも言われたことのない告白でした。
 決意と愛情。
 私は今になって、彼の、先程の唐突な告白を嬉しく思ったのかを理解しました。

 彼は明らかに、浮足立っていたのです。
 私に、対して。
 それがなんだか――嬉しかったのです。

 何故、私のことをこんなに想ってくれるのかは分かりません。
 しかし、私は今、素直に嬉しい。
 簡単だと思われるかもしれないけれど――彼が口にした、私を表す言葉が。そして続た、――きっと私がいっとうに欲しかった、その覚悟が。

 私は再び浮かべた驚きの表情を和らげると、口に手をやり、クスリと小さく、微笑みました。

「そんなこと、初めて言われました。正直に嬉しいです」

 ――その欲しかった言葉が偽物かもしれない、なんてことは、大した重要ではありませんでした。
 それを見極めたいと、そう思ったのです。

 ただ、願うのならば――。

「私が紫陽花だというのなら――」

 願うのなら……。

「私は雨の日でも、貴方の心を照らすことができますね。――望むのならそのときは、濡れて枯れる配慮を思って傘をかざすのではなく――私は貴方に、私に向ける変わらぬ微笑みを願いたい」

 私という私が、私のまま――この瞳で見つめようと決めた貴方を好きになる努力を、させてください。

「――誓います」

 自身の強さに疑問を持ちました。
 それを否定することはなくとも、“自身”の先に想像した孤独に、少し寂しさを覚えたこともありました。

「私は貴方を思い続けます」

 だから嬉しかった。
 それを大切にしてくれると言ってくれた、貴方の告白が。――そしてそれ以上に、私のそれを大切に思ってくれた人がいた――その事実が。
 今まで生きてきた、何よりも。

「大切にする――貴方の心を、気品を、全てを」

 ――だから見極めたい。

「嬉しい。大切にしてくれるというのなら――私も、貴方の心に寄り添い続けましょう」

 訪れた機会の、その先を。


 ――運命だなんて言いません。
 これはまだ始まってもいない、一つの事情でしかないのだから。
 未だ見定まらぬ一つの事情。この瞳で、私がこれから見つめるべき未確の未来なのですから。

 ただ、一つ。

 そのとき私が、まるで少女のような、心の底からの明け透けな笑顔を浮かべていたことは――紛れもない、確かでした。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

家族から見放されましたが、王家が救ってくれました!

マルローネ
恋愛
「お前は私に相応しくない。婚約を破棄する」  花嫁修業中の伯爵令嬢のユリアは突然、相応しくないとして婚約者の侯爵令息であるレイモンドに捨てられた。それを聞いた彼女の父親も家族もユリアを必要なしとして捨て去る。 途方に暮れたユリアだったが彼女にはとても大きな味方がおり……。

婚約破棄されたので王子様を憎むけど息子が可愛すぎて何がいけない?

tartan321
恋愛
「君との婚約を破棄する!!!!」 「ええ、どうぞ。そのかわり、私の大切な子供は引き取りますので……」 子供を溺愛する母親令嬢の物語です。明日に完結します。

婚約破棄を喜んで受け入れてみた結果

宵闇 月
恋愛
ある日婚約者に婚約破棄を告げられたリリアナ。 喜んで受け入れてみたら… ※ 八話完結で書き終えてます。

婚約破棄をされるのですね、そのお相手は誰ですの?

恋愛
フリュー王国で公爵の地位を授かるノースン家の次女であるハルメノア・ノースン公爵令嬢が開いていた茶会に乗り込み突如婚約破棄を申し出たフリュー王国第二王子エザーノ・フリューに戸惑うハルメノア公爵令嬢 この婚約破棄はどうなる? ザッ思いつき作品 恋愛要素は薄めです、ごめんなさい。

今、目の前で娘が婚約破棄されていますが、夫が盛大にブチ切れているようです

シアノ
恋愛
「アンナレーナ・エリアルト公爵令嬢、僕は君との婚約を破棄する!」  卒業パーティーで王太子ソルタンからそう告げられたのは──わたくしの娘!?  娘のアンナレーナはとてもいい子で、婚約破棄されるような非などないはずだ。  しかし、ソルタンの意味ありげな視線が、何故かわたくしに向けられていて……。  婚約破棄されている令嬢のお母様視点。  サクッと読める短編です。細かいことは気にしない人向け。  過激なざまぁ描写はありません。因果応報レベルです。

真実の愛だからと平民女性を連れて堂々とパーティーに参加した元婚約者が大恥をかいたようです。

田太 優
恋愛
婚約者が平民女性と浮気していたことが明らかになった。 責めても本気だと言い謝罪もなし。 あまりにも酷い態度に制裁することを決意する。 浮気して平民女性を選んだことがどういう結果をもたらすのか、パーティーの場で明らかになる。

【完結】あなた、私の代わりに妊娠して、出産して下さい!

春野オカリナ
恋愛
 私は、今、絶賛懐妊中だ。  私の嫁ぎ先は、伯爵家で私は子爵家の出なので、玉の輿だった。  ある日、私は聞いてしまった。義父母と夫が相談しているのを…  「今度、生まれてくる子供が女の子なら、妾を作って、跡取りを生んでもらえばどうだろう」  私は、頭に来た。私だって、好きで女の子ばかり生んでいる訳じゃあないのに、三人の娘達だって、全て夫の子供じゃあないか。  切れた私は、義父母と夫に  「そんなに男の子が欲しいのなら、貴方が妊娠して、子供を産めばいいんだわ」  家中に響き渡る声で、怒鳴った時、  《よし、その願い叶えてやろう》  何処からか、謎の声が聞こえて、翌日、夫が私の代わりに妊娠していた。  

愛されたのは私の妹

杉本凪咲
恋愛
そうですか、離婚ですか。 そんなに妹のことが大好きなんですね。

処理中です...