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序幕&第一幕
「おまえが泣いてんのに、オレが幸せなわけねーだろ!!」~最強の魔法使い師弟5~
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序幕
ポタポタッと、地面に何かが零れ落ちる。
何だろう。こんなに日射しが強いから、雨じゃない…。
暑い…。
くらくらする。
目に映る、全部が白く光っていて、よく見えない。
ここはどこで…オレは何をしているんだった…?
ざわざわと、声がうるさい。
ああ、そうだ…。警護の仕事が入って…夏祭りの前だから人が増えて、治安が悪くなってるって、だから…。
ふっと、何もかもが遠くなって…。
地面が、近い?
「ディアス!!」
響いた声と、オレを支えてくれる腕。どっちも、すっかり馴染んだもの。
フェレトさま、と声に出せたかどうか、わからない。
☆
唇を開かれる。触れた感触には、覚えがあった。フェレトさまの指。
その直後に、冷たい物が押し付けられる。
何、と思う前に、ごくごくと飲み干していた。
喉を通って行くそれを、夢中で嚥下しているうちに、水から浮上するように、周囲がはっきり見えた。
「意識もどったな。もっと飲め。」
すぐ近くに、フェレトさまの青い瞳がある。何だか、ものすごく安心して、オレは全身から力が抜けた。
だけど、倒れこむことはなかった。
フェレトさまの片腕が、オレの肩に回されていて、支えてくれている。
もう片方の手で、フェレトさまは水の入ったグラスを持っていた。オレの唇に、グラスの縁を押し付ける。
オレが飲みやすい角度に傾けてくれる。
飲んでいる途中で、オレはコップから唇を離した。さっきは、そんなことに気づく余裕がなかったけれど、この味は。
「この水、塩辛いです。」
オレが顔をしかめて言うと、フェレトさまは、グラスをひょいとベッド脇の小さなテーブルに置いた。
「これが不味いなら、まあ、大丈夫だな。本当にヤバイときは、塩水が甘く感じるらしいぜ。」
オレの肩を支えたまま、片手で器用に別のグラスを取り上げる。
「自分で飲めるか?」
と訊かれて、オレはよく考えずに首を横に振る。たぶん、自分で飲めたと思う。
フェレトさまは、さっきと同じように、オレに水を飲ませてくれた。
今度のは、塩の味はしない。でも、真水でもなかった。爽やかで少し酸っぱい。たぶん、レモンが絞ってあるんだろう。小さく砕かれた氷がたくさん浮いていて、歯に沁みるくらい冷たかったけれど、ほとんど一気に飲んでしまった。
とにかく喉がカラカラで、干上がりそうだったのが、ようやく落ち着く。
「まだいるか?」
とフェレトさまに訊かれて、
「もういいです。」
と答える。
フェレトさまは、空になったグラスを置いた。唇の端からこぼれた水滴が、フェレトさまの長い指でぬぐわれる。その後、ゆっくりとベッドに横たえられた。
(冷たい。)
と思ったら、首の下には、氷嚢が置いてある。
氷嚢は一つではなく、腋の下にも置いてあったし、足の付け根や足首にも置かれていた。
さっきまで意識しなかったのに、急に冷えてきた気がする。
制服は脱がされ、シャツのボタンも外されていて、冷えた風がすうっと肌を撫でた。
気づいたら、部屋の中に雪が降っている。冷え切った、真冬さながらの風が、ひらひらと雪を舞い踊らせていた。氷属性の魔法を、殺傷能力を0にして展開させている。
知らない部屋だ。少なくても、<風の塔>の中じゃない。
「ここ、どこですか?」
「おまえが警護してて、途中でぶっ倒れた露店の近くの宿屋。」
そうだ、オレは、露店がひしめく地区を巡回していたんだった。ここは、おそらく、一階が食堂か居酒屋、二階が宿屋になっている、よくあるタイプの店だろう。って、問題はそこじゃなくて。
フェレトさまに、上からぎろっと睨まれて、オレはカメみたいに首をすくめた。甲羅があったら入りたい気分だ。フェレトさまは、無駄に美形だから凄むと怖い。
「倒れる前に日陰に行くなり水飲むなりしやがれ。暑さで死ぬこともあるんだぞ。こっちの寿命が縮むだろーが。」
「…すみません…。」
小さな声で謝ったら、フェレトさまが片眉を上げた。
「珍しく素直じゃねーか。」
「珍しくは余計です…。」
心配をかけてしまったんだな、というのがわかるから。
意識を失う寸前で、名前を呼ばれたのを覚えている。あの時のフェレトさまの声は切羽詰まっていて。罪悪感で胸の奥がツキンとする。
「気づいてやれなくて悪かった。今日はまだそこまでの気温じゃないが、おまえ、暑さに弱いんだな。今までどうしてたんだ?」
「夏休みだったから、あまり外には…。」
フェレトさまは、なるほど、という顔をした。去年までは<アカデミア>の学生だったな、と納得している。
オレは、この土地の夏は苦手だ。生まれ育ったのは、この<リュカイオス>よりも北の方の国だ。冬は雪と氷に閉ざされるけれど、その分、夏は過ごしやすくて、待ち遠しい季節だった。全てを明るく照らす夏の太陽は憧れだった。
今も、眩しい陽射しは好きだけれど、ここまで暑くなるのは予想外だった。
オレが落ち込んでいるのがわかるのか、フェレトさまは、壊れ物でも扱うみたいな、慎重な手つきでオレの前髪を梳いて、そのまま額に手を当てる。
氷水の入ったグラスに触れていたフェレトさまの手は濡れて冷えていて、オレは思わず
「気持ちいい…。」
と呟いてしまった。
フェレトさまが苦笑した。唇の端だけで笑って、でも目は優しい。
「ちょっと熱があるみたいだな。薬飲む前に何か腹に入れろ。果物くらいなら喉通るか?」
と、フェレトさまが、オレの額から手をどかす。代わりに、ポンと氷嚢を置かれた。でも、フェレトさまの手の方が気持ちよかった。
そのまま立ち上がりかけたフェレトさまのマントを、オレはとっさに掴んでしまった。気づいたらベッドに半身を起こしている。
「何もいらないですから!」
そこで、ハッと我に返る。
一気に顔に血が上った。
下がりかけていたはずの体温が、また急激に上がった気がする。
(オレは、今、何を。)
何もいらないから、ここにいて、なんて。
そんなの、小さな子どもが甘えているみたいだ。
恥ずかしい。
顔から火が出そうだ。
オレが俯いていると、フェレトさまが笑う気配が伝わってきた。
ぽん、と、大きな掌が頭に乗せられる。
いつの間にか、当たり前になってしまった、フェレトさまのいつもの癖。
「体が辛いときは、心細くなるもんだ。気にすんな。」
小さい子どもに言い聞かせているような、子守唄のような声だった。同時に、すっと手が離れていく。
パチンと、何かを外す音に、顔を上げると。
フェレトさまが、金具で制服の肩に止めていた深緑のマントを、ベッドの上にふわりと落とすところだった。
マントの端を、オレが掴んだままだから…。
「ちょっとだけ待ってろ。」
「…はい…。」
オレが頷くと
「いい子だ。」
と笑って、フェレトさまは部屋を出ていく。
オレの手の中に残った、深緑のマント。
夏用のそれは、透ける素材でできていて、涼しげで軽い。
オレは、フェレトさまのマントを自分の胸に引き寄せた。
☆
フェレトさまがもどって来るまで、やけに時間がかかった気がした。その気持ちが顔に出たのか、フェレトさまは、広い肩を少しすくめる。
「なんだよ、十分くらいしか経ってねーぞ。」
本当だろうか。待っていた時間はもっとずっと長く感じた。
「もういいか。」
と、呟いて、氷属性の魔法を解除する。確かに、部屋は十分冷えていた。
オレが、おずおずと差し出したマントを、フェレトさまは肩に羽織る。
それから、持ってきた桃を、ナイフでむき始める。柔らかくて潰れやすいはずなのに、フェレトさまは鮮やかな手つきで、するっと簡単にむき終わってしまう。
オレは、フェレトさまに芋の皮むきを教えてもらった時のことを、ぼんやりと思い出す。もう、ずいぶん昔のことのような気がする…。
ちょっと意識が飛んでいたかもしれない。
「ほらよ。」
と、一口大に切られてフォークに刺さった白い果肉を目の前に、というか口の前に差し出されて、オレはムッとする。
オレをいくつだと思っているんですか、と文句を言うために開いた口に、ぽんと桃を放り込まれた。
(甘い。)
口の中で蕩けるように甘い果肉。かみしめるとじゅわっと溢れる果汁。呑みこむと、体が喜んでいるのがわかった。
残りは自分で食べます、と皿を受け取ろうと思ったけれど。
もう一口食べてしまったんだから、いいか、と開き直ることにした。ちょっと腕がだるいし、と誰も聞いていないのに、心の中で言い訳をする。
フェレトさまは、オレが呑みこんだタイミングで、次の一切れを差し出してくれる。ずいぶん慣れている感じだ。きっと、<光の家>の子どもたちが寝込むと、こんな風に看病しているんだろうな。
ロムルスたちと同じ扱いなのは、くすぐったいような、腹立たしいような、複雑な気分だ。
「オレは餌をもらう雛ですか?フェレトさま、オレを子ども扱いしすぎです。」
世話を焼いてもらっているのに、この言い方はないだろと、自分でも思うのに、つい、こういうことを言ってしまう。
フェレトさまは、意地悪く鼻で笑う。
「おまえは、まだまだ嘴の黄色いヒヨッ子だっつーの。」
「…。」
オレは、よっぽどぶすくれた顔をしたらしい。
フェレトさまは、声をたてて笑って、笑い過ぎて、なかなか次の一切れをくれなかった。
そしてオレは、結局、介抱してもらったお礼を言いそびれてしまった。
第一幕
世界に名だたる、魔法使いの組合、<星の塔>。
優秀な魔法使いを揃え、世界中からひっきりなしに依頼が舞い込む。王侯貴族にさえ膝を折らせる、一流の組織だ。
<星の塔>では、年に一度、大きな祭が開かれる。一年で最も暑い月に行われる、真夏の祭典だ。
実りへの感謝を神に捧げる秋の収穫の祭や、太陽の復活を祈願する冬の祭のような由来はない。単に、<星の塔>の威信を、都市の内外に知らしめるための祭典だ。そのため、厳かさ神聖さとは無縁で、陽気なお祭り騒ぎが繰り広げられる。
「派手にパーッと騒げていいよな。」
と、フェレトは、この夏祭りを気に入っている様子だ。ディアスは
「フェレトさまは、年中飲み屋で騒いでいるじゃないですか。」
と、師匠に冷ややかな眼差しを向けた。
フェレトとディアスは、<星の塔>が誇る、円形闘技場、<コロシアム>の貴賓席近くにいた。<コロシアム>は、明日から始まる祭の目玉の一つ、魔法使いたちの<御前試合>の舞台だ。貴賓席は、<元老院>を始め、各国の王族、警護を務める賢者たちなど、百人以上を余裕で収容できる広さがある。フェレトは、明日に備えて貴賓席の点検をしており、ディアスはその手伝いだ。
貴賓席は、闘技場を一望できる高さにあり、一般の客席からは離れている。闘技場がよく見えるように、全面硝子張りだ。一見、脆そうに見えるが、魔法で特別な加工の施された硝子なので、強度は申し分ない。さらにー。
「吹き荒れよ、<緑風刃>!」
と、フェレトが得意の風の魔法を放つと。
あらゆる物を切り刻む風の刃は、キン、と硬質な音をたてて弾かれる。
フェレトの烈風を阻んだのは、眩く輝く光の壁。ダイヤモンドの硬度で、いかなる攻撃魔法も無力化する。
貴賓席は、物理的な攻撃を受けると、自動的に、最高の防御魔法、<金剛壁>が展開される仕組みになっている。謂わば、大掛かりな魔法具なのだ。
「吹雪け、<蒼雪乱>!」
ディアスが、氷属性の魔法を放つ。フェレトの<緑風刃>が当たったのと、寸分違わぬ場所に命中させる。
フェレトが、やるじゃねーか、という顔をしたので、ディアスは自然と笑みが零れた。
二つの魔法を受けても、<金剛壁>はびくともしない。それを確かめると、フェレトとディアスは、攻撃を当てる場所を変えて、点検を続けた。
☆
「まあ、こんなもんだろ。貴賓席の強度に問題なし、と。」
フェレトがさらさらと、書類にサインをする。
「こんだけ頑丈なんだから、貴賓席に警護なんていらねーと思うんだけどな。お偉いサンの警護なんてだりーぜ。」
と、続けてぼやいた。
ディアスが呆れる。
「どんなに完璧に見えたって、設備だけじゃ、不測の事態に対応できないでしょう。最後に物を言うのは、やっぱり人ですよ。大体、フェレトさまは、思ったことすぐ口に出しすぎです!そういうことを繰り返してるから、<元老院>に目の敵にされるんですよ!」
ディアスが暑さで倒れてから、既に三日が経過している。しっかり休んで、完全復活したディアスは、いつも通りに舌鋒が鋭く、師匠相手にも容赦しない。
「各国の王族の前でもそんな態度だと、お説教じゃ済まないかもしれませんよ。」
祭には、各国の王族や貴族も大勢招かれている。彼らは、<星の塔>にとって、大口の顧客である。この祭典は、<星の塔>の力を知らしめる、絶好の宣伝の機会なのだ。
そして、人が多く集まる祭は、行商人たちの稼ぎ時でもあり、常時の数倍の人や物、金が行き交う。<星の塔>の恩恵を受けて栄える<空の街>にとっても、1年で最も儲かる数日間になる。
しかし、その分、盗みや掏り、喧嘩などが横行する。それらの軽犯罪で済めばまだましだが、訪れた各国の要人を狙っての誘拐や暗殺が起きては、<星の塔>の威信は地に落ちる。
必然的に、警備はふだんよりも厳重になり、手の空いている魔法使いはほとんどが駆りだされる。もっとも、魔法使たちにも祭を楽しむ権利はあるので、祭の間ずっと拘束されることはなく、交代制だ。
しかし、代わりのきかない役職も、もちろん存在するわけで。
<星の塔>の最高位、6人しかいないー現在は一席空位なので5人だがー賢者たちは、基本的に祭の間、各国から集まった王族の警護で、ほとんど動けない。
「おまえ、口うるさくなってきたなー。小姑かよ。」
ディアスの、注意とも脅しとも、単なる悪口ともとれる生意気な台詞に、フェレトも嫌味で返す。
「誰が小姑ですかっ!」
と、ディアスは憤慨して、きいっと形の良い眉をつり上げる。
出会った頃は、冷静沈着と言えば聞こえがいいが、ツンと澄まし返ってお高くとまっている可愛くないガキだったので、(ずいぶん表情豊かになったな、こいつ。)と、フェレトはひそかに感心している。もっとも、ディアスの喜怒哀楽が激しくなるのは、フェレトの前だけなのだが、それはフェレトにはわからない。
(ま、こんだけ元気なら、もう安心だな。)
と、ひそかに胸を撫で下ろす。
ディアスが白い貌を赤く火照らせ、荒い息遣いで、薄い胸を上下させていたときは、正直、生きた心地がしなかった。
それに比べれば、ぎゃんぎゃん喚き散らしている、今のディアスの方がずっといい。
「あーもう、わかったからちょっと静かにしろ。キャンキャン喚くな、仔犬か、おまえは。」
「何ですか、その雑な物言いは!」
と、ディアスの怒りは収まらない。
フェレトは面白いので、そのまま放置しておこうかと思ったのだが。
ふいに、珍しく真面目な口調になって
「ディアス。」
と呼んだ。
師の変化には敏感なディアスは、ぴたりと静かになる。かすかに不安気な表情を浮かべて、フェレトの紺碧の双眸を見返した。
フェレトは、サファイアの瞳を翳らせる。
「おまえ、祭の間は、<風の塔>に引っ込んでいた方がよくねーか?おまえの生国…オルコスだったか。そこと親交のある国の王族の中には、おまえの顔を知ってるやつもいるだろ。」
フェレトが、ディアスの過去に言及することは滅多にない。しかし、現実の脅威があれば、ディアスの心情は慮りつつも、はっきり口にする。
しかし、ディアスはあっさり首を振る。
「オレの顔を知ってる他国の王族なんていませんよ。」
ディアス自身は、捨ててきた祖国に、未練もなければ、こだわりも無い。ましてや、愛着など欠片も。
「オレが公式の行事に出ることを、正妃やその一族はひどく嫌っていましたから。外国の賓客のいる場に呼ばれたことはありません。」
語る口調は、さばさばとしていて、ほとんど他人事。フェレトの気遣いは無用なのだと、言外に語る。
フェレトは、それでも、さらに尋ねた。
「だが、流石にオルコスの王族はおまえを知ってるだろ?賓客のリストにオルコス出身のやつがいないか調べとく。」
「オルコスは、<星の塔>に頻繁に依頼ができるほど裕福な国じゃありません。王族を招いている可能性は低いですよ。」
<星の塔>にとって上客とは言い難い。おそらく、少年時代のフェレトとアレクトが請け負った依頼が、最初で最後のはずだ。
それに、とディアスはあっさりと言う。
「万一、オルコスの王族がいても、国を出て5年も経っているから、オレだってわからないと思いますけど。」
そんなわけねーだろ、とフェレトは思う。ディアスの抜きんでた美貌が、印象に残らないはずがない。ディアスは聡明だし、自分の魔法の腕に関しては絶対の自信をもっていて高慢なところさえあるが、自身の容貌については、無頓着な時が多い。
以前、女装したときは、「可憐な美少女」と言い放っていたが、ふだんは意識していない。
ディアスは、笑って言い添えた。
「それに、今までの祭で何もなかったですよ。」
フェレトが瞬きをした。
「今まで、夏は引きこもってたんじゃねーのか?」
「祭の間、全く外に出なかったわけじゃないですって。」
「そーなのか?一緒に祭を楽しむダチとかいない、寂しいやつだったんだろ?」
「必要なかったんですよ、そんなもの。祭で興味があったのは、露店に出回る、掘り出し物の魔法書くらいでしたし。一人の方が好きに見て回れるんだから、友達なんて不要です。」
ツンとあごを反らして、意地の悪いフェレトの物言いをはねつけるディアス。当時のディアスは、本当にいらなかったのだろう。祭を共に楽しむ相手が。
「かわいくねーこと言うやつだなー。まあ、今年はオレが一諸に回ってやるから安心しな。」
「フェレトさまには賢者の仕事があるでしょう!まさか抜け出してくるつもりじゃ。」
一瞬、頬がゆるんでしまったディアスだが、途中ではたと気づいた。
フェレトは、悪戯をたくらむ悪ガキのように、ニヤリと口角を引き上げる。息を呑むほどの美形なのに、そんな表情だと、ひどく子どもっぽい。
「そこはちゃーんと考えてあるから安心しな。」
「不安しかないです。」
「この生意気な口には躾けが必要みてーだなあ、ディアス。」
フェレトが、ディアスの口の両端をぐいっとつかんで、みょーんと横に伸ばす。パッと手を離した。
「!!」
ディアスは痛すぎて、とっさに声も出なかった。涙目になってフェレトをにらみつける。
「こういうことするから、信用されないんですよ!」
「おまえが、そーゆー礼儀知らずなこと言うからだろ。」
人気のない<コロシアム>に響き渡る師弟の口げんかは、いつものごとく不毛かつ低レベルである。<星の塔>最高位の賢者と、<アカデミア>を主席で卒業した天才児の会話とは思えなかった。
☆
青空に咲く大輪の花。
夜の花火ほどの鮮やかさはないが、大地を揺るがす轟音が、祭の合図だ。
パンパンッと、派手に打ち鳴らされる爆竹。
ファンファーレが、高らかに鳴り響く、<コロシアム>。
まだ午前中だというのに、強烈な日差しは、地上の全てを炙るように、焦がすように、じりじりと照り付ける。直接浴びると、肌が痛みを覚えるほどだ。少し体を動かすだけで、汗が噴き出す。
しかし、<コロシアム>内は、複数の魔法使いが、氷属性と風属性の魔法を常時展開させて、温度を一定に保っている。それでも、これから始まる、夏祭りの最大のイベント、<御前試合>に、観衆の期待と興奮が最高潮に高まっているせいで、会場は熱気に満ちていた。
貴賓席では、<元老院>の首席、<教皇>が、各国の王族の挨拶を受けている。
「猊下、このたびはお招きに与かりまして光栄です。」
「モルペウス国王、遠路はるばるお越しいただきまして、誠にありがとうございます。何か御不自由はありませんか?」
「いえいえ、実に快適です。真夏にこのように涼しく過ごせるとは、魔法とは便利なものですなあ。」
<星の塔>の長は、一国の王と対等に話をする。この光景だけで、<星の塔>がもつ権力の大きさがわかる。各国の王は、入れ代わり立ち代わり、<教皇>の元に訪れる。
「毎年、この<御前試合>を見ると、<星の塔>に所属している魔法使い方の優秀さに驚きますよ。」
「まだまだ若輩者も多いのです。ご依頼に際に何か粗相があれば遠慮なくおっしゃってください。」
表面上は実ににこやかで上品なやりとりだが、傍らに立つフェレトは(狐と狸の化かし合いってヤツだな。)と、心中で笑っている。
フェレトの心の声を聞きとったわけはないだろうが、<教皇>は、相手をしている王族に気づかれないように、問題児を一睨みする。(余計なことは一切言うな!)という目である。
<元老院>の首席、<星の塔>の実質のトップである<教皇>、という仰々しい肩書に反して、彼の見た目は非常に若い。力のある魔法使いは、自然の気を取り込むことで、肉体の年齢が止まる。アレクトは、<元老院>のおじいさま方、と一括りにしたことがあるが、それは実年齢の話で、<元老院>にまで上り詰める魔法使いは、見た目は皆若い。
当代の<教皇>は、その中でも特殊で、成人後に止まる肉体の年齢が、十代で止まってしまったので、外見は少年だ。
<教皇>とフェレトの無言のやりとりを、はらはらしながら見守っていた、<火の賢者>、ウルカヌス・ヘパイトだが、フェレトが周囲への警戒を解かないまま、闘技場に目を向けたことに気づき、彼の視線を追う。
プラチナ・ブロンドの髪をなびかせ、颯爽と闘技場に現れた、美貌の少年を。
遠目でも目を惹く、たおやかな姫君のような、可憐な容姿。しかし、対戦相手を睨み据えるアメジストの双眸は良く言えば凛としており、悪く言えば好戦的で、彼が少年であることを物語る。
ディアスは、ふっと顔を上げて、貴賓席を…フェレトを見上げる。
声が届かないほどの距離がありながら、視線がぴたりと合う。
喧噪の中、熱狂の宴の幕が、切って落とされるー。
☆
ディアスは、順調に勝ち進んでいた。
<アカデミア>の卒業試験のときは、全試合、圧倒的な実力差を見せつけて、あっさり優勝したディアスだが、現役の魔法使い相手では、そこまでの余裕はない。しかし、<アカデミア>を卒業して半年たらずの少年と考えると、その強さは驚異的だった。
フェレトが、満足そうな笑みを浮かべてディアスの闘いを見守っている。それを横目に見て、ウルカヌスも微笑ましい気分でいたのだがー。
ふいに、その表情が凍りつく。穏和で落ち着いた、もの静かな印象のウルカヌスだが、王族たちのいる前にも関わらず、声を上げそうになった。
(まさか、あれはー。)
ディアスの次の対戦相手は、十五、六歳ほどの少年だった。ディアスと同じか、少し上に見える。しかし、それはディアスより頭一つ高い背丈のせいでそう見えるだけかもしれない。すらりとした体型と、身にまとう鋭利な雰囲気が、研ぎ澄まされた刃を思わせる少年だった。
夏祭の<御前試合>は、<アカデミア>に所属する学生が参加できる部と、現役の魔法使いが出場する部は分かれている。現役の魔法使いの部に出ている以上、ディアスと同様に、飛び級で<アカデミア>を卒業したとしか考えられない。滅多に使われることのない飛び級制度なので、そうであれば記憶に残るはずだが、<元老院>には思い当たる人物がいないらしく
「あの少年は誰だ?」
「さあ、覚えがありませんが。」
と、ひそひそと会話が交わされている。そして
「大体、あの仮面な何なのだ?」
「ふざけている!」
と、疑問と怒りも招いている。
少年は、目元を隠す仮面をつけていた。仮面舞踏会を思わせる、大振りで派手な仮面だ。羽根を広げた蝶を思わせる形で、びっしりとスパンコールが縫い付けられている。真夏の日射しを反射して、目がくらみそうな煌めきを放っている。
左の耳朶にも、陽光を弾く金のピアスをつけているが、仮面が派手すぎて、あまり目立たない。
少年の髪は、真夏の太陽に映える黄金で、こちらは仮面に負けないほど眩く輝いている。
正面から向き合って、ディアスも困惑した表情を浮かべる。仮面の奇抜さと、そんなものをつけて、<御前試合>に臨む神経が理解できないせいだ。しかし、それだけではなくー。
(どこかで、会った?)
ディアスは、フェレトの弟子になるまで、人間関係を蔑ろにしてきたので、関わった人間を覚えていなくても不思議はないのだが…。考えているうちに、試合開始が告げられた。
☆
「切り裂け、<白光斬>!」
少年が先に仕掛けた。
四方八方からディアスを襲う光の刃。汚れない純白の輝きだが、触れたものを一瞬で細切れにする、美しい凶器だ。
「っ!!羽ばたけ、<碧風翼>!」
ディアスは、背中に風の翼を生やして、空中へと逃れる。
とっさに迎撃できなかったのは、違和感があったためだ。
(どうして、光属性を?)
と、考えて、抱いたその疑問に、さらに戸惑う。
(どうして、こいつが、光属性魔法を使ったら、おかしいと思うんだ?)
まるで、この少年の得意な魔法が、光属性ではないという確信があるかのような。
さらに、
(今の声。)
「考えごとなんて余裕だな!」
少年が、ハハッと声に出して笑う。
「焼き尽くせ、<緋炎弾>!」
真紅の光球が打ち出される。ヒュンヒュンヒュンッと、音をたてて、燃え盛る業火の塊が、ディアスに向かってぶつかってくる。
「吹雪け、<蒼雪乱>!」
ゴウッと、氷雪混じりの烈風が吹きつける。火の玉に降り注ぎ、その勢いを削ぐと同時に消していく。
凍てつく風は、そのまま少年に向かう。
しかし、標的は既に、その場にはいない。
「羽ばたけ、<碧風翼>!」
少年の背中にも翼が広がる。悔しいが、ディアスのそれよりも一回り大きく、力強い風をまとう。
少年は、ディアスより高く飛ぶと、そのまま。
バキッと、長い足でディアスを蹴り落とす。体をひねった、見事な回し蹴りが決まった。
「!!」
ディアスは、あまりの痛みに、声も出ない。
石畳の闘技場に激突する寸前で、
「弾けろ、<翠風弾>!」
と、突風を石畳に叩き付ける。反動で後ろに跳び、石畳に激突するのを防ぐ。
しかし、その間に少年が、
「葬り去れ、<青氷棺>!」
と、新たな魔法を放っている。
周囲の水分が、一瞬で氷結する。
敵の全身を氷の棺に閉じ込める魔法だが、少年はそうしなかった。ディアスは、半分だけ、氷の棺に埋まった状態になった。
氷の棺は立った状態なので、ディアスは、身軽く着地した少年と、正面から向き合う形になる。
背中側が氷の封じられた形だが、両腕は氷の中で、両足も同様。
ディアスの肌の白さもあって、氷から切り出された胸像のように見えなくもない。
少年は、それを狙ったわけでもないのだろうが、思いがけず面白いことになった、と言うように口笛を吹いた。
「へえ。置物にしたら、いい値がつくんじゃねーか?」
「ふざけるな。」
ディアスは、吐き捨てるように返す。
悔しいのは、こんなふざけた態度をとっているこの少年が、明らかに強いことだ。
<碧嵐獄>や<翡翠嵐>、<碧風竜>のような、高度な魔法を使っているわけではない。ただ、同じ魔法でも使い手が違えば、当然威力が異なる。ごく普通のレベルの魔法が、ここまで殺傷力が高いなら、この少年が、高位魔法を使ったら、どれほど凄まじいのだろう。
何より。
(戦い慣れしている…!)
魔法だけに頼らない体術。適切に先手を打つ、読みの速さ。
この年で、相当の実戦を積んでいるのだと、肌で感じる。
少年が、からかうように首を傾げる。
「そろそろ、感覚、なくなってきたんじゃねーか?」
仮面で顔が半分隠れているが、声が感情豊かなので、得体のしれない感じがしない。むしろ、人懐っこくさえある。
「参ったって、言わねーの?」
と、自分より少し低い位置にあるディアスの顔をのぞきこむ。
ディアスは、人形のように綺麗に整った顔を、悔し気に歪めて、唇を震わせる。
桜桃のような唇から洩れた、ごくかすかな声。
まるで、吐息のような。
少年が、聞き逃さないように、ディアスに身を寄せる。
その時、ディアスに殺気は無かった。それも当然。ディアスはこの少年に危害を加えようとしたわけではないから。だから、少年は気づけなかった。ディアスの狙いに。
ディアスは、少年をぎりぎりまで近づけた。
ほんのわずかに開いた珊瑚色の唇。その奥の、真珠色の歯で。
少年の仮面の端を噛んで、思い切り引っ張る。
頭の後ろで結んであった、仮面の紐が、するりとほどける。
ディアスが、仮面から唇を離す。仮面がひらりと宙に舞う。
現れたのは、ディアスにとって、一番見慣れた色。
極上のサファイア。
「やっぱり、フェレトさまでしたね。」
不敵に不遜に笑うディアスの表情は、顔は全く似ていないのに、目の前に立つ少年の浮かべるそれに、そっくりだった。
☆
「バレたか。」
ぺろっと舌を出すフェレトは、いつもの少年めいた顔ではなく、本当に少年の顔だ。茶目っ気のある笑顔。
ディアスが、遠い昔、たった一夜だけの、束の間の夢のような出会いをした少年。否、ディアスが出会った時のフェレトより、もう、一、二歳幼い。
声変わりは済んでいても、今のフェレトよりも高い声だ。それでも、弦楽器のように耳に心地よいのは変わらない。
「まさか、オレが気づかないと思っていたわけじゃないでしょう?」
周囲に聞こえないよう、ディアスはほとんど吐息だけで囁く。
「で、どういうカラクリなんですか?」
と、仰ぎ見るのは貴賓席だ。
そこには、先程と変わらず、<風の賢者>の証である、深緑のマントをつけたフェレトが堂々と立っている。ディアスが見慣れた、二十代半ばほどのフェレトが。ディアスの視線を受けて、にいっと口角を上げて見せる。
少年のフェレトが、ディアスの左の耳朶に唇を寄せる。そこに光るピアスに触れそうな距離で。
「このオレは、正真正銘、おまえと同い年ってコトだけ教えてやる。まあ、それ以上は、オレに勝つ…のは無理として。」
と、傲然と言い放つのが、ディアスにはカチンとくる。
フェレトは、パチッと音がしそうなウィンクを寄越す。
「オレを本気にさせたら、教えてやるよ!」
「吹き荒れよ、緑風刃>!」
と、唐突にディアスが叫ぶ。
風の刃に切り刻まれ、<青氷棺>が粉々に砕け散る。
強烈な日差しを乱反射して、きらきらと降り注ぐ。その氷の間を縫って、勢いを保った暴風がフェレトを襲う。
「吹き荒れよ、<緑風刃>!」
フェレトが、お返し、とばかりに風の刃を打ち出す。ディアスの風は、フェレトの暴風に打ち消されて儚く消える。
フェレトにとって、ディアスの反撃は予想の範疇。驚異には値しない。口を封じていないのだから、魔法は使えると踏んでいた。
(ガキのオレの<青氷棺>なら、ディアスにも壊せるだろうからな。)
「穿て、<青雹弾>!」
ディアスは、縦横無尽に襲い掛かってくるフェレトの風の刃を、降り注ぐ氷塊で迎え撃つ。
にこ、と薄紅の唇に笑みを刷いた。愛らしいその唇から、生意気な台詞を放つ。
「フェレトさまがそういうつもりなら、力づくで聞き出すことにします。」
☆
一方、貴賓席。
「あの少年たち、双方とも素晴らしい腕前ですな。」
「仮面などつけて、ずいぶんふざけた輩かと思いきや、実力は確かなようだ。」
「眼福とはこのこと。」
「あのような将来有望な若者がいるなら、<星の塔>は安泰ですな。」
各国の王の賞賛は、世辞も混ざっているのだろうが、本気の感嘆も十分に含んでいる。
しかし、手放しで褒められているにも関わらず、<教皇>の額には青筋が浮いている。椅子の肘掛を握りしめる腕は、込められた力で白くなっており、今にも肘掛がバキバキと音をたてて破壊されそうな勢いだ。
気の弱い者なら卒倒しそうな目つきで、<星の塔>一の問題児をにらみつける。
残念ながら、<星の塔>一の問題児は、<教皇>の怒りなど、どこ吹く風。フンと鼻を鳴らしただけだったが。
各国の王が、試合に気を取られて、もっとよく見える位置に移動しようと、傍を離れて行ったので、<教皇>は、フェレトを小声で怒鳴りつけた。
「フェレト・リウス!!この大馬鹿者が!!あれは試作品の魔法具だろう!!勝手に持ち出しおったな!!」
「いーじゃねーか。どーせ捨てるんだろ?だったら有効活用してやろうと思ったんだよ。」
「賢者ともあろうものが、身分を偽って<御前試合>に出るなど、言語道断!!何が目的だっ!?」
「だってつまんねーんだよ。祭にもほとんど参加できねーで、お偉いさんの護衛なんて退屈すぎる。」
「貴様―!!」
<教皇>が泡を吹いて倒れそうになったので、
「猊下、落ち着いてください!」
と、ウルカヌスが見かねて口を出す。
「幸いにして、我々以外に気づいた者はおりません。各国の王族方にも満足していただけているようですし、この場はどうぞ穏便に。<風の賢者>には、私から重々言って聞かせます。」
必死で<教皇>を宥める、苦労性の<火の賢者>だった。
☆
「欺け、<幻白光>!!」
ディアスが放った光属性魔法は、視覚に作用して幻を創りだす。
全てが真っ白な、何もない空間と化した。当然、ディアスの姿もかき消える。ディアスは、姿を隠したまま、フェレトの背後に回り込む。
その上で。
「突き刺せ、<青氷槍>!!」
鋭利な氷の槍が、フェレトに向かって、ギュンッと伸びる。瞬時に標的を貫くスピード。
しかし、フェレトは嫌味なほど自信たっぷりだ。
「相変わらず、足音も気配も消せてねーな!!」
<幻白光>は、視覚以外には影響しないのだ。しかし、一瞬の隙もつくことができないとは。
「天地を切り裂け、<緑風牙>!」
フェレトを守るように飛びこんで来た風の狼が、バキンと、そのあぎとで氷の槍を噛み砕く。
風の狼は、そのままディアスに襲い掛かる。
「防げ、<金剛壁>!!」
ダイヤモンドの輝きと強度を誇る壁が、<緑風牙>の侵入を阻む。はね返されて、風の狼は、不満そうに唸る。
フェレトは、金剛壁を挟んでディアスと向き合った。
「とっさの判断は合格だな。最強の防御魔法でなきゃ、この<緑風牙>は防げないって読みは当たりだ。だけど、ここで魔力を消費すると、後がねーのもわかるよな、ディアス。」
「いちいち指摘するところが意地悪ですよね、フェレトさま。」
ディアスは、ぎりっと奥歯を噛みしめた。
もちろんわかっている。<金剛壁>は、強度は確かだが、その分魔力を使う。
(これしかないって言うところに追い詰めていくのが、実戦経験の差か…。)
今対峙しているフェレトは、本当に十五歳の頃のフェレトなのだろう。ディアスは、修行の一環で、大人のフェレトと毎日のように闘っている。このフェレトからは、いつもの、圧倒的な魔力は感じられない。
ただ、恐ろしいほど闘い慣れしている。もともとのセンスを、経験が磨いたのだろう。そして、いつもほどの魔力がないのをきちんと把握し、魔法の使い方で補っている。自分の魔力を温存しつつ、相手の魔力を消費させる。
おそらく、魔力が尽きかけた状態で戦わなければいけない状況を、何度もくぐり抜けてきたのだろう。
初めは互角に見えたが、ディアスは次第に追い詰められて、もう後がない。
こうして、時間を無駄にしていても、魔力が尽きて、いずれ<金剛壁>が維持できなくなるのは、目に見えている。
(一か八か。)
すうっと息を吸いこむ。
ドクン、ドクンと、脈打つ心臓の音。
まっすぐに顔を上げれば、目に飛びこんで来る、瑠璃色の双眸。
体の芯が、痺れたように熱くなる。
ふっと、<金剛壁>がかき消えるのと同時に。
「大地を抉れ、<翡翠嵐>!!」
フェレト目がけて、天から落ちた台風。本物のそれと比べれば、規模はずっと小さい。しかし、これは、ディアスが使える中で、最も広範囲に威力を及ぼす魔法。
<金剛壁>の目の前で、それが消えるのを待っていたフェレトに、避ける術は。
「天に昇れ、<碧風竜>!」
轟音とともに打ち出された、巨大な竜巻が、ディアスの嵐を相殺して、吹き飛ばした。
残ったのは、どこまでも青い、真夏の蒼穹。
「伸びろ、<黒幻手>!」
シュルッと瞬時に伸びた黒い触手が、ディアスを縛り上げた。
フェレトが鮮やかに笑う。
「口塞ぐ必要ねーよな。魔力空だろ?」
ディアスは、歯噛みしたまま答えない。それが答えだった。
「そこまで。」
と、審判役の魔法使いが、勝敗を告げた。
☆
「おっちゃん、飴二つ!」
「まいどあり、大きさは?」
「一番大きいやつ!」
と、少年は自分の顔の半分ほどもある、巨大な飴を指す。
太陽のような黄金の髪に、澄み切った濃い蒼天の瞳。真夏がよく似合う少年だった。快活で屈託のない笑顔が、自然と人を惹きつける。
「豪気な坊主だなあ。よし、おまけしてやる。小さいのももう一本、持ってきな。」
滅多に売れない特大サイズの飴が二本も売れたので、屋台の主人は気前がいい。この少年の、底抜けに明るい笑顔がそうさせたのかもしれない。
「サンキュー、オッチャン。」
と無邪気に喜ぶ少年の隣で
「ちょっとフェレトさま!そんなに大きい飴買ってどうするんですか!?大体、どれだけ屋台で買い物するんですか!」
と、傍らの少年が慌てている。
凛とした雰囲気で少年だとわかったが、愛らしい顔立ちだけ見れば少女だと思っただろう。銀に近い白金の髪に、暁の空のような紫色の瞳をしている。
「飽きたらかじればいいだろ。」
「そういう問題じゃなくてですね。」
「わかった。おまけでもらった分はおまえにやるから。」
「だからそうじゃないですってば!」
奇妙な少年たちだなと、屋台の主は面白そうに眺める。
一諸に祭に来ているのだから、仲のいい友達なのだろう。遠慮なくぽんぽん言葉が飛び交っていることからも、それがわかる。そう言えば、お揃いのような、よく似た金のピアスをつけている。シンプルな金のリングは、ありふれたデザインなので、たまたまかもしれないが。
それにしては、片方の少年が敬語なのが不思議なのだが。
それが、特殊な魔法具で、一時的に少年の姿になっている、<星の塔>最高位の魔法使い、<風の賢者>、フェレト・リウスとその弟子だということを、屋台の主は知る由もなかった。
☆
祭のために、大通りには、テーブルや椅子が並べられている。屋台で買った物をここで食べられるし、パレードも座って見られる。
フェレトは、あちこちの屋台で大量に食糧を買い込んだ。人ごみを難なくすり抜けていく身軽さに、ディアスはついて行くのがやっとだった。いつものフェレトも、長身だが、体重を感じさせない軽やかな動きをする。しかし、今目の前にいる、少年のフェレトには、羽根でも生えているんじゃないかとディアスは半ば本気で思う。
意味なく飛びはねて、くるくる回って、小さな台風のようだ。いつもと違って、歩幅にあまり差は無いはずなのに、ハッと気づくと引き離されている。フェレトが、時折振り向いて、
「おせーぞ、ディアス!」
と腕を引くので、何とかはぐれずにすんでいる。
そして、ようやく腰を落ち着けたと思ったら、あっという間に、自分の分の、串に刺さった肉や、チョコレートのかかった果物を胃袋に収めてしまった。
最後に、巨大な飴にかぶりついている。ちょっとなめたと思ったら、すぐに噛み砕き始めたので、見る見るうちに飴は小さくなっていく。
「で?」
と、そんな師匠を見るディアスの声は若干冷たい。あちこち振り回されて、ディアスはかなりくたびれている。今までの祭では、ちょっと本を探したことがあるくらいで、こんなに人ごみをうろうろしたことがないのだ。フェレトが手を引いてくれたから無事だったが、そうでなければ、あっという間に迷子になっていた。
「なんだよ?」
とフェレトが首をかしげる。
「だから、その姿。大人のフェレトさまは、ちゃんと貴賓席にいましたし、触れるってことは、<黒影翔>で魂だけ飛ばしてるわけではないんですよね。どういうことなんですか?」
説明を焦らされて今に至るディアスは、ちょっと苛々している。
「試作中の魔法具。自分の分身を作りだすんだけど、ちょっと勝手に手、加えて、ガキの頃の姿にした。これなら、祭の間、遊んでてもオレだってバレねーだろ。」
どーだすげーだろ、という得意満面の笑顔だ。
「言っただろ、ちゃーんと考えてあるって。ま、試作品だから、数時間しかもたねーんだけどな。」
「え。」
さらっと言われた言葉に、わけもなくディアスは焦る。
「だから、今のうちにいっぱい遊んどこーぜ。あ、おまえ、またぶっ倒れねーよーに、水分補給しとけよ。さっき、ジュース買ってやっただろ。」
「ちゃんと飲みましたよ。」
と、ディアスが答えると、
「じゃー行くぞ。」
と、フェレトはディアスの手をぐい、と引っ張る。
いつもより、小さな手。いつもよりもずっと近い目線。
これは、真夏の白昼夢。ひとときの幻。
「な?」
と笑いかけられて。
「はい。」
と、ディアスは素直に頷いた。
ポタポタッと、地面に何かが零れ落ちる。
何だろう。こんなに日射しが強いから、雨じゃない…。
暑い…。
くらくらする。
目に映る、全部が白く光っていて、よく見えない。
ここはどこで…オレは何をしているんだった…?
ざわざわと、声がうるさい。
ああ、そうだ…。警護の仕事が入って…夏祭りの前だから人が増えて、治安が悪くなってるって、だから…。
ふっと、何もかもが遠くなって…。
地面が、近い?
「ディアス!!」
響いた声と、オレを支えてくれる腕。どっちも、すっかり馴染んだもの。
フェレトさま、と声に出せたかどうか、わからない。
☆
唇を開かれる。触れた感触には、覚えがあった。フェレトさまの指。
その直後に、冷たい物が押し付けられる。
何、と思う前に、ごくごくと飲み干していた。
喉を通って行くそれを、夢中で嚥下しているうちに、水から浮上するように、周囲がはっきり見えた。
「意識もどったな。もっと飲め。」
すぐ近くに、フェレトさまの青い瞳がある。何だか、ものすごく安心して、オレは全身から力が抜けた。
だけど、倒れこむことはなかった。
フェレトさまの片腕が、オレの肩に回されていて、支えてくれている。
もう片方の手で、フェレトさまは水の入ったグラスを持っていた。オレの唇に、グラスの縁を押し付ける。
オレが飲みやすい角度に傾けてくれる。
飲んでいる途中で、オレはコップから唇を離した。さっきは、そんなことに気づく余裕がなかったけれど、この味は。
「この水、塩辛いです。」
オレが顔をしかめて言うと、フェレトさまは、グラスをひょいとベッド脇の小さなテーブルに置いた。
「これが不味いなら、まあ、大丈夫だな。本当にヤバイときは、塩水が甘く感じるらしいぜ。」
オレの肩を支えたまま、片手で器用に別のグラスを取り上げる。
「自分で飲めるか?」
と訊かれて、オレはよく考えずに首を横に振る。たぶん、自分で飲めたと思う。
フェレトさまは、さっきと同じように、オレに水を飲ませてくれた。
今度のは、塩の味はしない。でも、真水でもなかった。爽やかで少し酸っぱい。たぶん、レモンが絞ってあるんだろう。小さく砕かれた氷がたくさん浮いていて、歯に沁みるくらい冷たかったけれど、ほとんど一気に飲んでしまった。
とにかく喉がカラカラで、干上がりそうだったのが、ようやく落ち着く。
「まだいるか?」
とフェレトさまに訊かれて、
「もういいです。」
と答える。
フェレトさまは、空になったグラスを置いた。唇の端からこぼれた水滴が、フェレトさまの長い指でぬぐわれる。その後、ゆっくりとベッドに横たえられた。
(冷たい。)
と思ったら、首の下には、氷嚢が置いてある。
氷嚢は一つではなく、腋の下にも置いてあったし、足の付け根や足首にも置かれていた。
さっきまで意識しなかったのに、急に冷えてきた気がする。
制服は脱がされ、シャツのボタンも外されていて、冷えた風がすうっと肌を撫でた。
気づいたら、部屋の中に雪が降っている。冷え切った、真冬さながらの風が、ひらひらと雪を舞い踊らせていた。氷属性の魔法を、殺傷能力を0にして展開させている。
知らない部屋だ。少なくても、<風の塔>の中じゃない。
「ここ、どこですか?」
「おまえが警護してて、途中でぶっ倒れた露店の近くの宿屋。」
そうだ、オレは、露店がひしめく地区を巡回していたんだった。ここは、おそらく、一階が食堂か居酒屋、二階が宿屋になっている、よくあるタイプの店だろう。って、問題はそこじゃなくて。
フェレトさまに、上からぎろっと睨まれて、オレはカメみたいに首をすくめた。甲羅があったら入りたい気分だ。フェレトさまは、無駄に美形だから凄むと怖い。
「倒れる前に日陰に行くなり水飲むなりしやがれ。暑さで死ぬこともあるんだぞ。こっちの寿命が縮むだろーが。」
「…すみません…。」
小さな声で謝ったら、フェレトさまが片眉を上げた。
「珍しく素直じゃねーか。」
「珍しくは余計です…。」
心配をかけてしまったんだな、というのがわかるから。
意識を失う寸前で、名前を呼ばれたのを覚えている。あの時のフェレトさまの声は切羽詰まっていて。罪悪感で胸の奥がツキンとする。
「気づいてやれなくて悪かった。今日はまだそこまでの気温じゃないが、おまえ、暑さに弱いんだな。今までどうしてたんだ?」
「夏休みだったから、あまり外には…。」
フェレトさまは、なるほど、という顔をした。去年までは<アカデミア>の学生だったな、と納得している。
オレは、この土地の夏は苦手だ。生まれ育ったのは、この<リュカイオス>よりも北の方の国だ。冬は雪と氷に閉ざされるけれど、その分、夏は過ごしやすくて、待ち遠しい季節だった。全てを明るく照らす夏の太陽は憧れだった。
今も、眩しい陽射しは好きだけれど、ここまで暑くなるのは予想外だった。
オレが落ち込んでいるのがわかるのか、フェレトさまは、壊れ物でも扱うみたいな、慎重な手つきでオレの前髪を梳いて、そのまま額に手を当てる。
氷水の入ったグラスに触れていたフェレトさまの手は濡れて冷えていて、オレは思わず
「気持ちいい…。」
と呟いてしまった。
フェレトさまが苦笑した。唇の端だけで笑って、でも目は優しい。
「ちょっと熱があるみたいだな。薬飲む前に何か腹に入れろ。果物くらいなら喉通るか?」
と、フェレトさまが、オレの額から手をどかす。代わりに、ポンと氷嚢を置かれた。でも、フェレトさまの手の方が気持ちよかった。
そのまま立ち上がりかけたフェレトさまのマントを、オレはとっさに掴んでしまった。気づいたらベッドに半身を起こしている。
「何もいらないですから!」
そこで、ハッと我に返る。
一気に顔に血が上った。
下がりかけていたはずの体温が、また急激に上がった気がする。
(オレは、今、何を。)
何もいらないから、ここにいて、なんて。
そんなの、小さな子どもが甘えているみたいだ。
恥ずかしい。
顔から火が出そうだ。
オレが俯いていると、フェレトさまが笑う気配が伝わってきた。
ぽん、と、大きな掌が頭に乗せられる。
いつの間にか、当たり前になってしまった、フェレトさまのいつもの癖。
「体が辛いときは、心細くなるもんだ。気にすんな。」
小さい子どもに言い聞かせているような、子守唄のような声だった。同時に、すっと手が離れていく。
パチンと、何かを外す音に、顔を上げると。
フェレトさまが、金具で制服の肩に止めていた深緑のマントを、ベッドの上にふわりと落とすところだった。
マントの端を、オレが掴んだままだから…。
「ちょっとだけ待ってろ。」
「…はい…。」
オレが頷くと
「いい子だ。」
と笑って、フェレトさまは部屋を出ていく。
オレの手の中に残った、深緑のマント。
夏用のそれは、透ける素材でできていて、涼しげで軽い。
オレは、フェレトさまのマントを自分の胸に引き寄せた。
☆
フェレトさまがもどって来るまで、やけに時間がかかった気がした。その気持ちが顔に出たのか、フェレトさまは、広い肩を少しすくめる。
「なんだよ、十分くらいしか経ってねーぞ。」
本当だろうか。待っていた時間はもっとずっと長く感じた。
「もういいか。」
と、呟いて、氷属性の魔法を解除する。確かに、部屋は十分冷えていた。
オレが、おずおずと差し出したマントを、フェレトさまは肩に羽織る。
それから、持ってきた桃を、ナイフでむき始める。柔らかくて潰れやすいはずなのに、フェレトさまは鮮やかな手つきで、するっと簡単にむき終わってしまう。
オレは、フェレトさまに芋の皮むきを教えてもらった時のことを、ぼんやりと思い出す。もう、ずいぶん昔のことのような気がする…。
ちょっと意識が飛んでいたかもしれない。
「ほらよ。」
と、一口大に切られてフォークに刺さった白い果肉を目の前に、というか口の前に差し出されて、オレはムッとする。
オレをいくつだと思っているんですか、と文句を言うために開いた口に、ぽんと桃を放り込まれた。
(甘い。)
口の中で蕩けるように甘い果肉。かみしめるとじゅわっと溢れる果汁。呑みこむと、体が喜んでいるのがわかった。
残りは自分で食べます、と皿を受け取ろうと思ったけれど。
もう一口食べてしまったんだから、いいか、と開き直ることにした。ちょっと腕がだるいし、と誰も聞いていないのに、心の中で言い訳をする。
フェレトさまは、オレが呑みこんだタイミングで、次の一切れを差し出してくれる。ずいぶん慣れている感じだ。きっと、<光の家>の子どもたちが寝込むと、こんな風に看病しているんだろうな。
ロムルスたちと同じ扱いなのは、くすぐったいような、腹立たしいような、複雑な気分だ。
「オレは餌をもらう雛ですか?フェレトさま、オレを子ども扱いしすぎです。」
世話を焼いてもらっているのに、この言い方はないだろと、自分でも思うのに、つい、こういうことを言ってしまう。
フェレトさまは、意地悪く鼻で笑う。
「おまえは、まだまだ嘴の黄色いヒヨッ子だっつーの。」
「…。」
オレは、よっぽどぶすくれた顔をしたらしい。
フェレトさまは、声をたてて笑って、笑い過ぎて、なかなか次の一切れをくれなかった。
そしてオレは、結局、介抱してもらったお礼を言いそびれてしまった。
第一幕
世界に名だたる、魔法使いの組合、<星の塔>。
優秀な魔法使いを揃え、世界中からひっきりなしに依頼が舞い込む。王侯貴族にさえ膝を折らせる、一流の組織だ。
<星の塔>では、年に一度、大きな祭が開かれる。一年で最も暑い月に行われる、真夏の祭典だ。
実りへの感謝を神に捧げる秋の収穫の祭や、太陽の復活を祈願する冬の祭のような由来はない。単に、<星の塔>の威信を、都市の内外に知らしめるための祭典だ。そのため、厳かさ神聖さとは無縁で、陽気なお祭り騒ぎが繰り広げられる。
「派手にパーッと騒げていいよな。」
と、フェレトは、この夏祭りを気に入っている様子だ。ディアスは
「フェレトさまは、年中飲み屋で騒いでいるじゃないですか。」
と、師匠に冷ややかな眼差しを向けた。
フェレトとディアスは、<星の塔>が誇る、円形闘技場、<コロシアム>の貴賓席近くにいた。<コロシアム>は、明日から始まる祭の目玉の一つ、魔法使いたちの<御前試合>の舞台だ。貴賓席は、<元老院>を始め、各国の王族、警護を務める賢者たちなど、百人以上を余裕で収容できる広さがある。フェレトは、明日に備えて貴賓席の点検をしており、ディアスはその手伝いだ。
貴賓席は、闘技場を一望できる高さにあり、一般の客席からは離れている。闘技場がよく見えるように、全面硝子張りだ。一見、脆そうに見えるが、魔法で特別な加工の施された硝子なので、強度は申し分ない。さらにー。
「吹き荒れよ、<緑風刃>!」
と、フェレトが得意の風の魔法を放つと。
あらゆる物を切り刻む風の刃は、キン、と硬質な音をたてて弾かれる。
フェレトの烈風を阻んだのは、眩く輝く光の壁。ダイヤモンドの硬度で、いかなる攻撃魔法も無力化する。
貴賓席は、物理的な攻撃を受けると、自動的に、最高の防御魔法、<金剛壁>が展開される仕組みになっている。謂わば、大掛かりな魔法具なのだ。
「吹雪け、<蒼雪乱>!」
ディアスが、氷属性の魔法を放つ。フェレトの<緑風刃>が当たったのと、寸分違わぬ場所に命中させる。
フェレトが、やるじゃねーか、という顔をしたので、ディアスは自然と笑みが零れた。
二つの魔法を受けても、<金剛壁>はびくともしない。それを確かめると、フェレトとディアスは、攻撃を当てる場所を変えて、点検を続けた。
☆
「まあ、こんなもんだろ。貴賓席の強度に問題なし、と。」
フェレトがさらさらと、書類にサインをする。
「こんだけ頑丈なんだから、貴賓席に警護なんていらねーと思うんだけどな。お偉いサンの警護なんてだりーぜ。」
と、続けてぼやいた。
ディアスが呆れる。
「どんなに完璧に見えたって、設備だけじゃ、不測の事態に対応できないでしょう。最後に物を言うのは、やっぱり人ですよ。大体、フェレトさまは、思ったことすぐ口に出しすぎです!そういうことを繰り返してるから、<元老院>に目の敵にされるんですよ!」
ディアスが暑さで倒れてから、既に三日が経過している。しっかり休んで、完全復活したディアスは、いつも通りに舌鋒が鋭く、師匠相手にも容赦しない。
「各国の王族の前でもそんな態度だと、お説教じゃ済まないかもしれませんよ。」
祭には、各国の王族や貴族も大勢招かれている。彼らは、<星の塔>にとって、大口の顧客である。この祭典は、<星の塔>の力を知らしめる、絶好の宣伝の機会なのだ。
そして、人が多く集まる祭は、行商人たちの稼ぎ時でもあり、常時の数倍の人や物、金が行き交う。<星の塔>の恩恵を受けて栄える<空の街>にとっても、1年で最も儲かる数日間になる。
しかし、その分、盗みや掏り、喧嘩などが横行する。それらの軽犯罪で済めばまだましだが、訪れた各国の要人を狙っての誘拐や暗殺が起きては、<星の塔>の威信は地に落ちる。
必然的に、警備はふだんよりも厳重になり、手の空いている魔法使いはほとんどが駆りだされる。もっとも、魔法使たちにも祭を楽しむ権利はあるので、祭の間ずっと拘束されることはなく、交代制だ。
しかし、代わりのきかない役職も、もちろん存在するわけで。
<星の塔>の最高位、6人しかいないー現在は一席空位なので5人だがー賢者たちは、基本的に祭の間、各国から集まった王族の警護で、ほとんど動けない。
「おまえ、口うるさくなってきたなー。小姑かよ。」
ディアスの、注意とも脅しとも、単なる悪口ともとれる生意気な台詞に、フェレトも嫌味で返す。
「誰が小姑ですかっ!」
と、ディアスは憤慨して、きいっと形の良い眉をつり上げる。
出会った頃は、冷静沈着と言えば聞こえがいいが、ツンと澄まし返ってお高くとまっている可愛くないガキだったので、(ずいぶん表情豊かになったな、こいつ。)と、フェレトはひそかに感心している。もっとも、ディアスの喜怒哀楽が激しくなるのは、フェレトの前だけなのだが、それはフェレトにはわからない。
(ま、こんだけ元気なら、もう安心だな。)
と、ひそかに胸を撫で下ろす。
ディアスが白い貌を赤く火照らせ、荒い息遣いで、薄い胸を上下させていたときは、正直、生きた心地がしなかった。
それに比べれば、ぎゃんぎゃん喚き散らしている、今のディアスの方がずっといい。
「あーもう、わかったからちょっと静かにしろ。キャンキャン喚くな、仔犬か、おまえは。」
「何ですか、その雑な物言いは!」
と、ディアスの怒りは収まらない。
フェレトは面白いので、そのまま放置しておこうかと思ったのだが。
ふいに、珍しく真面目な口調になって
「ディアス。」
と呼んだ。
師の変化には敏感なディアスは、ぴたりと静かになる。かすかに不安気な表情を浮かべて、フェレトの紺碧の双眸を見返した。
フェレトは、サファイアの瞳を翳らせる。
「おまえ、祭の間は、<風の塔>に引っ込んでいた方がよくねーか?おまえの生国…オルコスだったか。そこと親交のある国の王族の中には、おまえの顔を知ってるやつもいるだろ。」
フェレトが、ディアスの過去に言及することは滅多にない。しかし、現実の脅威があれば、ディアスの心情は慮りつつも、はっきり口にする。
しかし、ディアスはあっさり首を振る。
「オレの顔を知ってる他国の王族なんていませんよ。」
ディアス自身は、捨ててきた祖国に、未練もなければ、こだわりも無い。ましてや、愛着など欠片も。
「オレが公式の行事に出ることを、正妃やその一族はひどく嫌っていましたから。外国の賓客のいる場に呼ばれたことはありません。」
語る口調は、さばさばとしていて、ほとんど他人事。フェレトの気遣いは無用なのだと、言外に語る。
フェレトは、それでも、さらに尋ねた。
「だが、流石にオルコスの王族はおまえを知ってるだろ?賓客のリストにオルコス出身のやつがいないか調べとく。」
「オルコスは、<星の塔>に頻繁に依頼ができるほど裕福な国じゃありません。王族を招いている可能性は低いですよ。」
<星の塔>にとって上客とは言い難い。おそらく、少年時代のフェレトとアレクトが請け負った依頼が、最初で最後のはずだ。
それに、とディアスはあっさりと言う。
「万一、オルコスの王族がいても、国を出て5年も経っているから、オレだってわからないと思いますけど。」
そんなわけねーだろ、とフェレトは思う。ディアスの抜きんでた美貌が、印象に残らないはずがない。ディアスは聡明だし、自分の魔法の腕に関しては絶対の自信をもっていて高慢なところさえあるが、自身の容貌については、無頓着な時が多い。
以前、女装したときは、「可憐な美少女」と言い放っていたが、ふだんは意識していない。
ディアスは、笑って言い添えた。
「それに、今までの祭で何もなかったですよ。」
フェレトが瞬きをした。
「今まで、夏は引きこもってたんじゃねーのか?」
「祭の間、全く外に出なかったわけじゃないですって。」
「そーなのか?一緒に祭を楽しむダチとかいない、寂しいやつだったんだろ?」
「必要なかったんですよ、そんなもの。祭で興味があったのは、露店に出回る、掘り出し物の魔法書くらいでしたし。一人の方が好きに見て回れるんだから、友達なんて不要です。」
ツンとあごを反らして、意地の悪いフェレトの物言いをはねつけるディアス。当時のディアスは、本当にいらなかったのだろう。祭を共に楽しむ相手が。
「かわいくねーこと言うやつだなー。まあ、今年はオレが一諸に回ってやるから安心しな。」
「フェレトさまには賢者の仕事があるでしょう!まさか抜け出してくるつもりじゃ。」
一瞬、頬がゆるんでしまったディアスだが、途中ではたと気づいた。
フェレトは、悪戯をたくらむ悪ガキのように、ニヤリと口角を引き上げる。息を呑むほどの美形なのに、そんな表情だと、ひどく子どもっぽい。
「そこはちゃーんと考えてあるから安心しな。」
「不安しかないです。」
「この生意気な口には躾けが必要みてーだなあ、ディアス。」
フェレトが、ディアスの口の両端をぐいっとつかんで、みょーんと横に伸ばす。パッと手を離した。
「!!」
ディアスは痛すぎて、とっさに声も出なかった。涙目になってフェレトをにらみつける。
「こういうことするから、信用されないんですよ!」
「おまえが、そーゆー礼儀知らずなこと言うからだろ。」
人気のない<コロシアム>に響き渡る師弟の口げんかは、いつものごとく不毛かつ低レベルである。<星の塔>最高位の賢者と、<アカデミア>を主席で卒業した天才児の会話とは思えなかった。
☆
青空に咲く大輪の花。
夜の花火ほどの鮮やかさはないが、大地を揺るがす轟音が、祭の合図だ。
パンパンッと、派手に打ち鳴らされる爆竹。
ファンファーレが、高らかに鳴り響く、<コロシアム>。
まだ午前中だというのに、強烈な日差しは、地上の全てを炙るように、焦がすように、じりじりと照り付ける。直接浴びると、肌が痛みを覚えるほどだ。少し体を動かすだけで、汗が噴き出す。
しかし、<コロシアム>内は、複数の魔法使いが、氷属性と風属性の魔法を常時展開させて、温度を一定に保っている。それでも、これから始まる、夏祭りの最大のイベント、<御前試合>に、観衆の期待と興奮が最高潮に高まっているせいで、会場は熱気に満ちていた。
貴賓席では、<元老院>の首席、<教皇>が、各国の王族の挨拶を受けている。
「猊下、このたびはお招きに与かりまして光栄です。」
「モルペウス国王、遠路はるばるお越しいただきまして、誠にありがとうございます。何か御不自由はありませんか?」
「いえいえ、実に快適です。真夏にこのように涼しく過ごせるとは、魔法とは便利なものですなあ。」
<星の塔>の長は、一国の王と対等に話をする。この光景だけで、<星の塔>がもつ権力の大きさがわかる。各国の王は、入れ代わり立ち代わり、<教皇>の元に訪れる。
「毎年、この<御前試合>を見ると、<星の塔>に所属している魔法使い方の優秀さに驚きますよ。」
「まだまだ若輩者も多いのです。ご依頼に際に何か粗相があれば遠慮なくおっしゃってください。」
表面上は実ににこやかで上品なやりとりだが、傍らに立つフェレトは(狐と狸の化かし合いってヤツだな。)と、心中で笑っている。
フェレトの心の声を聞きとったわけはないだろうが、<教皇>は、相手をしている王族に気づかれないように、問題児を一睨みする。(余計なことは一切言うな!)という目である。
<元老院>の首席、<星の塔>の実質のトップである<教皇>、という仰々しい肩書に反して、彼の見た目は非常に若い。力のある魔法使いは、自然の気を取り込むことで、肉体の年齢が止まる。アレクトは、<元老院>のおじいさま方、と一括りにしたことがあるが、それは実年齢の話で、<元老院>にまで上り詰める魔法使いは、見た目は皆若い。
当代の<教皇>は、その中でも特殊で、成人後に止まる肉体の年齢が、十代で止まってしまったので、外見は少年だ。
<教皇>とフェレトの無言のやりとりを、はらはらしながら見守っていた、<火の賢者>、ウルカヌス・ヘパイトだが、フェレトが周囲への警戒を解かないまま、闘技場に目を向けたことに気づき、彼の視線を追う。
プラチナ・ブロンドの髪をなびかせ、颯爽と闘技場に現れた、美貌の少年を。
遠目でも目を惹く、たおやかな姫君のような、可憐な容姿。しかし、対戦相手を睨み据えるアメジストの双眸は良く言えば凛としており、悪く言えば好戦的で、彼が少年であることを物語る。
ディアスは、ふっと顔を上げて、貴賓席を…フェレトを見上げる。
声が届かないほどの距離がありながら、視線がぴたりと合う。
喧噪の中、熱狂の宴の幕が、切って落とされるー。
☆
ディアスは、順調に勝ち進んでいた。
<アカデミア>の卒業試験のときは、全試合、圧倒的な実力差を見せつけて、あっさり優勝したディアスだが、現役の魔法使い相手では、そこまでの余裕はない。しかし、<アカデミア>を卒業して半年たらずの少年と考えると、その強さは驚異的だった。
フェレトが、満足そうな笑みを浮かべてディアスの闘いを見守っている。それを横目に見て、ウルカヌスも微笑ましい気分でいたのだがー。
ふいに、その表情が凍りつく。穏和で落ち着いた、もの静かな印象のウルカヌスだが、王族たちのいる前にも関わらず、声を上げそうになった。
(まさか、あれはー。)
ディアスの次の対戦相手は、十五、六歳ほどの少年だった。ディアスと同じか、少し上に見える。しかし、それはディアスより頭一つ高い背丈のせいでそう見えるだけかもしれない。すらりとした体型と、身にまとう鋭利な雰囲気が、研ぎ澄まされた刃を思わせる少年だった。
夏祭の<御前試合>は、<アカデミア>に所属する学生が参加できる部と、現役の魔法使いが出場する部は分かれている。現役の魔法使いの部に出ている以上、ディアスと同様に、飛び級で<アカデミア>を卒業したとしか考えられない。滅多に使われることのない飛び級制度なので、そうであれば記憶に残るはずだが、<元老院>には思い当たる人物がいないらしく
「あの少年は誰だ?」
「さあ、覚えがありませんが。」
と、ひそひそと会話が交わされている。そして
「大体、あの仮面な何なのだ?」
「ふざけている!」
と、疑問と怒りも招いている。
少年は、目元を隠す仮面をつけていた。仮面舞踏会を思わせる、大振りで派手な仮面だ。羽根を広げた蝶を思わせる形で、びっしりとスパンコールが縫い付けられている。真夏の日射しを反射して、目がくらみそうな煌めきを放っている。
左の耳朶にも、陽光を弾く金のピアスをつけているが、仮面が派手すぎて、あまり目立たない。
少年の髪は、真夏の太陽に映える黄金で、こちらは仮面に負けないほど眩く輝いている。
正面から向き合って、ディアスも困惑した表情を浮かべる。仮面の奇抜さと、そんなものをつけて、<御前試合>に臨む神経が理解できないせいだ。しかし、それだけではなくー。
(どこかで、会った?)
ディアスは、フェレトの弟子になるまで、人間関係を蔑ろにしてきたので、関わった人間を覚えていなくても不思議はないのだが…。考えているうちに、試合開始が告げられた。
☆
「切り裂け、<白光斬>!」
少年が先に仕掛けた。
四方八方からディアスを襲う光の刃。汚れない純白の輝きだが、触れたものを一瞬で細切れにする、美しい凶器だ。
「っ!!羽ばたけ、<碧風翼>!」
ディアスは、背中に風の翼を生やして、空中へと逃れる。
とっさに迎撃できなかったのは、違和感があったためだ。
(どうして、光属性を?)
と、考えて、抱いたその疑問に、さらに戸惑う。
(どうして、こいつが、光属性魔法を使ったら、おかしいと思うんだ?)
まるで、この少年の得意な魔法が、光属性ではないという確信があるかのような。
さらに、
(今の声。)
「考えごとなんて余裕だな!」
少年が、ハハッと声に出して笑う。
「焼き尽くせ、<緋炎弾>!」
真紅の光球が打ち出される。ヒュンヒュンヒュンッと、音をたてて、燃え盛る業火の塊が、ディアスに向かってぶつかってくる。
「吹雪け、<蒼雪乱>!」
ゴウッと、氷雪混じりの烈風が吹きつける。火の玉に降り注ぎ、その勢いを削ぐと同時に消していく。
凍てつく風は、そのまま少年に向かう。
しかし、標的は既に、その場にはいない。
「羽ばたけ、<碧風翼>!」
少年の背中にも翼が広がる。悔しいが、ディアスのそれよりも一回り大きく、力強い風をまとう。
少年は、ディアスより高く飛ぶと、そのまま。
バキッと、長い足でディアスを蹴り落とす。体をひねった、見事な回し蹴りが決まった。
「!!」
ディアスは、あまりの痛みに、声も出ない。
石畳の闘技場に激突する寸前で、
「弾けろ、<翠風弾>!」
と、突風を石畳に叩き付ける。反動で後ろに跳び、石畳に激突するのを防ぐ。
しかし、その間に少年が、
「葬り去れ、<青氷棺>!」
と、新たな魔法を放っている。
周囲の水分が、一瞬で氷結する。
敵の全身を氷の棺に閉じ込める魔法だが、少年はそうしなかった。ディアスは、半分だけ、氷の棺に埋まった状態になった。
氷の棺は立った状態なので、ディアスは、身軽く着地した少年と、正面から向き合う形になる。
背中側が氷の封じられた形だが、両腕は氷の中で、両足も同様。
ディアスの肌の白さもあって、氷から切り出された胸像のように見えなくもない。
少年は、それを狙ったわけでもないのだろうが、思いがけず面白いことになった、と言うように口笛を吹いた。
「へえ。置物にしたら、いい値がつくんじゃねーか?」
「ふざけるな。」
ディアスは、吐き捨てるように返す。
悔しいのは、こんなふざけた態度をとっているこの少年が、明らかに強いことだ。
<碧嵐獄>や<翡翠嵐>、<碧風竜>のような、高度な魔法を使っているわけではない。ただ、同じ魔法でも使い手が違えば、当然威力が異なる。ごく普通のレベルの魔法が、ここまで殺傷力が高いなら、この少年が、高位魔法を使ったら、どれほど凄まじいのだろう。
何より。
(戦い慣れしている…!)
魔法だけに頼らない体術。適切に先手を打つ、読みの速さ。
この年で、相当の実戦を積んでいるのだと、肌で感じる。
少年が、からかうように首を傾げる。
「そろそろ、感覚、なくなってきたんじゃねーか?」
仮面で顔が半分隠れているが、声が感情豊かなので、得体のしれない感じがしない。むしろ、人懐っこくさえある。
「参ったって、言わねーの?」
と、自分より少し低い位置にあるディアスの顔をのぞきこむ。
ディアスは、人形のように綺麗に整った顔を、悔し気に歪めて、唇を震わせる。
桜桃のような唇から洩れた、ごくかすかな声。
まるで、吐息のような。
少年が、聞き逃さないように、ディアスに身を寄せる。
その時、ディアスに殺気は無かった。それも当然。ディアスはこの少年に危害を加えようとしたわけではないから。だから、少年は気づけなかった。ディアスの狙いに。
ディアスは、少年をぎりぎりまで近づけた。
ほんのわずかに開いた珊瑚色の唇。その奥の、真珠色の歯で。
少年の仮面の端を噛んで、思い切り引っ張る。
頭の後ろで結んであった、仮面の紐が、するりとほどける。
ディアスが、仮面から唇を離す。仮面がひらりと宙に舞う。
現れたのは、ディアスにとって、一番見慣れた色。
極上のサファイア。
「やっぱり、フェレトさまでしたね。」
不敵に不遜に笑うディアスの表情は、顔は全く似ていないのに、目の前に立つ少年の浮かべるそれに、そっくりだった。
☆
「バレたか。」
ぺろっと舌を出すフェレトは、いつもの少年めいた顔ではなく、本当に少年の顔だ。茶目っ気のある笑顔。
ディアスが、遠い昔、たった一夜だけの、束の間の夢のような出会いをした少年。否、ディアスが出会った時のフェレトより、もう、一、二歳幼い。
声変わりは済んでいても、今のフェレトよりも高い声だ。それでも、弦楽器のように耳に心地よいのは変わらない。
「まさか、オレが気づかないと思っていたわけじゃないでしょう?」
周囲に聞こえないよう、ディアスはほとんど吐息だけで囁く。
「で、どういうカラクリなんですか?」
と、仰ぎ見るのは貴賓席だ。
そこには、先程と変わらず、<風の賢者>の証である、深緑のマントをつけたフェレトが堂々と立っている。ディアスが見慣れた、二十代半ばほどのフェレトが。ディアスの視線を受けて、にいっと口角を上げて見せる。
少年のフェレトが、ディアスの左の耳朶に唇を寄せる。そこに光るピアスに触れそうな距離で。
「このオレは、正真正銘、おまえと同い年ってコトだけ教えてやる。まあ、それ以上は、オレに勝つ…のは無理として。」
と、傲然と言い放つのが、ディアスにはカチンとくる。
フェレトは、パチッと音がしそうなウィンクを寄越す。
「オレを本気にさせたら、教えてやるよ!」
「吹き荒れよ、緑風刃>!」
と、唐突にディアスが叫ぶ。
風の刃に切り刻まれ、<青氷棺>が粉々に砕け散る。
強烈な日差しを乱反射して、きらきらと降り注ぐ。その氷の間を縫って、勢いを保った暴風がフェレトを襲う。
「吹き荒れよ、<緑風刃>!」
フェレトが、お返し、とばかりに風の刃を打ち出す。ディアスの風は、フェレトの暴風に打ち消されて儚く消える。
フェレトにとって、ディアスの反撃は予想の範疇。驚異には値しない。口を封じていないのだから、魔法は使えると踏んでいた。
(ガキのオレの<青氷棺>なら、ディアスにも壊せるだろうからな。)
「穿て、<青雹弾>!」
ディアスは、縦横無尽に襲い掛かってくるフェレトの風の刃を、降り注ぐ氷塊で迎え撃つ。
にこ、と薄紅の唇に笑みを刷いた。愛らしいその唇から、生意気な台詞を放つ。
「フェレトさまがそういうつもりなら、力づくで聞き出すことにします。」
☆
一方、貴賓席。
「あの少年たち、双方とも素晴らしい腕前ですな。」
「仮面などつけて、ずいぶんふざけた輩かと思いきや、実力は確かなようだ。」
「眼福とはこのこと。」
「あのような将来有望な若者がいるなら、<星の塔>は安泰ですな。」
各国の王の賞賛は、世辞も混ざっているのだろうが、本気の感嘆も十分に含んでいる。
しかし、手放しで褒められているにも関わらず、<教皇>の額には青筋が浮いている。椅子の肘掛を握りしめる腕は、込められた力で白くなっており、今にも肘掛がバキバキと音をたてて破壊されそうな勢いだ。
気の弱い者なら卒倒しそうな目つきで、<星の塔>一の問題児をにらみつける。
残念ながら、<星の塔>一の問題児は、<教皇>の怒りなど、どこ吹く風。フンと鼻を鳴らしただけだったが。
各国の王が、試合に気を取られて、もっとよく見える位置に移動しようと、傍を離れて行ったので、<教皇>は、フェレトを小声で怒鳴りつけた。
「フェレト・リウス!!この大馬鹿者が!!あれは試作品の魔法具だろう!!勝手に持ち出しおったな!!」
「いーじゃねーか。どーせ捨てるんだろ?だったら有効活用してやろうと思ったんだよ。」
「賢者ともあろうものが、身分を偽って<御前試合>に出るなど、言語道断!!何が目的だっ!?」
「だってつまんねーんだよ。祭にもほとんど参加できねーで、お偉いさんの護衛なんて退屈すぎる。」
「貴様―!!」
<教皇>が泡を吹いて倒れそうになったので、
「猊下、落ち着いてください!」
と、ウルカヌスが見かねて口を出す。
「幸いにして、我々以外に気づいた者はおりません。各国の王族方にも満足していただけているようですし、この場はどうぞ穏便に。<風の賢者>には、私から重々言って聞かせます。」
必死で<教皇>を宥める、苦労性の<火の賢者>だった。
☆
「欺け、<幻白光>!!」
ディアスが放った光属性魔法は、視覚に作用して幻を創りだす。
全てが真っ白な、何もない空間と化した。当然、ディアスの姿もかき消える。ディアスは、姿を隠したまま、フェレトの背後に回り込む。
その上で。
「突き刺せ、<青氷槍>!!」
鋭利な氷の槍が、フェレトに向かって、ギュンッと伸びる。瞬時に標的を貫くスピード。
しかし、フェレトは嫌味なほど自信たっぷりだ。
「相変わらず、足音も気配も消せてねーな!!」
<幻白光>は、視覚以外には影響しないのだ。しかし、一瞬の隙もつくことができないとは。
「天地を切り裂け、<緑風牙>!」
フェレトを守るように飛びこんで来た風の狼が、バキンと、そのあぎとで氷の槍を噛み砕く。
風の狼は、そのままディアスに襲い掛かる。
「防げ、<金剛壁>!!」
ダイヤモンドの輝きと強度を誇る壁が、<緑風牙>の侵入を阻む。はね返されて、風の狼は、不満そうに唸る。
フェレトは、金剛壁を挟んでディアスと向き合った。
「とっさの判断は合格だな。最強の防御魔法でなきゃ、この<緑風牙>は防げないって読みは当たりだ。だけど、ここで魔力を消費すると、後がねーのもわかるよな、ディアス。」
「いちいち指摘するところが意地悪ですよね、フェレトさま。」
ディアスは、ぎりっと奥歯を噛みしめた。
もちろんわかっている。<金剛壁>は、強度は確かだが、その分魔力を使う。
(これしかないって言うところに追い詰めていくのが、実戦経験の差か…。)
今対峙しているフェレトは、本当に十五歳の頃のフェレトなのだろう。ディアスは、修行の一環で、大人のフェレトと毎日のように闘っている。このフェレトからは、いつもの、圧倒的な魔力は感じられない。
ただ、恐ろしいほど闘い慣れしている。もともとのセンスを、経験が磨いたのだろう。そして、いつもほどの魔力がないのをきちんと把握し、魔法の使い方で補っている。自分の魔力を温存しつつ、相手の魔力を消費させる。
おそらく、魔力が尽きかけた状態で戦わなければいけない状況を、何度もくぐり抜けてきたのだろう。
初めは互角に見えたが、ディアスは次第に追い詰められて、もう後がない。
こうして、時間を無駄にしていても、魔力が尽きて、いずれ<金剛壁>が維持できなくなるのは、目に見えている。
(一か八か。)
すうっと息を吸いこむ。
ドクン、ドクンと、脈打つ心臓の音。
まっすぐに顔を上げれば、目に飛びこんで来る、瑠璃色の双眸。
体の芯が、痺れたように熱くなる。
ふっと、<金剛壁>がかき消えるのと同時に。
「大地を抉れ、<翡翠嵐>!!」
フェレト目がけて、天から落ちた台風。本物のそれと比べれば、規模はずっと小さい。しかし、これは、ディアスが使える中で、最も広範囲に威力を及ぼす魔法。
<金剛壁>の目の前で、それが消えるのを待っていたフェレトに、避ける術は。
「天に昇れ、<碧風竜>!」
轟音とともに打ち出された、巨大な竜巻が、ディアスの嵐を相殺して、吹き飛ばした。
残ったのは、どこまでも青い、真夏の蒼穹。
「伸びろ、<黒幻手>!」
シュルッと瞬時に伸びた黒い触手が、ディアスを縛り上げた。
フェレトが鮮やかに笑う。
「口塞ぐ必要ねーよな。魔力空だろ?」
ディアスは、歯噛みしたまま答えない。それが答えだった。
「そこまで。」
と、審判役の魔法使いが、勝敗を告げた。
☆
「おっちゃん、飴二つ!」
「まいどあり、大きさは?」
「一番大きいやつ!」
と、少年は自分の顔の半分ほどもある、巨大な飴を指す。
太陽のような黄金の髪に、澄み切った濃い蒼天の瞳。真夏がよく似合う少年だった。快活で屈託のない笑顔が、自然と人を惹きつける。
「豪気な坊主だなあ。よし、おまけしてやる。小さいのももう一本、持ってきな。」
滅多に売れない特大サイズの飴が二本も売れたので、屋台の主人は気前がいい。この少年の、底抜けに明るい笑顔がそうさせたのかもしれない。
「サンキュー、オッチャン。」
と無邪気に喜ぶ少年の隣で
「ちょっとフェレトさま!そんなに大きい飴買ってどうするんですか!?大体、どれだけ屋台で買い物するんですか!」
と、傍らの少年が慌てている。
凛とした雰囲気で少年だとわかったが、愛らしい顔立ちだけ見れば少女だと思っただろう。銀に近い白金の髪に、暁の空のような紫色の瞳をしている。
「飽きたらかじればいいだろ。」
「そういう問題じゃなくてですね。」
「わかった。おまけでもらった分はおまえにやるから。」
「だからそうじゃないですってば!」
奇妙な少年たちだなと、屋台の主は面白そうに眺める。
一諸に祭に来ているのだから、仲のいい友達なのだろう。遠慮なくぽんぽん言葉が飛び交っていることからも、それがわかる。そう言えば、お揃いのような、よく似た金のピアスをつけている。シンプルな金のリングは、ありふれたデザインなので、たまたまかもしれないが。
それにしては、片方の少年が敬語なのが不思議なのだが。
それが、特殊な魔法具で、一時的に少年の姿になっている、<星の塔>最高位の魔法使い、<風の賢者>、フェレト・リウスとその弟子だということを、屋台の主は知る由もなかった。
☆
祭のために、大通りには、テーブルや椅子が並べられている。屋台で買った物をここで食べられるし、パレードも座って見られる。
フェレトは、あちこちの屋台で大量に食糧を買い込んだ。人ごみを難なくすり抜けていく身軽さに、ディアスはついて行くのがやっとだった。いつものフェレトも、長身だが、体重を感じさせない軽やかな動きをする。しかし、今目の前にいる、少年のフェレトには、羽根でも生えているんじゃないかとディアスは半ば本気で思う。
意味なく飛びはねて、くるくる回って、小さな台風のようだ。いつもと違って、歩幅にあまり差は無いはずなのに、ハッと気づくと引き離されている。フェレトが、時折振り向いて、
「おせーぞ、ディアス!」
と腕を引くので、何とかはぐれずにすんでいる。
そして、ようやく腰を落ち着けたと思ったら、あっという間に、自分の分の、串に刺さった肉や、チョコレートのかかった果物を胃袋に収めてしまった。
最後に、巨大な飴にかぶりついている。ちょっとなめたと思ったら、すぐに噛み砕き始めたので、見る見るうちに飴は小さくなっていく。
「で?」
と、そんな師匠を見るディアスの声は若干冷たい。あちこち振り回されて、ディアスはかなりくたびれている。今までの祭では、ちょっと本を探したことがあるくらいで、こんなに人ごみをうろうろしたことがないのだ。フェレトが手を引いてくれたから無事だったが、そうでなければ、あっという間に迷子になっていた。
「なんだよ?」
とフェレトが首をかしげる。
「だから、その姿。大人のフェレトさまは、ちゃんと貴賓席にいましたし、触れるってことは、<黒影翔>で魂だけ飛ばしてるわけではないんですよね。どういうことなんですか?」
説明を焦らされて今に至るディアスは、ちょっと苛々している。
「試作中の魔法具。自分の分身を作りだすんだけど、ちょっと勝手に手、加えて、ガキの頃の姿にした。これなら、祭の間、遊んでてもオレだってバレねーだろ。」
どーだすげーだろ、という得意満面の笑顔だ。
「言っただろ、ちゃーんと考えてあるって。ま、試作品だから、数時間しかもたねーんだけどな。」
「え。」
さらっと言われた言葉に、わけもなくディアスは焦る。
「だから、今のうちにいっぱい遊んどこーぜ。あ、おまえ、またぶっ倒れねーよーに、水分補給しとけよ。さっき、ジュース買ってやっただろ。」
「ちゃんと飲みましたよ。」
と、ディアスが答えると、
「じゃー行くぞ。」
と、フェレトはディアスの手をぐい、と引っ張る。
いつもより、小さな手。いつもよりもずっと近い目線。
これは、真夏の白昼夢。ひとときの幻。
「な?」
と笑いかけられて。
「はい。」
と、ディアスは素直に頷いた。
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