25 / 26
嘘愛スパイラル
偽物のキス
しおりを挟む※ ヒーローと、ヒロイン以外の女性とのキスを思わせる描写があります。苦手な方はご注意ください。
毎週楽しみにしている恋愛ドラマ。女子3人でスタート5分前からテレビの前を陣取って、お茶とおやつを用意して。葵と深月はソファ。菜摘はカーペットの上の定位置。
今のクールで見ている恋愛ドラマは3本。今日はそのうちの1つ、彩斗がメインキャストで出演しているドラマ。
このドラマが始まった頃は『同居人が出てるドラマを観るなんて不思議な気分だね』なんて3人で呑気に話していた。けれど回を追うごとにその呑気な感想は薄れ、先週の放送回から盛り上がる展開と反比例するように嫌な胸騒ぎを感じ始めていた。
「深月ちゃん?」
ドラマが終わっても呆然としていたらしい。声をかけられてはっと我に返ると、葵が心配そうな顔でこちらを見ている。そんな葵の視線を避けるように顔を背けると、今度は菜摘と目が合った。菜摘も、渋い顔をしている。
今日もドラマは面白かった。けれど緊張感と高揚感以上に、虚無感と疲労感を感じてしまった。何故ならメインキャストである彩斗と、ヒロイン役の女優とのキスシーンがあったから。
「なんか……」
なんか。何だというのだろう。自問自答の末、先の言葉は空気の中に消えていく。
深月と彩斗は本物の恋人じゃない。だから俳優である彩斗が、ドラマや映画の中で役として他の女優とキスをしている事をどうにか言う権利など、深月にはない。そんな権利は、例え本物の恋人だったとしてもあるはずがない。
自分でも不思議だ。
ソレイユに来る前は――彩斗の偽の恋人なんて大それた偽装恋愛を始める前は、俳優『瀧 彩斗』のキスシーンを嫌だなんて思わなかった。
いや、むしろ彩斗が出演しているドラマがあれば毎週喜んで観ていた。キスシーンなんてあろうものなら、1人で照れてテレビ画面の前で転がり回って悶絶していたのに。
どうして喜べないんだろう。今はストーリーの中に惹き込まれて、ヒロインを羨ましがって、妄想の世界に浸れない。
「……なんでもない」
自分の心境の変化についていけなくて、結局、何にも言えない。
菜摘と葵が心配そうに、困ったように、けれどかける言葉もないと言った顔をする。菜摘は湊が他の人とキスしていたら何て言うのだろう。きっと、怒るに決まっている。葵は千里が他の人とキスをしていたらどう思うだろう。きっと、嫌に決まっている。
けれど深月には怒る資格も嫌がる資格もない。本当の恋人同士でもそんな資格なんてないのに、本当は恋人同士ですらない深月には、それ以上に何もない。
「ただいま」
5分間のニュース番組だけが聞こえるリビングルームに、帰宅してきた彩斗の声が響いた。びく、と肩が跳ねた深月は言葉を掛けられなかったが、代わりに菜摘と葵が彩斗を労ってくれた。
「おかえり……」
「……おかえりなさい」
ただし、その声は暗くて低い。だからぎょっとした彩斗が
「は? 何?」
と眉根を寄せるのも無理はない。
「今、彩くんが出演してるドラマ観てたとこ」
「あぁ、そっか。今日火曜だもんな。今、何話放送してんの?」
「……ごめん、先に寝るね」
普段は適当な生活ぶりの彩斗も、仕事には熱心だ。演じることが好きなことは深月も知っているし、それなら放送話数を告げるだけで彩斗はその回のストーリーも、自分が演じた役の台詞もちゃんと思い出せるはず。
それに気付いた時の彩斗の反応を直視する勇気が、今の深月にはなかった。
*****
「お疲れさま」
部屋に戻ってきた彩斗に冷静を装って声をかける。さっきは声を掛けられず、まるで無視したみたいになった。けれど今度はちゃんと明るく声を掛ける。
「次は舞台だっけ? 今は稽古中?」
「お、ちゃんと俺のスケジュール覚えてるんだな」
彩斗がバッグを降ろしながら、楽しそうに笑った。先程の態度で不快な思いをさせていないと分かり、ほっと安心する。
「深月、毎週ドラマ録ってるんだって?」
「え……うん。一応……」
深月はドラマに限らず、彩斗が出演している番組は全て録画している。ハードディスクがいっぱいになって同居人に迷惑をかける前にディスクにダビングして、リビングルームの録画機器からは順次消していく。そして本当は、録画機能はないが再生機能があるこの部屋で、1人で改めて観直している。
「だって『彼女』があまりに無関心だと、変でしょ?」
けれどそこまで熱心に彩斗の姿を追いかけている事を、ただの『フリ』じゃなくて本当は自分がしたくてしていることを、本人には悟られたくない。だから冗談めかして言ったのに、彩斗は少し困った顔をして深月のベッドに腰かけてきた。
部屋の中では明確に境界線を設け、テーブルとテレビが置いてある真ん中の共通スペースを境に、お互いのエリアには足を踏み込まないのが暗黙のルール。その境界線を易々と越えてきた彩斗に驚いている暇もなく。
「嫌な思いさせた?」
顔を覗き込んできた彩斗が、深月の頬に触れながら問いかけてきた。ふと先程のドラマのシーンを思い出してまた顔が歪みそうになる。その度に『そんな権利はない』と自分自身を叱って無理に笑顔を作るのに、彩斗が切ない表情を見せるからまた画面の中の映像と胸の痛みを思い出してしまう。
「俺の勘違い?」
「……何が?」
再度確認を重ねられ、今度こそ逃げられない心地を覚えながらも、やっぱり取り繕う。上手に笑えている気は全くしなかったが、彩斗は上手く騙せたようだ。
「俺より深月の方が演技上手だな。菜摘も葵も、深月が俺の事を本気で好きだって思ってる。俺と深月が本当の恋人だって、ちゃんと信じてる」
彩斗の言葉に、チクリと胸が痛む。演技なんて全然出来ていない。菜摘も葵も、彩とのキスシーンをみて嫌だと感じた深月の心情に気が付いてくれた。そして恋人の仕事を素直に応援できない嫉妬の感情に、寄り添ってくれた。深月は優しい2人を騙して、最低な嘘を重ね続けていると言うのに。
「俺も、たまに騙される」
罪悪感を感じていると、ふと彩斗がそんな言葉を呟いた。
騙される? ――意味が分からない。彩斗は深月と一緒に嘘をついてここにいる。彩斗と深月は共犯者だ。なのに騙す、ではなく騙される、とはどういう事なのだろう。
そんなことを考えていると、ベッドの隣に腰掛けた彩斗に突然肩を抱かれた。そしてそのままぐっと抱き寄せられる。
「深月。キスしようか」
「は……はぁ…!?」
「役なんかじゃなくて、……ほんとの」
顔を覗き込まれて唐突に放たれた彩斗の言葉に、思わず飛び退きそうになった。けれど身体をしっかりと抱かれ、ひどく真剣な眼差しを向けられてしまうと、物理的にも心理的にも逃げられなくなってしまう。
「嫌?」
さらに真剣な顔で首を傾げられても、彩斗の意図がわからないのでただ混乱してしまう。急に? 何で? どうして? と問いかけようにも言葉が詰まって出てこない。
だから意思表示のかわりに、こくんと顎を引く。『嫌?』に対する『嫌』の答え。
嫌だよ。
だって彩斗は誰でもいいのかもしれないけれど、深月は誰でもいいわけじゃない。
彩斗にとってはただの気まぐれでも、キスなんかしたら……深月は彩斗をもっと好きになってしまう。もう他の誰とも付き合えなくなってしまう。いつか終わる偽物の関係が、いつまでも終わらなければいいと卑怯な願望を持ってしまう。
その『戯れ』を受け入れたら、終わりの瞬間に辛い思いをするのは目に見えているから。
「そっか……ごめん」
謝罪を口にしても未だじっと顔を覗き込んでくる彩斗の視線に耐えられず、両手でその身体を押し返す。一瞬表情が曇った彩斗だが、身体はちゃんと離してくれた。
「聞いたら拒否されるから、次は聞かずにするか」
「……っ、冗談、言わないで」
「ははっ」
可笑しそうに笑った彩斗が、変な空気にならないよう気を遣ってくれたことに気付く。だから『もう!』と怒ったふりをしてありがたくその冗談を受け取る。
彩斗が一時の感情や空気に流されただけだとしても。それがどんなに嬉しくても、この領域を侵すことは出来ない。
何の気まぐれかは知らないが、彩斗が今日踏み込んできた境界線は、本来は越えてはいけないもの。彩斗のマネージャーである青山との取引には、2人が親密な関係になる状況は組み込まれていない。だから間違っても彩斗の気まぐれを受け入れてはいけない。
ドラマの中のキスシーンはただの偽物だが、そこには美しい物語がある。けれど彩斗と深月の間には正真正銘、何もない。『本物の偽物』である2人は、
偽物のキスさえできない。
0
お気に入りに追加
124
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
私を溺愛してくれたのは同期の御曹司でした
日下奈緒
恋愛
課長としてキャリアを積む恭香。
若い恋人とラブラブだったが、その恋人に捨てられた。
40歳までには結婚したい!
婚活を決意した恭香を口説き始めたのは、同期で仲のいい柊真だった。
今更あいつに口説かれても……
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
ねえ、私の本性を暴いてよ♡ オナニークラブで働く女子大生
花野りら
恋愛
オナニークラブとは、個室で男性客のオナニーを見てあげたり手コキする風俗店のひとつ。
女子大生がエッチなアルバイトをしているという背徳感!
イケナイことをしている羞恥プレイからの過激なセックスシーンは必読♡
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる