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2章 Side:雪哉
3話
しおりを挟む清楚な白のブラウスに、落ち着いたブラウンのロングスカート。可愛らしいベリーショートヘア。ほんのりとメイクをしている横顔だと分かりにくいが、柔らかそうな唇と頬から顎にかけての輪郭には、雪哉がずっと探していた女性の面影がある。
似ている――どころじゃない。
「愛梨…?」
一生懸命に目の前の男性を見つめている女性に、恐る恐る声を掛ける。だが雪哉が声を掛けても、女性には反応がない。
他人の空似という奴なのだろうか。それとも、愛しい幼馴染みに会いたいが為に、似ている女性が全て同じに見えるのだろうか。
やってしまったか、と後悔を感じ始めたころ、女性がようやくこちらに顔を向けた。声を掛けた雪哉と同じようにゆっくりと顔を上げた女性と、思い切り目線が合う。
「!?」
視線が合った女性の瞳は黒い水晶のように揺れ、その中にはやはり驚いた顔をした自分の姿が映っていた。
驚いても仕方がないと思う。人違いだと思った女性は、実際には人違いではなく、雪哉がずっと探し続けていた上田愛梨その人だった。
(愛梨)
愛梨も雪哉の存在に気付くと、驚いたうさぎのように目を真ん丸にした。だが言葉を発することが出来ずに、表情がそのまま固まってしまっている。対する雪哉も何か言葉をかけようと思うのに、喉の粘膜が乾いて貼り付いてしまったように言葉が出てこない。
「河上君? どうした?」
声を掛けられ、はっと我に返る。
愛梨から目線を外すと、すぐ傍にいた筈の専務は既にエレベーターを降り、少し離れたところから首を傾げてこちらを見ていた。
「あぁ、申し訳ありません」
仕事中だったことを思い出す。厳密に言うと今日は挨拶に来ただけで、仕事をしている訳ではないが。
1度だけ愛梨の方を見る。やはりそこにいたのは、勘違いではなく愛梨だった。
まだ呆然と雪哉の姿を見つめている愛梨に、話しかけようか迷う。だが専務も不思議そうな顔をしてじっとこちらを見ている。
どうしようかと悩んだ結果、さっさと終わりそうな方を先に済ませて、愛梨とは後からゆっくりと話すことに決める。愛梨には、話したいことがあまりにたくさんありすぎるから。
エレベーターから出ると、受付前のソファセットで浩一郎と友理香が待機しているのが見えた。待たせてしまって本当に申し訳ない気分になる。雪哉が待たせた訳ではないけれど。
「愛梨?」
後ろから聞こえた音に、ドキリと心臓が音を立てる。エレベーターに一緒に乗っていた男性に『愛梨』と呼ばれている。やはり勘違いではなかった。間違いなく彼女は――
「ドラッグストア寄ってく?」
耳に届いた言葉が、唐突に雪哉の思考と聴覚を奪って支配した。その声は専務が喋り出すよりも一瞬早く、後に続いた専務の言葉は一切聞き取れなかった。背後から聞こえる声に、全ての意識を持っていかれたから。
「だから、うちに置いておく用のシャンプー買っておけば、って」
男性が発したその言葉は、雪哉の思考を完全停止させるには十分な破壊力を持っていた。瞬間、世界中から音が消えてしまった気がした。
(………………は?)
自分の間抜けた声だけがどこか遠くから聞こえてくる。目の前で何かを話している専務と、こちらに気付いた浩一郎と友理香が近付いてくる事は分かった。だが、不思議な事に音が一切聞こえなかった。
どうして音が聞こえないんだろう、と不可解に思う。けれど職業上、航空旅客機を利用する機会が多いので、すぐに音がない理由に思い至ることが出来た。
(耳抜きか)
考えると同時に、ゴホン、と大きい咳払いが喉から出てきた。
いや……これは違う。
動揺して盛大に間違えた。
「風邪かい?」
だが運がいい事に、雪哉の世界にはそれで音が戻ってきた。怪訝な顔をした専務の声が聞こえたので、音声が復活していることに気付く。
「あぁ、いえ。大丈夫です」
すぐに返事を返しても専務はまだ不思議そうな顔をしていたが、疑問の言葉はそのまま雪哉を激励する台詞に変換された。
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