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第3話

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「ちょ、ノエル……!」

 ノエル本人の力はほぼ使っていないのだろう。浮いた身体には奇妙な浮遊感があり、ひどく不安定だ。けれどノエルの腕は確かにマリーの膝の裏と腰に回されている。完全に横抱きにされているせいで距離が近く、彼の体温も感じるし、微かにノエルの心音も聞こえる。

 急なふれあいに緊張したが、それよりも落ちるのではないかと考えてしまい、縋るようにノエルのシャツを握りしめてしまう。

 だが急接近した事に驚いている場合でも、喜んでいる場合でもない。

 マリーの身体を抱えたノエルが向かったのは、店の奥にある階段の上……マリーの住居スペースだった。

 二階の住居スペースに他人を入れたことはほとんどない。入れるのが嫌なわけではなく、わざわざ二階まで入ってくる人がいないのだ。

 友人のキャロルやリースやベルは二階まで上がらず、お店にあるダイニングスペースでお茶とお話をしていく。両親は店からはかなり離れた場所に住んでいて、用事があればマリーが実家を訪ねるのだ。

 マリーだけの空間に入ると、すぐに不安定な浮遊感はフッと消えてなくなった。そのまま視線の位置が下がり、抱かれていた身体をベッドの上に降ろされたと気が付く。ノエルの行動の意図がわからず、マリーはそろりと視線を上げた。

「……ノエル?」
「マリー」

 名前を呼び返されて瞬きをする。
 そのままじっと見つめ合う。

 ノエルの蒼い瞳からはいつの間にか怒りの色が消えていた。代わりに今は不安の色が浮かんでいる。そしてもっと深い色。焦燥のような、恋慕のような、情欲のような。

「ノエ……ん」

 その色に魅入られているうちに、さらに顔の距離が近付く。疑問を口にする暇もなく唇が重なると、ノエルの名前を呼ぶ声がぷつりと途切れた。

 急に口付けられたことに驚いて目を見開く。思わず身体を押し退けようとしたが、ノエルの手が後頭部に回ると逃げ場はあっさりなくなってしまった。

「ん……、っふ、あ……」

 開いた唇の隙間から舌がぬるりと入り込み、口内を動き回る。必死な様子のノエルはマリーを逃がすまいとしているのか、後頭部と腰に回った手に力を込められ、動きを封じられてしまう。角度を変えて何度も口付けられると、自然と力が抜けて抵抗することも出来なくなる。

「っぁ……あ、っ……ふ」

 ノエルに恋焦がれていたのは本当だが、二人の関係は友人同士のはずだった。なのに急に身体に触れられ、しかもマリーの話は全然聞いてくれない。その不安が涙になって表れる。

 ぽろっと零れた雫が頬を伝うと、ノエルが我に返ったようにハッと顔を上げた。貪るように繰り返されていたキスが終わり、慌てて身体を離される。

「ご、ごめん。悪かったマリー……泣かないでくれ」

 マリーが泣いていると気付いたノエルは、すぐに謝罪の言葉を紡いだ。ようやく解放されたことに安心すると、一緒に力も抜けてしまう。零れていた涙はすぐに引っ込んだが、何と言っていいのかわからず咄嗟に言葉は出てこなかった。

 お互いの間に、小さな沈黙が落ちる。

「……俺は、……君が好きで」

 困惑から目線を合わせることが出来ないまま俯いていると、ノエルが意を決したようにぽつりと呟いた。聞こえた言葉の意味が理解できなくて、思わず『え?』と顔を上げる。

 陽が落ちて薄暗い部屋の中でじっと見つめ合うと、ノエルが真剣な声で同じ言葉を紡いだ。

「マリーが、好きなんだ」
「……うそ」
「嘘じゃない、本当だ。いつも笑顔が可愛くて、一生懸命に頑張ってて、心優しいマリーが好きだ」

 突然の告白に驚いた声を零すと、ノエルが堰を切ったようにマリーへの想いを吐露し始めた。

 それは初めて聞くノエルの感情で、マリーには思ってもみない褒め言葉だ。

「急に口付けて悪かった。でも……クリスは止めておけ。あいつは女泣かせだ」

 どうやらノエルは、マリーがクリスに恋愛の情を抱いていると勘違いしているらしい。そんな事を言った覚えはないし、もちろんクリスを特別に好いている事実もない。

「俺はクリスみたいに明るくはない。女性の扱いもよく知らないし、女性が喜ぶことも知らない。……食事にすら、上手に誘えない」
「ノエル……」
「でも俺はマリーを泣かせない」

 誤解を解こうと言葉を探しているうちに、きっぱりと宣言されてしまう。その真剣な眼差しと台詞に瞠目する。目線が合うとノエルはハッとして

「あ、いや……いま泣かせてるな」

 と罰が悪そうに後頭部を掻いた。

 確かにマリーは泣いてしまった。無口だけど優しいはずのノエルに怒られたと思って、急な触れ合いに驚いて、初めての出来事に混乱して、涙が零れてしまった。

 けれどそれはノエルが嫌だったわけではない。これは生理的な涙なのだから、ノエルが反省する必要などないのに。

 本当の彼はやっぱり優しい。恋をしたマリーへの接し方に真剣に悩んでしまうほど、優しい心の持ち主なのだ。

「でももう泣かせない。だから……俺と付き合ってくれないか」

 思いがけない台詞を耳にして、マリーはぴたりと動きを止めた。

 ノエルのいう『好き』は、友情の証ではない。付き合って欲しい、ということは男女の恋愛の意味での『好き』ということ。それはマリーがカレッジ生時代から密かに願っていた想いと一致する。

「本当に? 私の夢じゃなくて?」
「夢?」
「だって私も……ノエルのことが好きなんだもの。もう、ずっと前から」

 もう長い間ノエルに憧れているし、尊敬しているし、恋慕の情を抱いている。若くして大賢者と呼ばれるほどの力を持っていても、決して驕らない。

 そんな彼をずっと、ずっと慕っていたのだ。だから嬉しくないはずがない。夢だと思ってしまうのも無理はない。

「ずっとって、カレッジ生の頃からよ? 私、そのぐらい前からノエ……きゃっ」
「嬉しい」

 想いが同じであることを伝えようと思った。ノエルは無表情ではあるが、感情がないわけではない。だからマリーの想いもちゃんと言葉にして伝えれば喜んでくれると思ったのに。

 不要だったのかもしれない。ベッドの上にマリーの身体を押し倒したノエルは、マリーの言葉を最後まで聞いていないにも関わらずどこか嬉しそうだった。

「可愛いマリー」
「……ん」
「マリーのこのオレンジ色の髪も、ブラウンの瞳も、いつも楽しそうな表情も声も、好きだ」

 内面だけではなく外見まで好いていると、恥ずかしい台詞を口にする。だからつい照れて視線を逸らしてしまう。

 首を横に向けたせいで晒された首筋に、ノエルの唇が触れた。ちゅ、と音を立てて吸い付かれると『ひゃ』っと小さな声が零れる。

「直に触れても?」

 マリーの反応が不安になったのか、既にキスをしているというのに改めてそんな確認をされる。真剣な顔で訊ねられると異様に恥ずかしかったが、マリーは素直に顎を引いた。

「いいわ……でも痛くしないで」
「努力はする」

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