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13. 偽りのヴェールの下で

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「アレ……じゃない、レオン様」
「ははっ……呼び慣れないだろ?」

 セシルが間違いかけながら名を呼ぶと、レオンがくつくつと笑う。彼は名前を間違われること自体はさほど気にしていないらしく、慌てて訂正したセシルをからかう口調と表情はやけに上機嫌だ。

 油断していると間違いそうになる名前だが、内心『アレックス』よりも『レオン』の方が彼に似合っているように思う。

 そしておそらく、現状では彼の正しい名前を呼ぶ者はほとんど存在しないのだろう。レオンと呼ぶといつもの不機嫌な表情ではなく、心の底から嬉しそうな仕草でセシルの顔を覗き込んでくる。

 その笑顔は今日もキラキラと輝いている。眩しさに負けてつい一歩後退る。

「あの……レオン様はどうして僕に、その……子種を預けたんですか?」

 レオンがアレックスの代わりに第一王子として振る舞っている理由は理解した。だがセシルには、レオンが子種を預けるという選択をした理由まではわからない。

 疑問を感じて首を傾げると、レオンがそれまでの上機嫌な表情を消して重苦しいため息を吐いた。

「十五歳を過ぎた辺りから、既成事実を作ってまで俺に……というより王家に取り入ろうとする連中が増えてきた」
「既成事実?」
「娘を紹介されたり縁談を持ちかけられたりするならまだいい方だ。どこかの令嬢と密室に二人きりにされたり、知らぬ間に寝室に入り込まれたりすることも珍しくない。ひどいときは浴場に押しかけられたり……よくわからない薬を盛られたこともあったな」
「えええ、えええ!?」

 レオンが鬱々とした表情で説明を重ねるたびに、セシルの驚きも大きく膨れ上がる。

「俺が王太子になると信じてたんだろう。まぁ、そう思わせるように偽ってたからな」

 フン、とつまらなさそうに鼻を鳴らすレオンだが、セシルには次元が違いすぎる話だ。正直理解が追いつかない。

 とはいえセシルも元貴族令息である。財政再建がままならずそのまま没落してしまった下級貴族の出自ではあるが、貴族たちにより身分の高い家との結びつきを求める者が多いことは理解している。良縁を結ぶことが貴族の家に生まれた令嬢の務めであることも、その相手が王族となればさらに誉れ高いこともわかっているつもりだ。

 おそらく王家との繋がりを欲するあまり娘や縁のある令嬢をレオンの元に送り込み、色仕掛けで誘惑して強引に子を成してしまえばいい、と考える輩がいるのだろう。

 しかし人様の寝室や浴場に忍び込むのはいくらなんでもやりすぎである。もちろんレオンも拒否や拒絶はするだろう。

 だがレオンの表情や口振りから察するに、中には無下に扱うことの出来ない相手や、レオンの抵抗力を奪った上で事に及ぼうとする者も存在するに違いない。セシルにはまったく共感できないやり方だ。

(レオン様の子供なら、きっとすごい美形なんだろうな)

 強引なやり方には共感出来ないが、隣にいるレオンの姿をちらりと盗み見れば、彼との子を欲する気持ちはなんとなく理解できる気がする。

 これほど整った顔立ちと、すらりと高い身長と、よく引き締まった身体――男性美と呼ぶにふさわしい外見。男児であれ女児であれ、さぞ美しく凛々しい子が生まれてくることだろう。眠ったままのアレックスよりもさらに幼い、レオンに瓜二つの幼子を想像して、勝手に和んでしまう。

「だから俺は何かの間違いが起きても絶対に子が出来ないように……煩わしい政略に巻き込まれないように、自分の身体に不妊の処置を施した」
「!?」

 妄想に耽るセシルの頭の中を覗いたのだろうか。レオンが他人事のように呟いた言葉に、セシルは目を見開いて仰天する。

「俺はもう、子が出来ない身体なんだ」
「え、ええっ……!?」

 さすがに聞き間違いかと思った。だが違うらしい。

「ちょ、な、なんてことするんですか!? それではもしこのままアレックス殿下が目覚めなかったら、本当に後継者に困ってしまうじゃないですか!」
「まあ、そうだな」

 あっさり補足されても、すんなりと頷かれても、セシルはただ驚くしかない。それほどの重大かつ重要な判断をそう簡単に独断で決定していいのだろうか。それをこうしてセシルに話してもいいのだろうか。

「だから処置を施す前に、最後の子種をセシルに預けた」

 色んな情報が一気に入ってきて困惑するセシルに、レオンが少し気が抜けたように笑う。

 六年前のあの日を懐かしむように。そしてセシルが思うよりもずっと、考え抜かれて悩み続けた決断であったことを裏付けるように。

「俺がお前から子種を返してもらうときは、俺がお前を諦めるときだ」
「……え?」
「『保険』だと言っただろう?」

 レオンがゆっくりと振り向く。身体の正面をセシルに向け、少し高い位置から真剣な眼差しでセシルの眼を見つめる。

 細長く骨張った指が伸びてきて、きょとんと惚けるセシルの頬に触れてくる。

「このまま兄が永遠に目覚めず、俺が王位を継ぎ、他の女との結婚が避けられなくなったときは、最後にお前に会いに行くつもりだった。会って、子種を返してもらって、最後の思い出にお前を抱くつもりだった……今度は本気で」
「!」

 愛おしいと言わんばかりの視線と指先、そして真剣な口調と台詞に、顔がじわじわと熱を持つ。

 熱烈な告白の最後に付け加えられた言葉に、心臓がどくんと飛び跳ねる。恐ろしい台詞を簡単に口にしてくれる。

 頭ではおかしな話だとわかっている。最後に欲しいのがセシルとの思い出だなんて、まるで愛の告白だ。

 だがレオンは否定する隙も疑問を持つ時間も与えてくれない。後退しようとするセシルの身体を逃すまいと、ほどよく筋肉のついた腕で腰を掴まれて退路を断たれる。身代わりとはいえ、彼はやはりわがままな俺様王子だ。

「あの……僕の意見は……?」
「無理強いするつもりはない、と言っただろ?」
「圧倒的に説明が足りません!」

 フッと表情を緩めて笑うレオンの言葉を勢いのままに否定する。そのまま抱きしめようとしてくるレオンの胸に腕を突っ張り、これ以上近付かないよう懸命に彼の動きを阻もうとする。

 けれど本当は、そんな自分の態度がただの照れ隠しであると気付いている。

 レオンの態度に傷付いてきた理由にも、彼の言葉に一喜一憂してしまう情けなさにも。そしてどうしてあの時レオンの提案を受け入れたのか、彼に協力してもいいと思ったのか、身体に触れられることに嫌悪を感じなかったのか――その本当の気持ちにも。

「ずっと無視されてて……悲しかったんです」

 突っ張っていた腕の力を緩めてぽつりと呟く。セシルの態度が軟化して力が抜けたことに気付いたのか、レオンの腕からも力が抜ける。

「……悪かった。俺が親密にしている相手だと露見すれば、セシルが政治に利用されて政略に巻き込まれる可能性もあった。最悪、交渉材料にするためにお前を傷つけようとする輩が出てくる可能性も否定できない。だから子種を預けたあとは、わざと遠ざけてた」

 セシルがレオンから子種を預かったとき、セシルの生家であるダーウィス家の財政破綻と爵位返上は、すでに決定していた。当然、レオンの耳にもその情報は入っていた。学園の卒業と同時に後ろ盾を失うそんなセシルが、手段を選ばない傲慢な上級貴族たちの魔手から逃れられるとも思えなかった。

 だからレオンは己の側近に協力してもらい、どうにか二人きりになる時間を捻出していた。レオンの気持ちを知っていた側近に『それで駄目なら諦めてください』と諭され、一年だけは儚い恋に協力してもらっていたという。

「『保険』にはもう一つ意味がある」
「……?」
「セシル、あれから誰かに抱かれたか?」
「は……はぁ!? 何をおっしゃってるんですか! そんなわけないでしょう!?」
「だろうな」

 最初からわかっていた、と言わんばかりの言い草に、ついムッとしてしまう。だがレオンはセシルを馬鹿にしたわけではないらしい。

「俺がお前に子種を預けたのは、俺を意識付けておくための『保険』でもある。優しくて義理堅いお前が、腹の中に俺の子種がある状態で他の奴を相手にすると思えなかったからな」
「……」

 学園時代に接していたのは約一年ほど、しかも一日に一度ほんの数時間という短さだ。

 それにも関わらずレオンはセシルの行動や考えを熟知し、今後セシルが何を考えてどういう行動を取るのかまでしっかりと計算し、その上で子種を預けたという。

 そう、レオンはセシルの身体と心の中に種を蒔いた。

 王の子というだけで本当は何の力も持たない身代わり王子ではなく、いつか自分の周囲を取り巻く面倒事を一掃したときに――堂々とセシルと話せるようになったときに、ちゃんと自分を受け入れてもらえるように。

 心の中に、レオンの存在を残しておくように。

「なんだ、俺にここまで喋らせておいて、まだ欲しがるのか?」
「え……ちが、ちがいます……っ!」

 呆れたらいいのか悲しんだ方がいいのか、と考えていると、レオンがまた腕に力を込めてぐぐっと近付いてきた。セシルは再度距離を取ろうとしたが、気付いたときにはもう遅い。

「まあ、もう夜も遅いからな。今日はこのままここで休んでいけ」
「えっ……?」

 あっさりと提案された言葉に驚き、思わず間抜けな声が出てしまう。その様子を見ても、やはりレオンは楽しそうに笑うのみだ。

 このままここで、というのは、王城に泊まれという意味だ。もちろん遠方からの来客や国外からの来賓をもてなすこともあるので、王族以外の者がここに留まることも可能だろう。

 だがセシルは王都の街に住む平民の研究員である。どんなに遅くなっても、歩いて自宅に帰れるというのに。

「悪いが帰すつもりはないぞ。俺は『身勝手』で『わがまま』だからな」
「!?」

 ニヤリと不敵に微笑んだレオンに見惚れているうちに、セシルは力強い腕にあっさりと抱きしめられてしまった。

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