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8. 月夜の裏庭で

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 アレックスに再会した日から一週間が経過した。あれからセシルはこの子種をどうすればいいのかと悩み続けていたが、どんなに考えても結論は出ない。

 そしてどんなに悩んでいても、仕事はしなければならない。否、厳密にいうと仕事ではないが、若人に魔法研究へ興味を示してもらうためにはこれも重要な活動である。

「セシルちゃん、いつもありがとうね」
「いえいえ。僕にはこれぐらいしか出来ないですから」

 セシルは自分の仕事を終えた後、王立貴族学園内にある図書館にやって来ていた。

 図書館に勤める年配の女性司書に笑顔でお礼を言われたので、セシルもにこりと笑顔を返す。

「知らない人が来るよりも、セシルちゃんに来てもらった方がありがたいわ。たまには顔も見たいしね」

 セシルが学園生の頃からここに勤めている女性司書は、読書ぐらいしか趣味のなかったセシルとは顔見知り以上に親しい間柄だ。セシルの祖母はすでにどちらも亡くなっているが、もしまだ生きていたらこんな感じなんだろうな、と勝手に親近感を覚えている。

(でも確かに、僕はお使いには便利か)

 仕事を終えたセシルが時折王立貴族学園を訪れる理由は、研究の成果報告や学術論文を図書館に納めるためだ。

 貴族の出自で研究員になりたがる者はほとんどいないが、最新の魔法事情を把握したがる者は少なくない。だからこうして研究報告や実験データを開示し、若き者が学園の図書館でも情報を閲覧・収集しやすいようにしているのだ。

 そしてここ数年、その資料や書類を納める役目はセシルの担当となっている。理由は元貴族の卒業生なので王立貴族学園の構造や事情には精通しているが、現在は平民の身分となっているため他の貴族令息や令嬢と接触しても、政治的思惑に利用したりされたりする可能性が低いからだという。

 そんな理由で、と思わないこともないが、仕事の後に資料を届ける程度ならばそれほど苦にはなっていない。むしろ親しい女性司書と他愛のない雑談ができる機会なので、今はこの時間に癒されているぐらいだ。

「これが学園生から閲覧の希望があった資料の一覧よ。お願いできるかしら?」
「わかりました。担当の者に確認して、用意できるものは次回お持ちしますね」

 学園生の希望が書かれた書類を受け取って挨拶を済ませると、少しの雑談を挟んで彼女に別れを告げる。

 図書館の外に出て受け取った紙を折りたたむと、すぐに身体の中へしまい込む。手荷物が少なく済むので、こういうときはこの特殊魔法は極めて便利だと思う。

(ちゃんとこの魔法のことも調べたいんだけどな)

 実験と報告書や論文の作成、たまにこうしたお使いに追われているせいか、自分が生まれ持つ特殊魔法の研究にまでは手が回っていない。本当は自分の研究をする時間もほしいのに、今すぐは忙しくて着手できない。

 もどかしい気持ちはある。だがなんだかんだで楽しく忙しく動き回っているので、今の仕事や仕事仲間への不満は一切ない。

「まだ夜も蒸し暑いなぁ……」

 夏の終わりが近付いて来たとはいえ、まだまだ暑い日が続く毎日だ。陽が落ちて月が昇っても気温は下がりにくく、学園の裏庭に吹き抜ける風も生暖かい。

 けれどその風の中に感じる古く歴史のある建物の匂いや、植えられている植物の香りはあの頃と同じ。季節が変化しても懐かしい学園の様子は六年前と変わっていない。

(そうだ……ここで本を読んでたら、いつもアレックス様に邪魔されてたんだっけ)

 天気が悪い日や夜の時間帯は図書館に併設されたブックサロンにいることが多かったが、晴れた午後はよくこの裏庭にある木陰のベンチで本を読んでいた。そして一人で読書に没頭していると、決まってアレックスに声をかけられていた。

「セシル?」

 活字を追うことを邪魔するように。まるで『本じゃなくてこっちを見て』と言わんばかりに、セシルの名前を呼んで振り向かせようとするのだ。

 ――って、え……?

 渡り廊下と中庭の境に立って思い出を辿っていたセシルに、あの日々と同じ声に、同じ抑揚で、少し離れた場所から声をかけられた。

 記憶と現実の呼びかけが完全に一致していたせいか、一瞬反応が遅れる。

「……あ、アレックス、王子殿下!?」

 やけに鮮明で現実味のある声を不思議に思って振り返ってみると、そこにアレックス本人が驚いた表情をして立ち尽くしていた。

「どうした、なんでこんなところにいる?」

 すぐに表情を緩めたアレックスが、まるで昨日も会っていた友人のような軽快さで訊ねてくる。

 それはこっちの台詞です、と返したかったが、そうではない。アレックスが歩を進めてセシルの傍まで近付いてくるので、思わず全身が強張って何も言えなくなってしまう。

(え……普通に話してくれる? なんで?)

 セシルが動揺するのも無理はない。ほんの一週間ほど前に会ったときは、氷のように冷たい態度でセシルの訴えを受け流された。鋭い視線を向けられ、勝手な真似はするな、と静かな怒りを孕んだ口調で釘を刺された。

 だが今のアレックスにその冷たく鋭い印象はない。一週間前とは明らかに異なる、穏やかな声と視線と口調にただ混乱する。

 混乱はするが、彼の質問には答えねばなるまい。彼は王族で、自分はただの平民だ。

「え、えっと……学園生が閲覧を希望している資料を、定期的に図書館へ納品しているんです」
「そうか。ご苦労だな」
「いえ……」

 質問の答えとなる説明をすると、アレックスが納得したように頷いた。

 すぐ傍にやって来たアレックスの姿を正面からまじまじと見上げたセシルは、ほう、と短い感嘆の息を零した。

 先日も感じたことだが、やはり彼は美しく凛々しい。学園生時代は成長途中であったが今はさらに身長が伸び、腕や胸板にうっすらと筋肉がついて逞しくなったことは、服の上からでもよくわかる。元々整っていた顔立ちは目鼻立ちがはっきりと形作られ、美少年が美青年になったようだ。

 そのアレックスが、セシルと見つめ合って表情を緩める。普段は無表情か怒ったような表情ばかりだと聞いているのに、ちゃんと笑顔にもなれるんだな、と失礼なことを考えてしまう。

(ああ、そうか……周りに人がいないからか)

 アレックスのやわらかな態度の理由に気が付く。見かけは少し変わったが、中身は何も変わっていない。アレックスがセシルに声をかけてくるのは、今も昔も周りに人の目がないときだ。

 しかし彼がそのつもりだと言うのならそれでも構わない。むしろ人に聞かれないように話をするのなら、セシルにとっても今が好機だ。

「あの、アレックス王子殿下」
「長い、アレックスでいい」
「!」

 セシルは一週間前に成し遂げられなかった報告をするために、意を決して顔を上げた。しかし声を発した瞬間、いつかと同じ訂正をされてしまう。

 思わず瞠目して、言葉を失う。

(あれから、もう六年も経ったんだ)

 アレックスから子種を預かって欲しいと相談を受け、その提案に乗ると決めた直後、お腹の中に直接子種を注がれた。あれから六年。さらに最初にアレックスに出会った時に全く同じやりとりをしてからは、七年が経過した。

「……」

 セシルが生まれ持ったこの特殊魔法には身体の中に災厄を招いて貯め込む性質もあり、不幸を呼び寄せると言われている。魔法医にそう診断されたことと自分の身の回りで些細な不運が続いたことを結び付けた幼い頃のセシルは、それらはすべて自分が招いたものだと思い込んだ。

 成長とともにそれがただの偶然であったことは理解したが、自分に関わった人が災厄に巻き込まれたり不幸になったりするという周囲の認識は変わっていない。

 それが原因で人が離れていくことが怖くて、思春期のセシルは自分の魔法を他人に話したがらなかったし、自分から人と関わらないという選択をした。実際にはなんの因果関係もないことは自分が一番よくわかっていたのに、己の弱さに負けて自分から人を避けていた。けれど本当は、ずっと寂しかった。
 
 だからこそ、わかっていた。

 その固い殻を叩いて、孤独に閉じこもっていたセシルを見つけてくれた存在に惹かれたことに――アレックスを好きになってしまったことに、もうずっと前から気が付いていた。

 それと同時に、自分とアレックスがあまりに身分違いであることも、男性同士であることも、自分が本当の意味ではまったく相手にされていないことも、ちゃんと理解していた。

 わかってはいたが、それでもセシルは嬉しかった。もちろん受け入れる怖さもあったけれど、一時的にでも彼に必要とされていることが嬉しかった。

 だからこそ『子種を預かって欲しい』という無理難題も受け入れた。ほんの少しでもいいから彼の役に立ちたくて、欲が出たのだ。

「……セシル」
「! え……?」

 七年前の出会いから六年前に子種を預かったときのことを思い出していると、ふと腕を伸ばしたアレックスに身体を抱きしめられた。突然の出来事に、一瞬何が起こったのかまったくわからなかった。

「えっ、ちょ、アレックス様……!?」
「ああ、セシルの匂いだ。あの日と同じ、甘い香りがする……」

 アレックスがさらに強く身体を抱きしめてくる。彼の鼻先が首筋に押し付けられると、その感覚に身体がびくんと跳ねる。

 しかし人の気配がない夜の裏庭とはいえ、ここは貴族の令息や令嬢が通う王立貴族学園だ。学園は基本的に全寮制なので、敷地内には多くの学生がいる。だというのに、国で唯一の王子アレックスが平民の男性研究員を抱きしめている姿など、万が一見られてしまえば大問題。間違いなく醜聞になるはずだ。

「ちょ、っと! 待ってください!」

 しかし今のセシルが最も気にしているのは他人の目ではない。アレックスに抱きしめられることが嬉しくないわけではないが、こうして彼のよくわからない行動に振り回されている場合ではない。

 何よりも大事な話があることを思い出す。

 セシルにはもう、時間が残されていないのだ。

「三か月後、マギカ・リフォーミングが実施されます! 一か月後に誕生日を迎えるので、僕も対象年齢になるんです!!」

 国が定めた政策だ。王子であるアレックスに説明など不要だろう。

 だが彼はおそらくセシルの誕生日を知らない。誕生日が来ればマギカ・リフォーミングの対象になることも、それによりアレックスから預かった子種の温存が困難になることも、きっと把握していない。

 セシルの訴えが裏庭に響き渡る。

「このままでは、身体の中にある子種が溢れて出てきてしまうんです!」

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