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第2章 明姫月高校野球部の内紛
第50話 ツカサ先輩
しおりを挟む「お、栞李~! おはよ~ぉ」
朝、多くの生徒が登校してくる校門の手前で、少女は聞き馴染んだ快活な声に呼び止められた。
「ああ、実乃梨ちゃん。おはよ」
呼び止められた少女、末永栞李が振り向いた先にいたのは明朗闊達という言葉に服を着せたような少女、仲村実乃梨だった。
ご自慢のポニーテールを揺らす彼女は至極晴れやかな表情で一直線に栞李の隣に走り寄ってきた。
「あれ? 今日倭田さんは?」
「え? あー、さっき飛び起きてたから今頃慌てて朝支度してるんじゃないかな」
「あぁ~。倭田さん、昨日も結構遅くまで自主練頑張ってたからね~」
「やっぱりねぇ……ケガのこともあるし、私としては程々にしてほしいんだけど、どうせ言っても聞かないしな~」
「まあ仕方ないんじゃない? あの試合の後で、最近みんな気合入ってるし!」
実乃梨の言うあの試合からもう一週間以上が経った。グランドの桜は花弁を飛ばし、青々しい葉桜へと様変わりしていた。
部の歴史を遡っても決勝リーグにさえ駒を進めたことのない弱小野球部が、全国的な強豪である蘭華女子を相手に大金星を上げたあの一戦から、明らかにチームの雰囲気が変わった。
それまでは目指す場所も具体的に想像できなかった面々が大言壮語も甚だしい目標を掲げ、それを叶えてしまったことで、以前とは自分たちに対する期待値が決定的に異なっていた。
「もしかしたらワタシたち、このまま本当に全国までいけちゃうんじゃない!?」
「やー……どうだろうね」
中でも飛び抜けて楽観的な彼女の言葉に、栞李はほとんど発作的に首を傾げていた。
「えー、どうして? みんなやる気になってるのに」
「いや、実乃梨ちゃんとか莉緒菜ちゃんはその気かもしれないけど、今のところみんながみんな全国目指してる訳じゃなさそうというか……ほら、大塚先輩とか特に」
「ああ、ツカサ先輩? ワタシ好きだよ! ツカサ先輩!」
「いや、好き嫌いの話じゃなくてさ……」
「あ、ウワサをすればツカサ先輩!」
「イヤイヤ、そんな都合よく……」
「ホントだって! ホラっ、あそこ!」
実乃梨が指さした先には見紛いようもないピンクゴールドのミディアムヘア。栞李たちの1つ歳上の2年生投手、大塚有咲の後ろ姿だった。
「ワタシ挨拶してこよーっと!」
「いいってば実乃梨ちゃん! ちょっと!?」
栞李の制止に構いもせず、実乃梨はその背中へ突撃していった。
「ツカサせんぱぁ~い! おはよーございま~ぁすっ!」
「ん?」
彼女が振り向くと、左耳に下げた色鮮やかな雫状のピアスが軽やかに揺れた。大塚有咲のトレードマークでもあるそれは凡そ運動に適しているとは思えないほど長く伸びており、プレー中は時に見ているほうが痛々しく感じる程大きく揺れていた。
「ああ、アナタね……」
「はいっ! 後ろ姿見かけたんで走ってきちゃいました!」
その派手な見た目と他人を寄せ付けない飄々とした性格を敬遠し続けた結果、栞李は入部して1ヶ月以上経つ今も碌に会話を交わしたことがなかった。
栞李はそんな不安を押し殺しながら、前に倣えで頭を下げた。
「お、おはようございます。大塚先輩」
「ん? あれ、アナタ……」
平静を装いながらもどこか落ち着かない心内を見透かされたかのように、有咲は栞李へ一直線に手を伸ばしてきた。
「えっ……な、なんですか?」
彼女が歩み寄ると、どこからかほのかにフローラルな香りがした。
その意図が汲み取れず思わず目を瞑る栞李だったが、かけられたのは意外な言葉だった。
「髪、染めたのね」
「え……?」
その手の向かった先は淡い栗色に染まった栞李の後髪だった。
「あ、ホントだ」
「え、実乃梨ちゃん今気づいたの?」
「いやぁ、ごめん。言われてみれば何か違和感あるな~とは思ってたんだけど」
「私もまさか気づいてもらえてないとは」
「ごめんってば! よく見るとだいぶ明るくなったよね~。うん! 今のほうのが似合ってるんじゃないかなぁ~なんて」
「はいはい。おべっかどーも」
取るに足らない2人の小競り合いなど気にも留めず、有咲は興味深げに栞李の髪をつぶさに見回していた。
「綺麗に染まってるわね。美容院でやってもらったの?」
「あ、はい。一応」
「そう。前々から毛先に残ってたけど、アナタ明るい髪色のほうが似合うかもね」
「あ、ありがとうございます……」
似たような言葉でも大塚有咲から貰ったソレはまるで違う意義を持っていた。何しろ彼女はファッションデザイナーの母親を持ち、部内でも突出して美意識の高い人物だったのだから。
「それじゃ、私は先に行くわね」
「あ、ツカサ先輩! また部活で! と言っても今日はミーティングだけですけど」
「ええ。また後でね」
有咲が足早に校舎の中へ消えていくのを見届けると、栞李は小さくため息を漏らした。
「栞李って、もしかしてツカサ先輩苦手?」
「……いや、苦手ってことはないけど、何かちょっと変に緊張した。アホ毛とか指摘されるんじゃないかと思って」
「あ~、確かに今日もバッチリ決まってたもんね。ツカサ先輩」
あの派手な髪色からしてブリーチもかけているはずだが、栞李も実乃梨も彼女の毛先が跳ねていたり、色落ちしているような姿は見たことがなかった。どんな時も隙を見せないその様はまるで、ショーウィンドウの向こう側に佇む蝋人形のようで。それが栞李の感じていた近寄り難さの正体だったのかもしれない。
「よかった。追いついた」
校舎に足を踏み入れようとしていた2人の背後から、不意に倭田莉緒菜の声が滑り込んできた。
「あ、倭田さん! おはよー」
「おはよう」
「良かったね。間に合って」
「うん。何とか」
「って、ほら。襟巻き込んでるし、バッグが髪噛んでるよ」
「本当だ。ありがと」
直前まで有咲の精密に整った着こなしを目にしていたからか、莉緒菜の随所に垣間見える慌てて身支度した形跡がこの時ばかりは栞李に安穏とした心地をもたらしていた。
その様子を見ていた実乃梨はふと思い立って栞李とは反対の耳に口先を寄せた。
「ねぇ、倭田さんは気づいた? 栞李の髪」
「え? ああ……」
実乃梨にそう耳打ちされた莉緒菜は確信に満ちた顔で向き直った。
「切ったの? 髪」
「……お前もか」
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