ダイヤモンドの向日葵

水研歩澄

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第1章 明姫月高校女子硬式野球部の始まり

第28話 葵の誤算

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「それではこれより、蘭華女子高等学校 対 明姫月学園高等学校の練習試合を始めます! 両チーム、礼ッ!!」

「『よろしくお願いしますっ!!』」

 試合開始の号令がかかると同時にベンチ裏の応援席から夏の予選大会並の歓声が上がった。

「噂には聞いてたけど、本当にこんなにギャラリー集まるんだね。少し緊張しちゃうかも」
「ヘーキっすよ、菜月センパイ! どうせみんなアタシたちなんて見に来てないですから」

 蘭華女子野球部は全国的に名の知れた強豪チームなだけあって学校内外の人気も抜きん出ており、たかが練習試合にも他の部の生徒や熱烈な高校野球ファンなどが応援席に集っていた。
 そんな中、後攻の蘭華のナインがそれぞれポジションへ散っていく。フルメンバーではないため歓声も疎らだったが、やはり1番大きな声援を浴びていたのはライトのポジションへ走る藤宮柚希だった。

「それじゃあ昨日話した通り、打順一回り目はそれぞれの球種の軌道をよく確認しておきましょう。おそらく今日は陽野涼あのピッチャーが二巡り以上は投げるでしょうから」

 先攻の栞李たち明姫月のメンバーもすぐにベンチに戻り、全員でゲームプランの最終確認を行っていた。

「それから、打席でのアプローチについてもとりあえずは昨日それぞれに伝えた通りに。相手は全国屈指のエースですけど、気負い過ぎず1球1球に集中していきましょう!」
「おっけー。それじゃ先頭から思いっきり掻き回してくる!」
「あ、メイちゃんは好きに打っていいからね。どうせごちゃごちゃしたこと覚えられないだろうし」
「ちょっとアンタ! 昨日のことまだ根に持ってるワケ!?」

 試合開始の直前になってまで、葵とメイはつまらない小競り合いを繰り広げていた。

「落ち着いてメイ。アナタはあまり考えすぎず自然体で打席に立ったほうが良いっていう葵なりのエールだよ」
「はいっ! やっぱりハルカ先輩は優しいですね。そこの陰湿イヤミ野郎とは違って!」
「ワタシは野郎じゃないけどね」
「ッさい! いちいち揚げ足取るな!」

 最後までぎゃーぎゃーと文句を垂れながら、金碧の少女は右打席へ向かっていった。
 日常生活では気分屋でワガママでいつも葵とケンカばかりしている甘いモノ好きな女の子。それでも一度グランドに立てば彼女以上に存在感のあるプレイヤーはいなかった。初見の変化球でも難なく強打できるミート力。小柄な身体から生み出される驚異のバネとパワー。そして、投手だけでなく野手にまで緊張プレッシャーを与えられる天性の脚力。全てにおいて高校生離れしたスキルを持つメイが打席に入る度に仲間たちチームメイトは誰もが反射的に期待していた。彼女なら安打や得点以上の勢いをこのチームにもたらしてくれるだろうと。
 だからこそ、栞李たちはこの後の出来事に痛いほど思い知らされることとなる。“蘭華女子”という看板の偉大さを。


「────なッ!?」


 その初球、容赦のない速球がメイの顔付近を通過した。

「ボール! ワン!!」

 思いもしなかった危険球を間一髪躱したメイだったが、バランスを崩しそのままバッターボックスに倒れ込んでしまった。

「メイ! 大丈夫?」

 ネクストサークルを飛び出した遥香に抱えられて彼女はようやく起き上がった。
 頭部への死球は最悪選手の命にも関わる危険な投球。場合によっては即退場にもなり得るその球を、蘭華のバッテリーがわざと投じていたことにメイは気づいていた。それも、メイがその1球を避けきることも計算に入れた上で。

「まったく……どいつもこいつも」

 それは相手バッテリーからの宣戦布告。投げた当人も悔しかったら打ってみろと、陽色の髪を揺らしながら堂々と見下ろしていた。

「もう大丈夫ですから。下がっててください、ハルカ先輩」
「メイ……」

 危険球のような身体に近い投球を受けた際、打者に起こる変化としては主に2つのパターンがある。
 1つは実際に当てられた過去の経験などが蘇り、精神的に怯んでしまう場合。これは過去に死球でケガを負ったり、後のプレーに影響を覚えた経験のある者ほど効果が覿面に現れてしまう。
 このタイプの打者は危険球を見せられると、スイングの際、恐怖から腰が引けてアウトコースに明らかな弱点ができてしまうことがある。

「ふぅぅ……」

 もう一方は、自分のテリトリーに白球を通されて逆に闘志に火がつく場合。
 こちらは危険球の次の球でも恐れることなく踏み込んでくるため、バッテリーはこのタイプを嫌がる場合が多い。

「あー、やられた。この打席は、相手バッテリーの勝ちだね」
「え……」

 しかし、ベンチの葵は次の投球を待たずして、なぜかそう呟いていた。

「なろッ!!」
「ファールボール!」

 2球目、外高めのゾーンに入ったスライダーを迷わず強振するも紙一重でスイングは軌道の下へ潜り、打球は真後ろへ飛んだ。

「惜しい惜しい! ナイススイングだよメイちゃん!」

 葵の呟きが聞こえていなかった菜月が必死に声を張り上げる。他のメンバーもベンチから精一杯声援を送っていた。
 しかし無情にも、打席の結果は葵の言った通りの展開に向かっていった。

「ストライク! ツー!!」
「……ッ!?」

 続く3球目はアウトコースいっぱいのスライダー。ボールにも見える球だったが、球審の手は上がっていた。

「今の……やっぱり初球の影響で外の球が見えなくなってるんじゃ!」
「いや、メイちゃんの眼はそこまでヤワじゃないよ。少なくとも今の1球は普段のメイちゃんならヒットにできてたと思う」

 葵の隣に座る実乃梨はイマイチ要領を得ない彼女の言葉に首を傾げていた。

「どういうことですか?」
「まあ、端的に言うと、メイちゃんは打者としての能力スキルが高すぎて、ピッチャーが投げた瞬間にはそれが長打にできる球かどうかを見極められちゃうんだよ。普段のメイちゃんなら単打でもヒットにできるコースには積極的にスイングをかけてた。けど、この打席は初球からあれだけ露骨にケンカを売られてるんだ。メイちゃんの性格的にも単打にしかならないボールはスイングできない」
「それって……」
「そう。今のところ、何から何まで相手バッテリーの思うツボってことだよ」

 1球ファールを挟んで5球目。その白球が陽野涼の指先を離れた瞬間、メイの打撃フォームが大きく崩れた。その1球はストライクゾーンを大きく離れ、再びメイの身体に向かって飛び出したのだ。
 打席のメイは1球目の危険球が脳裏に過ぎり、ほとんど反射的にスイングを止めてしまった。

「しまっ……!!」

 その白球は身をよじるメイを嘲笑うかのようにストライクゾーンへ曲がり落ちた。


「────ストラックアウッ!!」


 グランドに高々とストライクコールが鳴り響く。
 それが陽野涼を全国区のエースたらしめている1つ目の決め球ウィニングショット、スピードを失わず鋭く曲がり落ちる変化球『ナックルカーブ』だった。

「くぅっ……」
「残念。掻き回すつもりが思いっきり掻き回されちゃったね~」
「うるっさい! アンタは味方なんだから少しは励ましなさいよ!!」

 実際、それは葵にとっては精一杯の励ましのつもりだった。自分だけでも普段通りに振る舞っていないと、チームの士気があっという間に崩れ落ちてしまいそうだったから。
 なぜならこれが、この合宿が始まって以降メイが喫した初めての三振だったのだから。

「いっ、今のが昨日言ってた『ナックルカーブ』ですか!? けど、葵センパイの話じゃ今日の試合は投げてこないだろうって……」

 そう。葵には早くも誤算があった。
 陽野涼は春の大会で利き手の指先にマメを作ってしまい、それ以降その原因となったナックルカーブを今日まで封印していた。そんな球を格下の明姫月相手に、それもたかが練習試合でわざわざ使ってこないだろうと踏んでいたのだ。
 それに加えて、蘭華バッテリーのあの配球。あれはメイの選手プレイヤーとしての特徴だけでなく、頭に血が上りやすい性格まで理解した上で緻密に組み立てられた戦略だった。とても格下相手に使うようなものじゃない。

 つまり、葵の誤算は全国区の強豪である蘭華女子が、名もない弱小校である明姫月野球部を見下していなかったこと。

「ほんっと、勘弁してよ……」

 これから、彼女たちが立ち向かわなければいけないのは、蘭華女子高校野球部。


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