鳳凰の舞う後宮

烏龍緑茶

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【第6話】「師範としての挑戦」

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 後宮という不思議な園は、表向きは華やかであるが、その根底には絶えず波紋が揺らめいている。伝統的な「鳳凰の舞」の儀式が近づくにつれ、妃たちは互いの力を探り、未知の才能への警戒を強める。その中で、杏妃は紗羅という奇妙な指導者を得て、新たな舞の地平を切り拓こうとしていた。

 紗羅は今や、正式に杏妃の「舞師範」のような立場を得ている。もっとも、形式上の称号など無く、ただ杏妃付きの特侍女として立場が上がっただけに過ぎない。だが、この「上がっただけ」が運命を変える可能性を孕んでいることを紗羅は感じていた。
 華やかな練習室で、杏妃は絹地に細やかな鳥紋様を刺繍した衣を纏い、そっと足を揃えて紗羅の指示を待っている。周囲には数人の侍女が控え、時折、水や香油を運ぶ。紗羅は深呼吸し、いつか母から教わった民間舞踊のリズムを胸中で刻む。

 「杏妃さま、今日の練習では、まず腕の角度を柔らかく崩してみましょう。伝統舞は腕を水平に保ちながら、決められた角度で旋回しますが、民間では風に合わせるように、腕を少し不規則に揺らすことで、自然の呼吸を生み出します」
 紗羅が例を示す。まるで柳の枝が微風に撫でられるかのように、腕をわずかに曲げては揺らし、伸ばしてはまた揺らす。その動きは厳格な儀式舞には無い、どこか甘やかな隙を孕んでいた。しかし、その「隙」が、観る者の視線をそこに誘い込む魅惑となる。

 杏妃は目を細め、「なるほど…確かに、従来の舞は規則正しく清廉ですが、時に人の心を捕らえるには不意の動きが必要なのですね」と納得したように微笑む。彼女は実直な人物であり、奇妙な動作にも偏見を持たず柔軟に受け入れる。紗羅は密かに安堵する。こうした新しい試みを、頑固な妃であれば「下品」などと拒絶したかもしれない。

 練習が進むにつれ、杏妃の舞いには微細な変化が生まれた。手足の運びが流動的になり、視線の配り方がより自然になる。まるで気品ある小川が一滴の雨で流路を変えるように、新しい要素が彼女の舞にしなやかな生命を吹き込んでいた。
 侍女たちは内心戸惑いつつも、杏妃の表情が生き生きとしていることに気づく。中には「奇妙な舞…」と陰口を叩く者もいるが、杏妃自らが指導を受けている以上、口出しはできない。紗羅は彼女らの目を横目に捉えながら、慎重に次のステップを提示する。

 そんな折、紗羅は菫から小声で新たな情報を得る。菫は書庫で古い記録を読み漁り、後宮内の政治的な駆け引きや、今年の「鳳凰の舞」に出場する主要な側妃たちの動向を探っているらしい。
 「今年はなかなかの激戦ね。麗華さまは不動の強者だが、優秀な側妃が数名いる。特に雲碧妃と呼ばれる方は、身分は高くはないが、伝統を忠実に守った舞の技巧に定評があるとか。麗華陣営に近い妃も少なくないわ」
 菫は声を低めて言う。「杏妃さまは今のところ目立った権力基盤を持たない。あなたが新風を吹き込んだところで、実績を積まねば周囲は認めないでしょう」
 「わかっている。けれど、まずは杏妃さまを舞で一目置かせること。それが出発点になる」
 紗羅は菫の瞳を見返し、小さく頷いた。復讐には時間と下準備が要る。先走ってはならない。

 杏妃は徐々に変わり始め、噂が後宮の薄闇を流れ出す。「杏妃が奇妙な舞を習い始めた」「師範は下層の侍女あがりらしい」といった耳障りな声も聞こえる。しかし紗羅は気にしない。むしろ、この不可解な動きが関心を惹くなら、それこそが狙いになる。人々は新しいものに警戒しつつも、時としてそこに好奇心を駆り立てられる。

 いずれにせよ、紗羅にはやるべきことが明確だ。杏妃を通じて新たな舞の可能性を示し、「鳳凰の舞」への道筋を作ること。そうしながら、裏では菫や蓮の助けを借り、麗華への復讐計画を練っていく。
 蓮は雑用の合間に、廊下や庭園で耳を澄ませ、新しい情報を拾っては紗羅に伝える。ある日のこと、蓮はこう囁く。「噂だと、麗華さまは今年の舞で、さらに華麗な衣装を新調するらしい。高価な宝石を散りばめ、伝統的な振付を極めているとか。もし杏妃が奇妙な舞で挑もうものなら、麗華さまは笑いものにする気満々みたいよ」

 紗羅は口元に微笑を浮かべる。「笑いたければ笑うがいい。奇妙な舞ではなく、新しい美を、私たちは創り出すのだから」
 その微笑みは淡いが、火種が確実に燃えていることを感じさせる。

 こうして、紗羅は着実に舞師範としての地歩を固め始めた。杏妃は彼女を信用し、侍女たちは警戒しつつも従う。菫と蓮は影から支え、情報は紗羅の手元に集まる。復讐への長い坂道は始まったばかりだが、この先に待ち受ける困難に臆するわけにはいかない。

 次第に、季節が進み、後宮に緑風が吹き込む頃、紗羅は胸中で繰り返した。「いずれ、あの麗華が頂く『鳳凰妃』の座を揺るがし、私がその舞台を制する。必ずや、その日が来る。」
 そして、その思いは、まもなく新たな展開を呼び寄せることとなるのだった。
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