鳳凰の舞う後宮

烏龍緑茶

文字の大きさ
上 下
4 / 25

【第4話】「杏妃の提案」

しおりを挟む
 その日の夕刻、紗羅は控室に戻ると、蓮と菫が待ちかねていたように話しかけてきた。「紗羅、今日は妙に嬉しそうじゃない?」蓮は目ざとい。「まさか恋に落ちたとか?」と冗談を言うが、紗羅は微笑むだけで相手にしない。

 代わりに菫が囁くように問いかける。「何かあったのね。目が違うわ」
 紗羅は意を決し、小声で告げた。「杏妃さまが、私に舞の指導をお願いしたの」
 「ええっ!」と蓮は声を上げかけ、慌てて口を抑える。ここは誰が耳を澄ましているかわからない。「それって、すごいことじゃない!」蓮は瞳を輝かせる。
 菫は冷静に眉をひそめる。「珍しいわね。下働きの侍女が妃に舞を教えるなんて聞いたことがない。杏妃さまは温和な方だと聞くけれど、これはただ事ではないかも。何か狙いがあるのかもしれない」

 紗羅は肩をすくめる。「それはわからない。ただ、私にはこの提案が大きな転機になる気がする。上位の区域に出入りできれば、情報も増える。私の目的に近づく一歩になるかもしれない」

 蓮は手を握り、「紗羅、気をつけてね。でも応援するわ。こんなチャンス滅多にないもの」菫は静かに頷き、「そうね、もし情報が必要になったら、わたしもできる限り手伝う」と言う。

 翌日、紗羅は杏妃から正式な呼び出しを受ける。杏妃が離れの間で待つという。そこは低い位の侍女には足を踏み入れることさえ許されぬ領域であった。緊張を胸に、紗羅は廊下を通り、上級区域へと歩む。そこには、紅玉のように美しい飾り障子や、花の香りを滲ませた薫物、丁寧に磨かれた漆塗りの調度品が並び、下層区域とはまるで別世界だった。

 杏妃はゆったりとした衣に身を包み、薄紅色の帯がゆらめく。部屋に入ると、彼女は笑顔で紗羅を迎え、「来てくれて嬉しいわ。早速、あなたの踊り方を学びたい。型に囚われず、心のままに踊るその秘訣を」と生き生きと語る。

 紗羅は浅く礼をし、「恐縮ですが、私が学んだ舞は民間の即興的なもので、宮廷舞踊のような格式はございません。参考にならないやもしれませんが……」と謙遜する。杏妃は笑って首を振る。「いいえ、私が欲しいのは新しい発想。伝統の枠に捕らわれていては『鳳凰の舞』で勝ち抜くのは難しいわ。あなたの舞には何かがある。お願い、教えて」

 その目は真剣だった。杏妃は本気で紗羅の力を求めている。それは紗羅にとって都合が良い。もし自分が杏妃に技を伝えれば、杏妃は舞の上達に感謝し、さらに紗羅を重用するかもしれない。そうすれば、いずれ正式な立場を得て、「鳳凰の舞」へ関わることができるかもしれない。そうなれば、麗華に近づける。

 「わかりました。できる限りお力添えいたします」紗羅は静かに頭を下げる。
 杏妃は喜び、「あなたが私の舞師範という形になれば、周囲の目はうるさいでしょう。わたくしがうまく取り繕います。あなたは、ただ舞を見せて、その秘訣を少しずつ教えてくれればいい。余計な噂を避けるため、あなたは今日から『杏妃付きの特侍女』として扱いましょう」と言い出した。

 想定外の展開だった。特侍女、つまりは一般の雑用から一歩上がり、杏妃の専属で働く役目。確かに地位は上がるが、その分目立つ。麗華や他の妃たちの目が光る中、そんな破格の待遇を受ける下層出身者がいれば、疑念を抱かれるだろう。

 だが、紗羅はこの機会を逃すわけにはいかない。
 「私などでよろしければ、光栄です」

 杏妃は満足げに微笑んだ。そして、「これで私たちは協力関係ね。あなたには礼をするわ。私に舞を教えてくれたら、あなたがここで少しずつ立場を築く手助けをしましょう」とさりげなく囁いた。

 その囁きは紗羅の心を震えさせる。敵である麗華に挑むためには権力者の後ろ盾が要る。それを杏妃が担ってくれるなら、これ以上の幸運はない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

京都式神様のおでん屋さん

西門 檀
キャラ文芸
旧題:京都式神様のおでん屋さん ~巡るご縁の物語~ ここは京都—— 空が留紺色に染まりきった頃、路地奥の店に暖簾がかけられて、ポッと提灯が灯る。 『おでん料理 結(むすび)』 イケメン2体(?)と看板猫がお出迎えします。 今夜の『予約席』にはどんなお客様が来られるのか。乞うご期待。 平安時代の陰陽師・安倍晴明が生前、未来を案じ2体の思業式神(木陰と日向)をこの世に残した。転生した白猫姿の安倍晴明が式神たちと令和にお送りする、心温まるストーリー。 ※2022年12月24日より連載スタート 毎日仕事と両立しながら更新中!

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私の部屋で兄と不倫相手の女が寝ていた。

ほったげな
恋愛
私が家に帰ってきたら、私の部屋のベッドで兄と不倫相手の女が寝ていた。私は不倫の証拠を見つけ、両親と兄嫁に話すと…?!

幼い頃に魔境に捨てたくせに、今更戻れと言われて戻るはずがないでしょ!

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 ニルラル公爵の令嬢カチュアは、僅か3才の時に大魔境に捨てられた。ニルラル公爵を誑かした悪女、ビエンナの仕業だった。普通なら獣に喰われて死にはずなのだが、カチュアは大陸一の強国ミルバル皇国の次期聖女で、聖獣に護られ生きていた。一方の皇国では、次期聖女を見つけることができず、当代の聖女も役目の負担で病み衰え、次期聖女発見に皇国の存亡がかかっていた。

夫の愛人と同居することになった

ほったげな
恋愛
夫の愛人の家が火事になった。それで、私たち夫婦と同居することに。しかし、愛人居候の分際で好き勝手している。

だってお義姉様が

砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。 ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると…… 他サイトでも掲載中。

義姉の不倫をバラしたら

ほったげな
恋愛
兄と結婚したのにも関わらず、兄の側近と不倫している義姉。彼らの不倫は王宮でも噂になっていた。だから、私は兄に義姉の不倫を告げた……。

処理中です...