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【第4話】「杏妃の提案」
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その日の夕刻、紗羅は控室に戻ると、蓮と菫が待ちかねていたように話しかけてきた。「紗羅、今日は妙に嬉しそうじゃない?」蓮は目ざとい。「まさか恋に落ちたとか?」と冗談を言うが、紗羅は微笑むだけで相手にしない。
代わりに菫が囁くように問いかける。「何かあったのね。目が違うわ」
紗羅は意を決し、小声で告げた。「杏妃さまが、私に舞の指導をお願いしたの」
「ええっ!」と蓮は声を上げかけ、慌てて口を抑える。ここは誰が耳を澄ましているかわからない。「それって、すごいことじゃない!」蓮は瞳を輝かせる。
菫は冷静に眉をひそめる。「珍しいわね。下働きの侍女が妃に舞を教えるなんて聞いたことがない。杏妃さまは温和な方だと聞くけれど、これはただ事ではないかも。何か狙いがあるのかもしれない」
紗羅は肩をすくめる。「それはわからない。ただ、私にはこの提案が大きな転機になる気がする。上位の区域に出入りできれば、情報も増える。私の目的に近づく一歩になるかもしれない」
蓮は手を握り、「紗羅、気をつけてね。でも応援するわ。こんなチャンス滅多にないもの」菫は静かに頷き、「そうね、もし情報が必要になったら、わたしもできる限り手伝う」と言う。
翌日、紗羅は杏妃から正式な呼び出しを受ける。杏妃が離れの間で待つという。そこは低い位の侍女には足を踏み入れることさえ許されぬ領域であった。緊張を胸に、紗羅は廊下を通り、上級区域へと歩む。そこには、紅玉のように美しい飾り障子や、花の香りを滲ませた薫物、丁寧に磨かれた漆塗りの調度品が並び、下層区域とはまるで別世界だった。
杏妃はゆったりとした衣に身を包み、薄紅色の帯がゆらめく。部屋に入ると、彼女は笑顔で紗羅を迎え、「来てくれて嬉しいわ。早速、あなたの踊り方を学びたい。型に囚われず、心のままに踊るその秘訣を」と生き生きと語る。
紗羅は浅く礼をし、「恐縮ですが、私が学んだ舞は民間の即興的なもので、宮廷舞踊のような格式はございません。参考にならないやもしれませんが……」と謙遜する。杏妃は笑って首を振る。「いいえ、私が欲しいのは新しい発想。伝統の枠に捕らわれていては『鳳凰の舞』で勝ち抜くのは難しいわ。あなたの舞には何かがある。お願い、教えて」
その目は真剣だった。杏妃は本気で紗羅の力を求めている。それは紗羅にとって都合が良い。もし自分が杏妃に技を伝えれば、杏妃は舞の上達に感謝し、さらに紗羅を重用するかもしれない。そうすれば、いずれ正式な立場を得て、「鳳凰の舞」へ関わることができるかもしれない。そうなれば、麗華に近づける。
「わかりました。できる限りお力添えいたします」紗羅は静かに頭を下げる。
杏妃は喜び、「あなたが私の舞師範という形になれば、周囲の目はうるさいでしょう。わたくしがうまく取り繕います。あなたは、ただ舞を見せて、その秘訣を少しずつ教えてくれればいい。余計な噂を避けるため、あなたは今日から『杏妃付きの特侍女』として扱いましょう」と言い出した。
想定外の展開だった。特侍女、つまりは一般の雑用から一歩上がり、杏妃の専属で働く役目。確かに地位は上がるが、その分目立つ。麗華や他の妃たちの目が光る中、そんな破格の待遇を受ける下層出身者がいれば、疑念を抱かれるだろう。
だが、紗羅はこの機会を逃すわけにはいかない。
「私などでよろしければ、光栄です」
杏妃は満足げに微笑んだ。そして、「これで私たちは協力関係ね。あなたには礼をするわ。私に舞を教えてくれたら、あなたがここで少しずつ立場を築く手助けをしましょう」とさりげなく囁いた。
その囁きは紗羅の心を震えさせる。敵である麗華に挑むためには権力者の後ろ盾が要る。それを杏妃が担ってくれるなら、これ以上の幸運はない。
代わりに菫が囁くように問いかける。「何かあったのね。目が違うわ」
紗羅は意を決し、小声で告げた。「杏妃さまが、私に舞の指導をお願いしたの」
「ええっ!」と蓮は声を上げかけ、慌てて口を抑える。ここは誰が耳を澄ましているかわからない。「それって、すごいことじゃない!」蓮は瞳を輝かせる。
菫は冷静に眉をひそめる。「珍しいわね。下働きの侍女が妃に舞を教えるなんて聞いたことがない。杏妃さまは温和な方だと聞くけれど、これはただ事ではないかも。何か狙いがあるのかもしれない」
紗羅は肩をすくめる。「それはわからない。ただ、私にはこの提案が大きな転機になる気がする。上位の区域に出入りできれば、情報も増える。私の目的に近づく一歩になるかもしれない」
蓮は手を握り、「紗羅、気をつけてね。でも応援するわ。こんなチャンス滅多にないもの」菫は静かに頷き、「そうね、もし情報が必要になったら、わたしもできる限り手伝う」と言う。
翌日、紗羅は杏妃から正式な呼び出しを受ける。杏妃が離れの間で待つという。そこは低い位の侍女には足を踏み入れることさえ許されぬ領域であった。緊張を胸に、紗羅は廊下を通り、上級区域へと歩む。そこには、紅玉のように美しい飾り障子や、花の香りを滲ませた薫物、丁寧に磨かれた漆塗りの調度品が並び、下層区域とはまるで別世界だった。
杏妃はゆったりとした衣に身を包み、薄紅色の帯がゆらめく。部屋に入ると、彼女は笑顔で紗羅を迎え、「来てくれて嬉しいわ。早速、あなたの踊り方を学びたい。型に囚われず、心のままに踊るその秘訣を」と生き生きと語る。
紗羅は浅く礼をし、「恐縮ですが、私が学んだ舞は民間の即興的なもので、宮廷舞踊のような格式はございません。参考にならないやもしれませんが……」と謙遜する。杏妃は笑って首を振る。「いいえ、私が欲しいのは新しい発想。伝統の枠に捕らわれていては『鳳凰の舞』で勝ち抜くのは難しいわ。あなたの舞には何かがある。お願い、教えて」
その目は真剣だった。杏妃は本気で紗羅の力を求めている。それは紗羅にとって都合が良い。もし自分が杏妃に技を伝えれば、杏妃は舞の上達に感謝し、さらに紗羅を重用するかもしれない。そうすれば、いずれ正式な立場を得て、「鳳凰の舞」へ関わることができるかもしれない。そうなれば、麗華に近づける。
「わかりました。できる限りお力添えいたします」紗羅は静かに頭を下げる。
杏妃は喜び、「あなたが私の舞師範という形になれば、周囲の目はうるさいでしょう。わたくしがうまく取り繕います。あなたは、ただ舞を見せて、その秘訣を少しずつ教えてくれればいい。余計な噂を避けるため、あなたは今日から『杏妃付きの特侍女』として扱いましょう」と言い出した。
想定外の展開だった。特侍女、つまりは一般の雑用から一歩上がり、杏妃の専属で働く役目。確かに地位は上がるが、その分目立つ。麗華や他の妃たちの目が光る中、そんな破格の待遇を受ける下層出身者がいれば、疑念を抱かれるだろう。
だが、紗羅はこの機会を逃すわけにはいかない。
「私などでよろしければ、光栄です」
杏妃は満足げに微笑んだ。そして、「これで私たちは協力関係ね。あなたには礼をするわ。私に舞を教えてくれたら、あなたがここで少しずつ立場を築く手助けをしましょう」とさりげなく囁いた。
その囁きは紗羅の心を震えさせる。敵である麗華に挑むためには権力者の後ろ盾が要る。それを杏妃が担ってくれるなら、これ以上の幸運はない。
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