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2章 報道のジレンマ

報道のジレンマ 8

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 数日後。
 出版社の編集会議で見事ネタが通り、俺は今、新幹線『つばさ』に乗っている。東京から山形まで移動するとなると、車より新幹線の方が早いし楽だ。経費だしね。ありがたや。
 そして隣には、紫子さんも座っている。
 まだ本当に梶山靖子が親の介護をしているかわからないので、確定してから呼ぶと言ったのだけど、俺だけでは心配だと言われてしまった。確かに俺は新人だし、初出張でもあるけれど。
 初の出張。初の東北。
 親は旅行に連れて行ってくれる余裕はなかったし、俺はバイトをして金を貯めては海外ばかり行っていたので、国内で関東の他は、学校行事で行った土地くらいしか知らなかった。ちょっとワクワクする。
 調べてみると、梶山靖子は六年前から舞台や映画の仕事をしていなかった。二十代で一度結婚はしているが、二年で離婚。その後は独身で子供はいない。
 今向かっている天童市で生まれて高校まで暮らし、大学で上京。在学中に女優になっている。
 父親は十年前に亡くなっていた。きょうだいはおらず、一人で暮らす母を心配して、都内で一緒に暮らすために渋谷区に家を建てたことは、過去に報道されていた。
 新幹線は片道、約三時間。
 俺はスペシャル駅弁を食べたり、車窓からの景色を眺めたりして移動も楽しんでいたのだが、紫子さんはパソコンに向かって仕事をしていた。ずっと下を向いていて、乗り物酔いにならないのだろうか。
「着きましたね」
 天童駅を出た俺は、大きく伸びをした。
(ただ座っていただけなのに、なぜ疲れるんだろう)
 天童市は将棋駒の九割以上をシェアしていることで有名だ。駅前では王将の駒のオブジェが出迎えてくれた。ポストの上にも王将、橋の上にも王将、マンホールの蓋も王将。観光案内マップは将棋の駒の形だし、歩道のタイルも将棋の駒。よく見ると詰将棋になっている。
 駅周辺は高い建物がなく、ゆったりとして開放感がある。よく晴れているので、遠くには連なっている山々がクリアに見えていた。
 軽く駅周辺を散策してから、俺たちは梶山靖子の実家に向かった。タクシーで二十分ほどかかる。住所は編集者が調べてくれた。
「いつも一人で聞き込みをするから、ボヤオと手分けができて楽かも」
「梶山さん本人の家は尋ねないんですよね?」
「そうよ。まず周辺の家から訪問すること。どうしてもと言われたら媒体名を言ってもいいけど、基本的に、聞かれなければ名乗らなくていい。聞き出したいのは、梶山が親の介護をしているか。もししているなら、どんな様子か生活ぶりを聞いて。親の要介護度とかね。もし梶山の同級生や親しい人を見つけたら、戻ってきたことをどう思うかとか、思いつくことはなんでも聞いてみて」
「了解です」
 梶山靖子の家の近くでタクシーを停めた。正面だと気づかれる可能性があるので、若干離れたところで降りる。
 一般的な二階建ての家で、売れっ子女優の実家にしては質素ともいえる。
 しかし、特徴的なところがあった。玄関をリフォームして、スロープと手すりを設置してあるのだ。そこだけ新しく、明らかに後付けだった。俺は紫子さんを見た。紫子さんは小さくうなずく。
「介護の可能性は高いわね」
 俺たちは聞き込みの分担エリアを決めて別れた。
 梶山靖子の家の左隣りの呼び鈴を鳴らした。見知らぬ他人の家の呼び鈴を鳴らすなんて、なんだか緊張する。
 しばらくすると玄関の奥から声が聞こえて、ドアが開いた。六十代くらいの女性だ。
「あら」
 小柄な人だからか、俺を見上げて驚いたような顔をしている。
「週刊誌の者なんですけど、お隣の梶山さんについて、お聞きしたくて」
 身体が大きいことで怖がらせてしまったのかもしれないと、なるべく身を縮めて声をかけた。紫子さんに言われたとおり、媒体名までは言わない。
「いいのよ、普通に立って。こんなに大きい人を近くで見たの初めてだったから、ビックリしちゃった」
 あははと女性は笑った。話しやすそうな人で良かった。普通に立っていいと言われたけど、なるべく目の高さを合わせたいので、軽く屈んだ。
「梶山靖子さん、帰ってきてますよね」
「ええ、三、四年前かな。みよ子さん……、靖子ちゃんのお母さんの名前だけど、みよ子さんと戻ってきたわね。二人暮らしだと思うわよ」
「お母さん、認知症なんですよね」
「そうよ。みよ子さん、夜は大声で叫ぶのよ」
「えっ、虐待?」
 つい声に出してしまった。お隣さんは慌てて手を振る。
「いやだ、靖子ちゃんがそんなことするわけないじゃない、認知症の症状よ。奇声って感じね。申し訳ないけど、うるさくて眠れないから、ご近所さんと相談して、どうにかしてほしいって何人かで言いに行ったの。そうしたら部屋を防音にしてくれたようで、静かになったわね」
 そうだ。認知症って物忘れが激しくなったり、重症になると徘徊するイメージだけど、叫ぶこともあるんだった。取材前に認知症のことは調べておいたのに、うっかりしていた。
「靖子さんとは、よく話しますか?」
「全然。あいさつ程度ね。毎朝、みよ子さんを車椅子に乗せて散歩に連れて行っているみたい。それ以外は、ずっと家の中よ」
「買い物は?」
「取り寄せじゃないかしら。宅配の車がよく来てるみたいだから」
 つまり、梶山靖子も朝の散歩以外、家を出ていないってことだ。ずっと二人で家にいるなんて、息が詰まらないのだろうか。
「みよ子さんの要介護度って、どれくらいなんでしょう?」
「さあ。ただ、ホームペルパーとかデイサービスのような介護サービスは使っていないようね。一人でかいがいしく親の面倒を見るなんて、本当に親孝行よね。小さい頃から優等生だったけど、芸能界に入っても変わらなかったのね」
「親子仲は良かったんですか?」
「それはもう。みよ子さんは学校の教師でね、美人で聡明で。靖子ちゃんはお母さん大好きだったんじゃないかしら。でも、そんなみよ子さんが、認知症であんなになっちゃうなんて」
「あんなって?」
「奇声を発してるって言ったでしょ。やっぱり見た目もね。表情の力がなくて、だらっとしている感じでね。とても身ぎれいにしていた人だから、別人のようよ。きっと、食事も自力で食べられないんじゃないかしら」
「そうですか……」
 思っていた以上に、大変な状態の親を介護しているらしい。
 話を聞けて助かった。かなりの収穫だ。
 俺は礼を言って、隣家を離れた。
 それからも近所に話を聞いて回ったけれど、それ以上の話は出なかった。
 みんな共通で、雨の日だろうと、風の日だろうと、毎朝七時の散歩だけは欠かしていないと証言していた。天童市の街並みが一望できる小高い丘に公園があり、そこでしばらく過ごしてから戻ってくるようだ。
 担当エリアの話を聞き終えたので、俺は待ち合わせ場所の店に向かった。この辺りは店が殆どなく、あっても住宅街に自宅兼という自営業の店が、ポツリポツリとあるだけだった。その中でも比較的長居ができそうな定食屋で落ち合うことにしていた。
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