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三章 ナポリタンとワンピースと文字

三章 5

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 死んでからも。

 やっぱり末期の患者だったのか。こんなに元気に見えるのに。
 そう思ったが、貴之は極力、表情に出さないように意識した。

「書くのにどれくらい時間がかかるのかしら。二人の子どもには毎年の誕生日に十年分。夫は二年分でいいかな、さっさと再婚したら、むしろ手紙なんて邪魔でしょうしね」
「旦那さんがそんなに早く再婚してしまってもいいんですか?」
 思わずという様子で、美優は口を挟んだ。

「いいのよ、私はいなくなるんだから。大事なのは、生きている人の幸せなのよ。私が生きている間は私が一番じゃなきゃ困るけど、死んでまで束縛したくないわ」
「……素敵な考えだと思いますけど、わたしはそんなに割り切れないかもしれません」
 美優は複雑な表情になった。

「あなたは若いんだし、健康なんだから当然よ。私の闘病生活、何年だと思ってるのよ。悟っちゃうわよ」
 志津恵は朗らかに笑った。

「だからね、合計二十二通の手紙をお願いしたいの」
「その数になると、今日だけでは難しそうですね」

 志津恵が家族に伝えたい言葉はいくらでもあるだろう。どれだけ草案に時間がかかるのか、想像もできない。
 とことん付き合うつもりだが、貴之はできるだけ事務的な態度に徹しようと、膝の上で拳を握った。

 子どもを残して親が先立つ。
 自分の境遇と重ねてしまって、ともすると感情的になりかねないと考えたのだ。

 志津恵には、どれほど時間が残っているのだろうか。
 ふとよぎった貴之の思いを読み取ったように、志津恵は小さくうなずいた。

「先生に、クリスマスは家族で過ごせないだろうと言われています」

 一か月もないのか。
 貴之は表情がかげるのを隠せなかった。
 家族構成を尋ねると、十一歳の長女と九歳の長男、そして四十一歳の夫だという。

「もっと早く思いついていれば自分で書けたのだけど。もう握力があまりなくて、字がよれよれになっちゃうの。天国からの手紙がヘナチョコじゃ、格好つかないでしょ」
 志津恵は苦笑した。

「でもね、数か月前までは治そうと必死だったのよ。子どももまだ小さいし、絶対に病気に勝ってやると思って、どんな治療も我慢した」

 手術は成功したのだが、無情にもすぐに転移が見つかった。それでも治そうと、自費治療も行ったが、高い医療費がかかるだけだったと、志津恵は淡々と語る。

「ホスピスなんて来たくなかった。ここに来たら終わりだと思ったの。私は死ぬわけにはいかない、まだやれる治療があるはず、病気を治さなきゃいけないのにって」

 まるで死刑を求刑されて、刑務所に入るような気持だった。
 絶望している志津恵を、ホスピスの担当医は温かく迎えた。

「お疲れさま。よく頑張ったね。治療はつらかったね。まずはゆっくり休みましょう。あなたの痛みやつらさを取り除くのが我々の仕事です。ここは最期の瞬間まで、あなたが自分らしく生き切るための場所なんですよ」

 そう言われた志津恵は、すとんと憑き物が落ちた気がした。闘病生活に入ってから、自分らしい日などなかった。

 志津恵は治療に費やしていたお金と時間を、自分のしたいことに使うと決めた。
 そう、志津恵はカラリと話す。

「抗がん剤をやめたら、また髪が生えてきたの。ちょっと元気になっちゃった。見た目はメンタルにも重要なのよ」

 残された時間をどう生きるのか。
 そして、死ぬ前に家族になにを伝えるのか。

 動けるうちは外出許可を取り、家族で旅行にでかけた。思い出をたくさん作った。
 外泊ができなくなって、志津恵は家族に手紙を遺そうと思いついたのだと言う。

「どんなことを書いてもらおうかしら。頭の中で二十二通分考えておいたんだけど、いざとなると変えた方がいい気がしてきちゃう」

 貴之はいつものように、許可を取ってからICレコーダーを回し始めた。
 話を聞きながら要点をまとめて、その場で志津恵に草案を確認してもらう。

 余命は一か月弱だと言っていたが、言葉通りには受け取れない。もっと長く生きるかもしれないし、……もっと短いかもしれない。

 しかも、いつも今日のように調子がいいとは限らないだろう。できるだけ早く作業を進めたほうがいいと思われた。

「……こんなにしゃべったのは久しぶりかも。ちょっと休憩」
 一時間ほどすると、志津恵は立てたベッドに体重をかけた。息が切れている。

 話すだけでも体力を消耗するのか。
 貴之は薄い唇をかんだ。いつ消えてもおかしくない灯火を見ているようでつらくなる。
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