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三章 ナポリタンとワンピースと文字

三章 4

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 あいにく太陽は厚い雲に隠れているが、十一月下旬のイチョウ並木は黄金色に輝いていた。

「ホスピスって、終末期のがん患者が最期に行く場所なんだろ?」

 貴之は車のハンドルを切りながら美優に尋ねた。依頼人の水谷志津(しず)恵(え)が入院している千葉県の病院に向かっている。

「おおむね、そういう理解でいいと思います。手術や抗がん剤治療をされて、その先の治療が望めなくなったとき、苦痛を最小限にして穏やかに過ごす場所です」
 助手席に座る美優はうなずいた。

「細かく言うと、初期治療から苦痛を伴う化学療法ではなく緩和ケアに切り替える方がいて、そういう患者さんも医療機関の条件によってはホスピスにいらっしゃるので、全員が末期ともいえないんですけどね。それに、緩和ケアで心身ともに落ち着いたら退院して、また抗がん剤治療などを再開する患者さんもいます」

 細かい条件なんてどうでもいい。
 問題は、これから会う依頼人の寿命が長くない可能性があるということだ。貴之の母親は事故当時、依頼人と同じ三十九歳だった。
 貴之は表情をゆがめた。

 若すぎるだろ。落ち込んでるんだろうな。どんな対応をすればいいのか、わかんねえよ……。

 緊張でハンドルを握る手が汗ばんだ。
 貴之は珍しく弱気になっていた。
 両親が早くに亡くなっているので、死には敏感なのだ。

 それは美優も同じだろう。だから患者が亡くなると、あんなに落ち込むのだ。それでよく命と向き合う仕事をするものだと貴之は感心する。自分では身がもたない。

 目的の総合病院に着き、車を駐車場に停める。
 暖房がきいていた車内から出ると、さすがに寒く感じた。貴之はグレーのリブニットの上にレザージャケットを羽織った。美優も薄桃のコートを着ている。

 ホスピス病棟のある五階でエレベーターを降りると、貴之が思う病院のイメージと違うフロアが広がっていた。

 ナースステーションはあるのだが、まるでホテルのロビーのように感じる。壁の一角がガラスになっていて明るく開放的だからか、いくつもソファが置かれて待合室のようになっているからだろうか。

 貴之たちはメールに記載されている病室に向かう。木造りのドアをノックすると、内側から「どうぞ」と女性の声が聞こえた。
 貴之は名乗りながら引き戸を開けた。

 個室の部屋も広かった。
 十二畳ほどあるだろうか、机やソファ、棚や冷蔵庫まであり、キッチンやバス、トイレもついている。棚には写真やぬいぐるみなどの私物が飾られているため、うっかり個人宅に迷い込んでしまったかのような錯覚を起こした。

「わざわざお越しくださって、ありがとうございました」

 窓際のベッドには、赤い寝間着を着たショートヘアの女性が上半身を起こして座っていた。華奢で色白だが、貴之が思っていたほど不健康には見えず、胸をなでおろした。むしろ、満面の笑顔を浮かべていて元気そうだ。美優が説明していたように、一時的に緩和ケアを受けているのかもしれない。

「まあ、氷藤さんってこんなにお若い男性だったのね。寝間着で恥ずかしいわ」
「お構いなく」

 貴之と美優はコートを脱いで、ベッドサイドにある椅子に腰を下ろした。美優はお見舞いの果物をテーブルに置く。

「依頼内容をお聞かせください」

 少々雑談を交えたのち、貴之は本題に入った。メールを打つのもつらいため、内容は会ってから話すと書かれていた。

「夫と子どもたちに手紙を残したいんです。私が死んでからも、何年か先まで届くように」

 志津恵は穏やかな表情で言った。
 死んでからも。

 やっぱり末期の患者だったのか。こんなに元気に見えるのに。
 そう思ったが、貴之は極力、表情に出さないように意識した。
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