上 下
13 / 74
一章 キライをスキになる方法

一章 12

しおりを挟む
 ……いや、それは言い訳だ。
 美優の言っていたとおり、その本音は貴之が引き出さなければいけなかった。

 ――貴之の本業であるライターに一番必要なスキルは、実は文章力ではない。
 聞く力だ。
 本質を、本音を引き出す力だ。

 自信があったのにな……。
 いかに手を抜いていたのかを、まざまざと突きつけられた気分だ。

 美優にやられてしまった。
 完敗だ。敗北だ。
 貴之は軽く首を横にふった。

 そして、冷めたコーヒーを一気に煽るとテーブルの端に置き、鞄から筆記具を取り出した。
 これ以上、素人にやられっぱなしではたまらない。

「プロの面目躍如といきますか」

 貴之はごく小さく呟いて、ペンケースから愛用の万年筆を取り出し、長い指の上で器用にくるりと回した。

 父の形見でもある、木軸の万年筆だ。
 木目の浮いた木軸はよく手入れがされて、深い艶がある。木材の質感は指に馴染み、握っているだけでぬくもりを感じた。

 貴之はソファに浅く座り、姿勢を正した。
「今、草案を仕上げてしまおう」

 いつもの露草色の便せんにペン先を滑らせた。紙面へのあたりは柔らかくも適度な硬さがあり、紙を滑る感覚が指先に伝わってくる。カリカリとペン先と紙が擦れる音がした。

 おばあちゃんへ

 貴之はそう書き始めた。
 節子と萌々香との関係を聞けば「拝啓」から始めるのは堅苦しすぎた。定型文ではつまらなく、むしろ慇懃無礼だったかもしれない。

「氷藤さん、さすがに字は上手いですね」

 それじゃ「字だけ」みたいじゃないか。
 覗き込んでくる美優に文句をつけたくなったが、貴之は横目で軽く睨む程度にしておく。

 時に萌々香に質問をしながら、貴之は文章を書き進めた。
 そういえば、依頼人の目の前で草案を作るのは、いつ以来だろうか。
 ふと思い、貴之は薄い唇を爪でなぞった。

 代筆屋をはじめた頃はヒアリングに時間をかけていたし、目の前で話しながら仕上げることもあった。
 いつしか慣れて、電話越しでも話は聞ける、更にはメールでも問題ないと、だんだん簡素化していった。

 しかし、こうして対面で話を聞くと、表情や仕草、声の抑揚から気持ちがよく伝わってくる。

 初心にかえるか……。
 筆を走らせながら、貴之はそう考えていた。

   * * * *

 おばあちゃんへ

 二度目の手紙になります。あれから体調はいかがでしょうか。
 リハビリは順調だと美優さんにお聞きし、安堵しています。

 実はずっと、おばあちゃんに相談したいことがありました。
 就職先が決まらなくて、毎日すごくつらかった。
 だから、またおばあちゃんと話をして、元気をもらいたかったんです。

 でもね、既に答えをもらっていたことに気づきました。
 おばあちゃんならなんて言うかな、おばあちゃんがこの状況ならどうするかなって、想像してみました。

 おばあちゃんから教わった「キライをスキになる方法」で、今までたくさんの困難を乗り越えてきました。
 今回も同じだよね。

 せっかくいい大学に入学したんだから。
 お父さんもお母さんも期待しているから。
 だから、一流企業と言われるところしか狙っていなかったんだ。

 でも、今の私にとって、一流企業は必須なのかなって考えてみたんです。
 リストラも転職も当たり前の時代だから、企業の肩書よりも自分にスキルを蓄えることのほうが重要かもしれない。

 そうしたら、今からでも挑戦したい会社がみつかりました。どうして初めから狙わなかったんだろうと思うくらいだよ。

 きっとおばあちゃんに会っていたら「新卒での就職がゴールなの?」と言われていたと思います。

 人生百年と言われている昨今、きっと私は、これから五十年くらいは働かなきゃいけない。
 そんなに長ければ、途中でやりたいことが変わるかもしれません。
 だから今は、自分ができる範囲で、やりたいことを仕事にしようと思えました。

 私が成長したら、私を求める企業だって増えるはずです。
 そう思ったら、すとんと力が抜けました。ここで気落ちしている場合じゃない、先は長いんだぞって。

 背伸びをしても届かない上ばかり見て、勝手に疲弊していたんです。
 それに、内定したらおばあちゃんに会いに行くってご褒美を自分に設定したら、ますます就職活動をする気力がわいてきました。

 だから、おばあちゃんの全快が先か、わたしの内定が先か、競争です。

 おばあちゃんと会う日は、そう遠くない予感がしています。楽しみにしていてね。
 おばあちゃん。これからもよろしくお願いします。
                        三井萌々香 

   * * * *
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。  しかも、定番の悪役令嬢。 いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。  ですから婚約者の王子様。 私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。

灰かぶり姫の落とした靴は

佐竹りふれ
ライト文芸
中谷茉里は、あまりにも優柔不断すぎて自分では物事を決められず、アプリに頼ってばかりいた。 親友の彩可から新しい恋を見つけるようにと焚きつけられても、過去の恋愛からその気にはなれずにいた。 職場の先輩社員である菊地玄也に惹かれつつも、その先には進めない。 そんな矢先、先輩に頼まれて仕方なく参加した合コンの店先で、末田皓人と運命的な出会いを果たす。 茉里の優柔不断さをすぐに受け入れてくれた彼と、茉里の関係はすぐに縮まっていく。すべてが順調に思えていたが、彼の本心を分かりきれず、茉里はモヤモヤを抱える。悩む茉里を菊地は気にかけてくれていて、だんだんと二人の距離も縮まっていき……。 茉里と末田、そして菊地の関係は、彼女が予想していなかった展開を迎える。 第1回ピッコマノベルズ大賞の落選作品に加筆修正を加えた作品となります。

海神の唄-[R]emember me-

青葉かなん
ライト文芸
壊れてしまったのは世界か、それとも僕か。 夢か現か、世界にノイズが走り現実と記憶がブレて見えてしまう孝雄は自分の中で何かが変わってしまった事に気づいた。 仲間達の声が二重に聞こえる、愛しい人の表情が違って重なる、世界の姿がブレて見えてしまう。 まるで夢の中の出来事が、現実世界へと浸食していく感覚に囚われる。 現実と幻想の区別が付かなくなる日常、狂気が内側から浸食していくのは――きっと世界がそう語り掛けてくるから。 第二次世界恐慌、第三次世界大戦の始まりだった。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...