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終章 最高の出会い

終章 1

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 毬瑠子がアルバイトを始めて、ひと月が経過した。
 今日は十月十日。毬瑠子の二十歳の誕生日だ。
 だから少し勇気を出して、父に訊こうと思う。
「マルセルさん、なぜ母と別れることになったのか教えてください」
 オープンの三十分前に「BAR SANG」に到着した毬瑠子は、開店準備をしながらマルセルに頼んだ。
 マルセルが「母に振られた」と知ってから、ずっと考えていた。母は父を「大好き」だと言っていたのだ。どうして、ちぐはぐなのだろうか。
「今、ですか?」
 いつもの欧州貴族然とした格好でグラスを磨いていたマルセルは、困惑したような視線を毬瑠子に向ける。
「オープンまで、まだ三十分もありますから」
 そのために普段よりも早くバーに来たのだ。そんなことをしなくても、客が来るのは二十時過ぎが多いのだが。
「それをシラフでお話しするのは、つらいものがありますね。しかし、飲むのはまだ我慢しますか……」
 マルセルはぶつぶつと言っている。
「立ち話もなんですから、そちらのテーブル席に移動しましょう」
 店の奥にあるボックスシートに促され、毬瑠子はマルセルと向かい合って座った。マルセルは記憶をたどるようにテーブルの角を見つめながら口を開く。
「あなたが生まれる数年前、少し早めに店を閉めようと準備をしていた時です。若い女性が一人で店に入ってきました」
 それが社会人二年目の理子(りこ)、若き日の毬瑠子の母親だった。
 細身のパンツスーツを着ており、ほろ酔い状態だった。ストレートの黒髪は肩あたりでスッキリと切りそろえられている。
「普段は人に認識されないけれど、霊感があるような人は店に来ちゃうんでしたよね」
 毬瑠子が確認すると、マルセルは頷いた。
「ごくたまにですが。人が来店しても客として迎えることにしています」
 その日はほかに客がいなかった。マルセルは理子をカウンター席に案内した。
「携わっていた大きなプロジェクトが上手くいったようで、チームでそのお祝いしていたようです。理子は飲み足りず、気分が高揚していることもあって、ふらりとバーに足が向いたようですね」
 あやかし以外と腰をすえて話をするのは久しぶりで、どんな話題なら一時を楽しんでもらえるのかとマルセルは探るように話し始めたのだが、そんな気遣いは不要だった。商社の食品部門で働く理子は酒についての知識が豊富で、二人は酒の話ですぐに盛り上がった。
「ねえ、マルセルさんはどんなお酒が好き?」
「ワインです。“ワインは良い血をつくる”というイタリアのことわざがあります。わたしの血は半分ワインでできていますから、上質な血液になっていることでしょう」
 マルセルは冗談めかして言った。
「お酒ってたくさんの名言や格言があるわよね。それだけ身近で愛されているってことね。“ワインの中には知恵がある。ビールの中には自由がある”とかね」
 政治家で物理学者のベンジャミン・フランクリンの言葉だ。
「知恵と自由に乾杯」
 笑いながら理子は、持っているビールのジョッキにマルセルのワイングラスを重ねた。もう何度も乾杯をしている。
「そうだ、マルセルさん、カクテル言葉って知ってる?」
「いいえ」
 マルセルは首を振った。
「どのカクテルもメッセージを秘めているの。感謝とか愛とか別れとかね。だからうっかり間違ったメッセージを送らないように、私はカクテルを飲まないようにしてるのよ。でも、今夜はキールで乾杯したいわ。ねえ、一緒に飲みましょうよ」
「はい、喜んで。キールのカクテル言葉は、どんなものなのですか?」
 アルコールで血色がよくなり、頬が淡い桜色に染まった理子は、尋ねたマルセルをカウンター越しに正面からみつめた。照明で艶めく唇が笑みを作る。
「キールの意味は、“最高の出会い”よ」
 理子は知的で話が軽妙な魅力的な女性だった。マルセルは既にこのとき、理子に引き込まれていた。
 二人は「最高の出会い」に乾杯した。
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