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序章 美形という不幸

序章 後編

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 ――鮮血に染まっているように見えた。

 窓は閉じているのに、強い冷気が吹き抜けた。生臭いにおいも鼻につく。
 部屋の奥、月光を背に、人影が見えた。
 そのシルエットには両手があり、胴体があり、両足があり……。

 しかし、首がなかった。

 手には日本刀を持ち、薄暗い部屋で、赤い血と青光りする刀だけが鮮やかに映った。
 よく見ると、ボロボロに欠けた昔の鎧を身に着けている。
 央都也たちが呆然と立ち尽くしていると、シルエットがゆらりと揺れた。
 鎧が擦れる音をたて、その影は刀を振り上げ、
 こちらに向かって突進してきた。

「うわああっ」

 父と母は、央都也を押しのけて部屋から逃げて行った。央都也は尻もちをついた。
 向かってくる者から目が離せず、そのまま固まっていた央都也は、誰かに抱きしめられた。

「失せろ!」

 鋭く低い声がしたかと思うと、しばらくしてカチカチと音がして、蛍光灯が点灯した。

「大丈夫か、央都也」

 腕をとかれて顔をあげると、兄の雄誠だった。鎧をつけた影はいなくなっており、布団は真っ白だ。血の跡は少しもない。

「今のは?」
「落武者の霊だろう。怖かったな、ごめんな」

 あまりに非現実的で、怖いというより、映画のワンシーンを見ているようだった。

「どうして兄さんが謝るの?」
「俺は霊を人に“見せて”しまう体質のようなんだ」
「霊を見せる?」
「そう。普段は霊が見えない人も、俺がいると見えるようだ。だから、心霊スポットには行かないようにしていた。ここは調べた時には特に心霊現象はヒットしなかったんだが……、浮遊霊だったのかもしれない」

 央都也たち一家は部屋を変えてもらい、旅行は無事に終了した。
 一晩経つと、落武者の一件は幻だったんじゃないかと央都也は思った。雄誠がおかしなことを言っていたが、幽霊なんているわけがない。
 それよりも、央都也にとって深く胸に刻まれたことがある。

(危険が迫った時、お父さんもお母さんも、ぼくを助けてくれないんだ)

 二人は央都也を置いて、一目散に逃げて行った。

(でも、兄さんはぼくを守ろうとしてくれた)

 この件から、父親とも距離を置くようになった。
 完全に人間不信になっていた。
 しかし、ただ一人例外がいる。

 もちろん、兄の雄誠だ。

 この頃から央都也にとって雄誠は、兄であり、母であり、父になった。
 幼いころから嫌な目にあい続けてきた央都也は、
(誰とも会わずに、一生一人で生きていく)
 と、固く決意した。

 男だろうと女だろうと、襲われるなんてまっぴらだ。誰も信用なんてできやしない。自分の身は自分で守らなければいけない。
 こんな容姿に生まれたせいで、貧乏くじばかり引いている。
 央都也は髪を伸ばして顔を隠し、雄誠以外は極力誰とも話さずに、一人で生きていく方法を調べた。

 幸運なことに、今はネット社会だ。インターネットだけで稼げる方法としてアフィリエイトやプログラミングがある。央都也は独学で勉強し、中学生から収入を得られるようになった。

 高校には行かないと両親に伝え、中学を卒業したら一人暮らしをするつもりでお金を貯め始めた。早く両親と離れて暮らしたかった。

 そんな姿を見ていた雄誠は、中学を卒業した央都也に「二人で住まないか?」と誘った。
 当時大学二年生だった雄誠は、まだ収入があるわけではなかった。預貯金なら、既に稼いでいる央都也のほうが多かったくらいだ。
 しかし、央都也を一人にすることを心配した雄誠は、親に協力を仰いた。そして、なんとか仕送りをもらえることになった。

 二人暮らしを始めて数年すると、央都也はそれなりの収入を得られるようになっていた。そこで、もっと早く儲かる方法がないか、ステップアップを思案していた。
 プログラムで発注を受けるには、直接会わずともそれなりに人と接しなければならない。央都也の目標は、人間関係ゼロだった。
 まとまった資産を作って、完全に俗世を切り離したいのだ。

「兄さん、なにかガツンと儲かる方法はないかなぁ」

 央都也は寝間着のままダラダラと朝食を食べながら、テーブルを挟んで正面に座る雄誠に尋ねた。雄誠はスーツの上にエプロンを重ねている。大学を卒業した雄誠は商社に勤めていた。

「ギャンブルはするなよ」
「仕事のことだよ」

 むうっと央都也は形のいい唇を尖らせた。

「もっと稼いで、早く完全に引きこもりたいんだよ」
「もう引きこもってるだろ。一歩も家から出ないじゃないか。不健全だ」
「ハイハイ、それはもういいから。耳タコだから」

 箸を置いた央都也は、雄誠に鋭い視線を向けられて、シブシブともう一度箸を握った。食の細い央都也は食事を抜きがちなので、雄誠のいる朝と夜は食べ終わるまで許してもらえない。央都也の前には、ご飯とみそ汁、温泉卵、鮭のムニエル、ゴボウサラダが、少量ずつ小鉢に入っていた。ノルマだと言わんばかりだ。

「特技を仕事に活かせとよくいうが、央都也はもう特技で稼いでいるからな。それに、もう充分な収入があるだろ」

 雄誠は立ち上がって、空いた皿を片付け始めた。

「特技か……」

 プログラミングやアフィリエイトでは限界がある。しかし、それ以外に央都也は特技がない。
 容姿だけはやけに端麗に生まれたが、それを除くと無個性でつまらない男だと自覚していた。芸人のようにしゃべりが面白いわけでも、絵や文章が上手いわけでもない。趣味だってない。自分で言うのもなんだが、性格だってよくはない。

(結局、ぼくには顔しかないのかな)

 央都也は頬に手を添えた。
 忌々しいこの顔が、央都也の最大の特徴であり、武器なのだ。
 しかし、芸能界なんて人がうじゃうじゃいる世界には死んでも行きたくない。

「ウーン……」
「央都也、早く食えよ」

 テーブルに突っ伏した央都也の上に、兄の声が降ってきた。
 
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