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四章 父親の記憶(やや不条理)
四章 8
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「おまえは忘れたいだけじゃ。思い出せ。小十郎が勇敢な男だということは、おまえが一番よくわかっているだろう」
松蔵は思い出そうと両手で頭を押さえた。小さく呻く。
「待って」
小藤は止めた。
光仙は「物事には適した頃合いというものがある」と言っていた。
小藤はその「頃合い」を「自分がどうなりたいのか、明確になった時」だと考えた。
だから小藤はこの家に、松蔵は今どんな悩みがあって、どうしたいのかを確認しに来たのだ。
しかし、それは考え違いだったのかもしれない。
少女が言ったように、松蔵は記憶を失っているわけではなく、「忘れたと思い込んでいる」のだとしたら。
それが無意識であればこそ、松蔵は本能的に記憶を頭の奥に封印していたと考えられる。
なぜ封印しなければいけなかったのか。
――それは松蔵に堪えられないほど、つらい記憶だからだ。
だから松蔵がその記憶に堪えられるほど成長した「頃合い」になったころに思い出し、自然に前進するものだったのかしれない。その頃になって、光仙も手を貸そうとしていたのかもしれない。
「松蔵、無理に思い出さなくていいよ。そのうち自然に思い出す日が来るから」
「思い出せ。おまえは小十郎の死にざまが悲しいと言った。思い出せば、悲しむ必要などないことがわかるはずじゃ」
松蔵は両側から正反対のことを言われ、頭を抱える手に力をこめる。
「あっ……」
きつく閉じていた松蔵の目が大きく開いた。
「思い出してきた。おれは山に倒れて、しばらくそこにいた。それから衣の襟を引きあげられた」
ぼんやりとしていたが意識はあった。
松蔵は、なにかに衣をくわえられて運ばれているようだった。生臭い息に顔を向けると、身体は鳥のような姿でありながら顔は魚類という巨大であり得ない生き物がいた。恐怖よりも夢を見ているように感じた。
そのうち松蔵は地面にぞんざいに落とされた。木の茂った場所から抜けて、開けた場所だった。
岩肌に空いた大きな穴の暗がりから、松蔵を運んできたものを同じ不気味な生物が二体出てきた。
「あまりにも非現実的で、やっぱりおれは夢かと思った。それほど怖くはなかった。あまりに恐ろしいものを見ると、頭がまともに働くのをやめるのかもしれない」
この世には恐ろしい化け物がいると聞いている。もしこれが現実なら、自分は食われるのだろう。でもぼんやりしている今なら痛くないかもしれない。どうせ身体が弱かった。いつ死んでもおかしくない。少々お迎えが早くなるにすぎない。
「近づいてくるそいつらを見ながら、おれは痛くなければいいなあと思っていた」
松蔵は既に命を諦めていた。
しかし。
「俺の息子から離れろ」
そこに火縄銃を構えた小十郎が現れた。
化け物たちは動きをとめた。
――やはりこれは、おまえの息子か。
化け物がしゃべった。しかしそれは空気を震わせておらず、直接脳内に響いてくるようだった。
「俺は花を一本もらいに来ただけだ。もう帰るから息子を返してくれ」
――いや、だめだ。
化け物の一体が松蔵の背中を踏みつけた。
「痛いっ」
松蔵は悲鳴を上げる。
「やめろっ、息子に触るな」
小十郎が叫んだ。
松蔵はだんだんと現実だという実感がわいてきた。
改めて自分を踏みつけている化け物の不気味さと恐ろしさに震えた。なぜいいままで鈍感でいられたのか。
「怖い。おっとう助けて」
松蔵は思い出そうと両手で頭を押さえた。小さく呻く。
「待って」
小藤は止めた。
光仙は「物事には適した頃合いというものがある」と言っていた。
小藤はその「頃合い」を「自分がどうなりたいのか、明確になった時」だと考えた。
だから小藤はこの家に、松蔵は今どんな悩みがあって、どうしたいのかを確認しに来たのだ。
しかし、それは考え違いだったのかもしれない。
少女が言ったように、松蔵は記憶を失っているわけではなく、「忘れたと思い込んでいる」のだとしたら。
それが無意識であればこそ、松蔵は本能的に記憶を頭の奥に封印していたと考えられる。
なぜ封印しなければいけなかったのか。
――それは松蔵に堪えられないほど、つらい記憶だからだ。
だから松蔵がその記憶に堪えられるほど成長した「頃合い」になったころに思い出し、自然に前進するものだったのかしれない。その頃になって、光仙も手を貸そうとしていたのかもしれない。
「松蔵、無理に思い出さなくていいよ。そのうち自然に思い出す日が来るから」
「思い出せ。おまえは小十郎の死にざまが悲しいと言った。思い出せば、悲しむ必要などないことがわかるはずじゃ」
松蔵は両側から正反対のことを言われ、頭を抱える手に力をこめる。
「あっ……」
きつく閉じていた松蔵の目が大きく開いた。
「思い出してきた。おれは山に倒れて、しばらくそこにいた。それから衣の襟を引きあげられた」
ぼんやりとしていたが意識はあった。
松蔵は、なにかに衣をくわえられて運ばれているようだった。生臭い息に顔を向けると、身体は鳥のような姿でありながら顔は魚類という巨大であり得ない生き物がいた。恐怖よりも夢を見ているように感じた。
そのうち松蔵は地面にぞんざいに落とされた。木の茂った場所から抜けて、開けた場所だった。
岩肌に空いた大きな穴の暗がりから、松蔵を運んできたものを同じ不気味な生物が二体出てきた。
「あまりにも非現実的で、やっぱりおれは夢かと思った。それほど怖くはなかった。あまりに恐ろしいものを見ると、頭がまともに働くのをやめるのかもしれない」
この世には恐ろしい化け物がいると聞いている。もしこれが現実なら、自分は食われるのだろう。でもぼんやりしている今なら痛くないかもしれない。どうせ身体が弱かった。いつ死んでもおかしくない。少々お迎えが早くなるにすぎない。
「近づいてくるそいつらを見ながら、おれは痛くなければいいなあと思っていた」
松蔵は既に命を諦めていた。
しかし。
「俺の息子から離れろ」
そこに火縄銃を構えた小十郎が現れた。
化け物たちは動きをとめた。
――やはりこれは、おまえの息子か。
化け物がしゃべった。しかしそれは空気を震わせておらず、直接脳内に響いてくるようだった。
「俺は花を一本もらいに来ただけだ。もう帰るから息子を返してくれ」
――いや、だめだ。
化け物の一体が松蔵の背中を踏みつけた。
「痛いっ」
松蔵は悲鳴を上げる。
「やめろっ、息子に触るな」
小十郎が叫んだ。
松蔵はだんだんと現実だという実感がわいてきた。
改めて自分を踏みつけている化け物の不気味さと恐ろしさに震えた。なぜいいままで鈍感でいられたのか。
「怖い。おっとう助けて」
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