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一章 水神の怒りと人柱(始まりの物語)
一章 6
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こんなに近くに……!
イノシシは小藤よりも身体が大きそうだ。襲われたらひとたまりもない。
そんな巨体が、手を伸ばせば届きそうなほどの距離にあった。
小藤はイノシシを見据えたまま後退った。
まだ大丈夫、このまま静かに立ち去れば。
ゆっくり下がっていたのだが、斜面とぬめる葉に足をとられてバランスを崩し、小藤は膝をついてしまった。
その動きに興奮したイノシシが突進してくる。
「危ない!」
小藤の状況を瞬時に理解した兄は、小藤を突き飛ばした。
「兄ちゃん!」
兄はイノシシの直撃を受けて弾き飛ばされた。身体が浮いて、急な斜面を転がっていく。そして岩にぶつかり、兄はぐったりとして動かなくなった。
「兄ちゃん、兄ちゃん!」
静かな山間に、小藤の悲痛な声が響いた。
* * * *
「兄ちゃん、ごめんなさい……」
呟きながら、小藤は目が覚めた。瞳が涙で濡れている。
「また、夢か」
あれから一年近く時が過ぎ、何度となく同じシーンが夢で繰り返される。そのたびに小藤の胸が痛んだ。
私がもっと注意して歩いていれば。落ちたのが私だったらよかったのに。
あれから兄は寝たきりになってしまった。優しい兄の笑顔は、もう二度と見ることはできないだろう。
家族としても一番の働き手を失った。だからこそ小藤は兄の分まで働き、兄のように強く優しくありたいと考えながら生きてきた。
それなのに。
「……夢?」
小藤は目を見開いた。頭の中の霞が吹き飛ぶ。
なぜ、いつものように夢を見ているのだ。自分は人柱になって死んだのではなかったのか。死人も夢を見るのだろうか。
そういえば、頭の下にある枕の感触が違う。天井も見慣れないものだ。小藤の家は茅葺の屋根だが、ここは木目が広がっている。そして今まで感じたことのない、ふわふわとした軽くて温かい布団が胸の上までかかっていた。
「ここは……」
小藤はゆっくりと上半身を起こした。
なんだろうこの掛布団は。
掛け布団といえば着物型の夜着をかけるものだ。見慣れぬ贅沢品のような寝具を小藤がなでると、なんとも触り心地が良かった。
服装も変わっていた。真新しい白衣を着ている。
「あっ、起きたぞ吽光」
「見ればわかるよ」
二人の男の子が小藤に近寄ってきた。十歳くらいだろうか、白衣に袴という神職の格好をしている。
イノシシは小藤よりも身体が大きそうだ。襲われたらひとたまりもない。
そんな巨体が、手を伸ばせば届きそうなほどの距離にあった。
小藤はイノシシを見据えたまま後退った。
まだ大丈夫、このまま静かに立ち去れば。
ゆっくり下がっていたのだが、斜面とぬめる葉に足をとられてバランスを崩し、小藤は膝をついてしまった。
その動きに興奮したイノシシが突進してくる。
「危ない!」
小藤の状況を瞬時に理解した兄は、小藤を突き飛ばした。
「兄ちゃん!」
兄はイノシシの直撃を受けて弾き飛ばされた。身体が浮いて、急な斜面を転がっていく。そして岩にぶつかり、兄はぐったりとして動かなくなった。
「兄ちゃん、兄ちゃん!」
静かな山間に、小藤の悲痛な声が響いた。
* * * *
「兄ちゃん、ごめんなさい……」
呟きながら、小藤は目が覚めた。瞳が涙で濡れている。
「また、夢か」
あれから一年近く時が過ぎ、何度となく同じシーンが夢で繰り返される。そのたびに小藤の胸が痛んだ。
私がもっと注意して歩いていれば。落ちたのが私だったらよかったのに。
あれから兄は寝たきりになってしまった。優しい兄の笑顔は、もう二度と見ることはできないだろう。
家族としても一番の働き手を失った。だからこそ小藤は兄の分まで働き、兄のように強く優しくありたいと考えながら生きてきた。
それなのに。
「……夢?」
小藤は目を見開いた。頭の中の霞が吹き飛ぶ。
なぜ、いつものように夢を見ているのだ。自分は人柱になって死んだのではなかったのか。死人も夢を見るのだろうか。
そういえば、頭の下にある枕の感触が違う。天井も見慣れないものだ。小藤の家は茅葺の屋根だが、ここは木目が広がっている。そして今まで感じたことのない、ふわふわとした軽くて温かい布団が胸の上までかかっていた。
「ここは……」
小藤はゆっくりと上半身を起こした。
なんだろうこの掛布団は。
掛け布団といえば着物型の夜着をかけるものだ。見慣れぬ贅沢品のような寝具を小藤がなでると、なんとも触り心地が良かった。
服装も変わっていた。真新しい白衣を着ている。
「あっ、起きたぞ吽光」
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二人の男の子が小藤に近寄ってきた。十歳くらいだろうか、白衣に袴という神職の格好をしている。
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