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▼第16章 終章
▼16-1 シャシャーンカ王の影
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カナウジに駐留しているカルナ・スヴァルナ軍のうち、功を急いだ者が飛び出してしまって、それにより警備が甘くなった。カナウジ側が駐留軍に反旗を翻すとしたら今だった。
塔に幽閉された状態ではあるが、バーニ大臣が蜂起に向けて準備していたのだ。内通者を通じて弓兵に指輪を託すことができるくらいなので、水面下での活動はそれなりに捗っていた。問題は、蜂起の時期の見極めだった。
カナウジ守備軍を城内と城外に分断した上で、カナウジ解放軍であるハルシャの軍が城外の軍を確実に撃破できるところまで行って初めて、城内の蜂起もできる。
カナウジ城内の各所から火の手が上がるのを見て、カルナ・スヴァルナ軍に些かの動揺が生じたようだ。特に、カナウジ城を背にして戦っているカルナ・スヴァルナ軍は、カナウジ城が落ちたら挟み撃ちにあってしまう可能性があるため、その位置からの離脱を試み始めた。それに伴いハルシャ軍の本隊もそちら側に勢いが向き始めた。逃げようとする部隊を追跡する分、相手に対する包囲は甘くなってしまったため、ここぞとばかりに包囲されていた側のカルナ・スヴァルナ軍は脱出しようと動く。
「シャシャーンカ王の軍が怯んで退却しようとしているぞ」
「今こそハルシャ王軍の武勇を見せるぞ」
士気が高まったのはハルシャの軍だった。そうなると一気可成、元々数の上で優勢だったので負ける要素は無かった。
「シャシャーンカ王を捕獲したぞ」
という情報が流れて、カルナ・スヴァルナ軍は全体が撤退を始めた。ハルシャ王の軍も疲弊が著しく、相手の王を捕えたからには追撃の必要性が薄く、追う足は鈍かった。城外のカルナ・スヴァルナ軍が撤退したため、カナウジ城内の駐屯軍も降伏した。ようやく平原に落ち着きが戻り、後には踏み荒らされた四指草 (クローバー) と死傷者が残った。
「もう追跡は必要無い。カナウジの東に再集結せよ。カナウジ奪還を果たした我が軍の勝利だ」
ハルシャの声が届いた範囲から鬨の声が挙がった。それが連鎖して残った全軍から巨大な鬨の声が響き渡った。
「シャシャーンカ王を捕獲したのだろう。ここへ連行せよ」
という命令を口にしたとほぼ同時に後ろ手に縛られたシャシャーンカ王がハルシャ王の前に引き立てられた。
鎧兜で完全武装したシャシャーンカ王はさすがに項垂れて顔を伏せていた。その姿を見て、ハルシャは憎しみと怒りと、あと言葉にならない混沌とした感情が湧き出てきて、どう処遇すべきか迷って言うべきことが見つからなかった。兄はこの男の罠に填められて殺されたのだ。目から熱い想いが溢れてきて、涙が一筋頬を伝い落ちた。
ハルシャより先に口を開いたのは、まだ何も尋問されていないシャシャーンカ王だった。
「何を泣いているのか分からないが、哀れだな、ハルシャ王。勝ったつもりでいい気になっているとはな」
「なんだと。余と自分の立ち位置を弁えろ、シャシャーンカ王」
「弁えるのはそっちだろう。俺を誰だと思っている。俺はシャシャーンカ王陛下じゃない。影武者を捕らえて喜んでいて、愚かだな」
「なっ、なん、だと」
ハルシャはシャシャーンカ王とは面識が無い。贋物だと言われてしまえば、目の前に立つ男が本物かどうかは判別のしようも無かった。
「だ、誰か、シャシャーンカ王に会ったことがある者はいないか」
その後。本物のシャシャーンカ王は背が高く筋骨隆々たる武人であり、このような小男ではないので、顔がそっくりなだけの贋物だ、という結論が出てハルシャは脱力した。
シャシャーンカ王は、猿を捕獲する時に使う鳥黐のように粘着質でしぶとかった。最後の最後まで奸王に一杯食わされてしまったようだ。鷹陣は分断力はあるが包囲よりは殲滅力は弱い。なので敵の大将に逃げられる場合が多いのだ。
副次的目標だったシャシャーンカ王を捕らえて兄の敵討ちをすることは成し遂げられなかったが、最優先目標であったカナウジは奪還した。ラージャシュリーの夫であるカナウジを。
これがハルシャの王としての初勝利であり、栄光の道のりの第一歩であった。
カナウジ奪還を果たして堂々の入城をしたハルシャ王を迎えたのは、グラハヴァルマン王の側近だったバーニ大臣だった。その指には、かつて見たのと同じ紅縞瑪瑙の指輪が輝いていた。
乗っていた象から降りて挨拶を返すハルシャ王に対して、バーニ大臣は恭しく申し上げた。
「ハルシャ陛下、カルナ・スヴァルナ軍を撃退してカナウジを解放していただき、ありがとうございます。我が主、グラハヴァルマン陛下も、今頃来世で喜んで見守ってくださっていることでしょう。ところで、カナウジを都とするカーニャクブジャ国は、グラハヴァルマン陛下が跡継ぎを残すことなく崩御されたことにより、後継者がおりません。筋道として、グラハヴァルマン陛下の義兄であらせられるハルシャ陛下にご統治いただくのが相応しいのではないかと考えます。無論、カナウジの都市やカーニャクブジャの国についての知見をお持ちでないという部分はあるでしょうが、わたくしバーニをはじめとして、グラハヴァルマン陛下時代の家臣たちが輔佐いたしますので。それこそが、カナウジとカーニャクブジャの民の安寧のためと認識しております。何卒、我が願いを聞き入れ、カナウジの新しい王となっていただきたい」
ハルシャは前に進み出て、頭を垂れるバーニ大臣の両肩に手を置いた。
「カナウジの民は、王が亡くなって、カルナ・スヴァルナの占領統治下に置かれて、さぞかし不安な日々を送ったことであろう。奪還までに時間がかかってしまったのは申し訳ないが、我慢は今日までだ。余は戒日王子として聖なるガンジス河中流域全般を支配し、インド統一を目指す。タネシュワールからここカナウジへと遷都して、ここを拠点としていずれはベンガル地方のカルナ・スヴァルナ国をも征服するつもりだ」
「カルナ・スヴァルナは我々カーニャクブジャにとって仇敵、いつかは必ず打倒しなければなりません。我ら、ハルシャ陛下と心は一つです」
かくて、ハルシャ王はタネシュワールからカナウジへの遷都を宣言した。
塔に幽閉された状態ではあるが、バーニ大臣が蜂起に向けて準備していたのだ。内通者を通じて弓兵に指輪を託すことができるくらいなので、水面下での活動はそれなりに捗っていた。問題は、蜂起の時期の見極めだった。
カナウジ守備軍を城内と城外に分断した上で、カナウジ解放軍であるハルシャの軍が城外の軍を確実に撃破できるところまで行って初めて、城内の蜂起もできる。
カナウジ城内の各所から火の手が上がるのを見て、カルナ・スヴァルナ軍に些かの動揺が生じたようだ。特に、カナウジ城を背にして戦っているカルナ・スヴァルナ軍は、カナウジ城が落ちたら挟み撃ちにあってしまう可能性があるため、その位置からの離脱を試み始めた。それに伴いハルシャ軍の本隊もそちら側に勢いが向き始めた。逃げようとする部隊を追跡する分、相手に対する包囲は甘くなってしまったため、ここぞとばかりに包囲されていた側のカルナ・スヴァルナ軍は脱出しようと動く。
「シャシャーンカ王の軍が怯んで退却しようとしているぞ」
「今こそハルシャ王軍の武勇を見せるぞ」
士気が高まったのはハルシャの軍だった。そうなると一気可成、元々数の上で優勢だったので負ける要素は無かった。
「シャシャーンカ王を捕獲したぞ」
という情報が流れて、カルナ・スヴァルナ軍は全体が撤退を始めた。ハルシャ王の軍も疲弊が著しく、相手の王を捕えたからには追撃の必要性が薄く、追う足は鈍かった。城外のカルナ・スヴァルナ軍が撤退したため、カナウジ城内の駐屯軍も降伏した。ようやく平原に落ち着きが戻り、後には踏み荒らされた四指草 (クローバー) と死傷者が残った。
「もう追跡は必要無い。カナウジの東に再集結せよ。カナウジ奪還を果たした我が軍の勝利だ」
ハルシャの声が届いた範囲から鬨の声が挙がった。それが連鎖して残った全軍から巨大な鬨の声が響き渡った。
「シャシャーンカ王を捕獲したのだろう。ここへ連行せよ」
という命令を口にしたとほぼ同時に後ろ手に縛られたシャシャーンカ王がハルシャ王の前に引き立てられた。
鎧兜で完全武装したシャシャーンカ王はさすがに項垂れて顔を伏せていた。その姿を見て、ハルシャは憎しみと怒りと、あと言葉にならない混沌とした感情が湧き出てきて、どう処遇すべきか迷って言うべきことが見つからなかった。兄はこの男の罠に填められて殺されたのだ。目から熱い想いが溢れてきて、涙が一筋頬を伝い落ちた。
ハルシャより先に口を開いたのは、まだ何も尋問されていないシャシャーンカ王だった。
「何を泣いているのか分からないが、哀れだな、ハルシャ王。勝ったつもりでいい気になっているとはな」
「なんだと。余と自分の立ち位置を弁えろ、シャシャーンカ王」
「弁えるのはそっちだろう。俺を誰だと思っている。俺はシャシャーンカ王陛下じゃない。影武者を捕らえて喜んでいて、愚かだな」
「なっ、なん、だと」
ハルシャはシャシャーンカ王とは面識が無い。贋物だと言われてしまえば、目の前に立つ男が本物かどうかは判別のしようも無かった。
「だ、誰か、シャシャーンカ王に会ったことがある者はいないか」
その後。本物のシャシャーンカ王は背が高く筋骨隆々たる武人であり、このような小男ではないので、顔がそっくりなだけの贋物だ、という結論が出てハルシャは脱力した。
シャシャーンカ王は、猿を捕獲する時に使う鳥黐のように粘着質でしぶとかった。最後の最後まで奸王に一杯食わされてしまったようだ。鷹陣は分断力はあるが包囲よりは殲滅力は弱い。なので敵の大将に逃げられる場合が多いのだ。
副次的目標だったシャシャーンカ王を捕らえて兄の敵討ちをすることは成し遂げられなかったが、最優先目標であったカナウジは奪還した。ラージャシュリーの夫であるカナウジを。
これがハルシャの王としての初勝利であり、栄光の道のりの第一歩であった。
カナウジ奪還を果たして堂々の入城をしたハルシャ王を迎えたのは、グラハヴァルマン王の側近だったバーニ大臣だった。その指には、かつて見たのと同じ紅縞瑪瑙の指輪が輝いていた。
乗っていた象から降りて挨拶を返すハルシャ王に対して、バーニ大臣は恭しく申し上げた。
「ハルシャ陛下、カルナ・スヴァルナ軍を撃退してカナウジを解放していただき、ありがとうございます。我が主、グラハヴァルマン陛下も、今頃来世で喜んで見守ってくださっていることでしょう。ところで、カナウジを都とするカーニャクブジャ国は、グラハヴァルマン陛下が跡継ぎを残すことなく崩御されたことにより、後継者がおりません。筋道として、グラハヴァルマン陛下の義兄であらせられるハルシャ陛下にご統治いただくのが相応しいのではないかと考えます。無論、カナウジの都市やカーニャクブジャの国についての知見をお持ちでないという部分はあるでしょうが、わたくしバーニをはじめとして、グラハヴァルマン陛下時代の家臣たちが輔佐いたしますので。それこそが、カナウジとカーニャクブジャの民の安寧のためと認識しております。何卒、我が願いを聞き入れ、カナウジの新しい王となっていただきたい」
ハルシャは前に進み出て、頭を垂れるバーニ大臣の両肩に手を置いた。
「カナウジの民は、王が亡くなって、カルナ・スヴァルナの占領統治下に置かれて、さぞかし不安な日々を送ったことであろう。奪還までに時間がかかってしまったのは申し訳ないが、我慢は今日までだ。余は戒日王子として聖なるガンジス河中流域全般を支配し、インド統一を目指す。タネシュワールからここカナウジへと遷都して、ここを拠点としていずれはベンガル地方のカルナ・スヴァルナ国をも征服するつもりだ」
「カルナ・スヴァルナは我々カーニャクブジャにとって仇敵、いつかは必ず打倒しなければなりません。我ら、ハルシャ陛下と心は一つです」
かくて、ハルシャ王はタネシュワールからカナウジへの遷都を宣言した。
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