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一話.ヤギでした
しおりを挟む勇者召喚。それは一世一代の大イベント──世界の破滅を目論む魔王に対抗するために、異世界から勇者を召喚する儀式である。
先代が残した予言書によると、召喚された勇者には類稀なる才能や力が神により与えられるという。
そして、勇者召喚を行なう者は、剣士、弓使い、魔法使い、錬金術師の四人であると。
しかし勘違いしてはいけない。
どの世界においても、人間とは動物の一種でありその一部でしかない。動物の中から選ばれるのであればそれが人間であることのほうが少ないだろう。
つまり──
「──ただのヤギじゃねぇかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!」
──勇者召喚後にそんな叫び声が聞こえることも、あり得ない話ではないのだ。
※
時は少し遡る。
とある国の城内に存在する謁見の間。そこには、王とみられる豪華な服を着た老人と、その付き添いであろう三人の若者が立っていた。
「──我らにはもう……これしか残っておらぬ」
その沈黙を破るのは、金の装飾が施された代々伝わる王冠に、赤を基調とした肉食獣の毛で縁取られている豪勢なマントを身に纏う国王メギスである。
本来ならば威厳のある姿として映るであろう。
だがこの国王は違う。民に威厳を示す王であるはずなのに、だらしなく膨らんだ腹により身に纏う王族衣装は悲鳴を上げている。更に風格を醸し出す筈の白髭は整頓されておらず、口を確認する事すら出来ない程の無法地帯になっている。
とても国王とは思えない成りであるメギスは流れる冷や汗をそのままに、神妙な面持ちで他三人に対して頷いて見せた。
「では、始めるのじゃ」
その者達の真下には、円を描いた中に文字を線に沿わせるように並べ、必要な箇所を線で結んだ、通称『魔法陣』が絵が描かれていた。
──勇者召喚。
それは、禁忌とされる儀式、魔術の事である。異世界から勇者に相応しい者をこの世界に呼び寄せ神に等しい力を与えるというのが儀式の効果であるが、美味しい話にはそれ相応の裏というものが存在するのが世のルールだ。
それが、失敗すれば召喚をした者達の魂が消滅──つまり死亡してしまう、というデメリットであった。そしてその確率はおおよそ八十パーセントと言われており、その非人道的な効果から使用の禁止が決められる事となった禁断の魔術。
「勇者召喚……本当に大丈夫なんでしょうか……」
不安げに口を開いたのは、ネルと呼ばれる男であった。深緑の長髪は腰にまで至り、男でありながらも女性にも負けない美貌を持つエルフである。
ネルは畏怖の念を込め『氷の射手』とも呼ばれる程感情を表に出さないエルフである。それでもエルフ特有の尖った耳がピクピクと動いてしまっている所を見ると、やはり死への恐怖心は『氷の射手』であろうと拭えきれないのであろう。
「魔王を倒すにはこのくらいしないと駄目だよ……」
次に言葉を返したのは、エリカという女性だった。前を短くキレイに切り揃えた黒のボブヘアーに、万人を魅了するに相応しい顔立ちをした人間である。
ツバが広く、三角錐のような形をした帽子をエリカは整え、手に己の身長程もある杖をどこからとも無く手に召喚した。
「レイもそう思うでしょ?」
「あぁ、世界が危機に瀕しているんだ。このくらいの危険、どうってこと無いさ」
そう強気な言葉を放つのは、赤髪のレイである。背中に背負う長剣から剣士だと推測できるが、その装備は比較的薄く、安物のレザー装備を一式身に着けているだけである。
だが、顔、腕、と言った現在目に見える情報だけでも、その傷跡の多さから彼が歴戦の剣士だと言う事を示している。
やはり何度も死線を潜り抜けているだけあるのか、その表情には他の者達とは違って余裕のある表情だ。
「随分とレイは余裕そうだね?」
エリカが問い掛ける。レイは当たり前だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「はっ、やらなくてもいずれ死ぬんだ。なら少しの可能性に賭けて死ぬ方が何倍もマシだろ?」
レイの言葉に皆が「確かに」と賛同する。
が、ネルだけは違った。
ネルだけは見破っていたのだ。この男の嘘を、この男の本性を。
(レイ……貴方は……)
エルフは生まれながらに超人的な身体能力と動体視力を得て生まれる。よって、ネルにだけレイの僅かな変化に気がつけたのだ。
ネルはため息をつく。それもまるで、深海を連想させるほど大きく深いため息である。
ネルはレイの肩に手を起き、こう続けた。
「レイ、彼女の前で格好つけたい気持ちは分からなくもないですが、怖いなら素直に言いましょう」
「は、はぁー!? んなわけねぇーし!?」
と言いつつも、その顔には動揺が生まれている。
やはり見間違いなどではない──レイの下半身が異常なまでに小刻みに震えているのは、紛もない事実であったのだ。それも、この四人の中でダントツ一番とも呼べる程にガタガタと震えている。
「ほら、足震えすぎて空間ネジ曲がってますよ」
「あっ……いや、これは武者震いだっ!」
「そうだよ! レイはこんな所で怖気づくようなダサ人間じゃないもん! ね? レイ?」
「お、おぉぉおおぉぉおおおぉぉぉう! あたりメェだこんちくしょぉぉ!!」
「ほら!」
「『ほら』じゃないんですよ。なんならトドメをさしているのはエリカさんですよ」
そんなこんなで、今、この国を統治する王、魔術師であるエリカ、弓術師のネル、そして剣術師のレイが集まっていた。皆超一流と呼ばれる使い手であり、その道を極めたマスタークラスと呼ばれる最上位の存在である。
「でも……予言書によれば錬金術師が必要みたいだけど……大丈夫かな?」
「大丈夫だろ。このバカ親父が錬金術師って事にしとけば」
「そんな適当で通るほど甘くないのでは……」
「ふぉっふぉ。構わんよ。王とは何にでもなれる存在でならなければならない。民がそれを望むのなら錬金術師にでもなってやるわい」
「いや気持ちの問題じゃないんですよ。わかってます? 失敗したら死ぬんですよ僕たち?」
「……まぁ、ほら。わしって何もしてないのに金は生み出してるじゃろ? 錬金術師っぽくない? ほら、金って文字入ってるし」
「いやだから気持ちの問題じゃないんですよ。ていうか働いてくださいよ。何か自慢げに言ってますけど結構愚痴られてますからね」
ギクリと肩を震わす王に冷たい視線を向けていたネルだったが、ため息をついてエリカへと視線を移す。
「始めましょうか」
「うん、了解」
エリカがそう言うと、魔法陣が突然光りだした。
「行くよ!」
「おう!」
「はい!」
皆が力強く返す中、王自身は何食わぬ顔で後退り魔法陣から出ていく。口笛を吹いて誤魔化してはいるものの、バレない方がおかしいだろう。
「こら、出ちゃ駄目だよ王様」
「おぉ、すまんすまん。身体が勝手に動いての」
エリカに叱られた王はそそくさと魔法陣の中へと戻る。
それを確認したエリカは目を瞑ると、今度こそ詠唱を始めた。
「『異世界からの召喚に答えるものよ。勇者の素質を持つ者よ。神に愛されし汝の力を貸し給え』
詠唱は順調に進む。魔法陣は言葉一つ一つに反応するかの様に明滅し、段々と光が強くなってくる。
今の所すべてが順調だ。このまま行けば成功する──そう思った矢先、王が両手の指先同士を合わせながら口を開く。
「……のぉ、やはりこれやらないといけないかのぅ……」
「弱気にならないで下さい。もう中断できないから無理ですよ」
王が放つ弱音を、ネルはバッサリと切り捨てた。すると王は両手を胸の前に祈るようにして組み合わせると、天を見上げる。
「あぁ……死ぬのは嫌じゃあ……せめて枕の下に隠したエロ本を回収してから死にたいじゃあ……」
「エロ親父みたいなセリフ言ってんじゃねぇよ……」
その言葉に反応したのはレイだ。突然ハッとした顔つきで王の方に振り返る。
「……って、おい。そう言えばこの前俺の部屋から隠してた筈のブツが無くなってたんだが……まさか……なぁ?」
王へと不信の目を向けるレイに、「ほほほ」と笑いながらゆっくりと目を逸らすメギス。額から流れる冷や汗、挙動不審なメギスにレイは確信したのか、メギスの肩を勢い良く掴んだ。
「やっぱそれ俺のだよな!! そうだよ最近見つからないと思ったんだよちくしょう!!」
「ち、違うわい! お主の部屋に落ちてたから拾って活用してあげただけじゃ!!」
「活用とか生々しいこと言ってんじゃねぇ!! てか人の部屋に落ちてるもんを堂々と盗んでんじゃねぇよ!!」
「そんなの知らんわい!! わしは王様じゃぞ!! 王の言う事は絶対なのじゃぞッ!」
「こんな時に限って王の権力を使うんじゃねぇ!! お前殆どの仕事を俺たちにやらせてるただのサボり魔じゃねぇか!!」
「サボってなんかないわい! ただ儂に出来る仕事が無いってだけじゃッ!!」
「もうお前なんで王になれたんだよッ!?」
はぁはぁと、怒涛のツッコミに息を切らすレイ。一方の王は未だプンプンとレイに対して怒りをぶつけていた。
そしてその様子に、頬をピクピクと痙攣させる者が一人。
だがそれに気付かずレイと王はまだ言い合いを続けている。
「あの……」
このままだとマズイと感じたのか止めに入ろうとするネル。それでも止まる気配は無く、逆にそれは加速していくばかりである。
ネルは詠唱をするエリカを視界に入れるとすぐに目を逸らし、やれやれと首を振った。
「そこまでにしておいた方が良さそうですよ。そろそろ──」
ネルの言葉が終わる前に、ダンっ! と鈍い音が謁見の間に大きく響き渡った。
王とレイは何だと言い合いを中断して、その音の方へと顔を向ける。
「げっ……マズイ……」
二人の視線の先には、俯き、プルプルと体を震わせるエリカの姿。さきの音はその手に持った杖で強く地面を叩いた音なんだろう。エリカはその顔を上げると、杖の先端をレイへと向けた。
「あの……えっと……その……エリカさん……?」
「なに?」
「いやー……そのー……なんで杖を俺に向けているのかなぁー……とか不思議に思っちゃったりー……? そのー……人に杖を向けちゃいけないって……教わらなかった……?」
エリカはにこっと笑って見せる。レイはその笑みを見て、引き攣った笑みを返す。
「【ファイア】」
「ギヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ──」
杖の先端から炎が打ち出され、レイの体を包み込んだ。その炎はすぐに消えてなくなるが、レイは地面に転がりずっとのたうち回る。
エリカはその光景を見ながらも笑顔を崩す事なく、次に王へと杖を向けた。王もさきのレン同様引き攣った笑みを浮かべると、額から冷や汗を流す。
「のぅ……冗談じゃよな……? 儂は王じゃぞ……? まさかレンと同じようなことはせんよな……?」
「……そうですね」
「その不気味な間はなんじゃ!! 正直に言ってみぃ! 絶対に同じことをするつもりじゃろう!!」
「そうです」
「これは即答するのか!? じゃあさっきは何で嘘を付いたのじゃ!!」
「【ファイア】」
「のぉぉぉおぉぉぉぉぉおぉ──」
王とは丸焦げになり、レイと同様地面に倒れてのたうち回る。
「ほら言わんこっちゃない……」
ネルはその様子を見て、仲がいいのやら悪いのやらと首を振り、そしてエリカと視線を交わしてしまった。エリカはにっこりと無言で笑うと、ネルは苦笑する。
「【ファイア】」
「なんで僕まで──」
見事に三人の丸焦げが出来上がる。
エリカはその様子を見て薄く笑うと、再び詠唱する準備に入ろうとした。だがそれは、足元を掴まれたことによって中断される。
「ちょっと待ってくださいエリカさん……何で僕まで焼かれないとダメなんですか……!」
地面を這いながらなんとかセリカの足元までたどり着いたネルはそう問い掛けた。
エリカは暫く考える素振りを見せると、笑顔でこう返す。
「連帯責任みたいな?」
「そんな体育会系なノリで僕まで焼かないでくださいっ……!」
だが、そんなネルの気持ちなぞ知らんと言わんばかりにエリカは分厚い本を開く。
だがそれも、また別の誰かの手がエリカの足元を掴むことによって中断されてしまう。
それは、丸焦げ第一号──レンである。
「おい待てエリカ……! 勇者召喚の前にまずは決着を付けようじゃねぇか……! なぁ……? エロジジイもそう思わないか……?」
「そうじゃのぅ……! わしも昔の血が騒ぐというものじゃ……!! 昔と言っても何もしておらんがのぅ……!!」
レイと王はまるでゾンビの様に立ち上がると、詠唱をしている無防備なエリカへとジャンピンクダイブを決めようとする。
「ここで死ぬくらいならエリカも道連れだゴラァァァァァァァッ!!」
「儂もよく分からんが便乗するぞおおぉぉぉぉぉっ!!」
「いい加減にしてくださいよ二人ともっ!!」
ズガッ! と二人の後頭部に矢が綺麗に刺さる。
二人はその勢いでエリカを飛び越えると、そのまま顔面から地面にヘッドスライディングを決め、今度こそ動かなくなった。
「本当にこの二人は……!!」
ネルは手に持った弓の構えを解くと、溜息を付く。
すると、下に描いていた魔法陣がより一層光を強め、謁見の間全体を光が包み込んだ──その直後に、ボフンと勇者召喚に相応しくない間抜けな音が同時に鳴り響いた。
「──なんですか……!?」
ネルは閉じた目をゆっくりと開けると、辺りが白い煙のようなもので覆われていた。
「成功した!! きっと成功したんだよ!!」
姿は見えないが、体全体で嬉しさを表現していそうなエリカの声が聞こえてくる。
「それは真か!?」
「マジで!?」
次いで嬉しそうな声を出す王とレイ。
だが、ネルだけは引き攣った笑みを浮かべる。いや、笑みという表現は間違っているかも知れない。決してそんな感情は抱いていないのだから。
エルフであるネルだからこそ、並外れた視力を持つネルだからこそ一人頭を抱え、ありえないと首を振った。
勇者召喚。
確かに成功した。勇者はここに誕生した。。
煙が晴れる。そして、その魔法陣の真ん中に佇む『勇者』を見て、誰もが目を見開いた。
「これは……」
たくましい筋肉の付いた足は四本ともに地に足を付けており、ぷっくりとした可愛いお腹の内には確かな筋肉を感じさせる胴体。そして、地味に細長いその頭には、角が二つ申し訳程度に生えている。
全体的に白いその『勇者』は間抜けな瞳をレイ達へと向けると、『ベェー』と間抜けな声で鳴いてみせた。
「え、えっとー……」
エリカはゆっくりとその生き物へと近付き、頭に手を置く。
「……そのー……勇者様です!」
その言葉を聞いたレイは立ち上がると、頭に刺さった矢を引き抜いた。そして深呼吸をしてから握った矢を握力のみでへし折り、目の前の『勇者』へとぶん投げ、怒りを爆発させる。
「──ただのヤギじゃねぇかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!」
そんなこんなで、冒頭へと至るのだ。
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