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六章
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「はれたねー。リズ、うんがいいよ。ノジュクとかさ、雨ふったらもうタイヘンなんだよ」
「濡れるから?」
「そ。ぬれてタイオンもってかれて、ヘタしたら、夏でもカゼひくんだよ。ランがそれで何回か」
「そんなことよりとっとと歩け。何なら走るか。あ?」
「ツゴーわるいからってスゴムなよ、かっこわるいよ、ラン」
不満げなリードルの頭にランスロットの拳が落とされ、ランボーだオーボーだ、と声を上げる。朝から元気だ。
数日前には存在さえほとんど知らず、サマンドラに入ってからはしばらく別行動だった。ほんの二日ばかり一緒にいただけで、半日ほど離れていただけだというのに、ランスロットとリードルのやりとりに懐かしさすら覚えてしまっている。
昼頃には、サマンドラの城下街に辿り着くだろう。シュムたちと別れてから、二夜が経っている。シュムたちはもう、魔導連合会への報告を終えてどこかへ旅立っているだろうか。
「そう言えば、あのとき現れたお二人はどうなったの? ほら、あの…ダルマさんとモヤシさん」
ふと思い出して尋ねると、リードルが笑う。
「そんなよびかた?」
「あら、違った?」
「うーん。まちがってはないかも。あいつらなら、魔力ほぼしぼりとってすててきたよ」
「そんなことできるの?」
「うん、おれはけっこーカンタンに。死ぬつもりできてるってわかってたら、もっとはやくにやったんだけどさー。そのうちあきらめるかなってあまくみてたのがダメだったね」
それは、甘く見ていたというのか。そしてむしろ、余計に躍起になって追って来そうな気もするのだが。
そう注意したほうがいいだろうかと悩んでいると、リードルが、あ、おれも思い出した、と声を上げた。
「リズさ、言わなくていいの?」
「え?」
「ランのことす――」
どう動いたものか、気付いたときにはリズは、力任せにリードルの口をふさいでいた。平手打ちのように叩きつけたのか、リードルの口に当てた手のひらが痛い。
「…ごめんなさい」
「びっくりしたーっ! ナニ、おれいわないほうがいい?」
こくりと、肯きを返す。
おそるおそるランスロットを見ると、呆れたように見られた。聞かれたのかどうかがわからず、冷や汗が背を伝う。いや、聞かれてもわかっていないということも考えられるのか、と考えが空転する。
「お前らなあ…」
「は、はい?!」
「往来で目立つことやるな。あと、じゃれるのはいいけど歩け。今日も野宿するつもりか?」
「あ」
言われてみれば、注目の的というほどではないが、こちらを見ている人がちらほらと目に付く。フードを更に目深くかぶって、リズは身を縮めた。
「すみませんごめんなさい、浮かれてました」
「しっかりしろよ。リディ、お前もだ」
「はーい」
絶対わかってねぇ、とぼやくランスロットがちょっとおかしい。
そして、聞かれてなかったよかった、と思う反面、聞かれていればいっそ切り出せたかもしれない、とも思う。
言ったからといって望みはない気もするが、知られないまま終わるのももやもやとする。だが、どう扱えばいいのかがわからない。こんなことなら、縁がないと侍女たちのおしゃべりに背を向けるのではなかった。
まだ半日ほど時間は残っているから、と、ただの先送りとはわかりながらも頭の片隅に押しやる。
「リズ、気にしなくていいよ。それにおれ、ベツにノジュクでもいいし。もうさ、おれたちとタビビトになっちゃえば?」
「阿呆」
リズが何か言うよりも早く、もう一度ランスロットの拳が落とされる。
むう、と唸ったリードルは、殴られたところをなでながらランスロットを睨みつけた。そうして、びしっ、と口で言いながら指を突きつける。
「そんなことするなら、イエデするもんねっ、こーかいするなよっ!」
ランの馬鹿ーっ、と叫びながら駆けて行く。リズは、えええええ、と、間抜けな声を漏らしてそれを見送ってしまった。我に返ったときには、今更駆け出しても追いつけそうにないほど、その背が遠い。
「…あの…ランスロットさん…」
「何も言うな」
「でも、リドル、行ってしまいましたよ…」
深々と、ランスロットの溜息が落ちる。こげ茶の髪を、無造作にかき回した。やっぱりわかってねえし、というのは独り言らしい。
「家出っつっても家がねえし。どうせ、どっかで待ってんだろ。リディと俺は、そう離れられねえしな」
「…?」
首を傾げたリズの背を、とりあえず歩け、とランスロットが叩く。
リーランドから続いていた街道は、十年以上が経ち、行き届いた整備はされていないようだがまだ人通りはあるようで、歩けないほどではない。今も、リズたちの他にも道を行く人はある。それでも寂れた感じはぬぐえず、周囲は畑や農家が広がっていることもあり、のんびりとしている。
そんな景色を見渡し、ランスロットはもう一度、溜息をついた。
「魂を分けてるからか、長く離れてると体調が悪くなって来るんだ。だから、シュム師匠とカイ師匠もずっと一緒だしな」
「え? お二人も…? あれ、でも、お二人は、魔導連合会からは追われてませんよね?」
「シュム師匠は元から成長が止まってて、カイ師匠と変則的な契約もしてた上でのことだったからな。そこに、あの性格だ。誰も気付かなかったんだよ」
「…そういうものですか? いいんですかそれ?」
「俺に言うな」
追われないほうがいいには決まっているが、どうにも気抜けしてしまう。そして、ちょっと面白い。思っていたよりも、世の中はいい加減で曖昧なのかもしれない。
シュムが、ヘル・アダムスに思いがけない結末を用意したように、選ぶべきものはきっと、リズが今まで目にしていたよりも多くあるに違いない。そう――目隠しは、外してしまおう。
少し上を見上げると、リードルが言ったように、きれいな青空が広がっていた。
「濡れるから?」
「そ。ぬれてタイオンもってかれて、ヘタしたら、夏でもカゼひくんだよ。ランがそれで何回か」
「そんなことよりとっとと歩け。何なら走るか。あ?」
「ツゴーわるいからってスゴムなよ、かっこわるいよ、ラン」
不満げなリードルの頭にランスロットの拳が落とされ、ランボーだオーボーだ、と声を上げる。朝から元気だ。
数日前には存在さえほとんど知らず、サマンドラに入ってからはしばらく別行動だった。ほんの二日ばかり一緒にいただけで、半日ほど離れていただけだというのに、ランスロットとリードルのやりとりに懐かしさすら覚えてしまっている。
昼頃には、サマンドラの城下街に辿り着くだろう。シュムたちと別れてから、二夜が経っている。シュムたちはもう、魔導連合会への報告を終えてどこかへ旅立っているだろうか。
「そう言えば、あのとき現れたお二人はどうなったの? ほら、あの…ダルマさんとモヤシさん」
ふと思い出して尋ねると、リードルが笑う。
「そんなよびかた?」
「あら、違った?」
「うーん。まちがってはないかも。あいつらなら、魔力ほぼしぼりとってすててきたよ」
「そんなことできるの?」
「うん、おれはけっこーカンタンに。死ぬつもりできてるってわかってたら、もっとはやくにやったんだけどさー。そのうちあきらめるかなってあまくみてたのがダメだったね」
それは、甘く見ていたというのか。そしてむしろ、余計に躍起になって追って来そうな気もするのだが。
そう注意したほうがいいだろうかと悩んでいると、リードルが、あ、おれも思い出した、と声を上げた。
「リズさ、言わなくていいの?」
「え?」
「ランのことす――」
どう動いたものか、気付いたときにはリズは、力任せにリードルの口をふさいでいた。平手打ちのように叩きつけたのか、リードルの口に当てた手のひらが痛い。
「…ごめんなさい」
「びっくりしたーっ! ナニ、おれいわないほうがいい?」
こくりと、肯きを返す。
おそるおそるランスロットを見ると、呆れたように見られた。聞かれたのかどうかがわからず、冷や汗が背を伝う。いや、聞かれてもわかっていないということも考えられるのか、と考えが空転する。
「お前らなあ…」
「は、はい?!」
「往来で目立つことやるな。あと、じゃれるのはいいけど歩け。今日も野宿するつもりか?」
「あ」
言われてみれば、注目の的というほどではないが、こちらを見ている人がちらほらと目に付く。フードを更に目深くかぶって、リズは身を縮めた。
「すみませんごめんなさい、浮かれてました」
「しっかりしろよ。リディ、お前もだ」
「はーい」
絶対わかってねぇ、とぼやくランスロットがちょっとおかしい。
そして、聞かれてなかったよかった、と思う反面、聞かれていればいっそ切り出せたかもしれない、とも思う。
言ったからといって望みはない気もするが、知られないまま終わるのももやもやとする。だが、どう扱えばいいのかがわからない。こんなことなら、縁がないと侍女たちのおしゃべりに背を向けるのではなかった。
まだ半日ほど時間は残っているから、と、ただの先送りとはわかりながらも頭の片隅に押しやる。
「リズ、気にしなくていいよ。それにおれ、ベツにノジュクでもいいし。もうさ、おれたちとタビビトになっちゃえば?」
「阿呆」
リズが何か言うよりも早く、もう一度ランスロットの拳が落とされる。
むう、と唸ったリードルは、殴られたところをなでながらランスロットを睨みつけた。そうして、びしっ、と口で言いながら指を突きつける。
「そんなことするなら、イエデするもんねっ、こーかいするなよっ!」
ランの馬鹿ーっ、と叫びながら駆けて行く。リズは、えええええ、と、間抜けな声を漏らしてそれを見送ってしまった。我に返ったときには、今更駆け出しても追いつけそうにないほど、その背が遠い。
「…あの…ランスロットさん…」
「何も言うな」
「でも、リドル、行ってしまいましたよ…」
深々と、ランスロットの溜息が落ちる。こげ茶の髪を、無造作にかき回した。やっぱりわかってねえし、というのは独り言らしい。
「家出っつっても家がねえし。どうせ、どっかで待ってんだろ。リディと俺は、そう離れられねえしな」
「…?」
首を傾げたリズの背を、とりあえず歩け、とランスロットが叩く。
リーランドから続いていた街道は、十年以上が経ち、行き届いた整備はされていないようだがまだ人通りはあるようで、歩けないほどではない。今も、リズたちの他にも道を行く人はある。それでも寂れた感じはぬぐえず、周囲は畑や農家が広がっていることもあり、のんびりとしている。
そんな景色を見渡し、ランスロットはもう一度、溜息をついた。
「魂を分けてるからか、長く離れてると体調が悪くなって来るんだ。だから、シュム師匠とカイ師匠もずっと一緒だしな」
「え? お二人も…? あれ、でも、お二人は、魔導連合会からは追われてませんよね?」
「シュム師匠は元から成長が止まってて、カイ師匠と変則的な契約もしてた上でのことだったからな。そこに、あの性格だ。誰も気付かなかったんだよ」
「…そういうものですか? いいんですかそれ?」
「俺に言うな」
追われないほうがいいには決まっているが、どうにも気抜けしてしまう。そして、ちょっと面白い。思っていたよりも、世の中はいい加減で曖昧なのかもしれない。
シュムが、ヘル・アダムスに思いがけない結末を用意したように、選ぶべきものはきっと、リズが今まで目にしていたよりも多くあるに違いない。そう――目隠しは、外してしまおう。
少し上を見上げると、リードルが言ったように、きれいな青空が広がっていた。
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